愚者
初対面で一目惚れって、本当にあるんですか?
変わり映えしない毎日に、うんざりすることも辞めた。
人工的な灯りがこの街を照らす。
ダンジョンの中での生活にも慣れてきたものだ。
案外人間は簡単に適応できる。
最初の方は耐えられないだの騒いでいた連中も今では元気に商売を営んでいる。
今日もボクは深くフードを被って道を歩く。
今が朝か夜かなんてもう誰にも分からないが今は各方向から豪快な笑いが聞こえてくる。
大体、夕方くらいの時間なのだろう。
「いつものを」
「あいよ」
いつもの場所のいつもの店主にいつもの定食を頼む。
ボクはこの街に来た時からここの場所に通っているが店主の女将さんも随分逞しくなってしまった。
あの、初々しい頃の細身の女将さんを思い出すと時間の流れをすごく感じる。
「ヴァンちゃんは今日も探索かい?」
いつも通りの定食、ほかほかの炒り豆と厚切りのベーコン。
シンプルな味付けが好みだ。
「そうですね、少し上の階層にでも行ってみようかと」
特にプランを決めていたわけではないがこの間、上の階層に探索を進めたパーティーが8階層上に上がったところにここと同じように集落があると言っていたのでなんとなくそこを目指そうと思った。
「あー、あの噂の階層かい?」
女将さんは眉を顰めた。
「例のあの階層、よくない噂を耳にしたよ」
「よくない噂?」
こんなところでご飯屋さんをやっているからか色んな情報が耳に入ってくるようだ。
ボクの情報源の八割がこの女将さんの盗み聞きだ。
「何やらあの階層、悪徳商人たちが集まっているらしくてね」
悪徳商人、か。
この呼び名だ、碌な話でないことは確かだろう。
「そもそもこの話を広めたのがそこから来た奴ららしくてね」
女将さんは話を続けた。
上の集落には奴隷が売られているらしい。
奴隷自体は禁止されていない、罪人やその子供。他にも多額の借金を背負い払うことが困難になったものなどが奴隷落ちする。
が、そこの奴隷たちはどうやらこのダンジョンの中にまきこまれた子どもたちや騙された冒険者たちなどだそうだ。
奴隷は国の手続きを持ってしか契約を施すことはできないがここはダンジョン、裁く人間がいなければ法など通用しない。
娯楽の少ないこのダンジョン生活、一番人気は性奴隷だそうだ。
「ご馳走様でした」
ボクはお代を置いて席を立つ。
「ヴァンちゃんも、行くのかい?」
行くのか、そう聞かれれば行くという答えになるだろうな。
「妹がいるかもしれないので」
ーーーー
かつてはボクらも地上で生活していた。
それに元々ボクは名のある貴族だった。
訳あって暫く屋敷から離れて生活をしていたけどな。
あの日は確か、ボクの13歳の誕生日の日だったか。
一通の手紙が届いた。
『お前が家を出て既に3年の月日が過ぎようとしている、
元気にやっているということはたまに送ってくる手紙で把握はしている、
だが、親としてはやはり顔を直接見なければ安心できそうもない、
さて、ここからが本題だ、
一度、家に帰ってこい、
お前も、もう13歳になる、
妾の子ではあるがお前も立派なヴァイド家の息子だ、
それに何より俺の大事な子だ、
ささやかではあるがお前の13歳の祝賀会を開こうと思う、
3年間何もしてやれなかったからな、
これくらい、やらせてくれ
返事は承諾した前提で進めておく、
家で待っている
ヴィクトル・ヴァイド』
対面したら無口な父も手紙では饒舌だ。
何もしてやれなかった、か。
定期的に手紙と金貨を送ってくるのは何もしていないことになるのだろうか。
