届け、この想い
二人の少女が立ち尽くしている。お互いを見据え視線は釘付けなのに言葉を出せないでいる。
「……進藤さん、落ち着ける場所で話そうか。菅生さんと」
観月さんが救いの手を差し伸べる。
進藤はこくりと小さく頷く。
「あそこの四阿に行きましょう。菅生さん、二人きりで、いい?」
観月さんの問いに菅生は俺の腕をぎゅっと抱きしめ消え入りそうな声で言う。
「加賀見、ついてきて。……お願い」
俺は菅生の頭を抱き寄せ、胸元の菅生に幼子を慈しむように言った。
「安心しろ、ずっとそばにいてやる」
菅生は泣きそうな顔を俺の胸にうずめた。
四阿で、机を挟んで進藤と菅生は正面に座り、俺は菅生の横に密着するように座った。
意を決して言葉を発したのは進藤だった。
「ごめんなさい、麻衣ちゃん。ずっと謝りたかったの。許してくれなくてもいい。……ただ謝らせて」
最悪の事態を予想し、臨戦態勢をとっていた俺の警戒レベルが緩む。
「麻衣ちゃんを裏切り何も言わずに逃げた私を、許してなんて言えない。ただ謝らせてください」
菅生の表情は凍っている。無理もない。これまで8年間積もらせた思いが氷解しているのだ。気持ちの整理がつくはずがない。
「麻衣ちゃんの向日葵を引き抜いて捨てて、ごめんなさい。本当に私は馬鹿で醜い心の子供でした」
進藤が罪を認めた。これは菅生にどう響くのか。菅生は進藤を信じていた。いや、進藤に見捨てられるのを恐れていたのだ。菅生に産まれる気持ちは絶望か、それとも他の何かか。
「あいちゃん……なんで……」
菅生は泣きそうなのを必死で堪え、問う。
「……私、麻衣ちゃんのこと大好きだった、誇らしかった。でもそれと同じくらい、妬ましかった。麻衣ちゃんの輝く姿を見て嬉しいのに、横にいる自分を見ると惨めに思えた。けどそんな気持ちはいけない事だと、ずっと蓋をしてきたの。
でもある日、その蓋がはずれてしまった。クラスで一人一人育てている向日葵に水をやりに行った時の事よ。私の育てている向日葵はなかなか大きくならず、ちょこんと立っていた。でも小さくとも少しづつ成長する向日葵が、私は愛しかった。……けれどその日、隣で咲く麻衣ちゃんの向日葵に、私の心は囚われてしまった。クラスの中でも一番大きく、美しく咲く向日葵。綺麗と思った。そして妬ましく思った。隣に咲く私の小さな向日葵を見て。何で麻衣ちゃんばっかりこうなの、向日葵にいたるまで、私はそう思った。
気がついたら麻衣ちゃんの向日葵を引き抜いていた。私は恐ろしく、情けなく、恥ずかしくなってその場から逃げ出した。自分の罪から逃げるように」
辛そうに、自分の醜い顔を鏡で見るように進藤は言う。
「けれど悪いことはできないものね。その場をしっかり見られていた」
ふっと進藤は息をもらす。
「学級裁判に連れて行かれた私は、何も言えなかった。否定も弁明も。それをすると、ますます自分が腐っていくような気がしたから。私は開き直っていた。どうせ私はこんな人間だと。みんなの非難の言葉は何ともなかった。けど一つ堪えた言葉があった。『あいちゃんがそんな事するはずない。何かの間違いよ』って
麻衣ちゃんの言葉。うれしいけれど残酷な言葉だった。私の罪を一番よく知っているのは私なんだから」
進藤は菅生を真っすぐ見つめて言った。
「私、自分が嫌になった。死んでしまいたいと思った。生まれ変わりたいと思った。私はお母さんにお願いした。新しい土地で、新しい自分になってやり直したいって。お母さんは黙って頷いて……そして私は転校したの。誰にも言わずに」
菅生の顔に血が戻ってきた様に見えた。もう怨霊の顔ではない。
「転向先で、私は変わろうとした。ボランティア活動にも参加した。私の罪が少しでも消える気がしたから。今の手話サークルに出会ったのはそんな時。その時私、自分はけっこういい人間になったのではないかって自惚れていた。その鼻っ柱を折ってくれたのが観月さん」
進藤は離れた場所にいる観月さんに視線を投げる。観月さんは不安そうにこちらを見つめている。
「観月さんに言われたの『あなたは手話サークルに何を求めて来たのですか。手話を会得しスキルを得る事ですか。それとも聾唖者に寄り添い、手助けすることですか。その求める内容で、貴方に対する接し方が変わります。もちろん手話を会得するだけでも聾唖者の生きる世界が広がるので私たちは歓迎です。ですが後者の道を選ぶのなら、私たちの仲間として接しますし私たちが求めるものも違ってきます』って。私、恥かしくなったわ、自分の浅い考えに覚悟に」
進藤の瞳は少し輝きを取り戻していた。
「それから手話サークルの活動に力を入れたわ。まだ20歳じゃないから手話通訳士の資格は取れないけど、合格はできるだろうとは言われている。今回の朗読会にもう一人手話ができる人をって調整していたんだけれど、あくまで観月さんの助手という形ならいいだろうって事で私に話がきたの。資料を見てびっくりしたわ。麻衣ちゃんの名前があるんだもん。……最初は断ろうとしたのよ。どの面下げて麻衣ちゃんに会えるのかって。けど観月さんから麻衣ちゃんの様子を聞いて、そのあまりの変貌が気になって、会いたいって気持ちが抑えられなくなったの。……けど、よかった。昔のきれいな麻衣ちゃんだ」
進藤は初めて笑顔を見せた。懐かしく切ない表情で。
「正直、今の自分では麻衣ちゃんに会うのはまだ辛い。けど今日のお話のインゲルみたいに、私もこれからもずっとずっと善行を積む。そしていつかそれが私の罪を償えたと思える日が来たら、もう一度会ってくれるかな。いっぱい話したいの、いっぱいお礼を言いたいの、神さまに祈りを捧げた少女みたいな麻衣ちゃんに」
菅生は、もうなんて言ったらいいのかわからない、くちゃくちゃな顔をしていた。
出来ればインゲルの話が載っている、第4話「レッツ・レッスン ヒア・ウィ・ゴー」をもう一度ご覧ください。
次回、第一章フィナーレです。もう少しお付き合いください。
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