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山のカミサマ

 少女は俺の顔を見てか、口角を上げると揶揄うように笑った。


「おまけにすけべときたか。ダメだよ、ふしだらなことしちゃ。人のいない山にも神様はいるんだからねー。」


 少女は編み上げブーツを履いた足で俺の正面までやってくると、眼帯をした方の前髪を耳にかけた。


「あなたは……。」


「お、彼女ちゃんにも私の姿視えるんだ、めずらし。」


 少女は無邪気な笑顔を浮かべながらカンナビに対して手を振っている。


「彼女じゃ、ない。」


 鼻血をダラダラ垂らしながら否定するが、それさえも面白いのか、笑顔を崩さない少女に眺められている。


「君、いつもボロボロだね。」


 俺に目線を合わせてしゃがむヤマツミに、人差し指で額を突かれた。


「死にそうで死なない性質(タチ)だね。」


「どういう。」


 じっとしてて、と制されると辺りが柔らかな緑光に包まれた。だんだん血の匂いもしなくなって、息がしやすくなった。空気を肺いっぱいに取り込んで深呼吸すると、心が落ち着くような感覚がした。


「まあ、鼻血なんて生理現象だしねー。仕方ない仕方ない。」


 鼻の下を擦っても、指先が赤く染まることはなかった。鏡がないからわからないが、きっと血痕は綺麗さっぱり消え去っているのだろう。


「あの、やっぱりあんたも。」


「神様だよ。山の神、山祇(やまつみ)とは私のこと。以後お見知り置きよろしゅう。」


「山祇様……!」


 立ったままのカンナビは俺の隣で歓声を上げると、口元を押さえて目を輝かせている。

 ヤマツミと名乗る神も、カンナビに向き直るように立ち上がると、ニコニコと微笑んだ。

 しかし、その笑顔の裏の本心はまるでわからない。不気味だと感じてしまうのは、右目を隠す眼帯のせいだろうか。

 カンナビが表情の変えない人形なら、ヤマツミはずっと笑顔の面を貼り付けた芸者のようだった。


「君は神社の子でしょ。知ってるよ。」


 ヤマツミはよろしくね、とカンナビの手を握ると、ぐっと距離を近づけた。

 カンナビは緊張しているのか、唾をごくりと飲み込んだ。何も言葉にしなかったが、何度も瞬きをしている様子から興奮しているのが窺えた。


「あの、早速聞きたいことがあるんですけど。」


 親睦を深める二人の間に割って入るのは気が引けたが、長々とカンナビを山に引き止めるわけにもいかず、早速本題に入った。


「この祠から放たれた荒御魂たちから村を救う方法が何かあれば、ご教授願いたいのですが。」


「いいけど、なんでリクくんがそんなことするの。」


 カンナビから手を離したヤマツミは、全く理解できないといったように顎に手を当てた。


「それは俺が、壊した、から。」


 この事実を口にするたびに心が痛んだ。壊さなければ平穏な日々が送れたかもしれないのに。


「うふっ、はは、あっはははは!」


 そんな俺の暗い気持ちを吹き飛ばすような笑い声が山中に響く。

 

「山祇様……?」


 そのテンションを不思議がるカンナビは、恐る恐るヤマツミの顔を覗き込むが、笑い声が絶えることはなかった。


「そんなことする必要ないよ、あははっ。」


 何が面白いのか、ヤマツミは腹を抱えて笑うと、口角を上げたまま衝撃の事実を告げた。

 

「だって、あの祠、元々壊れてたし。」


「は?」

 

「あれ? サグジから聞いてないの? てっきりそれを伝えにわざわざ下山したんだと思ってたのに。」


 ヤマツミは左目の目尻に溜まった涙を親指で拭き取った。

 彼女が言うには、祠はもともと壊れていたらしい。それなら、俺はサグジに理不尽に責められ、器物損壊の冤罪をなすりつけられたということだった。

 腹の底で微かに燃える炎が、昨日の出来事を燃料にして猛火となる。


「まあ三百年も村放置して高天原(たかまがはら)の天女たちと遊び呆けてたうつけだし。ただの人の子に自分の責任押し付けて糾弾しちゃう辺り、神の風上にもおけないクズよね。」


