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*9 深い青の底にある新たな真実

「未成年の病状を伝えるのは、本人にはしないこともあるらしいんだけれど……どうしたい?」


 学校からの連絡があった翌日、僕は施設の石井先生と一緒に、いつも定期健診を受けているかかりつけの総合病院へ向かった。

 前日の話をあらかじめ先生は伝えていたらしく、受付に行くと誰よりも先にまず検査が始まった。

 血液検査や目の検査、CTみたいなのとかもやって、すべてが終わったのは昼過ぎだったぐらいだ。

 そうして翌週、思っているよりもずっと早く病院を再び訪れることになったのだけれど、その時に先生にそう言われた。

 どうしたい? と言われて、僕にどう言えと言うのだろう。言ったところで、僕の状況が良くなることはないのだろうに。


「自分で、聞きます」


 言えたのはそれだけで、その言葉を発するのに何分もいらなかった。両親から捨てられた時点で、僕はもこの世に独りと同然なんだから、自分のことは自分で把握していなきゃいけない。たとえ僕がまだ、18歳の高校生だとしても。

 石井先生は僕の返事に「そう、わかった」とだけ言ったけれど、その顔はとても複雑に曇っていた。

 それから先生に連れられてまた病院に行き、僕は検査結果を聞いた。


「簡単に言うと、血の巡りが悪くなっている箇所があります。脳梗塞などを引き起こしてはいませんが、血行障害を引き起こす手前ではあります。年齢や体の状況から言って、運動不足やほかの疾患のせいではなく、やはりBLUEが原因かと考えられます」

「それって、僕、死んじゃうってことですか?」

「いえ、すぐに命に関わることはいまのところありません。しかし、以前よりBLUEの症状が悪化しているのは確かです」


 そんな……と、僕よりも石井先生の方がショックを受けていて、半分泣きそうな顔をしていたけれど、僕は泣きすらもできなかった。とりあえず死なないなら、いいや、と思ったからだ。

 ――本当のところは、あまりに現実味がなくて、受け止めきれていなかっただけなのだけれど。

 結局、血の巡りを少しでも良くする薬を処方され、体に負担がかからない程度に運動を続けること、冷やさないこと、何かが言い渡された。


「体がツラかったりしんどかったりしたら、遠慮なく言ってね、いつでも」


 帰り道、石井先生は僕にそう言って、施設のみんなには内緒だよと言いながらコーラを奢ってくれた。

 先生はきっと、僕が病状の悪化にショックを受けていると思っているんだろうし、それを慰めようとしているんだろう。言葉にはしないけれど、向けられる眼差しから、僕を可哀想だと思っているのがありありと伝わる。

 BLUEを発症してから、「可哀想にね」と言われることはよくあったし、「病気に負けないでね」なんて言われることもよくあった。その上親から捨てられたと知れば、たいていの大人は僕を可哀想だと言う目で見るし、実際そうなんだろう。


(でも、すぐには死なないって言ってるし、運動はしろって言われたから、まあ、いままでと変わらないんだろうな――)


 そう考えながら、僕は先生と並んで病院からの電車に乗ってぼんやりと社内広告の液晶画面を見上げていた。

 画面には今日のトピックスとなる国内外のニュースの映像が表示され、端的に流されていく。いつもと変わりない、よくあるニュースだ……そう思いながら見つめていた僕の目に、まったく思ってもいなかった方向からのダメージとなる文字列が飛び込んできたのはその時だった。


『難病指定のBLUEで国内初の死亡例。死亡したのは近畿地方在住だった10代の学生――』


 いますぐ、命にどうこうあることはない――そう、今さっき言われたばかりだったはずだ。では、いま僕が見つめているニュース画面の内容は一体なんだと言うのだろう?

 僕と同じくらいの年頃のBLUEの患者が死んだ。その事実が、ずしりと重くのしかかってくる。

 手すりをつかむ手が震えだし、画面を見つめていた視界が揺れて天地がひっくり返るほどの揺らぎを覚えた。


「碧君! 大丈夫?!」

「はい……いえ、ちょっと……無理……」

「降りよう、ちょっと休もう」


 僕が蹲ったのに気付いた先生が、慌てて僕を抱えるように支え、ちょうど開いたドアから駅のホームへと連れ出してくれた。それでも、揺れる景色と鉛のように思い手足の感覚は拭えない。

 死なない、と、医者は言ってたんじゃなかっただろうか? だから、とりあえずの薬を出されて、「また何かあったらいつでもどうぞ」と言ってたんじゃないのか?


