エール
気に入らない。加賀見の訳知り顔の言い方も、正論を上段から振り下ろすやり方も、そしてそれに抗えないわたしも、みんな気に入らない。
鬱々とした心持ちで昼休みを過ごしていたときであった。
「菅生さん、ちょっといいかな」一人の男子が話しかけてきた。
光輪 大輔。間違ったことは許さない、真面目すぎると評判の優等生だ。
「不躾なこと聞いて悪いんだけど、加賀見とうまくいっている?」
何故そんなことを。わたしは怪訝な表情を浮かべた。
「いや、昨日二人が大声で怒鳴り合ってたと聞いてね。もし何か問題があるなら力になれないかと思って」
そんな風に伝わっているのか。問題か……。問題ね……。
「……何かありそうだね。もしよければ、放課後時間とれるかな。みんなでカラオケにいくんだ。何かあれば相談に乗るし、言いたくなければそれでもいいよ。歌うだけでも気分転換になるから」
誰かにこの鬱屈を解決して欲しいなどは思っていない。ただ、このどろどろした感情の吐出し口が欲しかった。
わたしはこくりと頷いた。
わたしの今日の練習を休みたいという申し出を、加賀見は驚くほどあっさり了承した。理由も聞かず、「わかった」と一言発するだけだった。わたしは逆にもやもやした気持ちがつのっていった。
「かんぱーい」
わたしたちはパーティールームで、ソフトドリンクのグラスで乾杯した。
「6人でパーティールームは広すぎない。どうしてこんな部屋になったの」
一緒にきた楢崎さんが、予約をした小鳥遊くんに質問する。
「ここでバイトしてる先輩がとってくれたんだ。もし途中で団体さんが来たら部屋を移るって条件で。店としては入る可能性がある、普通の部屋を開けておく方が都合がいいんだって」
「そんなもんなの。ま、いいか。じゃんじゃん曲いれよー」
みんな楽しそうに好きな歌をいれていく。
一曲目は小鳥遊くんの、疾走感あふれるアップテンポな曲。明日に向かって走れ、とシャウトして語りかける。
二曲目は楢崎さんのしっとりとした失恋ソング。ただ悲しい気持ちを歌うのではなく、元気を出して、明日はいい事があると訴える曲。
流石にわたしも空気が読めた。
「菅生さんは何の曲にしたの」光輪くんが話かけてくる。
「あなたの演出?この流れ」わたしは冷めた口調で問いかける。
「いやいや、僕は何もしてないよ。ただ菅生さんを元気づけようと言っただけ」
それを演出というのだけどね。メソッド演技で俳優に役柄を割り振るような。
「加賀見は君にどんな感じなんだい」
心配しているのとは何か違う、熱を帯びた声でわたしに訊ねる。
「どうってあの通り。マイペースで自分の思ったようにやる。なまじ突破力があるから始末に負えない」
「菅生さんに理不尽なことを求めるということはない?」
「道理は合っているから厄介なのよ。正論の鎧を着て、ぐさぐさ刺してくる」
「……君から見て、加賀見はどう見える?」
どうも光輪の意図をはかりかねる。何が言いたいのだろう。
「おい、ちょっと来てくれ」
部屋の外に出ていた小鳥遊くんが、ドアを開けて呼びかける。
マイクを置き、みんなで部屋の外にでる。
「こっちだ。声を立てるなよ」
彼の誘導でわたしたちは小さな部屋の前に来た。
隠れるようにして、入口のガラス窓から中を見る。
「水馬 赤いな アイウエオ 浮藻に 小蝦も およいでる
啄木鳥 こつこつ 枯れけやき 大角豆に 酢をかけ サシスセソ その魚 浅瀬で 刺しました
立ちましょ 喇叭で タチツテト トテトテタッタと 飛び立った」
一人で大声をあげ、脇目も振らず発声練習をする加賀見の姿がそこにあった。
「なんだ ありゃあ」みんな、あっけにとられた。
「何してんだ、お前ら」大学生と思しき男性店員に呼びかけられた。
「あ、先輩。いやあれ……」小鳥遊くんが加賀見のいる部屋を指さす。
「ああ、発声くんか。今日は来るのが早いな」男性店員は事も無げに言った。
「いや先輩『今日は』って、あいつここに来るの初めてじゃないんですか」
「ここ二週間、毎日来てるな。大体夜7時から10時までいるかな。ほらテーブルの上にタブレットあるだろ、あれを使ってリモートで指導受けてるみたいなんだ。やっているのが発声練習ばかりだから、俺たちは『発声くん』って呼んでいる。お前たちの知り合いか?」
わたしたちは答えることが出来ず、ただ部屋を見つめていた。
「蛞蝓 のろのろ ナニヌネノ 納戸に ぬめって なにねばる
鳩ぽっぽ ほろほろ ハヒフヘホ 日向の お部屋にゃ 笛を吹く」
加賀見は突然右手を口に当て、ゴホッゴホッとむせ返る。
バックから緑色の液体が入ったペットボトルを取出し、一気に飲み込む。あの例のくそ不味い特製ドリンクだ。
「相変わらずひどい味ですね。これどうにかなりませんか」タブレットの画面に向かって加賀見は呼びかける。
「我慢しろ。味を求めると効能が落ちる」画面から年配の男の人の声がする。
「いや俺はいいんですよ。けれど女子にはこれ、きついですよ」
「あきらめろ。その代わりお前が言っていた、なるべく声帯に負荷をかけないプログラムを組んでやったぞ」
「本当ですか、ありがとうございます。あいつにはなるべくいいコンデションで本番を迎えさせてやりたいので」
わたしたちは言葉を発することができなかった。
あの部屋から流れ出してくる波に飲み込まれるように。
あいつは、わたしがぐだぐだ愚痴をこぼしてる間に、こんな事をしていやがった。
わたしが後ろを向いている時に、あいつは明るい未来を信じて進んでいた。
心の底から温かいものが湧き上がり、全身を満たし、こぼれていく。
……早く帰って、体調を整えて、あいつに目にもの見せてやらなければ。
「ごめん、わたし……帰る」
わたしは振り返らず駆け出した。
「帰るか……」
光輪は短く皆に呼びかける。他の4人はこくりと頷き、無言で帰路についた。
「雷鳥は 寒かろ ラリルレロ 蓮花が 咲いたら 瑠璃の鳥」
無人の廊下に声が流れていった。
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