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「ふざけんな。……ふざけんなよ、よくもそんなことを言えるな。なんで菅生が責められなくちゃいけないんだ。菅生が何をしたっていうんだ。ただ友達を庇おうとしただけじゃないか。その結果が上手くいかなかったとしてそんなに責められることかよ。溺れてる人間がいたら飛び込むのは本能だろ。それが力及ばず助けられなかったとして非難される謂れはねえ。てめえはその時なにをしてたんだ。ただ見てただけだろうが。そんな奴が菅生を責めるんじゃねえ!」
加賀見の叫びが響きわたる。
自分の立場の優位を疑わなかった佐倉は、それを覆す反撃に虚をつかれた。自責の念に苛まれていた菅生は、思ってもいなかった自分への擁護に驚愕した。
「なによ、開き直るつもり。どんなに言葉を飾っても、菅生が進藤さんを追い詰めた事実は変わらない」
自分は間違っていない。揺るぎない信念に支えられて佐倉は断言する。
「貴様は、いや、てめえ達はどんな場所に立っていると勘違いしてるんだ。裁判官の席にでもいるつもりか。多数派の特権で、自分たちが善悪を決めれるとでも思っているのか。驕るんじゃねえ。てめえたちも進藤とやらを救わなければいけなかったんだ。それをせずに、かさにかかって追い詰めて、挙句の果てに菅生に惑わされただって。笑わせるんじゃねえ、みんなてめえ達がしでかした事だろうが。なに吞気に観客席にいるつもりで野次を飛ばしてるんだ。てめえたちもピッチに立ってプレイする立場なんだぞ。それをぼうっと突ったってディフェンスもせず、孤軍奮闘でボールを取り返しにいく菅生に、敵に抜かれたからって罵声を浴びせる。本当の外野にいる俺から見れば、てめえたちこそ非難されるべき存在だ」
佐倉は怯む。まさか弾劾されるとは思ってもみなかった。だがここで折れる訳にはいかない。
「私たちに悪意はなかった。ただ公正に起こったことに対処しようとしただけ。その判断を狂わせたのが菅生」
「はん、笑わせるな。ちょっと可愛いからといって惑わせられる判断能力なんて、どんだけ脆弱なんだよ。そんなメンタルで、断罪なんてする資格はねえ」
「仕方ないでしょ。子供だったんだから。完璧を求める方がおかしいわよ」
「それを言ったら菅生も同じだろ。幼い子供が友達を助けられなかったと責める方がおかしい。
結局、てめえたちは受け入れ難い結果を目の前にして、その責任を菅生に押し付けただけだ」
燃え立つ焔を纏った氷刃のような言葉が冷徹に刺していく。
佐倉には現れた時の鋭さはすでに無く、いっそ哀れなくらいだった。自分が信じていた正義が、憎んでいた悪が、オセロのように裏返っていく。
「……それでも、それでも、私は菅生を許さない。許しちゃいけないの。あの子のために」
佐倉の顔はぐちょぐちょだ。雨か涙かは分からない。ただ目尻は歪み、赤く腫れ上がっていた。目には狂暴な信念と底知れぬ悲しみが宿っている。その顔をきっと上げ、一言だけ叫び、走り去って行く。
「許さないから」
叩きつけるような雨の中、菅生の身体は震えている。
「とりあえず、あそこで休もう」
俺は菅生を公園の東屋に連れていった。ベンチに座らせ、タオルで濡れた髪や服を拭く。身体の震えは止まらない。どうすればいいのだろう。俺は何も考えられず、ただぎゅっと菅生を抱きしめた。
不器用な、粗野なあたたかさだけが伝わっていく。
「お前の事情は、俺にはよく分らん。ただこれだけは知っておいてくれ。俺はお前を信じる」
その言葉に、菅生はこれまで必死に溜めていたものをはき出すように大声をあげて泣きだした。
「わたし、わたしね、これまでずっと思ってきたの。わたしは傲慢で、自惚れで、感謝の心を持たない人間だって」
ひとしきり泣いた後、菅生はしゃくりあげながら語り始めた。