「碧君、吐きそう? それともお水飲む?」

「先生……僕は、死ぬの?」

「え? そんな、さっき病院で大丈夫だって言われたじゃ……」

「さっき、電車のニュースで、BLUE、で、死んだ人が、出たって……」


 そこまでようやくの想いで告げた途端、僕は()ぜたように口中に胃の中のものが溢れ、吐き出してしまった。辺り一帯がちょっとした騒動になり、人が避けていく。

 先生は慌てて口をゆすぐように水を買いに走ったりしていたけれど、僕は足元の吐しゃ物を見下ろして呆然とするしかなかった。


 ――僕は、死ぬの?


 誰も答えてくれない問いかけだけが、頭の中で渦巻いている。それはやがてエコーをかけて響き渡り、僕の聴覚からすべての音をかき消していく。

 駅のホームの雑踏すらかき消すほどの声が、ずっと僕に死を囁いていた。



 それから、どうやって施設まで帰ったんだろう。気が付けば僕は自分の部屋で寝かされていた。

 石井先生が、施設のみんなに何か言ったのかどうかはわからないけれど、誰ひとり、僕の様子を見に来る気配はない。みんな遠巻きにしているようで、それはかえって一人で冷静になれるので有難くはあった。


「ニュースを見ちゃったんだよね? いま、病院に問い合わせているから」


 今日の、しかもついさっき検査を受けて、一応は大丈夫だと言われているのだから、そんなに気にしなくていいんじゃないのか、とも石井先生に言われ、僕はひとまず気持ちが落ち着くまで寝ていることにした。

 ひとりベッドで寝かされながら、僕はぼうっと今日聞かされたことや、この先のことを考えていた。

 医者は、僕は、いますぐに命に関わるような症状は見られない、と言っていたと思う。それはつまり、いますぐは死なない、ということだろう。


「でも……可能性は、高くなってるってことなのかな……」


 施設の方針で、個人でスマホを持ってはいけないことになっているから、さっき電車で見たニュースの詳細を調べることはできない。僕と同年代の患者が亡くなったこと以外の情報がないので、何とも言えないけれど、だからと言って、僕がすぐ死ぬわけじゃない……はずだ。

 半ば言い聞かせるように頭から毛布をかぶり、僕は深く息を吸って吐いてを繰り返す。そうやって無心になることをしていないと、すぐに思考が“死んでしまう”という考えへ引っ張られてしまう気がしたからだ。


「そんなことない……僕は、まだ、死なない……」


 声に出して言い聞かせると、その分言葉が力のようになって、少しだけ気分が楽になる。だから何度でも繰り返していたのだけれど、不意に、明日からどうしよう、という新たな不安が()ぎる。

 倒れてからずっと、何でもない顔をしてきた。心配はされたけれど、適当な言い訳をしてきたし、そういうものだと思っていたから。

 でも、そうじゃないかもしれない。いますぐじゃないけれど、僕は、BLUEで死ぬかもしれない、それがわかってしまったのだから。


「いや、でも……みんなにはBLUE、のことは言ってないし、知らないだろうし……」


 大丈夫、大丈夫……きっと明日からも、僕は普段通りに過ごすことができるはず。渋川だって、いつもと変わらないはず。無理矢理に強引に言い聞かせる。そんな根拠、どこにもないのに。

 渋川、の顔がちらりと脳裏に浮かんだ時、ツキンと胸が痛み、ぎゅっとそこをつかむ。胸が痛むと、脳裏に映し出される渋川の顔が曇った気がした。まるで、僕がつく嘘を、非難するような目をして。


(なんで、そんな目をするの、渋川……)


 明日からのことをベッドの中で考えながら、僕はいつの間にか夢の中に落ちていたらしく、その夜かなりリアルな夢を見た。僕が、クラスのみんなから、「悪魔の子」と呼ばれ、白い目で見られる夢だ。その中には渋川もいて、いつもの懐っこい顔をしていなかった。彼の目は、あの脳裏に映し出された時よりも氷のような目をしていた気がする。

 クラスのみんなからそう呼ばれることも悲しかったけれど、渋川にそんな目をされていることが何よりも悲しく、僕は明け方前に泣きながら目が覚めた。


「……なんで、こんな夢……」


 最悪の夢を引きずりながら起き上がった朝、まさかその夢が正夢になるような出来事が待ち受けているなんて、思ってもいなかったのだ。




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