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お前もか

トントントン。小気味いいリズミカルな音がキッチンに響く。


「どう、採点は?」


野菜を切り終えた結城が、不安気に俺を見る。

俺は真剣な目つきでまな板の野菜を確認する。


「……合格だ。卒業を認める」


その言葉に結城の目は潤み、遅れて喜びを爆発させる。


「やったー。これで子供用ギザギザ包丁を卒業だー。明日から普通の包丁が使えるー」


「言っとくけど、明日からより慎重にしろよ。危ないと思ったら、子供用に戻すからな」


俺は注意を促す。


「はーい!」


結城は小言を一向に気にしてないようだった。まあ、いいか。今日は幸せな気分で帰してやろう。



「じゃあ、ここで。明日もよろしくねー」


明るい顔で結城は改札を通って行く。

俺は暗くなった街を歩いて行く。

空を見上げるときれいな月が浮かんでいた。


昔と変わらない月だった。

けど俺のいる場所は昔と違う。

ここは窮屈で息苦しい。


広い空に悠々と漂う月が見たくて、公園に向かった。




……行くんじゃなかった。そこで俺は見てはいけないものを見た。


「ちょっとそこの少年、こっちにきなさい」


月あかりの下、ベンチでビールを(あお)るように飲む若い女性がいた。


俺は静かに彼女の隣に腰掛ける。


「なにしてるんですか、木戸先生」


「木戸先生なんて言わないでー。たかちゃん先生って呼んでー」


めんどくせえな、この人。完璧に酔っていやがる。甘え上戸(じょうご)かよ。

木戸(きど) 貴子(たかこ)だから『たかちゃん先生』かよ。絶対『維新の三傑』をもじったろう。


「こんなところ保護者に見られたら大変ですよ」


「こまかいことはいいんです。君こそこんな時間まで何をしてたの」


「あんたに言われた、結城のお守りですよ。誰のせいでこんなことしてんでしょうね」


「それはさておき、君はここでなにも見なかった。OK?いい子にしてたら、おっぱいぐらい揉ませてあげるから」


スルーしやがった。そして爆弾おとしやがった。


「いらねえよ、そんなもん!」


「むう。そんなもんとは失礼な。Bカップの胸は価値がないというのか」


「いらんことカミングアウトするな。そんな事したら、あんたも俺も淫行条例にひっかかるでしょうが」


「ちぇ、共犯にしたら口止めになるかと思ったのにな。まあいいか、きみ友達少なくて話す相手もいなさそうだし」


おい、言葉の暴力って知っているか。


「余計なお世話だ。それよりさっさと帰って、家で飲みなさい」


「……家はいや。狭くて、よどんで、気が滅入る」


膝をかかえ、視線を下に落とす。


「なにかあったんですか」


「大人になると色々とね。いいことも、いやなこともそれなりにあるのよ。……つらいのは、少しのいやなことに、たくさんのいいことが染められていくことなの。心が……濁っていく」


「深くは聞きません。仕事ですか、恋愛ですか」


「恋人はいないわ。100%仕事」


「話せる範囲でよければ、愚痴ぐらい聞きますよ」


「……ありがとう。けど君に聞かせる話じゃなかった。どうかしてた、私。教師失格ね」


悲しそうに、自分に言い聞かせるように言った。冷たい風が横切ってゆく。



「仕事、たいへんなんですね」


「うん、けど好きでなったことだから」


「なんで教師になろうと思ったんですか」


「わたし実はね、前世の記憶があるの。生まれ変わる前はタコだったの」



ちょっと待て。空気が変わったぞ。



「……タコって海にいる蛸ですか。空に浮かぶ凧ですか」


「海の方。っていうか自然に話続けるわね。この話をすると、胡散臭いものを見るみたいになるか、きらきらした目でオカルト談義に花を咲かすかのどっちかなのに」


「知り合いに前世が白蟻(しろあり)だった奴がいるもんで」


「……今度紹介してもらいたいわね」


あなたに紹介してもらった奴なんですけどね。




「蛸の子育てって聞いたことある?蛸の出産ってね、一生に一回しかないの。生涯に一度だけ、(つがい)となるオスに巡り合い、結ばれ、一回かぎりの交接を行うの。いやらしいことじゃないのよ。その瞬間を慈しむように、ゆっくりゆっくりと数時間かけて行うの。人生の宝物よ、この時間は。そして交接を終えたオスは力尽き、その生涯を閉じるの。残されたのは誕生を待ちわびる新たな命と、それを託されたメスだけ」


木戸先生は遠い目をしている。あの日の結城にそっくりだ。


「その日から子育てが始まるの。岩の隙間に卵を産み付けて、大事に育てるの。私は餌を一切取らず、その場を一瞬たりとも離れず、外敵から守り、卵を抱き続けるの。ときどき撫でて汚れを拭いてあげて、水を吹きかけて綺麗な水に入れ替えてあげるの。そんな日が一か月も続くの」


木戸先生は輝く黄金の日々を語る。


「そしてね、最高の瞬間(とき)を迎えるの」


彼女の顔は陶酔の域に達していた。


「卵から赤ちゃんたちが出てくるの。一生懸命に卵を破って出てこようとするの。私は最後の力を振り絞って卵にやさしく水を吹きかけ、あの子たちが卵から出てくるのを助けるの。『がんばれー、がんばれー』って声を掛けながら。そしてあの子たちは産まれてくるの。何千何万と産まれてくるの。それは綺麗よ、愛しいわよ、最高に輝く瞬間だったわ。私はその光景を見ながら、幸せに包まれながら命果てていくの。……そんな人生を、もう一度送りたいのよ!」




輝く瞳で木戸先生は言った。……こんなこと、結城には絶対言えないな……。


結城さんと木戸先生の前世のラストの状況、最期の想いを対比してみて下さい。


執筆をなるべく間隔を空けずに投稿したいと思います。応援にブックマーク、いいね、星評価をぜひお願いします。

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