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フリードリヒの戦場【書籍化】  作者: エノキスルメ
第一章 それが運命と知っても尚

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第32話 山道の戦い①

 山道の南側の斜面、森に覆われた山の中で、五十人の伏兵は日の出を迎えた。早朝の木漏れ日を浴びながら静かに待機していた。

 軍議の後、別動隊はただちに近隣の農村に向かい、志願兵を募集。応募者が不足することも懸念されたが、その懸念は杞憂に終わった。

 自分たちの故郷が荒らされるかもしれないという焦燥感。戦いの矢面には立たずに済み、五〇〇スローネもの報酬を受け取ることができるという好条件。そして何より、マティアス・ホーゼンフェルトの名を出したことが効いた。

 王国西部の民にとって、かつて自分たちの故郷を守ってくれた生ける英雄マティアスの威光は、フリードリヒが想像する以上に大きいようだった。

 結果、それぞれの村で提示した定員は容易に埋まり、必要な五十人の志願兵はすぐに集まった。

 勝手に高額な報酬で志願兵を雇い集めたことについては、勝利の後に自分からマティアスに謝ろう。この不利な状況で勝利を成せばきっと許してもらえる。フリードリヒはそう考えている。

 集まった志願兵と入れ替わって森に入る伏兵の五十人は、空がようやく白み始めたほどの早朝に野営地を出発。山道の中間あたりに面した森の中に身を潜め、そして今に至る。今のところ、森の中で敵の斥候と出くわしたりはしていない。


「そろそろ、ヤーグたちに任せた百人も準備を終えて、進軍を開始している頃だな」


 硬いパンと干し肉を噛み千切り、水で流し込みながら言ったのはオリヴァーだった。その声はごく小さく抑えられている。


「……」


 その近くでは、フリードリヒが無言で同じように朝食をとる。フリードリヒのすぐ横にはユーリカがぴったりと寄り添っている。

 山道を進軍する百人の側にいても足手まといになるだけで、しかし一応は騎士であるのに後方の野営地に残るのではさすがに面目が立たない。なのでフリードリヒは、自身が立てた策の成否を見届けるために、そして不測の事態が起きたら対応を考えるために、ユーリカと共に伏兵の側に加わっていた。

 他の騎士や兵士たちも、姿勢を低くして森の木々や藪の陰に身を隠し、朝食を手早く済ませる。時おり、彼らが近くの者と話す声が微かに聞こえる。

 そのとき。


「斥候!」


 声量は抑えた、しかし鋭い警告の声が聞こえた。オリヴァーが、そして他の騎士たちも警告の言葉を復唱し、伏兵が潜む一帯の西から東へと警告が伝達される。

 一切の話し声が止み、五十人もの人間がいるとは思えないほどに、森の中は静まり返る。

 弓兵たちは無音で弓に矢を番え、いざとなればいつでも放てるよう準備する。


「……いた。山道のすぐ脇」


 視線をめぐらせて敵の斥候の姿を探していたフリードリヒの耳元に、ユーリカが囁く。

 伏兵の潜む一帯よりもずっと前、山道から側面の森に数歩入った程度の浅い場所を、敵軍の斥候が駆けていくのが見えた。

 敵の斥候はこちらに気づいていないが、だから無能というわけではない。これほどの早朝に一人で臆することなく、ちゃんと森に身を隠しながら、足場が良いとは言えない森を素早く走っていくだけ十分に優秀と言える。

 敵が早朝から斥候を走らせても鉢合わせしないよう、全員で森の奥の方に身を隠すことを選んだオリヴァーが、敵側よりも一枚上手なだけのことだった。

 何も知らずに通過していった斥候は、それからさほど経たないうちに西へと戻っていく。やはり伏兵には気づかずに。


「「……」」


 オリヴァーに視線を向けられたフリードリヒは、視線を返して彼と頷き合う。

 こちらの別動隊の半数が徴集兵と入れ替わっていることに斥候が気づいたのならば、森の中に伏兵がいる可能性を考え、もっと周囲を警戒しながら自軍のもとへ戻るはず。しかし、斥候は往路と同じく迷いない足取りで、むしろ往路以上に急いで戻っていった。