「8年前起きたことは概ね佐倉さんの言った通り。わたし、嫌な子供だったの。自分でいうのもなんだけど、顔立ちは整っていて『可愛い、可愛い』と言われていたわ。それでいい気になって、わたしに尽くすのは当たり前でしょうって思うようになっていた。お父さんお母さんがわたしを大事にするのと同じように、友達がわたしを大事にするのは当然だと。わたしの誘いや頼み事を、他の用事や何かの理由で断られたら、烈火の如く怒ったわ。何でわたしの言うことをきけないのかと。そうすると『仕方がないな』って苦笑いしながら大抵のことは聞いてくれた。それが当たり前と思っていた。嫌な子でしょう」
自嘲が哀しいように噴き出してくる。『甘える』のは本人の責任だが、『甘やかす』のは周囲の問題だろう。自らを責める菅生が痛々しい。
「けれどそんな中、『麻衣ちゃん、それは間違っているよ』って言ってくれる子がいたの。それが進藤 愛さん。わたしが大好きだった子」
懐かしいような、切ないような顔で菅生は話す。
「彼女は『間違っている』という時は決して感情的にならず、何故間違っているのか、こんこんとわたしに説明してくれた。諦めずに丁寧に。
面倒くさかったと思うわよ。わたしのいう事を適当に聞いておいたり、拒否しておけば、どんなに楽だったか。でも彼女はそうはしなかった。わたしは彼女に言い聞かされていると、自分が正しい道に引き戻されていくようで、一緒にいるのが心地よかった」
菅生の瞳は在りし日を眺めているように、遠くを見つめていた。
「でもそんな日が終わりを告げたの。8年前の夏の日、登校すると教室にただならぬ気配が漂っていた。わたしが入ってきたのに気がつくと、皆がやってきて、花壇に連れていかれた。そこには引き抜かれ、打ち捨てられた、わたしが育てていた向日葵があった。わたしが『何でこんな事に』との問いに答える声は信じられないものだったわ。『進藤さんがやった』という言葉に、わたしは意味がわからなかった」
つらさを嚙みしめるように口を強く結んだ。
「だって信じられない、信じたくない。他の誰かがやったのならば、わたしの心は傷つくけれど、まだ認められる。けど、愛ちゃんがやったなんて認められない。もし認めてしまうと、わたしは愛ちゃんに見捨てられたことになる。わたしそのものが否定されてしまう。違うと言って、わたしは愛ちゃんの姿を探した。そこに両腕を二人に掴まれ、引きずられるように愛ちゃんがやってきた。
『愛ちゃんに乱暴しないで。愛ちゃん、みんな何か勘違いしているみたいなの。あなたがわたしの向日葵を引き抜いたって。愛ちゃんからも言ってやって。何かの間違いだって』わたしは縋るように彼女に言った。……けれど返答は沈黙だった」
菅生の心の中では、その光景が再現されているのだろう。手がぶるぶると震えている。
「わたしと愛ちゃんのやり取りを見ていたクラスメートが辛そうな声で話しかけてきたの。『菅生さん、残念だけどこれは事実なんだ。進藤さんが引き抜いている所を見たって人もいるんだ』と。わたしはその言葉を認められず、ただ『嘘、嘘よ。愛ちゃんがそんなことをするはずがないわ』と感情的に喚きたてるだけだった。今思えば、これがわたしの間違いだったの」
重苦しい、嘔吐のような気持ちがこみ上げてくる。
「彼女の無罪を感情的に叫ぶわたし。沈黙を守り一言も発しない愛ちゃん。そんな二人を見てクラスメートは苛立ち始めた。『おい、菅生さんもこう言っているんだ。進藤も何とか言ったらどうだ』恫喝のような強い口調で愛ちゃんに詰め寄る。それでも彼女は沈黙を守る。『いい加減にしろ』クラスメートの怒りは増幅していく。いけない、彼女を守らなければ。『やめて、愛ちゃんを責めないで』わたしは懇願したわ。
