第39話 休暇明け
「――なので、フリードリヒがホーゼンフェルト伯爵家の継嗣であることは、皆にも頭に入れておいてもらいたい。とはいえ、私は軍内において、フリードリヒを息子として特別扱いするつもりはない。この者はあくまで一騎士だ。連隊本部付きで、一度大きな戦功を挙げたが、あくまで新米の士官だ。そのように扱ってやってくれ」
休暇が明けたフェルディナント連隊の訓練初日。マティアスはフリードリヒを伴って皆の前に立ち、そのように宣言した。
連隊の騎士と兵士たちは、それに了解の意を示し、あるいは拍手などを返した。総じて、フリードリヒがマティアスの養子となったことを好意的に捉える反応だった。
マティアスによる訓示が終わり、集まっていた騎士と兵士たちは各々の訓練のために散る。
フリードリヒが壇上から降りると、ユーリカがすぐに隣に寄り添う。
そして、そこへ歩み寄ってきたのは騎兵副大隊長である騎士オリヴァー・ファルケだった。
「おめでとうフリードリヒ。いや、様をつけて呼ぶべきか?」
「言わなくても分かってるくせに。今まで通りに接してよ」
フリードリヒが苦笑しながら返すと、オリヴァーも笑いながら、気安く肩を叩いてくる。
共に死線を潜ったことで、二人は先の戦いの前よりもぐっと距離が縮まり、まさしく戦友と呼べる関係になっている。
「それにしても……」
「予想以上に皆からあっさりと受け入れられた気がするか?」
内心を言い当てられたフリードリヒは、小さく片眉を上げながら頷く。
入隊から間もない頃にもこんなやりとりがあった気がする、などと考える。
「ホーゼンフェルト閣下がお前を連れてきたときから、いずれこうなるんじゃないかと俺は思っていたし、他にも同じように思っていた者は多いぞ。ヤーグもそうだし、ノエラも同意見だった」
オリヴァーは訓練場を歩きながら、隣を歩くフリードリヒに語る。
「おそらくだが、お前自身も予想していたんじゃないか? 俺たちでも察することを、聡明なお前が察していないはずがない」
「……確かに、生意気かもしれないけど、閣下がそういう意図で僕を騎士として育ててるんじゃないかとは思ってたよ。途中から」
マティアスの自分に対する指導は、一従士への単なる士官教育の域を超えていた。昨年、冬を迎えてマティアス当人から指導を受ける機会が増えたときから、フリードリヒはそう感じていた。
その上、王太女クラウディア・エーデルシュタインへの拝謁までさせられたのだ。ただ新しい従士として使うだけの若造に、マティアスがそのようなことをさせるとは思えない。王太女も、ただのホーゼンフェルト伯爵家家臣団の新顔にそこまでの興味を示すとは思えない。
後継者にするつもりで育てられているのだろうと、フリードリヒも当然に察していた。決して自分から口に出すことはしなかったが。
「まあ、それも早くて数年後の話で、これほど早くにそうなるとは俺もさすがに思っていなかったが……お前は別動隊を救い、三倍の敵軍を相手に勝利を成したからな。昨年の盗賊討伐の功績と合わせれば、俺たちに対する才覚の証明としては十分に足りる。俺たちの多くが、おそらくほぼ全員が、お前を本物だと見なしたんだ」
そこで、オリヴァーはフリードリヒを向く。
「これからも引き続き期待しているぞ。騎士フリードリヒ・ホーゼンフェルト」
「……期待を裏切らないよう頑張るよ」
フリードリヒは微笑とも苦笑ともつかない笑顔で答えた。
期待されている。すなわちそれは、失敗すれば英雄の後継ぎとして期待外れと見なされるということ。
皆の期待に応え続け、いずれその期待を信頼に変える。それが自分に求められている役割なのだと、あらためて噛みしめる。
「こういうやりとり、前にもしたよね」
「ああ、したな。お前が入隊したばかりの頃に。話の規模はあのときよりも一段大きいが」
やはり自分一人の既視感ではなかった。
オリヴァーの言葉を受けて、フリードリヒはそう思った。