 ということは、フリードリヒの策について、未だ気づかれてはいないと期待できる。

 さらに、斥候が戻ってくるのがやけに早かった。体力があって足が速く、森歩きに慣れている者が斥候に選ばれているにしても、山道をエーデルシュタイン王国側まで抜けてから戻るにしては早過ぎた。

 おそらく、こちらの百人が進軍を開始しているのを確認し、急ぎ報告に戻っていったのだろう。

 こちらの百人が西に向かっているということは、もうそろそろ戦いが始まるということ。フリードリヒは小さく深呼吸をする。


「……ヤーグたちが見えた。移動するぞ」


 しばらく経ち、騎士ヤーグとノエラ率いる百人が山道を西進してくるのを確認したオリヴァーの命令を受け、五十人の伏兵は立ち上がる。

 姿勢はあくまで低くして、なるべく音を立てないようにしながら移動を開始する。

 すぐに奇襲に移れるよう、今いる位置よりも西側へ。すぐに森から飛び出せるよう、今いる位置よりも山道に近い北側へ。足場の悪い中で気配を殺しながらの移動なので、山道を進軍する百人に途中で追い越される。


「停止。各々隠れろ」


 山道の間近までは行かず、しかし山道の様子がよく見える程度の位置で、オリヴァーが命じる。五十人はそれぞれ近くの木や藪の陰にまた身を隠し、フリードリヒもユーリカと共に大きな木の陰に隠れる。

 間もなく、山道を挟んだ反対側の森から、一人の兵士が駆け出てくる。兵士は山道を横切り、伏兵の五十人に合流する。

 その兵士は、オリヴァーが自分たち伏兵の出発と同時に出した斥候だった。


「報告します。山道の北側に、敵側の伏兵などはやって来ませんでした」


 アレリア王国側も、こちらと同じように山道側面の森へ伏兵を隠さないとは限らない。戦力的に余裕のある敵側が、わざわざ朝早くから動き出す可能性は低かったが、万が一、山道の戦場でお互いの伏兵が入り乱れるような事態になれば収拾がつかなくなる。

 なので、オリヴァーは山道を挟んだ反対側の森にも兵士を一人送り、敵の伏兵がやって来ないか監視させていたのだった。


「ご苦労だった。それでは……後は、頃合いを見計らって奇襲を決行するだけだな」


 こちらの百人が敵を誘引しながら戻ってくるであろう方向を見やり、オリヴァーは言った。

 木の陰に隠れながら静かに深呼吸するフリードリヒの頭を、ユーリカがそっと撫でた。


・・・・・・


 アレリア王国による北方平原侵攻軍。その大将ツェツィーリア・ファルギエール伯爵より別動隊三百の指揮を任されているヴァンサン・アランブール男爵は、山道の西側入り口を見据える位置に置かれた野営地で朝を迎えていた。


「いいか貴様ら、しっかり気を引き締めておけよ。エーデルシュタインの奴らを一気呵成に叩き潰し、今日中に山道を突破するからな」


 武門の宮廷貴族であり、ロワール王国が存在した頃からの古参士官であるヴァンサンは、配下の騎士や兵士たちを見回りながら呼びかける。

 それに、威勢の良い声が返ってくる。正規軍人として訓練を受けてきた三百の軍勢。自分たちが圧倒的な優勢にあることも相まって、彼らの士気は非常に高い。


「閣下。この調子であれば、勝利は間違いありませんな」

「山道を越えることに成功すれば、我らの側がこの戦いを制するのは決まったも同然。そうなれば最大の戦功は閣下のものです」

「閣下のもとで奮戦した俺たちも、ささやかな褒美が期待できるってもんですよ」


 気心の知れた古参兵たちの軽口に、ヴァンサンは笑いを零す。


「馬鹿が、まだ勝った気になるのは早いぞ。その手に掴むまで、勝利とは蜃気楼のようなものだといつも言っているだろう……とはいえ俺も、お前たちが力を発揮すれば今回の勝利は容易に実体を成すと思うがな」


