篠突く雨
朗読会も間近に迫ってきた。菅生の語り口も表情豊かになり、当初とは見違えるばかりだ。
「よくなってきたな。インゲルの気持ちがよくでてる」
菅生は誇らしげに、ふふんと鳴らす。
「当然でしょ。インゲルを演じるのは、わたしみたいな美少女じゃなくちゃ」
美少女ねえ。まあ否定しないが。
ゴロゴロと鈍い音が外からする。
雷鳴と共に降ってきた。砕いた硝子を叩きつけるような激しい雨が。
「どうしょう、傘持ってきていない」
薄墨の空を見上げ、菅生は呟いた。
「天気予報を見なかったのか、夕方から降るっていってたのに」
菅生はその言葉にばつの悪い表情をする。しばらく難しい顔で考え込んでいたが、突然にこやかな笑顔になり、俺に向かい言った。
「ねえ、あんたは傘持ってきてるのよね。駅まで入れてって」
「傘なら近くのコンビニで買ってきてやるぞ。少し待ってろ」
「いや、そんなことしなくていい。電車降りたら地元の百均で買うから。ほら、化粧品も買ったし、倹約ってやつ?」
菅生は慌てて早口で喋る。
「まあお前がいいならそれでいいが。練習はこれで切り上げて、早目に帰るか」
菅生は満面の笑顔を浮かべ帰り支度を始めた。
「これじゃ濡れちゃうなー。仕方ないなー。もっと近づきなさいよ」
菅生は弾んだ声で命令する。
「へいへい。これでいいだろ」
俺は右手に持った傘を菅生に寄せる。俺の左肩は濡れるが、まあいいだろう。
「ばっかじゃないの。あんたが濡れてたら、わたしが嫌な奴みたいじゃない。ほらもっとこっちに寄りなさい」
俺の腰に手を廻し、ぐいっと引き寄せる。
しょうがない、言う通りにしよう。近くて暑苦しいのか、菅生の顔は赤い。さっきまでの勢いは無くなり俯き静かになった菅生に歩幅をあわせ、俺たちは歩いていった。
「楽しそうね。菅生さん」
駅に近い公園にさしかかった時、俺たちに呼びかける声があった。見たこともない女生徒だった。いや制服自体も見たこともない。この近隣の学校ではない。
「佐倉……さん……」
菅生は必死で言葉をだす。声も表情もこわばったままだ。
「噂では聞いていたけど、あいかわらずね。男を侍らして、いいように使って。あれから大人しくしてたけど、やっぱり貴方はそういう人。今度の贄は誰かしら」
佐倉と呼ばれた女は、突き刺すような冷たい声で言う。
「ち、ちがう……」
菅生の顔は蒼白になる。
「何が違うの。進藤さんを転校させたのは貴方でしょ。皆をたぶらかせて、追い詰めて、学校に居場所をなくさせて。私は……忘れない」
「……そんなことはしていない」
「しらばっくれないで。私は見てた。あんたが被害者ぶって、いい子ぶって進藤さんを悪人に仕立てていくところを。ああ、あんたはホントに大したものよ、見事よ。人を踏み台にしていくさまはいっそ清々しいほどよ」
菅生は俯き、両手を握る。その手は震えていた。
「またそうやって傷ついてますって顔して。けれどその場しのぎでやり過ごすだけでしょ。貴方の本性は変わらない」
部外者なので口をはさむのは遠慮していたが、流石に見過ごせない。
「おい、事情はよく分からないが、その言い方はあまりに酷いんじゃないか。そこまでいくと人格否定だぞ」
俺は菅生を庇うように前に立ち、佐倉と呼ばれた女に対峙した。
「……あんたが新しい取り巻きなの」
佐倉は品定めするように俺に視線を落とした。
「誤解しないでね、私は言葉の暴力を振るうつもりはないわ。ただこれから起きる不幸を防ぎたいだけ。菅生 麻衣の忌まわしさを知って欲しいの」
狂信者のような爛々とした瞳で佐倉は語りだした。
「今から8年前よ。私と菅生は同じ小学校だった。菅生は学年で一番可愛くて、人気者だった。菅生には仲のいい友達がいたの。進藤 愛っていう大人しい女の子。地味で目立たなくて、菅生の引き立て役みたいだったけど、私は好きだった。いつもにこにこしてて、優しい気持ちにしてくれる、そんな子だった」
愛しいものを懐かしむような表情で佐倉は語る。
