第179話 勝利の再演
かつてのアレリア王国との戦争で、フリードリヒはいくつもの搦め手を用いた。
エルンスト・バッハシュタイン公爵とコンラート・エーデルシュタイン王子がアレリア王国と手を結んで謀反を起こした際の戦い。敵側が占領した要衝オストブルク砦を奪還するために、フリードリヒは敵側の仲間のふりをした。フェルディナント連隊騎兵部隊からの逃走劇を演じ、すんなりと砦の内部に侵入を果たした。
また、アレリア王国に敗北したノヴァキア王国との国境地帯での戦い。戦闘の開始前にノヴァキア王家を追い詰めるため、フリードリヒは別動隊を率いてノヴァキア王国領土内に侵入し、焦土作戦を展開した。
今回フリードリヒは、それら二つの戦いでの搦め手を組み合わせた策を用い、反乱軍の占領する都市を陥落させることにした。
まずは、反乱軍の籠城する都市の包囲を一旦解き、しかし都市の周囲にはこれ見よがしに斥候を張り巡らせることで、敵側が下手に都市から出ないよう警戒を強いる。
そして、包囲を解いて一度下がった本隊には――都市周辺の村落に対する焦土作戦を行わせる。
とはいえ、敵地を焦土化すること自体が目的ではないので、あえて手ぬるくやる。小部隊をいくつも編成し、事前にこちらの姿をさらして農民たちが逃げる隙を与えた後に村を襲撃する。農地には手をつけず一部の家屋のみを派手に焼き、その様を逃げる農民たちに見せ、焦土作戦を行うつもりであることを印象付ける。持てるだけの財産を持って逃げ出した彼らを殺しはせず、しかし執拗に追いかけて恐怖を与える。
そうすると、村を追われたカルーナの民は、近隣の都市――反乱軍の立てこもる都市を目指して逃げる。反乱軍の多くは民兵であり、この地域で蜂起した者たちは多くがこの地域の出身。逃げてくる農民たちは反乱軍兵士の誰かの身内や知人友人であり、士気の維持を考えると、敵側は避難民を受け入れないわけにはいかない。
都市の城門が開かれ、急かす反乱軍兵士たちに迎えられて農民たちは城壁内へ逃げ込む。エーデルシュタイン王国の追撃部隊は、惜しくも農民たちの捕縛に失敗した風を装って足を止め、都市の城門を睨んだ上で撤退する。
そんな追走劇が、数日にわたって何度かくり広げられる。一度は追撃部隊が農民たちに追いつき、城壁上の反乱軍が見ている前で彼らを連行していく。その際には耐えかねたらしい反乱軍の一部が城門から打って出てきたが、所詮は暴発した民兵の集団。正規軍人から成る追撃部隊が容易く蹴散らし、捕らえた農民たちを連れ去る。
避難民たちが都市内に逃げ込み、村を焼かれたと泣き、それを聞いた反乱軍側はエーデルシュタイン王国の援軍が焦土作戦を展開しているのだと考えるはず。彼らは敵の行いに憤り、一度は打って出たにもかかわらず避難民を助けられなかったことに悔しさを覚え、次に避難してきた者たちは必ず助けたいと意気込むだろう。それこそがフリードリヒの狙い。
そして、何度目かの追走劇が都市の前で展開される。徒歩で、あるいは荷馬車で逃げる数十人の避難民を、エーデルシュタイン王国の追撃部隊――フェルディナント連隊騎兵部隊が追う。
なんとか追撃部隊に捕らえられる前に都市内への避難が間に合う。そんな絶妙な距離感での追走劇の末に、避難民たちは城門に到着する。
「急げ! 入れ入れ!」
「後ろが詰まる! 荷馬車なんて捨て置け!」
「駄目だ! 荷台に子供や老人を乗せてるんだ!」
反乱軍兵士たちと、避難民たちの怒号が飛び交い、城壁内への退避は何とか完了する。城門が閉じられ、避難民に追いつかなかった騎士の集団は城門から距離を置いて停止する。
「危なかったな……もう大丈夫だ。ここなら安全だ」
無事に逃げ延びた避難民たちに、城門の監視部隊の指揮官が声をかける。兵士たちも避難民を囲んで労いの言葉をかけ、水を差し出してやる。
「ははは、よほど肝が冷えたようだな。お前ら皆、顔が真っ青だぞ」
「あ、ああ……」
気さくな態度で声をかけられても、避難民たちの反応は鈍い。先頭の荷馬車の御者台に座る、身なりからして村長らしき初老の男がかろうじて答えるだけだった。
彼らは皆、まるで今このときも何かに怯えているかのような様子。指揮官の騎士は、さすがに怪訝な表情を浮かべる。
「荷台に子供や老人が乗ってるんだったな? もう大丈夫だから、早く下りてくるといい」
「派手に走ってたから、揺れて疲れただろう。怪我人はいないか?」
反乱軍兵士たちが、村長の乗る荷馬車、その荷台を包む幌に手をかけ――次の瞬間。
「なっ!?」
幌の後ろ側を開いて荷台の中を見た兵士が、驚愕の表情を浮かべる。そして、その表情のまま頭が胴体と泣き別れになり、地面に転がる。荷台からは剣が突き出されていた。
