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月下の刺客

「普通の人間なら逃げ出すような状況にも、君は立ち向かっちゃう人間ってことがよく分かったよ。」


 おなつを地面に下ろすと、手を払いながらヤマツミは独り言のように呟いた。


「……それは褒めてるんですか。」


「ううん、全然。」


 屈託のない笑顔のヤマツミに、「もちろん!」と答えるようなテンションで否定された。


「あははっ、やっぱりリクくん面白いね。これでおなつもわかったんじゃない?」


「んー、もいちゃは別に。もうちょっと体幹あるほうがいいんだに。」


 おなつは俺のことをパンチングマシーンかなにかと勘違いしていそうだが、もうツッコミを入れる気力はなかった。


「それじゃあ続けてもう一戦やろうか!」


「え……今日はもう終わりじゃ。」


「何言ってんの? そんなんじゃいつまで経ってもライカちゃんにおんぶに抱っこだよ。ほら構えて。おなつも。」


「も、もいちゃはそろそろおやつの時間なんだに。」


 ヤマツミはすかさず店に戻ろうとするおなつの首根っこを掴むと「夜ご飯も抜く?」と、笑顔を崩さないまま問いかけていた。

 自分とは無関係なはずなのに身震いした。


 * * *


「ふぅ、つっかれた。」

 

 相変わらず制服は泥なのか血なのかわからない色で汚れている。

 一回戦だけなら大きな怪我もせずに済んだのに、結局二回戦、三回戦と続いた。

 というより続けざるを得なかった。ヤマツミの圧には俺もおなつも勝てない。

 思い出すだけで寒気のする痛みを忘れたくて二の腕を擦った。


 陽が沈んでも、ジメジメと湿気を多く含んだ空気が不快にさせる熱帯夜。今日は昨日より気温が高い。いよいよ夏が始まるのだろうと思うと憂鬱だった。とはいえ、東京と比べると涼しい。標高の関係だろうか。

 そんなことを考えながら、おなつとの「遊び」を終えて、足元の悪い山の傾斜を下る。


「うん?」


 ふと視線を感じて、後ろを振り返った。虫の声が聞こえるだけで、そこには何もいなかったが、どうにも心が落ち着かなかった。

 鹿などの動物であれば、俺が振り返った時点でガサガサと音を立てて逃げていくだろう。しかし、それらしい音は聞こえなかった。

 気のせいであって欲しかったが、妙に深淵から目が離せなかった。

 嫌な予感がしてカバンに入れてある杭に手を伸ばした。こんなところで妖異と戦っても、今の自分の実力じゃまだ太刀打ちできない。おなつと手合わせしてまだ二日目。妖異の戦闘スタイルに癖があるのをついさっき知ったばかりのヒヨッコが、いきなり実戦で活躍できるとは思わない。

 ここで対峙するのは厄介だ。


「誰か、いるのか。」


 呼びかけても無論返事はない。ただ生温い風が頬を撫でるだけで、背中にかいた冷や汗も乾くことはなかった。

 最悪、鈴を使ってサグジを呼び出せる。落ち着け。なんとかなる。そう自分に言い聞かせて、杭を胸の前で構えた。

 じっと木の間を注視していると、風を切る音と共に冷たい何かが左頬を掠めた。


「は。」


 あまりにも突然の出来事にその場から身動きが取れなかった。

 咄嗟に左頬を撫でると指先には鮮血が付着していた。


「くっそ。」


 ——来たか。


 唾を飲み込み、もう一度杭を構え直す。念の為、左ポケットに血のついた手を突っ込むと、鈴をいつでも取り出せるように握りしめた。


「三柱に仕えし巫女にこれ以上(かかずら)わば、貴様はその身を滅ぼす厄災に巻き込まれるだろう。」


 声がした。あまり低くはない声。主は少年だろうか。

 人語を操る妖異は今まで出会(でくわ)したことがない。サグジと初めて対面したライカが「人型の妖異」なんて言葉を使っていたから、知能のある妖異もいるのだろうか。

 ただ、茂みに隠れているであろう気配からは、妖異とは別の殺気のようなものを感じる。

 いじめっ子が醸し出すピリついた空気に似ている。要らぬ一言で激昂させてしまったときのような、本能的に立ち向かいたくないあの感じ。


「……巫女って、ライカのことか。」


 恐る恐る尋ねる。


「貴様……呼び捨てだと?」


「え。」


 ライカの名を出しただけで、声がワントーン低くなった。

 考えられるのはよっぽどの信者か、あるいは——身内か。


「ライカの知り合いか?」


 その瞬間、黒い影が飛び出した。

 反射的に持っていた杭で防御の姿勢を取ると、杭に当たる硬いものが弾かれる音が聞こえた。


「一度とならず、二度も呼び捨てにするとは、なんたる愚弄!」


「は?」


 茂みから姿を露わにした人影は、ひらりと身を翻して距離を取る。和装を纏っているのか、月明かりに照らされた一瞬、広い袖が舞うのが見えた。

 優美に着地すると、少年らしき人物を囲むように宝石のような塊が煌めいた。


「お前、ライカのなんなんだ?」

 

 影に問う。相手は顔を白狐の面で隠している。

 変わることのない表情を不気味に思っていると、俯き気味のまま右手をこちらに向けてきた。


「貴様はだけは許さない。」


 それを合図とするように開いた手を突き出すと、先ほど頬を掠めたガラスの破片のような宝石たちを放った。


「ちっ——。」


 転がるように攻撃を躱す。そのまま木の陰に隠れると手をついた数センチ先に塊が刺さった。

 反射で手を引っ込めるが、ガラスのような宝石をそっと手に取ると、手のひらで液体に変わった。


「氷?」


 俺が呟くや否や、反対側で気に何かが次々と刺さる音がした。おそらく先ほど飛んできた氷塊なのだろう。


「くっそ。」


 木の間を縫うように駆ける。ほぼ感覚で走っているせいで、何度も岩を蹴り、振った手を枝に擦った。

 せっかくヤマツミに治してもらった身体がもう傷ついてしまった。


「許さないって、俺がお前に何をした?」


 まさかライカを呼び捨てにしただけでこの憤り様だとは信じ難い。

 興奮状態の相手に話が通じるとも思えなかったが、一方的に向けられた敵意の意味は知りたかった。


「何を……だと?」


 しん、と音がしなくなった。攻撃が止んだのを理解すると、木の陰からほんの少し身を乗り出して相手の様子を伺った。


「久しぶりに話せたと思ったのに、次から次へと貴様の話題しか出てこない上に、弁当にいなり寿司以外が入るようになった……! 今までずっとずっと変わらなかったのに、だ。」


 いなり寿司。今日の昼ごはんだ。ライカに作ってもらった弁当の中に入っていた。ちょうど、昨日、二段稲荷はやめろとアドバイスしたばかりだ。

 その話題を俺とライカ以外に知る人物として考えられるのは、


「お前、もしかして、ライカの弟——。」


 言い終わらないうちに少年は距離を詰めてきた。

 逃げる様に駆け出すも、木の根に足を取られて盛大に前に倒れた。

 その一瞬の隙に少年に追いつかれ、体の向きを仰向けにされると、首に思い切り体重をかけられた。


「貴様……何をした? 僕の《《姉様》》に、何を吹き込んだ?」


「ねえさまって、やっぱり、」


 俺の首を絞める手を引き剥がそうと必死に抵抗するがびくともしなかった。

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