「けれどある夏の日、事件が起きたの。クラスで一人ずつ花壇で育てていた向日葵、その中で菅生のだけが引き抜かれて捨てられていた。人気者の菅生が被害者だもの、みんな犯人捜しに躍起になったわ。聞き込みをしていくと目撃者が現れたの。『菅生さんといつも一緒にいる女の子が引き抜いているところを見た』と。面通しをしたら進藤さんに間違いないと証言したわ」
段々と言葉に怒りを帯びてくる。8年前の出来事とは思えないぐらいに。
「みんなの怒りは尋常じゃなかった。被害者が菅生でなければ、そうはならなかったでしょうね。クラス全員、ううん他のクラスの人間もやってきて大勢で進藤さんに詰め寄ったわ。かわいそうに彼女は怯え、言葉を出すことができなかった。そこに横入りしてきたのが菅生よ。『進藤さんがそんな事するはずない。何かの間違いよ』ってね。根拠も裏付けもなくただ感情的にする助勢。火に油を注ぐ結果となったわ」
それまでどこか独白めいた語り口だったのが、明確な弾劾先を得た告発者のものに変わっていく。
「『菅生さんはなんて優しいんだ、あんな目にあったのに犯人を庇うなんて』『菅生さんは清らかだ、世の中に悪い事があると知らないんだ』みんながこう言い出した。気持ち悪い。そしてその狂った崇拝の心は、マイナス方向に倍となって進藤さんに降りかかった。『許せない、あんな菅生さんを裏切るなんて。相応しい罰を与えなければ』と。今思い出しても身震いするわ、みんなの憑りつかれたような眼。中世の魔女狩りってあんな感じだったのでしょうね。みんなでありとあらゆる罵詈雑言を浴びせたわ。その横で菅生は泣きだし、弾劾はさらにエスカレートしていくというスパイラルに陥ってしまった」
彼女は嘘を言ってはいないのだろう。だがその言い分は、何か主観が強く滲んでいた。菅生の震えは一層強くなり、今にも崩れ落ちそうだった。
「結局、進藤さんは一言も弁明しなかった。そして翌日から学校に来なくなり、一週間後に転校していったわ。先生は家庭の事情って言ってたけど誰も信じなかった。そこでみんなは思い返したの。自分たちはやりすぎたのではないか。そもそも本当に進藤さんは犯人だったのか。今更よね。幼い正義感の熱狂が冷めたあと、やるせない気持ちはその元凶に向けられたわ。すなわち菅生に。自分たちは菅生に惑わされたんだと」
ずいぶん勝手な言い分だ。反吐がでる。
「かといって、いじめとか無視とかじゃないわよ。ただ遠巻きに見るようになっただけ。菅生にあてられて自分を見失わないように自制しただけ。けどそんな空気を読んでか、菅生から華やかさが消えていったわ。髪を伸ばして顔を隠し、縮こまって猫背になり、いつも隅にいるようになった」
菅生はもう倒れそうだ。俺はバックを投げ捨て、左手で菅生を支える。
「けど昔の姿に戻ったようね。気をつけなさい。その娘はいわば妖刀みたいなもの。切れ味鋭く刃文は美しいけれど、魅入られたら人斬りと化す忌まわしい存在。お札を張った鞘に納めないといけないのよ」
俺の中で熱いものがこみ上げてきた。それはドクドクと血管を流れ、体中に広がっていく。
「進藤さんに申し訳ないという気持ちがあるなら、自重すべきじゃない」
佐倉は冷たく言い放つ。
……堰が切れる。俺のなかの激情が吹き出していく。
「ふざけんな。……ふざけんなよ、よくもそんなことを言えるな」
声が震える。まなじりは裂けんばかりに吊り上がる。
「なんで菅生が責められなくちゃいけないんだ。菅生が何をしたっていうんだ。ただ友達を庇おうとしただけじゃないか。その結果が上手くいかなかったとしてそんなに責められることかよ」
感情の昂ぶりとともに、声は少しずつ大きくなっていく。
「溺れてる人間がいたら飛び込むのは本能だろ。それが力及ばず助けられなかったとして非難される謂れはねえ。てめえはその時なにをしてたんだ。ただ見てただけだろうが。そんな奴が菅生を責めるんじゃねえ!」
加賀見が初めて見せる、雷鳴のような叫びだった。
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