*3 木漏れ日のような笑顔
転校初日早々に、文化祭の実行委員という、どう考えても面倒臭いものを押し付けられたのだけれど、ただ席が隣というだけで僕と一緒にやることになった渋川は、どこか楽しげだ。
実行委員の顔合わせの翌日、早速クラスで出し物を決めないといけない。しかしこれがまた難関だった。
「えーっと、文化祭、何をクラスでやりたいか、誰か案を出してくれませんかー」
「えー、そういうのはさぁ、委員が率先して考えてよ」
「そうそう、俺ら受験生なんだからさぁ」
「委員やるようなやつは受験余裕だからいいだろうけどさぁ」
べつに好きでやっているわけではなく、君たちに押し付けられたから仕方なくやっているだけなんだけれど……そう、言い返そうにも、そういう腹の立つ言葉を言い放った奴らは、既にこちらのことなんて存在すら気にしていないように背を向けている。
彼らだけでなく、教室のあちらこちらで勝手なおしゃべりが繰り広げられていて、時折馬鹿笑いすら起きる。荒川先生は、「俺がいると話合いしにくいだろう」とかヘンな気を遣って離席していて役に立たない。だから余計にクラスメイトはやりたい放題なのだ。
「……なんだこれ。幼稚園児の方がまだマシじゃんか……」
苛立ってつい呟いた言葉を、すぐ近くの机に座って喋っていた黒田が聞きつけ、何か含みのあるような目を向けてくる。
「へぇ、そんなに俺らがガキに見えるっていうなら、森藤がクラスの文化祭仕切ればいいだろ。委員なんだしさぁ」
「でも、こういうのはクラスのみんなで決めなきゃじゃ……」
「そうは言っても、森藤から見たら俺らはガキだって言うんだろ? じゃあ、勝手に決めてくれよ。従うからさぁ」
「…………ッ」
「そんなイキった格好してるくせに、見掛け倒しなのウケる」
実行委員も、この青い髪と瞳だって、好きでやっていることじゃない。すべて押し付けられてどうしようもなく受け止めようとしているだけだ。それなのに、なんでそこまで攻められたり馬鹿にされたりしなきゃなんだろう。僕はただ、半年余りの高校生活を静かに過ごすために転校してきただけなのに。
せせら笑う黒田をにらみ付けるしかできない僕を、見下したような眼差しをよこしてくる彼が、心底憎い。イジメられることは、悲しいことに少なくはないけれど、だからと言って慣れているわけではない。毎度毎度、律義に傷ついているんだ。小さな子どもだから泣かないだけで、内心は泣き叫びたいほど悲しくて悔しい。
許されるなら、いますぐ黒田を殴ってやりたい……そんな粗暴な考えが過ぎった時、「んじゃあさぁ、」と、それまで傍観しているとばかり思っていた渋川が声をあげた。
僕と黒田が振り返ると、渋川は軽く挙手をしていて、その声が不意にクラスの目線を集め、沈黙が訪れる。
「んじゃあさぁ、謎解きお化け屋敷ってどう?」
「謎解きお化け屋敷? 何するの、それ」
「謎解き脱出ゲームってあるじゃん、あれにお化け屋敷プラスすんの」
謎解きや脱出ゲームは最近文化祭で流行りだと聞いたことがある。以前いた高校でもいくつかのクラスが毎年やっていたし、お客さんにも人気だったりしたのを憶えている。
ただ謎解きは問題を用意するのが結構大変で、難しすぎず、簡単過ぎないレベルにしないといけない。それに、今回はそれにお化け屋敷要素もプラスするというのだから、それなりに仕掛けもないといけないだろう。そういうことを、クラスのみんなが了承するだろうか?
「つってもさぁ、問題とか用意するのどうすんだよ? 問題の出し方とかさぁ」
案の定どこからともなく疑問を呈され、僕は答えられず渋川に助けを求めるように目を向けてしまう。
しかし渋川はそういう質問も織り込み済みなのか、怯んだ様子なく答える。
「あくまで一例なんだけど、出題とかヒントは動画を作って、QRコードを読み込むことで見られるようにする。出題するものは、クイズが好きな奴に担当してもらう。そんな感じでどうかなーって思って」
「でも、QRコードってことはさ、スマホのカメラ使って仕掛けとかバラされない?」
「文化祭は基本的に撮影禁止だろ? お化け屋敷のあちこちで俺らがお化けの格好をして見張ってればよくないかな」
ヒント動画を見られるところを限定するとか、出題はいちいち口頭でしないでそれ用の動画を作るとか、渋川はクラスメイトが非協力的かもしれない事態を、あらかじめ想定していたように提案していく。
クラスのみんなは渋川の言葉に納得したのか、それ以上何か言ってくることはなかった。
「じゃ、じゃあ……3の2は謎解きお化け屋敷、ってことでいい?」
疑問質問が途切れ、僕が改めてそう問うと、クラスからは特に反対の声は上がらず、「いんじゃね?」という声が一つどこからか返って来た。
「んじゃ、決まりだね。碧、届用紙に書いといてくれる?」
「あ、うん……あの、渋川、」
僕じゃ全然まとまらなかったクラスが、彼の言葉でまとまって一つの方向に向かうことが決まった。それはとても助かったし、感謝している。それを伝えようと思ったのだけれど……でもなんだかそれは、僕が委員として全く役に立っていない事と同意になってしまう。それはきっと、あの黒田が企んでいるであろう、イジメの目的とも通じているんじゃないだろうか。
「どうしたの?」
「いや……悪くない案だなって思って」
