逃避行
もし暇な時間があるならやってもらいたいことがあります
逃げ出そう、そう決心したのはいいけど冷静に考えればなかなか難易度の高いものだった。
この屋敷の外に出ること自体はそこまで難しいものではない、門から普通に外に歩いていけば簡単に出ることができる。
だが問題はその出た後にある。
まず半日経っても屋敷に戻っていなければ捜索隊が近場を探し始める。それに僕は三日後に婚約を控えているため、まず間違いなく家出を疑われるだろう。
捜索隊の捜索はかなり力が入って行われることだろうな。相手があのヴァレンシュタインともなれば当主様も血相を変えて探すだろう。
それから逃げるというのはかなり難しいものだ。
そして次に問題になってくるのがここから次の町まで一週間はかかるということだ。それに屋敷から出た後に馬車を手に入れることができなければそれで逃避行の旅は終わりを告げる。
そして一番の問題、それはルーゼを連れて行くか否かだ。
変なところに嫁ぐ事になるくらいなら連れ出してしまったほうがルーゼのためになるんじゃないかと思う反面、危険な旅に同行させてしまうことはないのではないかと、そうも思う。
外に出て終えば僕とルーゼは間違いなく足手纏いとなりアルマの負担が大きくなってしまう。
どうする、べきなのだろうか。
「ヴィルヘルム様、悩む必要なんてありません」
「あなたは進むしかないのですから」
そうだな、そうだよな。
僕はこの家で、貴族社会で生きていけないのだから。
もう前しか見れないんだった。
「アルマ、荷物の準備を頼む」
「かしこまりました」
「僕はルーゼのところに行ってくる」
ルーゼは何も持ち得ない僕の唯一持っているもの。大事な大事な妹だ。
その妹だけは絶対に裏切ったりしない。
だが、屋敷から出ると、そう聞いたルーゼはなんと答えるだろうか。
素直に僕に着いてくるといってくれればそれでいいんだ。
だけどもし、嫌だと言われたら。そんな馬鹿なことはやめろと言われたら。
そうなったらどうしよう。
僕は、どうしたらいいのだろう。
そんなことをぐるぐると考えているうちに書庫の目の前まできてしまった。
いつもは気にとめることがなかった扉の重みが伝わってくる。
怖い、拒絶されるのがどうしようもなく。
僕はルーゼだけには捨てられたくない。
「いいですよ」
「……ん?」
「だから一緒に連れて行ってくださいといってるんです」
あ、あれぇ、なんかかなり軽い感じだ。
二つ返事で了承を得ることができてしまった。
「危ないかも、しれないんだぞ?」
「ヴィル兄様が守ってくださるでしょ?」
「お金もなくてきっと貧乏だぞ!!」
「それも仕方ないですわ。
ヴィル兄様が頑張って稼ぎましょう!」
「本も当分読めないんだぞ!!」
「グゥ、それは少しキツイですが我慢いたします」
なんか、ルーゼ逞しくないか?
「ヴィル兄様は断って欲しくてきたのですか?」
「そうであるならそんなことはやめてくださいと言いますけど、そうじゃないのでしょう?」
「それは、そうだけど」
なんかその、葛藤的な何かがあったりするんじゃないかと思っていたのだが、よく考えればこの家に特別な思い入れなどないか。書庫と別れるのは辛いだろうけど
「ヴィル兄様のいる場所が私の生きる場所です」
「ヴィル兄様のいるところならどこへだって着いていきたいです」
どこへだって、か。
「だから私を、このお屋敷から連れ出してください、ヴィル兄様」
妹にここまで言われてしまっては張り切らないとお兄ちゃんが廃るってものだろう。
「はぁー、なんてったって僕の周りにいる女どもは強い奴ばっかなんだろうな」
「あぁ行こう、ルーゼ!
