*10 突き付けられた残酷な現実から守ってくれるもの
結局、翌朝起きてみたら、病院に問い合わせてくれた先生から、「以前より悪化はしているけれど、検査でいまのところ、とびぬけての異常はないから、気にしすぎない方がいいと言う話だったよ」と言われ、ひとまず安心して僕は学校へ行くことにした。
学校に登校し、いつも通り教室に入る。「おはよう」と言いながら、自分の席につくくらいに最近は打ち解けていたはずなのに、みんなこっちをもの言いたげに、もしくはじろじろと遠慮のない視線を向けてくる。僕が振り返っても目を反らし、背を向けるとひそひそと聞こえるか聞こえないかの声で何かを囁いているのだ。
なんか、すごく感じ悪いな……まるで、転校してきた頃みたいだな……気のせいだ、と済ませるにはあまりにあからさまな態度の急変に、僕は戸惑いといら立ちを覚えていた。
渋川はまだ登校してないようで、それがなんだかひどく心許なく思えてしまう。彼がいたところでこの妙な状況が好転するとは限らないかもしれないのに……心のどこかで、彼にすがりたいような気持が湧いている。
なんで、渋川にすがりたい、なんて思っているんだろう。そんなに僕は弱いわけはないはずなのに。自分の思い掛けない感情も戸惑いながら通学鞄代わりのリュックから教科書などを出して机に仕舞っていると、何かが頭に当たった。
それは小さな紙が丸められたもので、中に何か書かれている。
手に取って開き――僕は書かれていた言葉を目にして、僕は凍り付いて言葉を失った。
『3の2から出ていけ! 青い悪魔!』
悪魔、青――その二つが指しているのは、きっと僕の青い髪と瞳のことだろう。かつて僕は、BLUEによるこの髪と瞳のせいで、悪魔の子だと言われて周囲から忌み嫌われていたから。
でもそれがどうして結びついて、更にはクラスを出ていけと言う言葉になったのか。僕はまだ、クラスメイトには誰にもBLUEの話はしていないはずなのに。そもそも、BLUE自体、患者が少ないこともあって認知度が低く、症状はおろか、病名すら知られていないことも多い。
それなのに……そう、思いを巡らしていて、一つの出来事に行き当たる。昨日の、死亡例報告のニュースだ。
あの時、僕はニュースを見ていて自分に降りかかるかもしれないことにパニックになってしまったけれど、よく考えれば、あのニュースをクラスのみんなが見ていない可能性の方が低い。僕はスマホを持っていないけれど、みんなはきっと持っているだろうし、家のテレビで目にしたかもしれない。
だとすれば、これは、間違いなく僕がBLUEの患者であることを指しているんだろう。
そこまで考え至った時、また一つ二つ、紙くずが飛んでくる。そのどれにも走り書きで、『出ていけ』『死神』『青い悪魔』などと書かれている。
投げつけられたそれらを手許に集め、周囲を見渡すも、返ってくる視線はない。しかし、冷ややかな忍び笑いや、明らかに僕を誹謗しているであろう言葉が小さく聞こえる。
「なんで学校来てんの? うつるから来ないでほしいんだけど」
「文化祭の時の事故とかってさ、やっぱあいつのせい? マジ死神かよ」
「疫病神っていうんじゃね? どっちにしろ、速攻出ていってほしいわ」
僕が声に気付いていることに気づき始めたクラスメイトは、段々と声のボリュームを上げていく。囁き声が聞こえよがしな会話になり、まるで僕の心の中を土足で踏みにじるように蹴散らしていく。
いままでだって、あからさまな無視やいじめを受けたことは多々あった。ゴミ箱の中身を頭からかけられたことだってある。それらだってかなり嫌だったし、すごく傷ついてきたけれど、慣れてくると耐えられなくはなかったと思う。
だけど、今回は違う。何故なら、一度僕は、このクラスのみんなと打ち解けたと思っていたからだ。あの後夜祭で交わしたジュースの乾杯は、なんだったんだろう。友達になれたとは言わなくても、せめて、仲間になれたと思っていたのに。
