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二段稲荷

「昨日、三狐神様はカニを所望してた。」


「なんか帰り際に言ってたな。」


「当然、すぐに手配することはできないから、冷蔵庫に残っていたカニカマを捧げたの。」


 話の途中だが、現場を想像すると思わず吹き出した。

 持ってきていたお茶を飲んで、調子を整える。


「それで、カミサマはなんて?」


 カンナビは特に表情を変えないで、淡々と話した。


「最初は美味しく召し上がってた。でも、なんか、甲羅酒を所望されたときに、」


「嘘がバレたってか。」


 カンナビの箸が止まった。


「で、でもカニカマも本物のカニも一緒。」


 そう言って彼女が口に運んだのは、カニカマ入りのいなり寿司だったようだ。噛み跡から赤い繊維がのぞいた。

 

「いやまあよくできてるとは思うけど、流石に本物との差はあるだろ。」


 敷き詰められたいなり寿司をまた一つ掬って食べた。カンナビが食べていたのと同じカニカマ入りだった。

 意外な組み合わせのように感じたが、これはこれで結構美味しかった。

 一段目の終わりが見えてきたが、待ち構えているのは同じようにぎっしり詰められた二段目のいなり寿司。

 二個ずつ具材を変えてくれているとはいえ、もうギブアップ寸前だった。


「それで、その前に寿司食べたいっておっしゃってたから、いなり寿司を出したの。」

 

 なんとなく先が読めて上がる口角を無理やり下げて尋ねた。


「……それで?」


「そしたら『稲荷寿司メインで食うことないやろ。魚寄越さんかい。』って。でも、家に魚ないから作れるだけの稲荷作ったの。」


 カンナビは似ても似つかないサグジの真似をしながら、箸を待つ手首をぐりぐりと回した。

 確か、酢飯を作るにはひたすらしゃもじでご飯をかき混ぜて、団扇で冷まして、とだいぶ工程がめんどくさかった気がする。

 いつか祖母と手巻き寿司を作った記憶がぼんやりと蘇る。そんな思い出に(ふけ)っていると、


「もう冷蔵庫空にするような勢いで全部召し上がるの。胃の中どうなってるんだろう三狐神様。」


 とんでもない情報が耳に入った。


「正直、神奈備家の財産を持ってしても、あの方の食費を賄うなんて到底できそうにない。」


 大きなため息を吐いて、カンナビは最後のいなりに手をつけた。


「あいつ大食漢なんだな。」


「びっくりした。いつも作る神饌(しんせん)って少量だから。もしかしたら足りなかった?」


「三百年不在だったんなら少ないも何も、食べてないだろ。」


 そっか、と納得するカンナビの隣で、俺は目の前のいなり寿司を睨んだ。

 毎日カレーパン一つで事足りる俺にとって二段稲荷は重かった。


「料理はできるけど、食材の調達と金銭的な面で応えられない部分がどうしてもあって。」


「なら、やっぱりまずあいつの食費を稼ぐしかないな。俺がバイトすれば、ちょっとは足しになるんじゃないか?」


 そう提案したが、カンナビの表情は曇ったままだった。


「村で一生懸命働いても、みんな自分のところで精一杯。だから、夏休みを全部アルバイトに費やしても、得られる賃金はわずか。」


「働いたことあんのか。」


「ううん、でもそうやって悩んでるのを聞いたことがあって。中学のときから隣町に出て働いてる子もいたから。」


 なるほど、その手があったか。隣町までバスで三十分、さらに電車に乗って二十分。……遠いな。

 やっぱりどれだけ安くても、昨日ミナカミに教えてもらった店を頼るほかなさそうだ。


「具体的にどれだけあればいい?」


「本当にやるの? うちの高校アルバイト禁止だよ。」


 カンナビは質問には答えなかった。眉を顰め、後ろ向きな態度を取った。


「家庭の事情でって申請出せばいけるだろ。」


「家庭の事情?」


 そうか、カンナビには俺がどんな境遇で育って、どんな生き方をしてきたのか教えていないのか。

 彼女はよくこんな素性の知れない同級生に協力したいと言ったもんだ。

 

「家に母さんしかいないから。」


 さすがのカンナビも言葉の意味を理解したのか、小さな声で謝られた。

 家庭の事情で気を遣わせるのは好きじゃない。「別に気にしてない。」と返して、次のいなり寿司には手をつけられなかった。


「リクくん?」


「ん?」


 カンナビは俺の顔と弁当を見比べていた。


「……食べないの?」


「え、あ、その、美味いんだよ。普通に、いや、めちゃくちゃ。だから、えっと。」


 満腹だ、の一言が言えなくて変な汗をかいた。


「いらないならもらおうか。」


「へ?」


 カンナビは俺の机にある弁当を自分のところに移すと、残りのいなり寿司にも手をつけた。


「結構、食べるんだな……。」


「体力いるから。」


 妖異と対峙するのに、ということらしかった。そういう意味では、ただでさえかさむ食費にサグジの分がプラスされて苦しくなるのも納得がいく。

 ぼんやりと考えていると、ごちそうさま、とカンナビが手を合わせていた。


「はっや、え?」


 身を乗り出してカンカビの机を覗くと、空の弁当箱が三つ、無造作に置かれていた。


「どう、だった?」


「ん? ああ弁当? 美味しかったよ。特に五目入ってるやつ。」


 感想を伝えるとわずかにカンナビの目が見開いた。表情こそ変わらないが、目が爛々としたような気がした。


「……明日も作ろうか?」


「え。」


 「げ」と「え」の中間のような声が漏れた。

 いなり寿司しか食べていないが、料理には自信があるようだし、女子の作る弁当を毎日堪能できるというのは、さすがに意識せざるを得ない。

 ただ、この先ずっとこの量のいなり寿司を提供され続けるのは、勘弁して欲しかった。

 作ってもらっている手前、残すこともできない。

 早く答えを返さなければならないのに、頭の中で悩み続けた。


「作って欲しいなら作る。嫌なら無理にとは言わない。」


 断りづらい。口ではそう言っていても、明らかに声色がワントーン落ちている。


「……カンナビが嫌じゃないなら、まあ。」


「わかった。」


「ただし、その、せっかくなら、いなり寿司以外も、食べたいかな。」


 相手を傷つけず、かつ、自分の要望も伝えると、例えばと訊かれた。


「卵焼き、ウィンナー、あとは……。」


 横で一生懸命メモを取るカンナビが健気で愛らしかった。


「ありがとう。参考にする。」


「おう……。」


 カンナビがメモを閉じたタイミングで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

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