素直に、ただ「ありがとう、助かった」って言えばいいのに、自分がお荷物であることを自覚したくないあまりに、ヘンに上から目線な言葉が出てしまった。そんなこと言ったら、渋川からでさえも背を向けられるかもしれないのに。
だけど、渋川は懐っこそうな顔で笑い、拳を突き出してきてこう言った。
「サンキュ。頑張ろうな」
そう言って、僕に拳を出すように促してきて、グータッチをした。まるで、もう何カ月も僕がこのクラスの一員であったり、彼の特別な友達であったりするかのように。
特別な友達……その響きが、妙に甘く感じられ、タッチした拳の先がじんわりとあたたかい。気のせいだと思いたいのに、なんだかやたらと意識してしまう。
(なんだろう、この感じ。渋川と関わると、なんだか気持ちがくすぐったくなる……)
いままで覚えたことがない感情はなんだか落ち着かないけれど、いやではない。その不思議な感覚に包まれながら、僕は決定した出し物を渋川にもらった紙に書き記していった。
謎解きお化け屋敷に出し物が決まると、次は係りを決めなくてないけない。
教室内を会場とするのと、お化け屋敷をベースとするので雰囲気は暗く、黒を基調としたセットを組むことになった。
どんな雰囲気にするのかを、美術部員のクラスメイトを中心に話し合い、最近流行りのホラー系ラノベの表紙イラストを参考にすることにした。
「セットに使う材料は基本自分たちで集めたり買ったりして用意しなきゃだから、学校から出た予算内で納められるようにしないとな」
各クラスに用意されている予算は2万円。色々値段が高いこの頃においてなかなかシビアな予算額だ。足りない分はどうにか工夫しろ、ということなんだろうけれど、それでも高校生には限界がある気がする。
「段ボールは駅前のスーパーでもらえるかなぁ……あと、ペンキとかどうする?」
「ペンキはホームセンターで安いの見つけようぜ」
「段ボールはさぁ、他のクラスももらいに行くからスーパーもうないって話だぞ」
近隣の店には僕らの学校からの生徒が多く出向くため、段ボールをもらえないかもしれないらしい。窓に張り巡らせる暗幕も特別教室の先生方に許可をもらわないとだし、やることが兎に角多い。せめて、何かひとつくらい安心材料が欲しいところだ。
だから僕もまた考えて、ふと、思いついたことがあった。
僕の施設には廃品回収に出す段ボール類がたくさん倉庫に置かれているのだ。どれだけの量を分けてもらえるかわからないし、何より、みんなはぼくが施設にいることを知ったら何か言うんじゃないだろうか、という不安もある。
でも、と、すぐ斜め前で材料をどう調達するかで頭を悩ましている渋川を見ながら、僕は考える。初日から僕に助け舟を出してくれている恩返しみたいなことを、出来たらいいのに、と。それが、これにあたるかはわからないけれど。
「あ、あのさ……段ボール、宛てが、あるんだけど」
話合いが行き詰まり始めた沈黙を破るように、僕が手を挙げて言葉を発すると、いくつもの目が僕に注がれる。お前なんかに何ができる? そう言われている気もしなくはないけれど、怯んで無言になっている場合じゃない。意を決して、言葉を続ける。
「僕のいる施設の倉庫に、段ボールたくさんあるんだ。先生方に分けてもらえないか聞いてみるよ」
一瞬、僕の言葉に周囲が驚いたように微かに空気が揺れた気がした。釣られるように僕にも緊張が走ったけれど、言葉は止めなかったし、うつむきもしなかった。
施設にいることを、何でもないように努めながら口にし、あくまで段ボール調達のためであることを強調する。
沈黙の嵩が増しているような気がしたその時、「へぇ、いいじゃん」という声がした。それは、渋川だった。
「碧が調達してくれるなら、頼んでもいいかな?」
「あ、う、うん……あ、でも、僕一人ではそんなにたくさんは……」
「ああ、じゃあ、もらっていいって言われたら、俺とか、あと……誰か一緒に行かない?」
「あ、じゃあ、おれ行くわ」
「オレも」
渋川が促してくれて、他のみんなもごく自然に手を挙げてくれる。その流れに、僕はほっと息を吐いていた。
何でもない言葉のやり取りのはずなのに、何故かすごく緊張もしたし、その分安堵もした。ほんの少しずつだけれど、何かが変わろうとしている気がする。
「ありがとな、碧」
「いや、うん……」
チャラくて僕なんか珍しい転校生としか思っていない……そう、渋川のことを見ていたはずなのに、何故だろう、彼と関われることが嬉しく、安心してしまう。こんなこと、いままで感じたことないのに。
俯いてチラつく長い前髪の青が、青い視界に映り込む。その中で微笑む渋川の笑顔が、妙に眩しくて、胸がくすぐったくてドキドキしている。まるで、木漏れ日に包まれているみたいだ。
(青くない世界で、渋川の笑顔を見られたら、どんななんだろう)
彼の髪の色は、目の色は、青く欠けていない視界に映る彼はどんな姿なんだろう。
ふいに過ぎった考えに、僕は慌てて首を横に振る。なんだか、あまりにらしくない発想に、動悸がする。
ただ少し、やさしくされたくらいで、何を期待しているんだ……そんなこと、僕なんかにあり得ないのだから。
それでも、他のクラスメイトと材料調達について話し合っている渋川の横顔を、僕は盗み見るのがやめられなかった。