話をすればわかってもらえるだろうか、とちらりと考えはしたけれども、そうしようとした瞬間に、「おい、悪魔」と棘のある声と言葉が投げつけられた。
恐る恐る顔をあげると、目の前には黒田が腕組みをして僕を見下ろすようにして睨み付けていた。その眼差しには、蔑みが多分に含まれているのがわかる。
「お前さ、BLUEなんだろ? 昨日ニュースで死んだって言ってた、ヘンな病気。だから、そんなヘンな髪と眼、してんだろ? 何で隠してたんだよ」
「……確かにBLUEだけど、故意に隠すつもりじゃ……」
「じゃあ、どういうつもりだよ? つーかさ、うつるから学校来るんじゃねぇよ。俺ら受験生なんだからさ、お前のその妙な病気映されて受験できなくなったら、お前、責任取ってくれんの?」
「べつにこの病気は、うつるわけじゃ……」
「悪魔のいう事なんて信用なんねえんだよ!」
そう黒田が叫ぶように怒鳴りつけ、その勢いで僕の机が蹴り飛ばされ横滑りしていく。隣の席にそれはぶつかり、座っていた女子が小さく悲鳴を上げ、泣きそうな顔をして離れていった。
その様子を見て、黒田は僕の方を更ににらみ付け、「わかっただろ?」と、言いたげな顔を向けてくる。
彼が言わんとしていることは、要するにもう二度と僕に学校に来るな、ということだろう。そうすれば、自分たちがBLUEにならずに済む、とでも思っているのだろう。そんな心配なんて杞憂だと言うのに。
それとも、黒田は僕を世紀の悪者にして、自分はそれに対峙するヒーロー気取りとでも言うんだろうか。僕がささやかに感じた楽しい残りの高校生活の思い出を、台無しにしても良いと思われるほどに、それは大事なんだろうか。
BLUEを発症している奇妙な姿の僕には、そうされて当然なほど、醜悪な存在なんだろうか。
何が正義で、何が悪なのか……そんな壮大な問いかけをしたくなってしまうほどに、僕はいま心の中がぐちゃぐちゃだった。死ぬかもしれない、という恐怖に怯えつつも、それでもどうにか気持ちを立て直してここに来たのに、それさえも悪だと言われるなんて。
「何とか言い訳してみろよ。何なら、“もう来ません、ごめんなさい”って土下座したって――」
悪意しか感じられない黒田の言葉に、涙がにじんでくる。
泣くな。泣いたって黒田の思う壺になるだけだ。
わかっている、わかっているのに――濃く青い視界が海の中のように滲んで揺れて止まらない。まるで、海や水の中に沈み込んでいくように苦しくて仕方ない。
もう、このまま、息が止まってしまえばいいのに……そんなむちゃくちゃなことを考え始めた時、何かが僕と黒田の間に割って入る気配がした。
誰だろう、荒木先生だろうか……なんて思いながらにじむ視界に映し出されたのは、僕よりも大きくて広い、渋川の背中だった。
なんで、彼が? そう、思うよりも先に、渋川が口を開く。その声は聞いたこともないほど怒りに満ちた低い声だった。
「難病の相手をイジメて何が楽しいんだ? 黒田みたいなやつがいるから、碧が病気のことを言えなかった、って考えたこともないのか?」
「は? なに、渋川ってその疫病神の肩持つわけ? そいつビョーキだよ。下手したらうつって、俺らまで死ぬかもしれないんだからな」
BLUE=死という図式が出来上がっているからこそのこの状況に、僕は改めて腹の底に氷を呑み込まされたような気持ちになる。僕自身も否定しきれない事実が世間に広まってしまっている以上、黒田のように過剰と思えるほど拒絶反応をしてしまうのはやむを得ないのだろうか、と。
そうなれば、渋川も黒田に賛同して、僕を昨夜見た夢の中のような氷のような目で僕を見下ろしてくるのかもしれない。その光景を想像するだけで再び青い視界が滲んで揺れる。
「BLUEは、遺伝性の病気だ。接触でうつったり、空気感染したりするようなことはない」
「かかれば死ぬんだろ? 昨日からニュースとかSNSでそう言われてるじゃんか」
「黒田、お前さ、それ、何の根拠あって言ってんの? 情報の元はどこだよ?」
「だから、SNSのトレンドに入ってるって言ってるだろ!」
