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自由の星の下で  作者: そーゆ
前史
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第五話:ファウストシュラーク作戦、東方の崩壊

ライン戦争の勝利で、ドイツは西欧を掌握したが、ラデックの視線はすでに東方に向いていた。ロシア帝国は、第一次世界大戦後、ニコライ二世の絶対君主制を維持していたが、内政は腐敗と動揺に満ちていた。ロシアの広大な領土と資源は、ドイツ・レーテ社会主義共和国の「永遠の団結」を実現する鍵だった。ラデックは、ロシアを打倒することで、欧州の覇権を確立し、民族共産党のイデオロギーを世界に示すと決意した。


1942年、ドイツは「ファウストシュラーク作戦」を発動した。この作戦名は、ゲーテの『ファウスト』にちなむ。ラデックは、ファウストの知識と野心を革命になぞらえ、「ロシアの魂を我々が引き出す」と語った。作戦の核心は、単なる軍事侵攻ではなく、戦略的欺瞞と内乱の誘発にあった。ドイツは、ロシア帝国の不満分子――農民、労働者、少数民族――を扇動し、内部から崩壊させることを狙った。


準備は緻密だった。ドイツの情報機関「レーテ諜報局」は、ロシアのウクライナやバルト地域に潜入し、反政府勢力に武器と資金を提供。偽のラジオ放送で、皇帝への不満を煽った。同時に、人民軍は東部国境に300万の兵力を集結。戦車、航空機、機械化歩兵を組み合わせた「機動軍団」を編成し、ロシアの広大な平原での高速戦を計画した。ラデックは、作戦会議でこう述べた。「ロシアは巨人だが、足元は脆い。我々は一撃で心臓を貫く」


1942年6月、作戦が開始された。ドイツ軍は三方向からロシアに侵攻。北部はサンクトペテルブルク、中部はモスクワ、南部はキエフを目指した。ロシア軍は、数で勝るが装備と訓練が劣り、ドイツの電撃戦に圧倒された。ファウストシュラーク作戦の真髄は、軍事作戦と並行した「心理戦」にあった。ドイツは、占領地で「レーテ評議会」を組織し、農民に土地の再分配を約束。ロシアの貧農や労働者たちは、皇帝の軍よりドイツの「解放」を歓迎した。


ロシア内部でも、ドイツの工作が実を結んだ。ウクライナの農民反乱、バルトの独立運動、コサックの離反が同時多発。ロシア軍の補給線は分断され、士気は崩壊した。1943年冬、モスクワが包囲され、アレクセイ4世含む王族は極東へ亡命。1944年春、ロシア帝国は正式に降伏した。ラデックは、モスカウのクレムリンで「ロシアの人民解放」を宣言。ウクライナ・ベラルーシ・バルトはそのままレーテ大管区として、ロシア西部は北から「ルスラント・レーテ大管区」、「ヴォルガ・レーテ大管区」、「カウカーズース・レーテ大管区」としてドイツの保護領となり、残りの領土はロシア帝国に残留。


するはずだったが、ロシアの敗戦後、ウラル以西の領土を失ったロシア帝国では反乱が頻発、嘗てロシアで活動していた赤軍、ドイツへの復讐を掲げる勢力、親独勢力、民主派、黒百人組を筆頭とした君主主義者…血と暴力が支配したロシアでは、やがて文明的活動や軍閥たちの維持すらも困難になっていき、シベリアからの通信の激減、周辺国との貿易、輸送といった経済活動の激減などから、ついにロシアの地は無政府に染まった。また、沿岸州を制圧した日本の報告によると、ロシアでの文明はついに中世レベルまで下落したとの情報もある。

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