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フリードリヒの戦場【書籍化】  作者: エノキスルメ
第三章 この国が私たちの家

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第81話 国境視察②

 秋も深まった頃。帝国大使クリストファー・ラングフォード侯爵による国境地帯の視察は、いよいよ最終段階に入っていた。

 ヒルデガルト連隊騎兵大隊長ディートヘルム・ブライトクロイツによる案内を受けて、クリストファーはベイラル平原に接する西部王家直轄領を訪問。その中心都市を見て回った後、最後の目的地であるアルンスベルク要塞に到着した。

 到着して早々、クリストファーは要塞中央の広場に設営された演台に立ち、ヒルデガルト連隊の騎士と兵士、そして招集された徴集兵に向けて演説を行う。

 彼の傍らには侯爵夫人とまだ幼い令嬢も並び、帝国の大使がエーデルシュタイン王国との連帯を示すために、家族をも連れて前線にやってきた事実を主張している。


「――かつてロワール王国を撃退したエーデルシュタイン王国の騎士と兵士、その強さは今でも何ら変わっていないと、私はあなた方の頼もしい姿を見て確信しました! あなた方は隣国の侵攻から国家と民を守り抜いた偉大な勇者であり、その意思を継ぐ者です。あなた方が武器を取り、戦列を組み、立ちはだかれば、たとえユディトの悪魔でさえも尻尾を巻いて逃げ去ることでしょう!」


 クリストファーが威勢よく言うと、広場に笑いが起こった。

 ユディトの悪魔。それは、エーデルシュタイン王国とアレリア王国の国境を成すユディト山脈に棲み、時おり山から下りてきて人を攫い、喰らうと言われている悪しき存在。

 山脈周辺では広く知られる迷信のひとつだが、地域によって言い伝えの内容には微妙な差異があり、人間の生き血を啜るとも、炎のように赤い大きな目が夜闇の中で光るとも、牙を剥いて口から火を吹くとも、尻尾の先に火の玉が宿っているとも語られる。

 エーデルシュタイン王国西部では子供を躾ける際に「悪いことばかりしているとユディトの赤い悪魔に連れ去られる」と脅かすのが定番で、地元民である徴集兵たちも、王国西部出身者を中心に構成されるヒルデガルト連隊の軍人たちも、幼い頃にはそう語り聞かされた。今では語り聞かせる側になっている者も多い。

 地元の人間でなければそうそう知らない迷信が語られたことで、騎士と兵士たちは演台上の帝国大使に親近感を抱く。彼が筋金入りの親エーデルシュタイン派で、この国の歴史や文化に理解があるという話に説得力を覚える。


「帝国はエーデルシュタイン王国を、頼もしき友邦と思っています。あなた方のような勇者がいる限り、その事実は変わりません。私たち帝国人とあなた方エーデルシュタイン人は永遠の友人なのです! アレリア王国は我々にとって共通の敵です。あなた方の故郷が、家や財産が、家族が、その存続を脅かされた時! 私たちはきっと救援に参ります! どうか忘れないでください。エーデルシュタイン王国の素晴らしさを。あなた方の故郷の美しさを。あなた方の築いてきた偉大な歴史や文化、日々の生活の尊さを。そして、私たちがあなた方の友であることを!」


 知識人階級である騎士と、学のない者も多い兵士。自身の名前さえ書けない者もいる徴集兵。彼らそれぞれに響く言葉をクリストファーは織り交ぜ、まるで物語を読み上げるように語ったかと思えば、彼らの自尊心をくすぐる称賛を並べる。抑揚をつけ、理屈よりも感情に訴える。

 その堂々たる演説は、聞く者の心を確かに掴んでいた。それなりに長く話し続けているにも関わらず、皆が注目していた。退屈で難しい話を嫌う平民層までがじっと聞き入っていることが、クリストファーが演説において高い技巧を誇る証左だった。


「エーデルシュタイン王国に栄光を! 私たちとあなた方に、変わらぬ友情を!」


 クリストファーが高らかに言って演説を締めると、自然と拍手が沸き起こった。

 演台から降りてきた彼に、連隊長ヨーゼフ・オブシディアン侯爵が歩み寄る。


「いやはや、お見事でしたな。さすがはリガルド帝国を代表する大使であらせられる」

「恐縮です。私は軍事や政治の実務的な才覚に乏しい身ですので、せめて言葉と振る舞いをもって両国の友好に寄与する程度の働きは示さなければと思っております。貴国の国境防衛の士気を高めるため、少しでもお役に立てたのであれば僥倖です」


 クリストファーは先ほどまでの堂々たる立ち振る舞いとは打って変わって、謙虚な態度で微笑しながら答える。


「これまでの長い視察を終えて、さぞお疲れのことでしょう。ひとまずこの後は、ゆっくりと休息をとられるとよろしい。ここは軍事施設なので大したもてなしも叶いませんが、何か要望があれば遠慮なく仰ってくだされ」