おかげで随分と助かった。
思えば家に帰ろうなんて考えもしなかった。
それくらい3年間必死だったし、この生活が意外にも性に合っていた。
そろそろ顔を出してもいい頃だろう。
そうだな、帰るか。
そこからは速かった。
帰ろうと決めて次の日には宿を引き払い、荷物も売ったり捨てたりで整理した。
ギルドに収める領地までの護衛任務を斡旋してもらい、道順も決まった。
ここに来たのが懐かしいな、今ではボクはEランク冒険者だ。
受けられる依頼の幅が増えて斡旋してもらえるようになった所、成長を感じる。
「冒険者様、よろしくお願いします」
「はい、承りました」
依頼主もいい人そうでよかった。
依頼人の名はガンク。
商人を初めて、その道40年の大ベテランだそうだ。
すごく儲けてそうな感じはないが長年愛用されているようで乗りやすく工夫を凝らされていて、馬車を引く馬も歳を食っていそうだが力強く、乗っている人に配慮している。
「冒険者様、お名前を聞いても?」
名前、まあ聞かれるよな。
「ゲレロ村のヴァンです」
「ほう、ゲレロ村ですか。 なるほど、だからこの依頼を」
あまり名を名乗りたくはないんだよな。
ゲレロ村と聞いて真っ先に思い浮かべるのは屈強な戦士だろう。
ボクに対して変に期待されても困る。
「そうですね。 実家に帰省をと思いまして」
「それはそれは
良いことですな。 親御さんもお喜びになるでしょう」
喜ぶ、か。
あの父親は喜んでいたとしても、顔には出さないんだろうな。
それに兄弟たちは嫌がるだろう。
今更帰ってきて何をしにきた、そんな表情をされるだろう。
落ちこぼれのボクが、役目から逃げたボクが戻ったところでそうなることは目に見えている。
目的地までは安全な国道を使うため、特に危険はなかった。
時たま遭遇する魔物は脅威度は低く、ボクでも問題なく処理できた。
気がかりな点としてはこの辺には生息していないはずの魔物だったことだが、特に問題ないだろう。
「最近は盗賊も出ないので安心して行商の旅ができます。
それもこれもここら一帯を仕切る領主様、ヴィクトル・ヴァイド様のお陰ですな」
「……そうですね」
ヴァイド領で略奪、殺人行為を行えば極刑か奴隷落ちの重い罰が科される。
それは三年前から始まり、盗賊たちを一掃した。
そのため大きな盗賊団は拠点を移し、小さな盗賊団は片っ端から制圧された。
今では国一番、平和な領土だとさえ言われている。
その代償として村の移動がかなり厳しくなり、身分の保証がされなければ即刻逮捕される。
冒険者になるまでかなり苦労した。
目的地に到着し、依頼料をもらってガンクとは別れた。
ガンクはこの村、エピコ村で暫く行商をやるそうだ。
今日はもう陽が落ちてしまった。戻るのは明日でいいだろう。
道中倒した魔物の素材も売りたいし、ある程度情報も仕入れたい。
というわけでこの街の酒場に来た。
「いらっしゃい!!」
開口一番、元気すぎる出迎えに少し気圧される。
看板娘なのだろう、ひっきりなしにくる注文を走り回って対応している。
「ミルクとナッツを」
カウンター席に座り、とりあえずつまみを頼む。
マスターはこくりと頷き厨房に入っていった。看板娘とは真逆だな。
「ミルクと、ナッツだ」
鉄製のコップだ。どうやらこの酒場は儲かっているらしい。
ボクは銅貨を五枚机に置く。
「魔物の素材を買い取ってくれるところを探してる。
ついでに最近の情報も教えてくれ」
酒場、街の荒くれ者が集まる場所。
いろんな人間が集まるため情報も集まってくる。