 お膳立てはファルギエールの小娘がやってくれた。今回の攻勢の総指揮官である彼女の策略で、ヴァンサンたちは三倍の兵力をもって敵の別動隊と戦うことができる。

 敵が何か策を講じてこない限り、こちらも小細工は必要ない。真正面から殴り込めば数の力で押し勝てる。練度が互角である以上、仮に互いの損害が同じになっても、敵が全滅したときにこちらはまだ二百人残っている。実際は敵側も負傷による戦線離脱者や壊走者が出るであろうから、もっとずっと少ない損害で勝利を得られるだろう。


「……よく育ったものだ。家名に恥じない名将に」


 かつて自分の上官であった勇将、先代ファルギエール伯爵。その娘であるツェツィーリアが、今や智将として名を馳せながら自分たちを使っている。そのことへの感慨を、ヴァンサンは誰にも聞こえないよう独り言ちる。

 と、そこへ兵士が一人、駆け寄ってくる。目の良さと足の速さを見込み、一時間ほど前に斥候に出した若い兵士だった。


「閣下! ただいま戻りました!」

「ご苦労。随分と早かったな……何か異常があったのか?」


 全速力で戻ってきたのか息を切らしながら、しかし焦った表情で報告を急ごうとする斥候に、ヴァンサンは問いかける。


「はい、報告いたします。て、敵の別動隊、総勢百、山道をこちらへ、進軍してきます! あと一時間ほどで、到達するかと!」

「……そうか、分かった。休んでいろ」


 斥候を下がらせたヴァンサンは、しばし一人で思案する。

 まだ朝のうちから、全兵力で山道を前進。敵も兵力差が大きいことには既に気づいているであろうから、こちらに迎え撃つ準備をさせず急襲することで、大将首でも取って一発逆転の勝利を狙うつもりか。

 悪くはない策だが、見通しが甘い。早朝から斥候を出しておいたこちらが一枚上手だ。


「喜べ貴様ら! 我々が進軍する手間を省き、わざわざ敵の方からここまでやって来てくれるようだぞ! 鎧を身につけ、武器を取り、戦いに備えろ!」


 ヴァンサンが檄を飛ばすと、威勢の良い応答が集まる。

 しっかりと睡眠をとり、朝食もたっぷりと食らった三百の軍勢は気力に満ちている。予定より少し早いが、戦いを始めるのに何ら問題はない。

 胴鎧だけ着込んでいた騎士と兵士たちは、籠手やブーツを身につけ、兜と武器を手元に置く。小隊長たちが配下の兵士を集めて点呼を取り、逃亡者や体調不良者がいないことを確認。各小隊長から報告を受けた中隊長の報告を、ヴァンサンが最終的に受ける。

 軍隊が行動するのには時間がかかる。この時点で半時間ほどが経過していた。その後、ヴァンサンは各部隊を整列させる。

 二百五十人ほどの歩兵による横隊。その後ろには五十人ほどの弓兵を並べ、小さいながらも陣形を構築。自身は数騎の騎士たちと共に、その最前に立つ。

 最後方に本陣を置いて構えるのが一般的な指揮官の在り方であり、大規模な戦いであれば指揮官はそうして戦況を俯瞰し、判断を下すのが定石。しかし、ヴァンサンは自ら最前に立っての戦いを選んだ。

 このような小規模な戦いでは、指揮官自らが部下を鼓舞して敵に斬り込むことで、味方をより勢いづけることができる。そう判断してのことだった。貴族であるヴァンサンは高価な全身鎧を身につけているため、最前に立ってもそうそう死ぬことはない。

 しばらく待っていると、山道の入り口近くに潜ませていた見張りが駆け戻ってくる。


「閣下、報告します! 敵影を確認! 山道を早足で進軍してきます!」

「分かった。お前も隊列に加われ……いいか貴様ら! もうすぐ敵が見えるぞ! いつでも戦いを始められるよう身構えろ!」


 振り向いたヴァンサンの声が響き渡り、騎士と兵士たちは一斉に動く。兜を被り、槍や剣を構えて戦闘開始を待つ。

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