「お気遣いに感謝します。私はさほどでもありませんが、妻と娘には疲れも見られますので、お言葉に甘えて休ませていただきましょう」


 そう言い残し、家族を連れて客室へと去っていくクリストファーを、ヨーゼフは見送る。その傍らではディートヘルムが、今は模範的な騎士らしい直立不動の姿勢を保っていた。

 ヨーゼフは集合していた騎士や兵士たちを解散させ、執務室に戻る。これまでの道程について報告させるため、ディートヘルムを伴って。


「けっ。相変わらず口だけは達者な帝国人風情が」


 執務室の扉を閉めてすぐに、ディートヘルムは吐き捨てるように言った。


「なんだ。道中、大使殿の振る舞いに何か気に食わんことでもあったか?」

「いや? 最初の挨拶のときから今まで、大使殿は完璧なくらい礼儀正しくて、その上畏れ多いほど友好的だったぜ? ……だからむかつくんだよ。あの余裕ぶった立ち振る舞いも、エーデルシュタイン王国に理解がありますと言わんばかりの話し方も、癪に触って仕方がねえ。自分たちが上だと思ってるからこその態度だろう!」


 怒気をはらんで吠えるディートヘルムは、既に騎士としての態度は崩れ去り、ただの喧嘩っ早いガキ大将上がりの男でしかなかった。


「儂も帝国が好きとは口が裂けても言わんが、お前は相変わらず、若いくせに年寄りのような嫌い方をしておるな」

「原因はあんたも知ってるだろう。というか、元はと言えばあんたのせいだぞ。あんな奴らの中に放り込まれて何か月も過ごして、帝国嫌いにならない王国騎士なんていねえよ」


 子供のように不貞腐れるディートヘルムに、ヨーゼフは苦笑を零す。

 今から十年近くも前、まだ一士官だったディートヘルムは、リガルド帝国の最新の政治体制や軍制を学ぶ視察団の一員として帝国に赴いたことがある。家柄が確かで、王国軍の将来を担う若き逸材と目されていたのが、選ばれた理由だった。推薦したのはヨーゼフだった。

 数か月の滞在期間中、ディートヘルムは帝国軍の各部隊を見て回り、時には訓練や軍務に参加した。王国軍よりも遥かに巨大な組織の内部を知ることは大いに学びとなったが、それはそれとして帝国軍人たちは気に食わなかった。

 友邦の次期伯爵ともなれば、さすがに露骨に軽んじられることはなかった。しかし、一見丁寧な帝国軍人たちの表情や言葉の裏に、隠し切れない優越感をディートヘルムは見て取った。

 エーデルシュタイン王国など所詮は小国。大陸西部の田舎国家。覇権の栄光を遥か過去のものとするルーテシア人たち。古びたアリューシオン教を信仰する民。

 対する自分たちは超大国の一員。大陸の中心を堂々と占め、大陸一の大都会とされる帝都を有している、今まさに覇権を謳歌する誇り高きデノール人。アリューシオン教から発展したサトラ教を国教とし、その優れた教えは大陸北部や東部にも広まりつつある。

 そんな本音が見え隠れする者たちと過ごしたディートヘルムは、大の帝国嫌いになった。


「それを分かってるくせに、よりにもよって帝国大使の案内役に任命するなんてよぉ……あいつの前で顔をしかめるの何回こらえたと思ってんだ」

「相手が侯爵ともなれば案内役にもそれなりの格が必要だから我慢しろと、任命したときにも言い聞かせただろうが。もう終わったことだ。ガキみたいにめそめそ文句を言うな」


 ヨーゼフはディートヘルムの愚痴を切り上げさせ、執務室の一角、応接席の方に座るように命じる。秘蔵の高価な蒸留酒を出し、二つのグラスに注いで一つを彼の前に置く。嫌な仕事をやり遂げた部下へのせめてもの労いとして。


「ほれ、とっとと報告を聞かせろ」


 テーブルを挟んでディートヘルムの向かい側にどかりと腰を下ろしたヨーゼフは、そう言って自身のグラスを傾けた。


「ちっ。仰せのままに、連隊長殿」


 ディートヘルムも景気づけにグラスをあおり、さして特筆すべき出来事もなかった視察の道中について語る。


・・・・・・


 事態が動いたのは、翌日のことだった。

 ロベール・モンテスキュー侯爵率いるアレリア王国の軍勢が、東部首都トルーズを出発したという報告が間諜より届けられた。その兵力は、王国軍と徴集兵に貴族領軍も加わり、二千強。


「今日、報告が届いたということは、実際に敵がトルーズを発ったのは二、三日前。おそらく数日中にもアルンスベルク要塞に迫り、さらにその翌日には攻撃態勢を整えるものと考えられます。その様を見せて威嚇してくるだけであれば良いが、敵が実際に攻勢を仕掛けてくれば、すなわちここは戦場となりましょう。大使殿におかれては、ご家族を連れて速やかに後方へと避難していただきたい」


 既に敵を迎え撃つ準備が始まった要塞内。あわただしさに異変を感じて客室を出てきたクリストファーに、ヨーゼフは状況を説明し、そう提言する。

 本来であれば今日は休息をとってもらい、明日以降は要塞内や平原の様子、訓練の模様などを数日かけて見てもらう予定だったが、敵が迫っているとなれば悠長に視察を続行することはもはや叶わない。

 当然に了解の返事をもらえるものと思い、ヨーゼフが待っていると――しばらく思案の表情を浮かべていたクリストファーは、ゆっくりと首を横に振った。


「いえ、オブシディアン卿。私もここで、敵の襲来を迎えさせていただきたい」

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