新しい集落に行ったらまず、酒場に行け。冒険者になって一番に教えてもらったことだ。
「ここの裏で買取をやっている。
だが、魔物はあまり高く買い取っていない」
そうなのか、売れるだけマシか。
「見ての通りこの村には冒険者が多い。
最近、魔物が活性化しているらしいからな」
「魔物が、活性化?」
道中そんな素振りなかったが。
「この村から西へ行った方に大型の魔物が住み着いたそうだ。
そこから逃げてきた魔物やその魔物の子供が村の近くで暴れているらしい」
なるほど、馬車での移動中遭遇した魔物がそうだったのか。
あまりいい時期ではなさそうだ。
一晩止まったらすぐに出発しよう。
魔物の素材は意外と金になった。
ガンクが解体をやってくれて、綺麗な状態だったおかげだろう。
この酒場は宿もついているそうなのでそのままお世話になることにした。
「寒かったら毛布をご用意しますので何なりとお申し付けください」
簡単な宿の説明を看板娘がやってくれた。
流石に一対一だと落ち着いた感じで対応するようだ。
よく見ると顔立ちが良く、モテそうだ。
鉄製のベッド、コップといい内装といいかなり儲かっているらしい。
ベッドに寝っ転がり明日のプランを考える。
朝、ここを出て乗合馬車に乗ろう。
ゲレロ村まで乗って行き、到着したら村長にまた馬車を用意してもらって屋敷まで送ってもらう。
うん、これでいい。
酒場の宿だ、覚悟していたことだが少し騒がしい。
今日は風が強いようで窓がガシャガシャ音を立てて揺れている。
……木造建築のためこの時期はやはり冷える。
毛布をもらいに行こう。
「おいおい姉ちゃん、いいじゃねえか。
俺様に相手してもらえるんだからヨォ」
「困ります、そういうのは」
酔いが回った禿頭の大男が看板娘に絡んでいる。
それに周りも酔っているからかニタニタとその光景を見物している。
マスターは、厨房にでも引っ込んでいるんだろう。見当たらない。
「ここは宿も付いてたようなぁ。
ちょうど良いじゃねぇか」
ヒック
大男の顔は真っ赤でしゃっくりまでしている。
相当飲んだのだろう。
毛布は諦めよう、もう寝よう。
絡まれるのはごめんだ。
「助けて」
看板娘がこっちを見てそう言った気がした。
そういえばボクはこういう奴らが大嫌いだった。
「あの、毛布を頂いても?」
「へ?」
できるだけ目線を下に。
目を合わせないように相手の出方を伺う。
「お前、何してやがる? こいつは俺の女だぞ」
既に私物化、これだから野蛮人どもは嫌いだ。
「ボクは寒ければ毛布を用意したいただけると聞いたので、
用意していただこうと思っただけですが」
はぁ、ボクは何してるんだろう。
「お前、気に入らねぇな」
「別に、あなたに気に入られたいなどと思ってませんが」
いつでもガードできるように腰にかけている剣の柄に手を添える。
「ぶっ殺す」
大男は立てかけていた大斧を片手で持ち上げた。
「ダメ!」
即座に剣を抜き、斧の先端を面で捉え、滑らせて、勢いを殺さず捻る。
期待していた方向と違う方向に曲がる大斧に巻き込まれ大男の体は宙を舞った。
酒場は大盛り上がり、片手剣で正面からの斧をいなしたからな、感嘆の声をあげているものもいた。
当の大男は顔を真っ赤にしながら立とうとするも酒が回っていてうまく立てていなかった。
「テメェ、絶対にぶっ殺す!
やれ!テメェラァ!!」
「そこまでだ」
ガヤが一つの落ち着いていて、しかし騒がしいこの空間でもよく通る声で静まり返る。
「大の大人がこんな子ども相手に何人も……恥を知らんのか」
こんなって、なんか馬鹿にしてないか?