・・・・・・
「どうだった。私の養子となってから迎えた訓練初日は」
「皆から祝福の言葉をもらいました。閣下の継嗣として、皆より受け取った期待に応えなければと身が引き締まる思いです」
軍本部からの帰路で、フリードリヒはマティアスと並んで歩きながら話す。二人の後ろには、それぞれの従者であるグレゴールとユーリカが続く。
「それは何よりだ。明日以降もその調子で励むといい……ところで、フリードリヒ」
マティアスは歩きながら、フリードリヒの方を向く。
「こうしてフェルディナント連隊に公表したことで、私が養子を迎えた話は一気に広まっていくことだろう。王国の貴族社会も、当然に知るところとなる。そこでだ。お前に貴族社会への顔見せの機会を与える」
「貴族社会への、顔見せ、ですか……」
なんだか嫌な予感がする。そう思いながらフリードリヒは呟く。
「そうだ。ジギスムント国王陛下のご長男で、クラウディア王太女殿下の弟君であらせられるコンラート王子殿下は分かるな?」
「はい。存じています」
国王ジギスムントの第二子、コンラート・エーデルシュタイン王子。年齢は確か、王太女クラウディアの四歳下。その情報を頭に思い浮かべながら、フリードリヒは頷く。
「そのコンラート殿下が、エルンスト・バッハシュタイン公爵閣下のご息女リーゼロッテ様と正式に婚約されることが決まったそうだ。それに伴い、来月に婚約披露宴が開かれる」
バッハシュタイン公爵家は、エーデルシュタイン王国北西の一帯を領有する大貴族家。元は建国の母ヴァルトルーデの次男が興した伝統ある名家で、王家とは血縁関係を保ち続けてきた。
過去、国王夫妻に世継ぎが生まれなかった際に、公爵家から国王の姪にあたる者が養子として迎えられ、王太女となった例もある。ちなみに、その王太女の名はヒルデガルト。王位を継いだ後は当時激しく敵対していたノヴァキア王国との戦争において自ら指揮をとり、勝利を成して自国に有利な講和を結んだ。その功績から、連隊名の由来になった。
公爵領は王領に次いで広大で、西の国境で最北の防衛地点である回廊と、さらにはノヴァキア王国との国境も守る位置にある。平地が多く農業が盛んで、非農業人口の多い王領に食料を供給する穀倉地帯としての役割も持っている。
最後に王家と公爵家の婚姻が行われたのが、国王ジギスムントの祖父の世代。そろそろ血縁を強めるべき時期にあり、公爵の一人娘であるリーゼロッテのもとにコンラート王子が婿入りするという話は、非公式ながらほぼ決まったものとして貴族社会で語られてきたという。
そうした事情は、マティアスの継嗣となった後に、フリードリヒも聞いていた。
「披露宴では、王国各地から貴族家当主やその名代が王城に集まる。当然、私も出席する。そこへお前を連れていき、私の養子として……こら、またお前はそういう顔をする」
無意識のうちに口をへの字に曲げて半開きにしていたフリードリヒを見て、マティアスは例のごとく苦笑を零した。指摘されて、フリードリヒは慌てて表情を取り繕う。
「気が乗らないか? フリードリヒ」
「……行くか行かないかを自分が選べると言われれば、行かない選択をします。ですが、ホーゼンフェルト伯爵家に名を連ねた以上、これもまた避けられない仕事だと理解しています」
硬い微笑を浮かべながら、フリードリヒは答える。
「何も、貴族社会に染まれと言っているわけではない。元より武門の宮廷貴族はそうした界隈のしがらみを嫌う者が多いからな。だが、顔見せと挨拶程度は済ませておいた方がいい。今後はどこかで関わらざるを得ない者たちだ」
お前はいずれ私の後を継ぐのだから。マティアスはそう語る。
「分かりました。閣下の継嗣として見苦しくないよう努めます」
「まだ一か月以上も先の話だ。今から準備をするのであれば、お前ならば心配ないだろう」
そんな言葉を交わしながら、二人は帰路を歩く。