物語のような冒険をお前にさせてやる!!」
「楽しみですわ!!」
というわけで、旅の仲間にルーゼが加わった。
諸々の準備をしていて二日が経った。
婿入りだったから式をこの屋敷であげるという事になっていたのが災いした。もし相手の方の屋敷でやる事になっていれば脱走は確実に無理であっただろう。
アルマが内密で用意した荷物の中に僕の今引き出せる金貨を追加してついでに銀剣もくすねて僕らはこの夜、屋敷から出た。
「うふふ、なんだかワクワクしますね」
「ルーゼ様、遠足ではございませんのではしゃぎすぎないでください」
「まあまあ、これから長いんだし楽しい方がいいだろ」
随分と楽しそうなルーゼと地図を開きながらしっかりとルートを確認するアルマ。
冒険っぽくなってきたってものだ。
「それではこれから方針をお話しします」
「は〜い」
「頼む」
アルマが風で靡く前髪を片手で押さえながら四隅を石で抑えた地図を指差しながら説明を始めた。
「まず私たちはヴァイド家の領地の外に出なければなりません」
「領地内にはヴァイド家の兵士たちがどこにでもいますからね、見つかって終えばすぐに捕まってしまいます」
「だからとりあえずは領地の外に行くことを目的として歩くんだろう?」
「その通りです」
続けてアルマはその先のことまで話し始めた。
まずは街まで行きアルマが馬車を調達。そして手に入れた馬車で北上し、いくつかの街によりながら休憩しつつ国境を目指す。
国境に到着すると隣国に入る事になると検問を受ける事になりそこで捕まってしまう可能性があるため検問を行なっていない商船に乗せてもらい大陸を移動する。
そして傭兵国家セナリルドに到着するのがこの計画の終わりだ。
兎にも角にもとりあえず馬車だ。
アルマの手引きにより誰にもバレずに屋敷を出たため僕らがいなくなったことが知れ渡るのはおそらく明日の朝だろう。
新郎衣装を用意してくれていた人たち、ごめんなさい。
「それでは逸れないように着いてきてください」
「あぁ」
ランタンを持ったアルマが先頭、真ん中にルーゼ、最後尾に僕だ。僕の役目は後ろからの追跡がないか、ルーゼがきつそうにしていないか見ることだ。
きっとアルマはいろんなことを一人でやってくれているだろうからこのくらいは僕がやらなければ。
「ヴィル兄様、なんだかこの感じ少し懐かしい気がします」
「ん?あぁそういえば前にも一回屋敷の外に出たことがあったな」
「あの時もこんな感じでワクワクしていました。この先に何があるのか、何が待っているのか
それを考えているだけでとっても楽しいです!!」
ルーゼのキラキラとした笑顔を見れただけでもあの屋敷から連れ出した事に意味はあったのだと僕は救われた気持ちになる。
「きっとこの先、楽しいことがたくさん待っているよ」
根拠のない半ば希望的な言葉だが今はそんな言葉がすらすらと出てきた。
僕も、ワクワクしているからだろうか。
こんな風に心の底からワクワクするなんて、いつぶりなんだろう。
浮かれている、落ち着かなきゃだめだ。
そんなことわかっているのになんでか頬が緩んでしまう。
僕は鎖を、断ち切った。
僕を馬鹿にする人間はもういない、僕は、僕らは、自由なんだ。
もう、何も、我慢する必要なんて、ないんだな。
「ここらで少し、休憩しましょうか」
屋敷から出てかなり経った頃、ルーゼがおそらく限界なので休憩する事にした。
「村まであと少しのところまで来ています、そこで馬車さえ買えればこの先はかなり移動が楽になりますのでもう少しだけ頑張ってください」
「えぇ、大丈夫よアルマ
私だってこれから外で生きていくんだもの、体力をつけなくっちゃ」
ルーゼが小枝のような両手を折り曲げて力瘤を作るポーズをする。
全く力瘤なんて見当たらないが屋敷でこもって本を読んでいた頃よりも活気に溢れている気がした。
「ヴィルヘルム様は大丈夫ですか?」
「僕はまだまだ大丈夫だ、というか、僕よりもアルマだよ。
その大荷物を持って索敵までやってて大丈夫なのか?」
「私の心配は入りません。
ヴィルヘルム様とは鍛え方が違いますので」
「あっそ」
心配して損した。
「陽が落ちる前までには村に到着したいですね」