「それが絶対正しいって証拠は? いまどきフェイク情報なんてすぐ作れるからな」
渋川の冷静な指摘に、黒田は段々口ごもり始め、忌々しそうに僕と、渋川をにらんでくる。
しかしそれでも怯む様子はなく、「そんなに言うなら、お前がさっきからエラそうに言っている事だって証拠あるのかよ!」と、言い返してきた。
渋川は一瞬黙り、口をつぐむ。その様子に、黒田が片頬をあげて笑う。ほら見ろ、ないんだろう、と言いたげに。
だからなのか、黒田がもう一度僕の方を見て、出ていけと言わんばかりに睨み付けてきた時、「ああ、これだよ」と言って、渋川が自分のスマホを差し出してくる。そこには、ある医療系の論文のようなものが表示された画面が映し出されていた。
「何だよ、これ……」
「BLUEの最新研究の論文の解説サイト。“BLUEは遺伝性の原因不明の血液系の疾患である。通常、接触感染や空気感染はせず、重症化率や致死率も高くはない”――ちゃんとした病院の医者が書いてる文章だから、そこら辺のSNSの情報より確かだと思うけど?」
他に言い分は? と、言うように渋川が黒田に問いかけるように目を向けると、黒田はバツが悪そうに表情を歪め、渋川にスマホをつき返し、背を向けた。
「…………くそッ!」
そう吐き捨てるように言うと、そのまま教室を出てどこかへ行ってしまった。教室に残された空気も光景も、かなり地獄と言えるほど重たい。
これは、また僕は渋川に助けられたんだろうか。でも……なんで彼はそんなにBLUEについて詳しいんだろう。偏見を持っていないことは有難いけれど、こんな根拠のある情報を知っているなんて。
呆然としながら、僕が渋川のまだ怒りの治まっていない険しい横顔を見つめていると、ふっとその視線に気づいたのか、振り返った彼はいつもの懐っこい顔に変わっていた。そして、すぐに泣きそうに心配する気持ちを前面に出した表情になって僕の顔を覗き込む。
「碧、大丈夫? 顔色、真っ青だけど」
「あ、うん……えっと……」
正直、これからまともに授業を受けられるかわからないほど、まだ心臓が激しく動悸している。ひどく黒田に罵られ、出ていけと迫られたこともとても怖かったし、それを果敢に渋川が庇ってくれたことも驚いているからだ。
僕の気持ちが落ち着いていないことが顔に出ていたのか、渋川がこう提案してくれた。
「保健室、行く? 俺がついてくから」
「……うん、頼む」
ちゃんと声に出して言えていたかわからないほど、僕は小さな声でそう呟き、抱きあげられるように渋川に支えられながら、席から立ち上がり、よろよろと教室を出ていくことになった。その間、教室の誰も僕らに話しかけることはなく、ただ腫れ物を見守るかのようにこわごわとした視線を向けていた。
そのこわごわとした腫れ物の空気は廊下をしばらく行っても続いていて、僕らはいくつもの視線を痛いほど浴びながら歩いて行くしかなかったのだ。
こんな視線を、彼に浴びせてしまって申し訳ないし、悲しくて悔しくて仕方ない。だけど、いまの僕には何かを上手く言えるほどの気力はないのも事実だ。
教室を出て、一階の保健室に向かう階段に差し掛かった時になって誰の視線も感じなくなり、ほっと息を吐く。その時になって、ようやく僕は溜め息と同時にはらはらと涙をこぼしていた。
「……っく、うぅ……」
「碧……」
「ごめ……こんなこと、慣れてる、筈なのに……」
言葉がうまく出てこない。苦しくて痛くて仕方なくて、涙ばかりが出てきて止まらない。
子どものように声もなく泣く僕の頭を、渋川はそっと抱えるように抱き、やさしく撫でてくれる。
「いっぱい泣きなよ。碧は、いま、痛くて悲しくて仕方ないんだから。慣れる必要なんてない」
俺しかいないんだし、という言葉と共に、僕は彼に縋りつくように抱き着き、声を殺して泣きじゃくった。子どもの頃イジメられた時だって、両親から捨てられた時だって、こんなに泣いたことなかったのに。
渋川の制服の胸元が僕の涙で濃くなっていく……そんなことを思いながら、僕はしばらく彼の胸の中で泣いていた。




