荒御魂を祓うには
「お前限定ってなんや。オレが来るだけでもありがたいやろ。」
サグジの斜め後ろでカンナビは大きく首を縦に振った。
「いや、てっきり三柱の神を呼べるとばかり。」
それこそ、最初はサグジだけだと思った。しかし、二度目の呼び出しで初めに現れたのはヤマツミだった。この流れで三柱とも呼び出せると誤認しても仕方のないことだった。
「そんな便利な代物があるかい。ほんま人間は傲慢やな。」
手や足が出そうな勢いにヒヤヒヤしたが、意に反してサグジは落ち着いていた。
「へぇ、そんな御守りあるんだ。でもなんで? 人間のこと見下してるサグジが、その呪いみたいな鈴に縛られてる理由がわかんない。」
興味深そうにサグジの周りを歩くヤマツミは、子供が親に質問するような上目遣いをした。
サグジはほっとけ、とぶっきらぼうに言うだけで、詳細を話したがらなかった。
改めて俺は鈴に目を落とした。引っ掻いたような細かな傷が銀色の表面を曇らせている。
この鈴が呼び出せるのは、サグジというカミサマだけ。呼び出したあとの強制力はどうやらないらしかった。サグジの気分次第、ということだった。
でなければ、呼び出されたにも関わらず茂みに隠れて盗み聞きなんてマネはしないだろう。
「で、用ないなら帰んで。」
サグジは俺に背を向けた。
「あと、今日はもう呼び出すな。自分、死にたないんやろ。」
「え、ああうん。」
その言い方はまるで気を遣ってくれているようで、少し意外だった。思い返せば、サグジは二度呼び出したにも関わらず昨日のように俺に手をあげることはなかった。
開いているのかわからない目から真意を読み取ることはできないが、初対面で感じた糸を張り詰めたような緊張感はとうになくなっていた。
「帰るって、お社へですか?」
恐る恐る声をかけるカンナビだが、自身の好奇心が先行したようで、感情のない瞳が少しだけ澄んで見えた。
「ああ、合祀したんやっけ。」
頭を掻きながら不快そうな声を漏らすサグジは、だるいな、と付け加えた。
「今は私たちの住居と兼ねてますが、そこそこ広いので満足していただけるかと。」
「メシあんの?」
「え、はい。僭越ながら私が神饌をお作りいたします。」
頭上に伸びた糸がピンと張るように、カンナビは背筋を正した。
料理の腕には自信があるのか、はたまた頼られるのが嬉しいのか、仏頂面の口角がほんのり上がっている。
「質素なん嫌やで。せやな、鮮魚の寿司でも握ってもらおかな。」
「バカ言うなよここ海なし村だぞ。魚なんて、その辺の川にいる淡水魚しか。」
村にある川は、国の天然記念物であるオオサンショウウオが住んでいるような清流だった。イワナやヤマメなら美味しくいただけるだろうが、寿司のネタにはならない魚ばかりだった。
「川魚も美味しいよ。ミナカミくんに言えば獲ってきてくれるんじゃない?」
「え、あの水上様ですか?」
またもや興味を示したのはカンナビだった。ヤマツミはこくりと頷いた。
確かミナカミは三柱村で川を司る神だったはずだ。
「あんな陰気臭いのんに頼み事なんか死んでも嫌やわ。」
「仲悪いのか?」
嫌悪感を示すサグジに尋ねてみたが、返ってきたのはヤマツミの声だった。
「悪いっていうか、人間に優しすぎるのよあいつ。その上真面目だしねー。だからサグジなんてしょっちゅう説教されてて。あ、もしかして高天原でうつつ抜かしてたのもそのせい?」
「ちゃうわ憶測でモノ語んな。」
最初こそわからなかったが、キャイキャイとはしゃぐヤマツミとそれを否定するサグジは、お互いの信頼あってこその距離感なのだろう。
「川辺の近くに妖異が出たら、ミナカミくんを頼るといいよ。快く祓ってくれると思うよー。」
祖母の話だと人に近いカミサマはサグジだと聞いていたため、ミナカミという神についてはピンとくる特徴はなかった。
「なぁ、カンナビ。ミナカミっていい神なのか?」