「そうだな、初日から野宿だと後が思いやられる。できればしっかり休んでいきたいしな」
村まで進むとなると、もう少しペースを早めたほうがいいかもな。
予想していた通り、ルーゼの足に合わせているから到着が遅れている。最悪僕が担いで少し急ぐか。
ここらの森の魔物は夜行性な上、今の僕らのメンバーの中で対抗する術を持ち得るのはアルマのみだ。
出会したらまず逃げるしかない。それに夜だから方角もわからずバラバラになる可能性まである。
僕はまだ最悪一人になっても大丈夫、多分、おそらく、大丈夫。だがルーゼは本当に一瞬だ。逸れた瞬間魔物の胃のなかだ。
僕らにとっての最悪は夜の中、魔物と遭遇してアルマとルーゼが離れ離れになること、それだけは回避しなければならない。
「それじゃあ、そろそろいきましょうか」
「そうだな、
アルマ、やっぱり半分僕が持つよ」
「いえ、大丈夫ですよ
ヴィルヘルム様に持ってもらうほどの荷物ではありませんので」
頑なに持たせようとしないなこいつ。出発した時も言ったのに。
アルマの体力をできるだけ残していたほうがもしもの時に役に立つと思うんだが、大丈夫なら、いいか。
「ルーゼはよく休めたか?」
「はい!もう元気元気です!!」
そういったルーゼは先頭を歩き始める。言葉では元気だと言っているがおそらく疲労がかなり溜まっているのだろう。痩せ我慢をしているんだろうな。
太陽が赤く燃えている。
もう半分落ち始めてしまったいるのだろう。急ぐ必要がありそうだ。
静かな時間が続いた。出発した時の元気など誰も残ってはいない。
空の明るさも無くなっていっているからか空気も重くのしかかってくるように感じる。
バキンッ、突然なった木が裂ける音。
「伏せて!!」
アルマの叫び声が聞こえたと思ったと同時に黒い影のようなものが跳ね出た。
人間の形をしている。だが顔は崩れ、目がない。
口だけが裂けたように開いて、異様なうめき声を漏らす。
魔物――。
アルマが素早く飛び出し、剣を抜いた。
金属音。瞬間、魔物の胴が斜めに割れて地に崩れる。
でも、終わりじゃなかった。
「左にもっ……!」
言い切る前に、もう一体。背丈の二倍はある異形が、木々を蹴って迫る。
息をする間もない。
「くっ……!」
アルマが剣を振るうが、今度のは重い。受け止めた瞬間、体ごと後ろに弾かれた。
「アルマ!!」
大きく弾き飛ばされたのか遠くで何かとぶつかった音が鳴った。
「ヴィ、ヴィル兄様……」
「ルーゼ、僕の側から離れるなよ」
腰に下げていた飾りだけの銀剣を構える。
鞘から滑り出す冷たい音。軽い。練習用の木剣よりもずっと軽いのに、手のひらが震える。
膝が震えている。それこそ生まれたての子鹿のように見えるのだろう。黒い魔物はニタァっと笑った。
「……っ!」
魔物が跳ねる。地を蹴って、まっすぐこちらへ。
僕の心臓がひとつ、大きく跳ねた。
剣を振る。狙いなんてつけていない。ただ、振った。
魔物の腕が刃に触れる。肉が裂ける音。けれどそのまま、勢いを殺さず突っ込んでくる。
肩に、衝撃。僕の体が浮いた。
「ヴィルヘルム様!」
アルマの声が聞こえた。けれど視界が回って、地面に叩きつけられた。
背中にルーゼの体がのしかかる。
ルーゼは泣いていた。震える手で、僕の背を掴んでいた。
魔物が、僕の方へ再び歩み寄る。
刃が震える。体も動かない。けど――
それでも、僕は剣を構えた。
右腕は痺れていたけれど、左手で柄を握った。
膝を支えに立ち上がる。
魔物が突進する。僕は、目を閉じた。
けれど、その瞬間だった。
風が鳴った。
金属音。なにかが断たれる音。
目を開けた時、魔物の首が転がっていた。
その後ろに、血に濡れた剣を構えたアルマがいた。
肩が下がっていた。彼女の肩口には裂傷。血が止まっていない。
それでも立っていた。剣を引いたその手は、微かに震えていた。
「……限界です。今夜は……ここで野営しましょう」
彼女の言葉に、僕は何も言えなかった。
ただ、頷くことしかできなかった。
被害は甚大だった。
ルーゼは腰を抜かして足を挫いた。アルマの左腕はボロボロでひどく出血している。
僕は右腕の骨が折れたようで全くゆうことを聞いてくれない。
この先、僕らはやっていけるのだろうか。
と言われたら暇って答えれない




