結婚10年後嫁から「君を愛するつもりはない」と言われた
「君を愛するつもりはない」
……モトコってそんなカッコいい声出るんだ。
じゃなかった俺。嫁の新しい一面に感動するより先に言及しなければならない発言があっただろうに。
しかし状況を把握しようにも脈絡がなさ過ぎた。
寝台に腰かけてぼーっとしていたときに突然モトコが部屋に入ってきて俺と目を合わせてからたっぷりとした余裕をもってそう一言だけ言ったのだ。
普段から表情が少ないモトコだが、白い月あかりに照らされて冷淡な印象が咲き誇る。
……かっこいいなぁ。
じゃなかった俺。このまま見惚れてたら何の会話も始まらない。
ってかこの展開どこかで読んだことがある。
主人公が冷酷と噂の超絶美人の高位貴族になんか嫁ぐことになって初夜で「君を愛するつもりはない」とか言われるやつだ。それでも動揺せずにエンジョイする主人公を見て超絶美人はおもしれー女とか思いながらほだされていって……
え? つまり俺はこの発言に落ち込んだ様子を見せずにおもしれ―女になればいいってこと?
いや違うだろ貴族として仕事いっぱいあるからそんな暇ないし。
「そもそも、俺たちって明日で結婚10周年では?」
「そうですね」
俺のつぶやきにモトコは淡々と返事をした。驚いて見上げるがそこには一切の表情がない。
ねえ俺なんかした?
「俺たちなかなかに上手くやってたほうでは?」
「良き夫婦として過ごせていると思いますよ」
「じゃあ何故?」
ますますわからなくなった俺が首を傾げるとモトコはふっと笑った。
「面白そうでしょ?」
僅かに上がった口角と細められたその目は月光にすら温かみを与える。
にべもなくそう言って俺を上から覗き込むモトコに俺は胸を高鳴らせていた。
「よくあるじゃないですか。男が初夜に「君を愛するつもりはない」って言うやつ。なので結婚十年イブの夜に嫁から「君を愛するつもりはない」って言うパティーンはどうかなと思いまして」
「そういうことかぁ!」
モトコのやろうとしていたことが分かって俺は思わず噴き出した。そういえばモトコはそういう人だった。
どうでしたかとモトコが聞くのでかっこよかったと俺は全力で叫んでしまった。
「大人になっちゃったのかと思いましたが、変わんないですね。ほら、もう結婚してかなりたって、一緒に仕事をする仲間みたいな感じになっちゃったじゃないですか」
俺もさっきそう気づかされた。俺は大事なことを忘れていたのだ。
いつしかモトコは恋人から一番信頼できる相棒になっていっていた。この胸の高鳴りを忘れてしまっていた。
「だけど、今もそんな顔で笑ってくれるんですね」
俺とモトコが出会ったのはアカデミーに在学しているときだった。
伯爵家の令嬢が様々な学科を掛け持ち資格を大量に取得しているらしいという噂がアカデミー中に流れていた。
伯爵家の令嬢がいったいどうして? と、家を継ぐために忙しかった俺にすらその噂は回ってきた。
移動教室中。俺は持っていた教材を落としてしまって、それを拾うのを手伝ってくれた人がいた。
無表情で黙って、でも丁寧に俺に教科書を渡してくれた彼女がモトコ。
噂のご令嬢だった。
「モトコさんはどうしてそんなに学業に励んでいるんですか?」
名前を聞いた途端に聞いてしまった。俺は知りたかったのだ。どうしてそんなことをするのか。
令嬢が働く必要なんてないのにどうして頑張っているのか。
ただ家を継ぐのに必死な俺には無い何かが彼女を突き動かしているのだろうという予感がして、その正体に触れたかった。
「美少女を億で買うためです」
「え?」
表情をまったく変えずに静かな時間が流れるので俺は聞き間違いを疑った。
しかしそうではなかった。
「よくあるじゃないですか。美少年が億で買われるやつ。あれの美少女版ってどうかなと思いまして」
そのためにはバリバリ働いて行かなきゃいけないでしょう?
と初めて笑うモトコを見て俺はどうしようもなく惹かれたのだ。
そんなしょうもないくせにやたら規模が大きい思い付きに向かって淡々と向かって行く姿が美しいと思った。
その日から俺とモトコは話すようになって、俺はモトコの思い付きをとことん支えていきたいと考えるようになった。
「私の思いつきを聞いた人は馬鹿にするか呆れるばかりで、本気にしてくれませんでした。でもあなたは話したとき、楽しそうに目を輝かせて笑ってくれたでしょ? あのときからずっと私はあなたを愛しています。
なんでしたっけ? あなたの告白の言葉、覚えてますか」
あのときのように俺はモトコの前に跪いた。
「卒業パーティーで婚約破棄してくれてもいいです。わざと結婚式に遅れてきて扉バーンしてきてもいいです。パンくわえたまま曲がり角でぶつかってそのまま走り去っていってもいいです。……だから。どうかあなたの思いつきに俺を一生巻き込んでくれませんか?」