カンナビに近づいて耳打ちすると、彼女は抑揚のない声で答えた。
「神様にいいも悪いもない。山祇様の反応が一般的だと思うけど、私も水上様がどういう神様かは覚えてなくて。」
「そうなのか。てっきり交流あるもんだと思ってた。」
「神様の御姿をお目にかかれるなんて、基本ないから。能力が使えても、妖異が視えても、神様は七歳までしか視えないの。」
カンナビの話によると七歳までは神の子、という迷信は本当らしい。正直そんな迷信があること自体知らなかったのだが、それを伝えると話が長くなりそうで軽く流した。
「わかった! あんた高天原追い出されたんでしょ! じゃないとおかしいよ。わざわざこんな辺鄙な村に帰ってくる必要ないもん。」
一際テンションの高いヤマツミの声が俺の耳に入った。
「信仰ないと、向こうの家には帰れないもんね〜。」
「じゃかしいわ!」
「もうせっかくだから荒御魂祓って人間の好感度稼いじゃいなよ。」
「そうだ、荒御魂。祠が壊れてたんなら、荒御魂はすでに村のどこかにいるんですか?」
しばらく二人のやりとりを見ていて、気になるワードを追求した。
村を救うのに手遅れ、なんてことがあって欲しくはない。
「そうなるねぇ。でも、長い間封印されてたからか、力を蓄えるために姿を見せてないけどね。全くどこに潜んでるんだか。」
「山祇様も、荒御魂の所在はご存知ないのですか?」
「煽ってんのー? 知らないもんは知らないよ。」
カンナビは煽ったつもりなど毛頭ないのだろう。即座に頭を下げると、うそうそ、とにこやかに笑うヤマツミに頭を撫でられていた。
「ふん、荒御魂見つけたところで、神器ないと倒されへんやろ。」
「そうね。普通の妖異ならまだしも、荒御魂達やけに頑丈なんだよね。」
ため息を吐くヤマツミは昔のことを思い出しているのか、遠い目をしている。
「やっぱり荒御魂を祓うには神器が必要なのか。」
「うん。神器は私たちの能力を最大限に引き出してくれるからねぇ。まあ、私はチロリン亭に置いてあるけど。あんたどこやったの?」
ヤマツミはサグジに話を振った。サグジはどうもばつの悪そうな顔をして、口を尖らせたまま「さあな。」と答えた。
「はぁ? あんな大事なもん無くす? 普通。」
「高天原に置いてあるわボケ。今手元にないってだけや。」
「でも、高天原出禁でしょ? どうすんの?」
「別に出禁やない、し……。」
出禁らしい。よっぽど遊び呆けていたのだろう。そりゃ村の神にも関わらず、三百年も放置していたんだから、当然の報いだと思った。
「まあそれも含めてこのいっちょかみが見つけてくれるらしいわ。」
「は?」
なぜか開き直ったサグジは俺の肩を掴んできた。
「待てよ、確かに神器探すって言ったけど、それはこの村にあると思ってたからで、」
「なんやダサいな。男に二言なんかないやろ。」
このカミサマに頼るべきではなかったかもしれない。数時間前に戻れるなら、あんな約束するんじゃなかった。もっと別の方法があったに違いない。カンナビを守りつつサグジを宥める方法が。
後悔のないように生きる、なんて、難しすぎる。
神器を探す方は後にして、供物を集める方が早い気がした。山の妖異はヤマツミが祓ってくれるらしいので、サグジを使って誘き寄せることくらいはできるだろう。
そんなもしもをいくつもシュミレートする。
自分が何かできるわけでもないのに。不甲斐なさに胸が切なくなった。
そんな俺を嗤うようにカラスが鳴く。もう日が傾いていた。
「そろそろ、いかなきゃ。」
お宮の掃除があると言っていたカンナビをここまで拘束するつもりはなかった。彼女に謝罪をすると、山を後にして、三柱神社のあるカンナビの家まで送って行くことにした。
放課後に山へ歩いて行ったときと違うのは、俺とカンナビの他に、もう一柱——。
「もう着く? どんだけ歩かなあかんの? 遠すぎるやろ自分家。」
狐耳を生やした図々しいカミサマがついてきていたことだった。