*5 どうして助けてくれるの?
「やっぱ企画に無理があんだよ。人災じゃん、こんなの」
人災、という強烈なワードにあたりが騒めき、やがてクラスメイトの視線が僕に注がれ始める。注がれる視線に圧されるように顔をあげると、人垣から黒田が薄く笑ってこちらを見ていた。
謎解きお化け屋敷にしようと提案したのは渋川だけれど、同じ実行委員である以上、それに賛同した僕にも責任はあるのかもしれない。なにより、この作業スケジュールを立て、係りの割り振りをしたのは僕だ。そう言ったことを、彼は責めたいのだろう。
落下した男子は、頭などは打っていないようだが、すぐには立ち上がれないらしく、彼の許に何人かの生徒が駆け寄り、安否を気遣っている。
その様子を横目に、黒田が一歩前に出てきてさらに言いつのる。
「お前さぁ、何様のつもり?」
「え……?」
「俺が実行委員やらせたの、そんなに気に食わないのかよ? だから真面目にやってた俺ら疑ったり、適当な指示出したりしてんのかよ」
「そんなことない!」
「じゃあいま目の前で起きたのはどう責任取るんだよ! お前のせいでケガ人出てんだぞ!」
黒田の言葉に、再び周囲が凍り付き、一斉に視線が僕に注がれる。それは責めているように鋭く、痛みすら覚えた。
いまここで僕が自分に非がないといったところで、誰が味方になってくれるだろう。それでなくとも、僕と黒田の仲があまり良くないことを、きっとみんな薄々勘づいているはずだから、なるべくしてなった状況と思われている気もする。そうなると、いよいよ味方もいない。
僕が返す言葉に詰まっている間に、例の男子生徒は友達に連れられて保健室へ向かった。自分で歩けるようだから大事はないだろう。そこは安心できるが、僕の置かれた状況のまずさに変わりはない。
「どうすんだよ。お前のせいなんだからな」
そう言いながら、黒田は僕の肩を強く押してくる。よろけた僕は返す言葉もなく、戸惑いと腹立たしさを隠せない目を向けるも、それを更に黒田が忌々しそうに睨む。
「なに? ケンカ?」という囁き声が聞こえ始め、辺りに緊張が走る。
僕がここで非を認めたとして、それで頭を下げるなり何なりしたところで、それが何になるんだろう? 文化祭は間近に迫っているし、スケジュールはギリギリだ。ここで場を仕切らされている僕が抜けたら、みんなが困ってしまうだろう。それでも僕は、もうここにいるべきではないというんだろうか。
「何か言えよ。イキって青く染めたりカラコンしたり、目障りなんだよお前」
そう言いながら、黒田が僕の前髪につかみかかろうとしたその時、その手を横からつかみかかって止める手があった。
僕と黒田が驚いて手が伸びてきた方に振り返ると、明らかに怒りの感情をむき出しにしている渋川が黒田をにらんでいた。その視線の鋭さに、黒田は一瞬怯んだように後ずさる。
「何、だよ……放せよ、渋川」
「放したら、黒田は碧を痛めつけるだろ」
「そうは言うけどさ、実際こいつのせいでケガ人出たんだぞ? 髪くらいつかまれたって当然だろ!」
「碧のせいって言うけど、碧がさっきなんかしたのか? 脚立揺らすとか蹴るとか、黒田みたいに作業の邪魔になるようなことしたのか?」
いつになく低く凄んだ声で問詰める渋川の気迫に、黒田は押されて口ごもりつつも、苛立たし気に言葉を返す。
「そうじゃねぇけど、明らかにこいつのミスだろ。スケジュールとか、そもそもこれやろうって言いだしたのだって……」
「謎解きお化け屋敷にしようって最初に行ったのは、俺だろ。碧はそれに賛同してくれて、書類を書いてくれただけだ」
「でもスケジュールが!」
「それってさ、碧だけのせいなのか? 自分たちの担当が早く終わったからって、他を手伝いもしないで邪魔になってたのはむしろお前らだろ、黒田」
「それは……」
「碧が少し珍しい姿の転校生だからって、オモチャにしたり八つ当たりしていいわけがないだろ。ガキでもやらないぞ、そんなこと」