 ヤマツミの言い方にも悪意はあるが、俺は居ても立っても居られなくなった。鈴を掲げてあの糸目のニタリ顔を呼びつけようとして、


「そんなとこで聞き耳立ててないで出てきなよ。」

 

 ヤマツミが人差し指を立てて空中に縁を描くような素振りを見せた。

 すると、葉がざわめく音と共に、茂みから伸びた大きな蔦が飛び出した。その蔦の先には人が括り付けられていた。そのまま天高く放り投げられ、落ちる速度より早く引っ張られると、人影は思い切り地面に叩きつけられた。


「いったいわボケカス!!」


 怒号を飛ばす男は、朝、高校で出会った《《カミサマ》》だった。

 彼の纏う浅葱色の鮮やかな和装にも、透き通るような銀髪にも泥がついてしまっている。


「急に気配がしたと思ったら、茂みから耳がはみ出てたからさ。見つけてくださいって合図かと思ったよ。」


 ヤマツミが指を一振りすると、サグジの足に絡まった蔦がするすると解け、地面に消えていった。

 ヤマツミに対して「乱暴な女は好かれへんで。」と毒吐くサグジを、俺は冷たい目で見下ろした。


「さっきの話、本当なのか。」


「何がや。」


「ちょっとリクくん……。」


 サグジは地べたをついたまま俺を見上げた。不敬だと言われようが、カンナビが心配そうな声を上げようが構わず続けた。


「祠、もともと壊れてたって。」


「だったらなんやねん。」


「あんた言ったよな。この村の作物が育つのは『オレのおかげや』って。」


 正面で堪えきれず吹き出すヤマツミを見向きもせず、俺は続けた。


「具体的に何してたんだ。三百年の間。なぁ。」


 敬語すら煩わしくなって、高圧的な態度でサグジを詰める。

 サグジは黙ったまま立ち上がると、前髪で目が隠れたまま呟いた。


「人間のせいやろ。」


「答えになってねぇよ。」


「偉そうなこと言うとるけど、自分なんか神様微塵も信仰してへんかったくせに、土足で神の領域入ってきて祠に触れたんは事実やろ。どこまで勝手なん?」


「あ、でもそれには同意。」


 右手を挙げるヤマツミは、一歩前に出た。


「人間って勝手だよね。自分のことしか考えてないし。神様頼るのも自分に都合のいいときでしょ? 普段から敬意払わないのはいかがなものかと思う。まあ私は別に信仰とかどうでもいいけどさー。基本人間嫌いだし。」


 手を広げて肩をすくめるヤマツミは、目を閉じたまま矢継ぎ早にそう答えた。

 ヤマツミから感じる不気味さは、嫌いな相手に愛想を振り撒くクラスの女子と似ているような気がした。彼女がそこまで性格の捻くれた神ではないと信じたいが、カンナビよりも本心が見えづらく、その言動だけで判断することはできなかった。


「あの、人間に対してそう思っているなら、どうしてあのとき俺を助けたんですか。」


 サグジに対する怒りはそのままに、俺はヤマツミの方へ向き直ると訝るように尋ねた。


「それはリクくんが面白かったから。」


 どうしてわかりきったことを聞くの、といったふうにヤマツミは首を傾げた。


「それなら、仮に俺があんたの言う『面白い』からかけ離れてたら、あのときどうしたんですか。」


 ヤマツミの『面白い』はサグジを殴ったことだろうか。俺は今まで生きてきて誰かにそんなふうに言われたことはなかった。神と人間とでは感じ方も違うのだろう。

 そんなことを考えて質問すると、突き刺すような答えが返ってきた。


「え、普通に見殺しにしてたけど。」


 さっきまでの怒りの感情も、熱も一瞬で消え失せた。笑顔を絶やさなかったヤマツミの氷のような冷たい声に、背筋が凍るような感覚を抱いた。

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