けど結果は思っていない方向に進んでしまった。わたしは頼みごとをすれば、みんな聞いてくれると思っていた。けれどこの時は違っていた。わたしに向ける優しい顔はいつも通りだった。だけどその何倍も恐ろしい顔で罪を責め立てていく。わたしの言う事を聞いてくれない。それどころか、わたしが言えば言うほど過激になって責め立てる。怖い、一体これは何。わたしはクラスメートから向けられる好意というものが恐ろしくなった」
歯をガチガチといわせながら必死で言葉を紡ぐ。
「結局彼女は最後まで一言も弁解しなかったわ。そして次の日から学校に来なくなり、そのまま転校してしまった。次の転換点は彼女の転校が伝えられた日よ。皆がざわつき始めたの。なんで転校したんだ、自分たちが責めたせいか。罪と罰は釣り合っているのか。誰かを傷つけた訳ではない、向日葵を引き抜いただけだ。自分たちのやった事は正当だったのか。誰もが答えを求めたわ。それも自分たちに都合のいい答えを。それが『菅生に誑かされた』という答えよ。勝手なものよね」
菅生は吐き捨てるように言い放った。
「それからわたしはクラスで孤立するようになった。いじめとかじゃないけど、誰も近づかなくなった。授業中、最低限の会話はするけど、休み時間は誰も話してくれない。会話に入ろうとしても、さあっと散っていく。そして呟きが聞こえるの『菅生に近づくと正気を失わされる』って、なんなんだろうね」
乾いた笑みを菅生は浮かべる。
「人がどう思おうと、もうどうでもいいやってなっていったわ。けど、どうしても拭えない、恐ろしいものが出来た。それが『好き』って気持ち。自分勝手で、思いやりがなくて、それを守るならとことん無慈悲になる恐ろしい化物。もう関り合いになりたくないと思ったわ」
菅生の目から光は消え、暗澹たる世界が蠢いていた。
「あとのことはご存じのとおり。人との交流を拒絶した、陰気な怨霊みたいな女の子の出来上がり。……笑えるでしょう」
独白は終わった。菅生の声が溶けた空は、深い悲しみに染まっている。
「……なんて言葉をかけたらいいのか、よくわからん。気の毒だと思う、理不尽だと思う。けど、そんな慰めをお前は聞きたくもないだろう。だから俺は俺の思ったことを言う。……お前のいう『好き』って気持ち、なんか違うんじゃないか」
菅生は俺の言葉に弾かれたように顔を上げ、俺を見つめた。
「『好き』にも色々な種類があると思う。『好物』としての『好き』と、『尊敬』に基づく『好き』。俺は住んでた島に、好きな人がいた。その人は年も食っていて、お世辞にも美人とは言えなくて、石職人でいつも煤けた手をしていた。でもその手が……俺を泥沼からすくい上げてくれた。そのごつごつした温かい手が、俺は大好きだった。……お前が向けられていた『好き』はどんな形をしてたんだ」
菅生の目に光が灯った。ほんのわずかな消え入りそうな光が。
「失望するのは仕方ない。だが絶望はしないでくれ。お前が知らないだけで、色んな形の物があるんだ。自分で見た物が全てだと思い込まないでくれ」
菅生は眼をうるませ、じっと俺を見る。そして、ははっと笑った。自虐を込めた乾いた笑いではなく、吹き飛ばすような活き活きとした笑いだった。
「そっか、わたしは世間知らずの甘ちゃんか」
にかっと菅生は目尻を下げる。
「ほんとっ、あんたムカつく。人の痛いとこえぐって、真実に近いことを言う」
菅生は俺ににじり寄り、俺の胸に指を突きつける。
「見てなさい、その女よりわたしの方が何倍もいい女だって言わせてみせるからね」
「楽しみにしているよ」
ふふっと二人の笑い声が零れる。
激しい雨の中、二人は世界から切り離されて、清らかな場所にいた。天国に最も近い場所に。
一週間のお休み、申し訳ありませんでした。連載再開です。
この物語は四章構成を予定しています。一章、そろそろクライマックスです。
もう少しお付き合いください。
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