決定的なウィークポイントを突かれ、黒田はバツが悪そうに顔を歪め、忌々しそうに渋川の手を振り払う。まだ何か言い返しそうに口を開きかけたが、渋川が更ににらみ返すと、そのまま背を向け、「くそっ!」と、吐き捨てって教室を出ていった。
黒川の退場を機に、まだ若干ざわついていたけれど、周囲は徐々に文化祭の準備に戻り始めていく。残されたのは、事態に呆然としている僕と、もうすっかりいつものように懐っこい笑みの渋川だけだった。
また、助けられた。どう見てもいまのは黒田が度の過ぎた言動をとっていたとは言え、あの暴走を冷静に止められる生徒が、渋川の他にいたかはわからない。
もし、あのままつかみかかられていたら――僕はそのもしもに表情を硬くし、覆わず自分の手首を握りしめる。
「碧? どっかケガしたのか?」
俯き加減の僕を、渋川が心配そうにのぞき込んでくる。その間近に感じる渋川の整った顔立ちに無駄に心臓が暴れ出す。
僕は慌てて顔をあげ、両手と首を顔の前で振って懸命に否定する。
「してない、大丈夫……あ、ありがと……」
取って付けたように小声になりながらお礼を言いながらまたうつむくと、今度は渋川がきょとんとした顔をし、やがておかしそうに吹き出して笑いだす。そのあまりなリアクションに僕は呆気に取られ、やがて馬鹿にされたのかと腹立たしくなる。
「何で笑うんだよ」
「ごめ……だって、碧、すっごい慌てるんだもん。そんなびっくりしなくてもいいのに。なんかびっくりしたリスみたいでかわいい」
リスみたいでかわいい。思ってもいなかった形容をされ、喜んでいいのかもわからない。ただ、強烈に恥ずかしいのは確かだ。その証拠に、耳の端まで赤く染まっていくのがわかる。
「え、あ……」
てっきり、赤く染まった僕をからかってくるのかと思ったのに、渋川もまた、自分の口許を抑え、耳の端まで赤く染まっていく。照れている僕を見て照れているのだ。僕らはいま、お互いの反応を見て頬を染めている。
(え、何、この状況……すごく、恥ずかしい……けど、ちょっと、嬉しい気もする……)
ほんの一瞬だけ、僕と渋川の間に漂う空気がやわらかく甘くなった気がして、それが一層気恥ずかしさを煽る。だけど、同じくらい嬉しい気持ちがにじむのはどうしてなんだろう。
何か言わなくては。そうじゃないと、何かヘンに意識しているみたいになってしまう。そう、思う反面、ヘンに意識するって、渋川の何をどう意識するとヘンだというのだろう? 何がおかしいんだろう? そんな疑問も同時に湧いてくる。
なんだ、この気持ち……と、別角度からの冷静さを取り戻していると、どこからか渋川を呼ぶ声がする。渋川はそれに弾かれるように返事をし、手を振ってそちらへ向かう。僕の方を、一瞬何か言いたげに視線を送りながら。
僕はそれを受けて、より胸が甘く締め付けられた気がした。
その日、ひとりで施設まで帰りながら、僕はぼんやりと渋川のことを思い返していた。転校初日から僕なんかに愛想よくしたり、親切にしたり。でもそれは、僕が転校生だからだと思っていたし、実際さっきだってそんな風なことを黒田に言っていたから、そうなんだろう。
でも、じゃあその他のことは? 黒田に絡まれたあとに慰めてくれたこと、僕が驚いた様子をリスみたいでかわいいなんて笑ったこと、そして、その後に何も言えないほど僕を見て顔を赤らめていたことは?
ただ同級生に照れただけにしては反応が大きくて、大袈裟な気もしたのだけれど、たぶんあれはきっと、彼が本当の気持ちを表したものなんだろう。
「渋川の、本当の気持ち……?」
それは、僕に関わってこようとする動機みたいなものとも言えるんだろうか? 僕なんかのために、どうしてそんなに親切にしようとしてくるのか、とか、何のためらいもなく笑顔を向けてくるのか、とか。
渋川は何を考えているんだろう。いままで僕の周りにはいなかったタイプの彼が、何を考えて僕の傍にいようとするのかわからない。それは怖いようでもあって、少しだけ、ドキドキもする。
「何だろう、この気持ち……」
初めて憶える感覚に、僕は帰路の途中で胸元を押さえたたずんだ。