後日談 長く厳しい戦い
ちょっとした後日談の短編です。
あとがきの方に、作者エノキスルメの最新の活動についてお知らせがあります。
西部統一暦一〇一三年の秋。フリードリヒ・ホーゼンフェルト伯爵は、王都ザンクト・ヴァルトルーデの屋敷で夕食前のひとときを過ごしていた。つい先日に一歳の誕生日を迎えた愛娘、カサンドラの遊び相手をしながら。
父親がよく居間で読書をしている様を見ながら育っているからか、最近の彼女は書物に興味津々の様子。なのでフリードリヒは、書斎の蔵書の中から挿絵の多いものを彼女に見せてやることが多い。
「ぶぅー……」
「……どうしたの? カサンドラ」
様々な動物の解説と共に、その絵が記された図鑑のページをめくりながら、フリードリヒはソファにちょこんと座る愛娘に問いかける。ほんのさっきまで楽しげに図鑑を眺め、父が平易な言葉で解説するのを聞き、自らページをめくることさえしていたカサンドラは、しかし今は何故か不機嫌そうな顔。
「や」
「ん?」
「やあーっ!」
「うわっ、待って待って!」
突然叫びながら、カサンドラは図鑑を掴んでソファから投げ落とそうとする。貴重な書物が破れては大変なので、フリードリヒはとっさに図鑑をテーブルの上へ移動させ、それからカサンドラを抱きかかえる。
「ぎーっ! うやーっ!」
「わぁー……今日は何がお気に召さったのかなぁ……」
元気いっぱいに暴れるカサンドラに頬を思いきり引っ張られながら、フリードリヒは苦笑する。
一歳になり、最近は簡単な言葉らしきことも言うようになったカサンドラだが、まだまだ赤ん坊も同然。突然にご機嫌斜めになることは珍しくなく、語り聞かせて通じる相手ではないので、フリードリヒとしては苦笑以外の対処方法がない。
「フリードリヒ、またカサンドラが拗ねたの? ……あらあら、お父さんに随分好き勝手してるわねぇ」
カサンドラに頬を引っ張られたままの顔でフリードリヒが振り返ると、居間に入ってきた妻ユーリカは可笑しそうに笑いながら歩み寄ってくる。
「図鑑を読んであげてたら、急に不機嫌になって……危うく投げ捨てられるところだったよ」
「ふふふっ、大変だったね。ほーらカサンドラ、お母さんのところにおいでぇ」
「やーっ! だーっ!」
ユーリカに抱き上げられたカサンドラは、ますます不機嫌そうな顔で足をばたつかせる。
「あーらあーら、まったく好き放題に暴れちゃって、まるで小さな暴君キルデベルトねぇ」
「ぶふっ」
妻の際どすぎる冗談に、フリードリヒは不謹慎とは思いながらも耐えられず噴き出した。
「……まあ、確かにキルデベルト並みの強敵かもね。もしかしたらそれ以上かも」
「どんな敵も倒してきたフリードリヒが、色んな策を試しても全然攻略できないもんねぇ、この子だけは……いだだだだっ」
カサンドラがむすっとした顔で、ユーリカの大きくて艶やかな唇を引っ張る。今やフェルディナント連隊で最強とも噂されるユーリカも、たまらず素で叫ぶ。
「わっ、こらこら駄目だよカサンドラ、って、痛い痛い!」
慌ててカサンドラの指を解き、ユーリカの唇から離させたフリードリヒは、自身の深紅の髪を引っ張られて今度は自分が叫ぶ側になる。
「まあまあ、なんだか大変なことに……お嬢様、婆やが抱っこしてあげますから、こちらへいらっしゃい」
伯爵夫妻の騒ぎを聞いて居間へやってきた家令のドーリスが、果敢に事態に介入する。未だ暴れるカサンドラの手足を巧みにいなして抱きかかえると、子守歌を歌いながら優しく揺さぶる。
と、不思議なことにカサンドラはみるみるうちに大人しくなり、うとうとと眠そうな様子さえ見せる。
「……さすがドーリスさん」
「うん、やっぱりカサンドラ相手では最強」
エーデルシュタインの生ける英雄たる父にも、尋常ならざる強さを誇る騎士たる母にも勝るカサンドラ。それを容易く宥めてみせた老家令の手腕に、フリードリヒもユーリカも半ば唖然とする。これまで何度か見せてもらった手腕だが、何度見ても凄まじいと思う。
「これも年の功ですよ。お嬢様はベッドにお運びしますから、旦那様と奥様はどうぞゆっくりなさっててくださいな」
そう言い残してドーリスが去っていき、フリードリヒとユーリカはようやく落ち着いてソファの背にもたれかかる。揃ってため息を吐きながら。
「……子育てって大変」
「本当だね。家臣や使用人たちの支えがあってもこうなるんだから」
二人で苦笑し、顔を見合わせてまた笑い合い、そしてどちらからともなく唇を重ねる。
・・・・・・
「娘の機嫌の取り方が分からない……」
翌日。フェルディナント連隊の野外訓練中。昼の休憩時に、フリードリヒは戦友である騎士オリヴァーの隣で言った。
「原因らしい原因もなく突然不機嫌になって、一度そうなると、どうやってもしばらく機嫌を直してくれないんだ……」
「分かるぞ。うちの娘も似たようなものだ。さっきまでニコニコと笑っていたのに、いきなり暴れ馬になる」
ため息と苦笑交じりに、オリヴァーは答える。今は休憩時間で周囲に人はいないので、友人としての口調で。
「まったく、上手いこと機嫌をとるか、そもそも不機嫌になる事態そのものを避ける術があればいいんだがな」
「そりゃあ無理ってもんですよ」
オリヴァーが呟くと、後ろから新たに会話に加わる者がいた。フリードリヒたちが振り返ると、そこに立っていたのはギュンターだった。
「幼子なんて、いつ暴れ出すか分からねえもんです。予防するのも、簡単に宥めることもできません。ホーゼンフェルト閣下の娘さんが一歳で、大隊長の娘さんはもう少し上でしたか? あと二、三年はそんな状態が続くのを覚悟するべきですね」
「そうか。二人の子供を持つお前がそう言うのなら、間違いないんだろうな……覚悟を決めて戦いに臨むしかない」
「……長くて厳しい戦いになりそうだね」
二人は神妙な表情で、大真面目な声色で、そう言った。
フリードリヒたちよりも何年も早く妻子を持つ身となったギュンターは、こうした話題についてはフリードリヒたちよりも圧倒的に先達。彼の助言とあらば、フリードリヒもオリヴァーも素直に受け入れるしかない。
これまで経験してきたものとはまた違う戦いに挑む二人の日々は、これからも当面続く。
作者エノキスルメの活動について、2点お知らせです。
・『フリードリヒの戦場』コミカライズの連載が、コミックガルド様にて始まりました。
麻日隆先生に素晴らしい漫画を手がけていただいております。
戦記ものとしての戦闘シーンの迫力はもちろん、フリードリヒとユーリカをはじめとした登場人物たちの多彩な表情や、漫画オリジナルの展開も見どころです。
皆様ぜひご覧ください。何卒よろしくお願いいたします。
・新作『うちの村だけは幸せであれ ~前世の知識と魔法の力で守り抜け念願の領地~』の投稿を開始しました。
自分の城や領地を持つ夢を叶えられずに現代日本での人生を終えた主人公が、異世界に転生して念願の領地を手に入れ、発展させるために奮闘するお話です。
私の商業作家としての原点『ひねくれ領主の幸福譚』に近いテイストの作品かなと思っています。よろしければお読みいただけますと嬉しいです。