「ミクモ、これは」
「俺たちは活性化した魔物を討伐するためにここにきた、その目的を忘れたか」
「い、いや、そうだな。 忘れていない」
こいつら、派遣された冒険者だったのか。
だからこんなことしてたわけか。納得。
「なら、問題を起こすな。 そもそもここは酒場だ、武器を使うなんてもってのほか。
ここの弁償代はお前の報酬から引かせてもらうからな」
「ま、待ってくれよ。 というかこいつが」
「始まりはお前のナンパだろう。
今日はもう戻れ、羽目を外しすぎだ」
大男はまだ何かいいたそうだったが斧を抜いて酒場を後にした。
「すまなかった。
これ、修理費と迷惑料だ。 あいつも悪いやつじゃないんだ許してやってくれ」
「い、いえ、よくあることなので」
金髪爽やかイケメン、こいつにぴったりの言葉だろう。
見たところ周りの荒くれよりも良いものを身につけているし、リーダー格のやつなんだろう。
どうかのタップリ入った袋を看板娘に渡している。
「君も、すまないね。
怪我はないかい?」
ボクはこういう正義のヒーロー気取りのやつが苦手だ。
生理的に受け付けない。
「あの程度で怪我をするなんて、みくびられたものですね」
「あはは、言うじゃないか。
あれでもボクらのパーティーじゃ一番力が強いんだけどな」
どうせこいつも気づいているのだろうが大男は全然本気じゃなかった。
多分頬を掠めるくらいの気持ちで振ったのだろう。
本気でやられていればボクは二等分されたいた。
「確かに君は強いけど、あまりこういう事はするもんじゃない」
こいつらの不始末なのに、どうしてこいつは説教じみたことを言ってくるんだろう。
傲慢、偽善、金髪爽やかイケメンってのはこうなるんだろうな。
「確かに君の行動は賞賛に値する。
でも今回うまくいっただけだ。 蛮勇は身を滅ぼすよ」
何様だよ、こいつ。
胸糞悪い。
でも、女の子にモテるのはこういうやつなんだろうな。
まだあの大男の方が仲良くなれそうだ。
「あ、えっと。
毛布、でしたよね?」
「はい、そうです」
正直ちょっと動いて汗をかいてしまったから寒さは和らいでいるがまだまだ夜は長い、どうせ寒くなるからもらっておこう。
「お部屋にお持ちしますね」
看板娘はボクに笑顔を見せて奥に引っ込んでしまった。
結構、可愛いな。
ベッドで悶々としていると優しく木を叩く音が三度鳴った。
「失礼します。
毛布をお持ちしました」
窓から月明かりが差し込み、翠緑色の髪の毛が湖面のように輝いた。
思わず息を呑むほど、美しい。
「あの、先ほどはどうもありがとうございました」
「え、あー。
いえ、お役に立てたならよかったです」
感謝の言葉、それを聞いたら悶々としていた心の中が晴れた気がした。
しばらく、沈黙の時間が流れた。
「あの、まだ何か?」
流石に気まずさに耐えられず、言葉を発した。
彼女の方を見ると髪の毛の色と同じく翠緑色の瞳が柔らかに揺れてボクを見つめていた。
彼女が口を開いた。
「お名前をお聞きしても?」
名前、なんだか彼女には嘘をつきたくなかった。
「ボクは、ヴィルヘルム」
心臓が高鳴る。
相手に聞こえているんじゃないかというくらい騒がしい。
せっかく毛布をもらったというのに体が暑くなってきた。
また沈黙の時間が続いた。
「あの、座りますか?」
「え! あ、はい!」
彼女は緊張した面持ちで机の方の椅子に向かった。
かと思えば急に方向転換し、ボクの隣に座った。
ベットが体重のかかった方向に沈む。
フワリと甘い香りが漂ってくる。
その香りに鼓動が加速する。
これは、あれか。あれなのか。
ピンチを助けたところ、一目惚れとかいうやつなのか。
冒険者になって二つ目に教えてもらったこと。
『酒場の娘は大体生娘だ。
店主に守られてるからなぁ。
