第7話 戦闘準備①
盗賊の襲来は明日の朝か、早ければ今夜。あまり時間もない中で、できる準備は限られる。
残っているボルガの成人男子たちは、盗賊討伐どころか害獣狩りもろくに経験したことのない者ばかりなので、複雑な動きのある作戦など実行しようがない。
そんな状況なので、フリードリヒの考えた策は単純だった。
城壁の低い都市での籠城戦も、都市の外での会戦も、おそらく勝ち目がない。なので敵を都市内に誘引し、待ち構えて包囲して殲滅する。今まで読んだ戦記ものの歴史書や物語本を参考に、そのような策を立てた。
戦力は貧弱で、武器になるものも限られている。訓練の時間など皆無。唯一有利な点があるとすれば、盗賊たちの意表を突けるというただその一点だけ。まさかただの都市住民が、このようなかたちで抵抗する気でいるなど、盗賊たちは想像もしていないだろう。
フリードリヒはまず、住民たちを二つの集団に分けた。片方が戦闘準備を行う間、もう片方が食事や睡眠をとるようにした。
そして、それぞれの集団をさらに複数に分け、簡単な指示を与えた。
皆が素直に従ってくれた結果、今まさに、夜を徹して戦闘準備が行われている。
「フリードリヒさん、路地の塞ぎ方はこれでいいですかい?」
様付けは落ち着かないというフリードリヒの意見と、貴族の息子を呼び捨てにするわけにはいかないという皆の主張の折衷案である呼び方をされ、フリードリヒはそちらへ向かう。
「問題ないよ。この調子で他の路地も頼んだよ」
「任せてくだせえ。すぐにやります!」
フリードリヒを呼んだ初老の男は、元気に頷いて走っていった。
「この武器はどこに置きますか? フリードリヒさん」
次にフリードリヒを呼んだのは、男たちの武器作りを手伝っている中年女性だった。
「今のうちに、ここより向こうの通りに面した建物の二階や屋根に運んでおこう。とりあえず、各所に四本ずつ」
「分かりました。皆にもそう伝えますね」
中年女性は朗らかに笑い、武器作りが進む広場の一角に戻っていった。
「……あの」
また誰かに呼ばれ、フリードリヒが振り向くと――そこにいたのはブルーノと子分二人だった。
「ふ、フリードリヒさん。いや、フリードリヒ様。なんつうか、その、今まで悪かった、じゃねえや、すいませんでした、っていうか……」
謝りたいのか媚びたいのかよく分からない、情けない笑顔でへこへこと頭を下げるブルーノに、フリードリヒは無表情で口を開く。
「今は時間がない。ひとまず、この戦いを終えた後で話そう」
「は、はい……」
冷たい返答に、ブルーノは暗い顔で俯く。
子供の頃からさんざん乱暴に振舞ってきたブルーノが、こんな弱々しい姿を自分に見せている。そう思うと少し可笑しくなり、フリードリヒは笑みを零す。
「君は大柄だし力もある。活躍に期待しているよ。見込みがあるようなら父に紹介して、騎士になれるよう取り計らってもいい」
「……は、はい! 頑張ります!」
少し優しい反応が返ってきたからか、ブルーノは目に見えて明るい表情になる。
私生児の口添え程度で騎士になれるわけがないだろう。そもそも、討伐隊に志願する度胸もない者に騎士が務まるはずないだろう。馬鹿じゃないのか。
そんなフリードリヒの内心の呟きを知る由もなく、ブルーノは離れていった。
「……皆、フリードリヒが貴族の息子って信じきってるね。よかったね」
耳に唇が触れそうな距離で、ユーリカが囁いてきた。
フリードリヒは彼女を振り返り、困ったように笑う。
「広場の壇上に立ったときは、ここまでの大事にするつもりはなかったんだけどね」
「でも、この調子なら盗賊にも勝てそうじゃない? 皆もの凄く気合が入ってるよぉ?」
ユーリカは楽しそうな声で、戦闘準備を進める皆を見回した。
彼女の言う通り、ボルガの住民たちの士気は高い。皆、この戦いに勝てると、少なくとも十分以上に勝ち目があると思っている。
それもこれも、彼らがフリードリヒの言葉を信じているからだ。
「……」
今、全て嘘だとばれたらどうなるだろうか。想像したフリードリヒの背筋が冷える。
当然ながら、フリードリヒが賢いのは別に貴族の子だからというわけではない。ユーリカが尋常でなく強いことと同じで、単なる個人の才覚だ。偶々、頭を使うことが自分に向いていただけのことだ。
領都に時々赴いていたのも、ただ単に都会気分を味わうためだ。
ボルガを離れて信用も仕事の伝手もない地に移住する勇気はないが、さりとて田舎の小都市に籠って退屈な仕事をしながら老いていく運命は受け入れがたかった。なので、少なくともボルガよりは都会の領都で過ごし、自分はこの都会の楽しさを知っているのだ、自分を軽んじてくるボルガの住民たちとは違うのだと思うことで溜飲を下げていた。
我ながら、ひどく陰湿で嫌味な趣味だったと思う。
英雄マティアス・ホーゼンフェルト。会ったこともない。顔も知らない。有名どころの貴族の中でも、最も強そうで説得力がありそうだからと咄嗟に名前を出しただけだ。自分の本当の親など見当もつかない。街道に放置されていたところ、それを発見した行商人たちの善意でこのボルガの教会まで運ばれたとしか聞いていない。
自分はそんな人間だ。少しばかり知恵が回るだけの、無駄に自尊心が高い、人格のひねくれた矮小な人間だ。今日はそこに大噓つきという肩書も加わった。本当は、この都市で日々自分の仕事をこなし、勤勉に生きる人々を馬鹿にできるような立場ではないと分かっている。
戦いが終わった後も生きていたら、自分が語ったことは全て嘘だったと白状するわけだが、そしたら皆はどんな顔をするだろうか。怒るだろうか。呆れるだろうか。
今は考えないようにしよう。フリードリヒはひとまず、先のことから目を逸らした。