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フリードリヒの戦場【書籍化】  作者: エノキスルメ
第三章 この国が私たちの家
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第93話 時間稼ぎ①

「私はリガルド帝国軍騎士チェスター・カーライル子爵。クリストファー・ラングフォード侯爵閣下とそのご家族の護衛部隊を率いている。エーデルシュタイン王国軍による夫人と令嬢の捜索に加わっている最中、お二人がこの先のケルラ村に保護されているというそちらの伝令の話を聞き、先発隊として村に向かっていたところだ。ホーゼンフェルト閣下が周辺に散っている部隊を集結させた援軍も、こちらに向かっている」

「それは朗報です。援軍との合流まで、あとどれほどかかるか分かりますか?」


 フリードリヒが尋ねると、チェスターは短い思案の後に言う。


「こちらから北進していることを考えても、一時間はかかるだろうか。私たちは夫人と令嬢がご無事だったと聞いて、いてもたってもいられず、ホーゼンフェルト閣下のお許しを得て明朝のうちに先発したからな……」

「……一時間ですか。グレゴール、どう思う?」


 フリードリヒの傍らにいたグレゴールは、問われて後ろを振り返り、敵部隊とこちらの距離を見て眉を顰め、口を開く。


「半時間であれば逃げきれたでしょうが、一時間では敵部隊に追いつかれる方が早いでしょうな」


 自身も後方の敵を振り返ったフリードリヒは、グレゴールの言葉を聞いて嘆息する。

 最初に確認したときよりも、敵部隊は随分と近づいている。そしてこちらの進む速度は、メリンダとクレアを乗せた馬に合わせるしかない以上、先ほどまでと変わらない。

 グレゴールが言うのであれば間違いない。このままでは逃げきれない。戦おうにも、警護対象を連れた三十騎では、自在に立ち回れる百人の猟兵に対してまだ分が悪い。


「……カーライル卿。少し、策を考える時間をください」

「分かった。ホーゼンフェルト閣下のご子息たる卿の噂は私も聞いている。智将と名高き卿の策、期待させてもらおう」


 チェスターの言葉に、フリードリヒは微苦笑を零す。エーデルシュタイン王家によって脚色がなされた自身の噂は、帝国に一体どのような伝わり方をしているのだろうかと思う。

 そして、フリードリヒは馬上で黙り込む。視線は正面を向けたまま、智慧をめぐらせる。

 この先の地勢。森に覆われた緩やかな丘と、その中央を貫くように切り開かれた道。その先に進めば養父マティアスの率いる援軍が待っている。が、合流前に敵部隊に追いつかれる。

 手元にあるもの。各々の剣と鎧。王国軍騎士は頑強な金属鎧の者が過半。自分の背には、例のごとくクロスボウも一挺。矢が十本ほど。それら各自の装備だけでなく、敵との交戦を避けられない場合に備え、村長ヨハンの厚意でケルラ村から拝借したいくつかの道具。

 それらの条件から、警護対象であるメリンダとクレアを逃がして敵を食い止める策を導き出し、そしてフリードリヒは口を開く。道が続く前方、森に覆われた緩やかな丘を指さしながら。


「まずは、あの丘の頂上を越えましょう」


 フリードリヒの言葉に従い、一行は進み続ける。丘に踏み入り、その頂上を越え、追ってくる敵部隊からこちらの姿が一時的に見えなくなったところで、皆に停止するよう伝える。

 森は丘の頂上から北側の全面までは覆っておらず、半ばからは草原が広がっているようだった。道は丘を下った先で、さらにいくつかの小さな丘や森を避けるように曲がりながら続いており、残念ながら未だ援軍の影は見えない。


「それで、フリードリヒ殿。ここからどうする?」

「夫人と令嬢をあなた方の馬に移しましょう。そして、あなた方は先に進んでください。我々は残って敵を食い止めます」


 馬を降りながら、フリードリヒは答えた。王国軍騎士たちを見回すと、誰も表情を変えず、異論を出すこともなく同じように下馬する。


「いや、しかし。それでは卿らの身が……」

「ここはエーデルシュタイン王国の領土。我々が守るべき地です。友邦の賓客を守るのは我々の当然の義務。領土と義務のため、身命を賭して戦うのは王国軍人の誉れです……何も、皆で死ぬまで戦おうというわけではありません。時間稼ぎの策はいくつか考えました。どこまでうまくいくかは未知数ですが、それらを実行した上で後退します」


 語りながら、フリードリヒは横目でユーリカを見る。不敵に笑ってみせる彼女に、フリードリヒも口の端を歪めてみせる。

 彼女も、他の仲間たちも、そして自分も。誰も簡単に死なせるつもりはない。フリードリヒがそう考えていることを、仲間たちも分かっている。だからこそ、誰もが迷うことなくここに残る決断を為した。

 メリンダと令嬢を連れた帝国軍騎士たちが十分に逃げるまで戦い、後はこちらも逃げて援軍のもとまで辿り着けばいい。要はただそれだけの話。


「……分かった。では、こちらは隊を分けよう。数騎に夫人と令嬢を預けて逃がし、我々は卿らと共にここに残ろう。この先は我々が一度通った道で、森を抜ければ見通しもいい。伏撃を受ける心配はない」