きっかけさえあればその晩、何か理由をつけて部屋にくる。
漢たるもの、そいつを逃す手はねぇ!』
先輩の顔は、あまり覚えていなから浮かばないが親指を一本立てていることだけは分かる。
まさかこんな所で役に立つとは、思いもしなかった。
「あなたの、名前は?」
ゴクリ、どちらかの喉が鳴った。
それがボクのなのか相手のなのか、はたまたどちらのでもあるのか。
その判断もできなかった。
「私はヘルカ」
ヘルカ、彼女はそう名乗った。
名前を聞いて、想像してしまった。
このまま、ここで、
手を握った。
震えていた。
ボクなのか、ヘルカなのか。どちらのなのか
もう、どっちでもよかった。
「あれ、何?」
ヘルカが窓の外を指差した。
覗きか?そんなことが頭をよぎった。
「珠?」
小さな珠が空に浮かんでいた。
「大きくなってない?」
「そうですか?」
既に緊張などどこへやらボクらの興味は空に浮かんだ小さな珠に移っていた。
窓を開ける。
「風が、ない」
窓を揺らしていた風が一切なくなっていた。
嫌な予感がする。
そう思ったのはボクだけではなかったそうだ。
ヘルカがボクの手を強く握った。
不安なのだろう。
気持ちはよくわかる。ボクも不安だから。
「あ、消えた」
珠が消えた。
そう思った。
次の瞬間黒い爆発が全てを飲み込んだ。
ボクは強く、手を握り返した。
ーーーー
強くなりたい、そう思った。
ボクは随分と弱かった。
俗に言う落ちこぼれだった。
きっと誰も、ボクに期待をしていない。
それでもいいと、思っていた。
自分が強くなれば、全て解決するからだ。
ズキン
突き刺すような頭の痛みで覚醒する。
「ここ、どこ?」
ヘルカの不安そうな声が反響する。
間違いなく酒場の部屋ではないだろうことを理解するのに、時間は必要なかった。
だが、なぜこの状況に。
混乱、色々と頭の中に考えが走り出す。
色々考えた結果考えても無駄なことに気づいて考えることをやめた。
周囲は岩で囲まれていて後ろは一本道、正面には三本の分かれ道があった。
僕らがいるのはちょうどその前の少し広い空間だった。
最近、この景色を見た覚えがある。
……ダンジョンだ。
先月、ゴブリンの活性化の兆しがあり、探索班が若いダンジョンを見つけた。
第一成長期で魔物で溢れかえったダンジョンはスタンピードが起こりかけていた。
当時Fランクだったボクも昇級しけんをかけてダンジョン攻略組に参加し、ダイブした。
その時に見たダンジョンも色などは違うもののこんな感じだった。
「どういうわけだかは、わからないけど。
どうやらボクらはダンジョンの中にいるみたいだ」
「ダン……ジョン?」
ヘルカは慌てふためくわけでも泣き喚くわけでもなく心ここに在らずといった表情をした。
無理もないだろう、ダンジョンなどという言葉は耳にしたことあるだろうが村の外にも出たことがなさそうな酒場の娘だ。
実感など湧かないだろう。
ボクですら、実感は全く湧いてないのだから。
「あ、血」
「え?」
ヘルカがボクの額に手を伸ばした。
「ッつつ
岩にぶつけて切れたかな」
「布、巻いておくね」
ヘルカは自分の服の端を破きボクの額に巻いてくれた。
痛みの少ないし、大きな怪我じゃなくてよかった。
状況を整理しよう。
思い出せる範囲ではこうだな。
酒場でトラブル
↓
ボクがでしゃばる
↓
部屋に毛布がくる
↓
部屋で会話
↓
珠が爆発
↓
今に至る
わけか。
意味がわからない。
どうしてあの状況から急にダンジョンにいるんだろうか。
念願の初めて、わくわくしていたのに。
だが、あまり、焦りはなく、落ち着いていた。
落ち着いてるとはまた、違う気がするのだが。
中々一層、面倒臭い。
今考えるべきはヘルカの安全の確保、だろう。
