第185話 シャテルロー要塞攻防戦④
「……本陣直衛、総員前進」
オリヴァーやアランブール女爵の率いる騎兵部隊が敵の予備兵力を引きつけた様を見て、フリードリヒは命令を下しながら自ら前進する。それに、副官グレゴールをはじめ本陣に残してあった十数騎が続く。
今、ヨルゴス・カルーナのいる本陣に残っているのは、ヨルゴス当人の警護を担っているのであろう数十騎のみ。こちらの騎兵部隊が大回りに突撃したため、そちらに釣られた敵の予備兵力はすぐには戻ってこない。そして敵の騎兵部隊は、ツェツィーリア指揮下のアレリア王国騎士たちに牽制され、やはりすぐには戻らない。
だからこそ、フリードリヒは最後の兵力として、己とその直衛を動かす。将が、それも戦場を俯瞰しながら指揮をとっている智将が、自ら動きはしないだろうという敵の意表を突くために。
ふとシャテルロー要塞の方を向くと、そちらからも十数騎が打って出て、アレリア王家の歩兵部隊の左側を通り抜けて敵本陣を目指しているのが見えた。
その中心にいるのは、ツェツィーリア・ファルギエール伯爵。ということは、その周囲にいるのは彼女の直衛。
やはり、あちらも考えていることは同じか。そう思いながら、フリードリヒはツェツィーリアたちの方へ隊列を寄せるようグレゴールたちに命じる。ツェツィーリアたちの方も寄ってきて、両部隊は総勢三十騎ほどの一隊となり、ヨルゴスのもとを目指す。
直衛の騎士たちが前に出て、フリードリヒとツェツィーリアは最後尾、この陣形においては最も安全な位置へ。
そこで並び、二人の目が合う。互いに微笑し、頷き合い、そして前を向く。
「敵将は近い! 全騎、速度を上げろ!」
「今こそ勝機を掴むときだ! 敵の直衛を、全てこちらへ引きつけろ!」
フリードリヒが、ツェツィーリアが、直衛の騎士たちに命じる。かつて敵だった二人の智将が、共通の新たな敵目がけて共に駆ける。
・・・・・・
敵将が、それも二人とも、直衛を伴って突撃してくる。自らを勝利のための一駒として数え、攻撃に投じる。それはヨルゴスにとって、あまりにも予想外のことだった。
ファルギエール伯爵もホーゼンフェルト伯爵も、奇策に長けた智将であると聞いている。智将ならば戦場を俯瞰しながら戦うだろうと思っていたが、その思い込みはこうして覆された。
しかし、ヨルゴスはまだ諦めていない。
「敵将がのこのこと近づいてきてくれたぞ! あれを仕留めれば我々の勝ちだ! どちらの大将首であろうと、獲った者には爵位を与えてやる!」
これはこちら側にとっても好機。そう思いながら吠えると、ヨルゴスを守る直衛の騎士たちが威勢よく応える。
数ではまだこちらが多いが、敵側は騎乗突撃の構えで勢いづいている。激突すれば、勝つか負けるかは五分五分といったところ。
上等だ。臨むところだ。この程度の賭けに勝てないようであればカルーナ王国を再興し、偉大にすることなどできるはずがない。
ヨルゴスは自らも剣を抜き、三十余騎の敵との激突に備える。そのとき。
「陛下! 後ろを!」
側近の一人が叫び、ヨルゴスは振り返る。そして今日一番の驚愕に目を見開く。
森や浅い丘が点在する、本陣の後方。そこから百人ほどの軽装の軍勢が迫っていた。距離は百メートルもない。後ろにも見張りは立てていたが、これほど近づかれるまで気づけないとは、身を隠しながらの奇襲に特化した部隊か。
「おのれ……」
いくらなんでも、三十の騎士と百の兵士に挟撃されては勝てない。それでも、対処しないわけにはいかない。決して良い手ではないと分かりながら、ヨルゴスは直衛を二手に分け、前と後ろの敵それぞれを迎え撃たせる。
そして戦いが始まるが、明らかに多勢に無勢。直衛が、これまで苦楽を共にしてきた「カルーナの顎」の仲間たちが、次々に倒れていく。敵は次第にこちらに近づいてくる。
こんな敵にどうやって勝てばよかったというのか。次から次に策を巡らせ、二つの軍勢をまるで一つの身体から伸びた両手のように巧みに連携させながら襲ってくる将たちを相手に、どう戦うのが正解だったのか。
答えが分からないまま、ヨルゴスは迫ってきた敵騎士と刃を激突させる。重装備に身を包み、顔も見えないその騎士の重い一撃を、巧みに受け流す。
が、個人の技量が優れていようと、もはやどうにもならない。目の前の騎士を牽制したところで勝利は来ない。いつの間にか周囲を敵兵に囲まれ、その兵士たちは弓やクロスボウなどの飛び道具を構え、こちらに向けている。
敵騎士が離れるのと同時に、敵兵たちから矢が放たれる。いくつもの矢に身体を貫かれ、ヨルゴスは落馬する。
「……大それた夢だったか」
仰向けに倒れて空を仰ぎながら、ヨルゴスの口から零れたのはそんな言葉と、そして笑みだった。
カルーナ王国の再興。一族の復讐。覇道への野望。それらは全て、求めるべきではない分不相応の夢だったのだろうか。
ここは、ルドナ大陸西部カルーナ地方は、自分にとって生まれ故郷。しかし、ルディア大陸もまた自分の故郷となった。ザンギア王国は自身にとって第二の故国となり、今はその国王となった親友も、そして愛する妻と子もあの国にいる。
あの国で、平穏な人生を送るべきだったのだろうか。遠い野望に手を伸ばすのではなく、目の前の幸福を手で包みながら生きるべきだったのだろうか。
そう自問しながら、しかし不思議と後悔はない。幼い頃から心の内に抱いていた野望に、自分はあと一歩のところまで迫ったのだという事実は、ささやかな満足感をもたらしてくれる。
自分は夢破れて死ぬ。しかしそれは自分自身の決断と挑戦の結果だ。そして妻と子は、第二の故国でこれからも生きていく。親友たるザンギア王の庇護があれば、妻は少なくとも生きるに困ることはない。息子は好きに己の将来を選ぶことができる。
これで終わりだ。後は一族の待つ神の御許へ、母と兄弟たちのもとへ逝くだけだ。
見上げる空の輝きが次第に強くなり、その光が視界の全てを包み込み、そしてヨルゴスの意識は静かな安寧の中に溶けていく。