 チェスターはそう言って、部下を数人選び、メリンダとクレアを援軍のもとまで送り届ける役割を与える。そして、他の者は下馬を命じられる。帝国軍騎士たちはためらう様子もなく、命令に従って動く。


「……よろしいので? 残って戦うのは危険ですよ?」

「当然、承知している。その上で残る」


 フリードリヒが呆気に取られて言うと、チェスターは事もなげに答えた。


「我々が残ればこちらの戦力は倍増する。稼げる時間も増え、夫人と令嬢が無事に援軍のもとまで逃げ延びる可能性が高まる。であれば、たとえ危険だろうと戦うのが我々の義務だろう……エーデルシュタイン王国軍騎士にのみ危険な戦闘を任せ、逃げるわけにはいかない。我々はリガルド帝国軍人だ」


 チェスターはそう言って微笑を浮かべた。フリードリヒも微笑を返し、それ以上は何も言わなかった。

 この上で逃げることを勧めては、彼らの誇りを傷つけることになる。それに、押し問答をしている時間の余裕もない。


「急いで発て。確実に夫人と令嬢を逃がせ」

「はっ。我らが命に代えても」


 チェスターの言葉に、メリンダとクレアを避難させるよう命じられた騎士の一人が答える。警護対象の二人が帝国騎士たちの馬に移され、彼らが発とうとしたとき。


「みんなはいっしょに来ないの? チェスターは? フリードリヒとユーリカは?」


 不安そうな顔でクレアが言い、フリードリヒとチェスターは思わず顔を見合わせ、そしてクレアの方を向く。


「……我々は後からすぐに参ります」

「カーライル卿の仰る通りです。なのでどうかご安心を、クレア様」


 チェスターと共に答えるフリードリヒの傍らでは、ユーリカが優しげな笑みを浮かべてクレアに手を振った。


「わかった、またあとでね。みんながんばって、気をつけてきてね」


 可愛らしい激励に騎士たちの小さな笑いが起こり、張りつめていた場の空気が一時だけ和らぐ。


「……ごめんなさい」


 一方で、メリンダは去り際にそう言い残した。罪悪感に満ちた声だった。

 二人が逃げていくのをゆっくりと見送る暇もなく、フリードリヒたちは敵が今も迫ってきているであろう後方に向き直る。


「子供に嘘をつく大人にはなりたくないものですね」

「ああ、まったくだ……それで、卿の策とは?」


 チェスターに問われ、フリードリヒはこの場にいる騎士、総勢二十六人に向けて策の具体的な概要を語る。


・・・・・・


「足を止めるな! あと少しで獲物に追いつくぞ!」

「「「応!」」」


 イーヴァルが鼓舞すると、配下の猟兵たちが応える。声は威勢がいいが、皆の顔には疲労の色が浮かんでいる。

 大陸北部を生き抜いてきたイーヴァルたちの持久力は、穏やかな気候と地勢で育った大陸西部人と比べれば驚異的。アレリア王国軍の精鋭たちからも化け物呼ばわりされたほど。

 とはいえ、一昨日の夜にエーデルシュタイン王国の領土に侵入し、あまり休息もとらずに移動し続けている。この数時間に至っては、速度が限られるとはいえ騎乗した相手との追走劇をくり広げている。いかに精強な猟兵と言えど生身の人間。疲れないわけがない。

 それでも、イーヴァルたちは諦めていない。疲れたとはいえ限界にはまだほど遠い。この調子ならあと一時間とかからず獲物に追いつける。

 敵の護衛は多少増えたが、それでもせいぜい三十騎。追いつきさえすれば数に任せて殲滅し、あるいは散開して容易に突破できる。

 そうすれば獲物に手が届く。できることならば生け捕りにして連れ去りたかったが、もはやそれほどの余裕はないので殺す。そして自分たちの能力を雇い主であるアレリア王に示す。

 森に覆われた緩やかな丘、その中央を貫く道を、イーヴァルたちは軽快に駆け上がる。百人で通るには狭すぎる道、その両脇の森まで広がりながら進む。


「族長、獲物の様子が変です」


 丘の頂上に近づいたところで、先頭を走らせている側近のアハトが言った。


「団長と呼べと言っているだろう。一体何があった……他の護衛はどこに消えた?」


 自身も丘の頂上を越え、下り坂の先の獲物を見て、イーヴァルは怪訝な表情になる。

 丘を下る道の先、見えている敵騎士の数が明らかに少ない。先ほどまで三十騎ほどいたはずが、今は五騎もいるか怪しい。何故減った。

 イーヴァルは前進の足は止めず、疲れた頭で考える。すぐにひとつの可能性に辿り着き、そして血相を変える。


「左右の森の中に――」

「敵だ! 側面から襲ってきた!」


 警告は間に合わず、兵士の叫び声が響いた。

 隊列の両側面からいくつもの怒号が聞こえ、イーヴァルたちはさすがに前進の足を止める。見回すと、兵士たちが広がっていた道の左右の森、そのさらに奥側に潜んでいた敵の騎士たちが、伏撃を仕掛けてきていた。

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[一言] 捨てがまりかと思いきや釣り野伏だったでござる チェストばすっど
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