ほぼ他人であるとはいえ、知識も何もない。
ボクが助けるのは冒険者として当然の義務だろう。
それに彼女はボクに感謝してくれた。
感謝ができる人は好きだ。助けてあげるべきだろう。
「ヴィル……ヘルムくん
これから、どうするの?」
それに冷静だ。
この状況で騒いでも仕方がないことを理解している。
物分かりのいい子はとても好みだ。
「ヘルカさんの安全の確保をしようと思います」
最近、ダンジョンの攻略に参加していてよかった。
そのおかげでダンジョンに関してそこそこの知識があった。
今からする安全の確保、魔物が頻繁に発生し続けるダンジョンにも唯一魔物が発生しない安全地帯がある。
なぜ発生しないのか、確実な証拠はないらいしい。
だが、大気中の魔素が少なないだが吸収しにくいだかで発生しないらしい。
とりあえずの目標としてはそこを目指そう。
「ヘルカさん、ボクから離れないように」
「わかったわ」
あの時、まだ寝ようとせずに報復を恐れて装備を外していないままでよかった。
魔物が襲ってきても戦える。
もしもの時のために靴の中に忍ばせていたナイフを護身用にヘルカに渡して、ボクらはダンジョンを進み始めた。
闇雲に進んでも仕方がないので一本道の方を進むことにした。
どちらが地上に続く道かはわからないが分かれ道よりは一本道の方がそれっぽい。
魔物の気配を探りながら少しづつ進んでいった。
慎重に、慎重に歩みを進めていてもここはダンジョン。
外とは比べ物にならないほど魔物は存在する。
それにボクは気配を探るのが苦手だから、当然魔物とは遭遇する。
「ギャギャアッ!」
「下がって!!」
岩陰から飛び出してきた緑色の物体がヘルカに飛びかかった。
直ぐにヘルカを背中に隠し、剣で弾く。
飛び出してきたもう1匹の影の胸板を柄で打ち払うと、肉がよろめき――その裂け目に刃を突き入れ、血しぶきとともに動きを止めさせた。
「ギャルゴギャガッ」
「ゴブリンか、」
ヘルカを最初に狙ってきたのも納得だな。
ゴブリンは知能や戦闘能力が著しく低い個体、とされている。
その代わり異常なまでに繁殖能力が高い。
メスであれば種は関係なく、一度の妊娠で少なくて4匹、多い時は10匹産まれることもあるそうだ。
そのため、ゴブリンは本能でメスを求める。
この階層はゴブリンがよく出るようだ。
すでに3匹程屠った。
1匹ずつきてくれるので処理は簡単なのだが、もし群れできた場合ヘルカを守りながら戦えるだろうか。
「少し、休憩しましょうか」
「うん」
ヘルカは元気がない。
そもそもどんな性格なのかを知らないのだけど。
酒場のあの雰囲気を見る感じだと明るい子なんだと思う。
まあ無理もない、あの時から急にこんなことになったんだ。
元気な方がおかしいだろう。
店主は父親っぽかったし、心配なのだろう。
このダンジョンの中に連れ去られているのがボクらだけじゃない可能性の方が高いだろうし。
「私たち、これからどうなるんだろう」
ボソリ
ヘルカがつぶやいた。
「大丈夫ですよ。ヘルカさん」
言葉を慎重に選びつつ、優しい声で語りかけた。
「ボクが安全な場所まで、送り届けますから」
できないことをできるというやつは嫌いだ。
本当であれば地上へ、とかあの酒場へ、とか言った方がいいのだろう。
だが、このダンジョンが何の目的で現れたのか、どうしてボクらはその中にいるのかがわからない以上、不確かなことは言えない。
「ヴィルヘルムくん。
そうだよね、大丈夫……だよね」
ヘルカはぎこちない笑顔を見せて下を向いてしまった。
こういう時、どんな話をすればいいのだろう。
同年代の女の子と話す機会なんて、殆どなかったからな。
状況が少し、不思議すぎる。
対してお互いのことを知らない男女が二人きりでダンジョンにいる。
中々一層、面倒臭い状況だ。
腕を組んで悩んでいるとヘルカが顔を上げた。
行くか。
「そろそろ、進みましょうか」
ダンジョンの鉄則、同じ場所に留まり続けてはならない。
その時はっきり、先輩の顔を思い出した。
眉毛の太い、人だった。
「ヴィルヘルムくんッ!」
声に振り向いた瞬間、横合いから暴風のような衝撃が襲った。
重い鉄槌に叩かれたような痛みとともに肋骨が悲鳴を上げ、肺の奥から熱いものが込み上げる。
身体は容易く宙を舞い、石壁に激突した。
砕けた石片が飛び散り、視界が赤黒く染まる。
何が起きたのか理解するより早く、意識が暗転しかける。
「ギャギャガアアアアア」
飛びかけた意識が、繋がる。
「アキュ」
喉の奥から変な音が鳴る。
体がぐちゃぐちゃだ。
「いやぁぁああ」
前が、見えない。
身体中が、痛い。
立たなければ。
剣はある。
あぁ、昔、剣に寄っかかって立ってたら、怒られたっけ。
剣は斬るためのものじゃなく、自分を守るためのものだから、大事にしろとか。
何となく、言いたいことはわかっていたつもりだったけど、こうなったらしょうがない。
左半分、感覚がない。
どうして立つのだろうか。
いや、最後くらい立つだろう。
最後くらい格好つけたいのだ。
「……ヘルガッ…さん……逃げデッ…」
巨大な化物と、ヘルカの間に入り、時間を稼ぐ。
少しでも、時間を稼ぐ。
その時、ふと視界に入った。
ゴブリンたちが集まって何かを囲っているところを。
「ゴアアアアアアアアアアアア」
ズドン、と世界が砕けた。
脳が弾け、顔から飛び散る肉の感触。
片目が潰れ、血で視界が流される。
崩れ落ちる間際、赤黒の幕越しにヘルカが――。
叫びも影も、そのまま千切れて消えた。
ーーーー
Side 怪しい黒魔術師
「クハハ」
全身黒装束の女は思わず笑った。
「強い兵士が生まれる村があると聞いて到着したその日に、
まさかこんなことになるとは」
地上とは真逆、岩肌で囲まれた場所。
ダンジョンに、彼女はいた。
「黒魔術師であることがバレたか?」
黒魔術、禁忌とされる禁断の魔術。
それを使用したものは例外なく極刑だ。
「転移のトラップなどの仕掛けはなかったと思うのだが」
彼女は顎に指でトントンとリズムを刻みながら考える姿勢に入った。
「ギャギャアッ」
「ゴギャアッ」
その間に女の気配を感じ取ったゴブリンが血走った目で襲いかかった。
「魔物がいるのか、ならダンジョンなのは間違いない」
だが女は焦る素振りもなくただ同じ姿勢で考えていた。
何か黒い影が動いたかと思ったらゴブリンたちの頭はなくなっていた。
「ダンジョン災害、だろうか」
しばし考えたのち、答えを見つけたのか女は歩き始めた。
「いやぁぁああ」
どうやら黒装束の女以外にもダンジョンの中にいるものがいたようだ。
ものすごい怒号と何かを叩きつける音が鳴り響いていた。
悲鳴を聞いても女は歩く速度は変えず、ゆっくりと現場に向かった。
現場は悲惨な状態だった。
虚な目をした少女はゴブリンたちに引きずられ、ダンジョンの奥に連れて行かれた。
「これは、使えそうだね」
女は広場に散乱した肉を一つに集め始めた。
「幸運なこともあるものだね、
一度ダンジョン内で実験しようと思っていたんだ」
女は腰に下げていた麻布の巾着をひっくり返し、肉の上にキラキラとした宝石がいくつか落ちた。
「人間の素体、それも子ども。
実験体にするにはもってこいだね」
まだ乾燥していない血で魔法陣を描き始めた。
『肉体は形
魂は入れ物
命の綻びを弄べ』
「人体錬成」
ドス黒い霧が空間を支配した。
「いつか私の元に、帰っておいで」
霧の中で何かが蠢いていた。
男子中学生の単純さには驚かせられますね