剣の持ち主――大柄な騎士が荷台から飛び出し、唖然としている反乱軍兵士をさらに一人屠る。大柄な騎士に続いて、荷台に潜んでいた騎士や兵士がさらに下車する。
その様を見て敵に侵入されたことを理解した反乱軍の将兵たちは、迎撃に移るのではなく、混乱に包まれた。
「ち、畜生! 敵が入ってきた!」
「避難民ども、裏切ったのか?」
「落ち着け! 敵は小勢だ、包囲して増援を――」
狼狽える民兵たちに向けて声を張った城門監視部隊の指揮官は、しかし侵入者である大柄な騎士に斬りかかられ、応戦する。一旦は持ちこたえてみせるが、体格の差は歴然であり、自身も未だ困惑していた指揮官は実力を完全に発揮できないまま腹を切り裂かれ、倒れ伏す。
「手はず通りだ! 一帯を制圧して門を開けろ!」
大柄な騎士はそう叫び、倒れた指揮官の喉に剣を突き込んで止めを刺す。荷馬車から現れた侵入者たちは威勢よく応え、城門の前に残っている反乱軍の将兵に襲いかかり、あるいは城門を開けるために駆ける。
「た、隊長がやられた!」
「敵がこんなに大勢……もう駄目だ!」
「おい逃げるな! 戦え! せめて他の部隊を呼んでこい!」
城門を守る数十人の部隊のうち、貴族領軍の正規軍人などはまだまともに応戦しようとするが、民兵たちは違った。指揮官が倒され、敵が荷馬車からわらわらと現れた様を見て多くが戦意を喪失し、棒立ちで狼狽える者や武器を捨てて逃げ出す者ばかりとなった。
侵入者たち――エーデルシュタイン王国の別動隊は、逃亡兵や一般平民、侵入に協力させた農民たちが逃げていくのを捨て置き、応戦する者だけを殲滅し、城門を開放する。
「ちっ、腰抜け共が。手応えがねえ」
大柄な騎士――別動隊の指揮を任されているギュンターは、吐き捨てるように言いながら城壁に上がり、外を向く。一度は城門の外で停止していた騎兵部隊が、再び馬を進め、加速しながら城門を目指す。
「門の前を空けろ! 騎兵部隊が入ってくるぞ!」
ギュンターが怒鳴るように命じると、フェルディナント連隊の精鋭で構成される別動隊は迅速に動く。荷馬車を通りの脇に移動させ、逃げ遅れている民衆に通りから離れるよう伝え、騎兵部隊の突入路を作る。
都市の中心部からはようやく増援の反乱軍部隊がやってくるが、見たところやはり騎士や正規兵は少なく、民兵ばかり。騎乗突撃を止められるはずもない。
「整列し、槍衾を――」
「蹴散らせ! 抵抗する者だけ殺せ!」
反乱軍の増援は、迫りくる騎兵部隊を目の当たりにしただけで民兵の多くが恐怖し、逃げ出し、崩壊した。数少ない正規軍人の一人である騎士が命令を下す間もなく、フェルディナント連隊騎兵部隊は大隊長オリヴァーの言葉に従い、突撃を敢行する。瞬く間に反乱軍部隊を粉砕し、ギュンターたち別動隊と共に城門周辺を完全に制圧する。
一方で城門の外には、エーデルシュタイン王国のさらなる部隊が迫っている。密かに集結していた将兵たちが、都市内に突入するために駆ける。
・・・・・・
「別動隊は上手くやったようですな」
「まあ、相手は民兵ばかりの反乱軍だからね。うちの精鋭を相手に敵うはずがない」
既に解放された城門に、増援となる騎兵部隊や歩兵部隊が突入していく様を眺めながら、フリードリヒは副官グレゴールと言葉を交わす。
都市から死角となる丘陵の陰に隠れ、集結したエーデルシュタイン王国の軍勢は、既に全軍が都市に向けて前進している。
最後に都市内に逃げ込んだ避難民の一団は、実際にはこちらの騎兵部隊の捕縛から逃れようとしていたわけではない。村を襲撃されて家族親族を人質にとられ、エーデルシュタイン王国の軍勢の城門突破に協力させられていた。追走劇がやらせではなく本物に見えるよう、オリヴァー率いる騎兵部隊に追い立てられて必死に走った。
これまでの農民たちの避難もあり、反乱軍は何の疑いもなく、ギュンターたちを乗せた荷馬車を都市内に迎えた。
この段になれば、もはや勝利は確定。数だけはそれなりに集まったが兵としては脆弱な反乱軍民兵たちは、状況が不利になるとすぐに大半が士気を失う。金で雇われた傭兵も、勝ち目の薄い戦況で命を捨ててまで戦いはしない。残るのは、蜂起を主導した貴族家に仕える正規軍人のみ。その数は少ない。都市内にいるのはせいぜい二百程度か。それも、都市内に分散していてすぐに集結することは叶わないだろう。
そんなフリードリヒの予想通り、以降は組織立った抵抗もほとんどなく、総勢千五百の反乱軍は瓦解。都市はエーデルシュタイン王国の軍勢の手に落ちた。
こちらの死者は僅かに十数人。一方で敵側は二百人以上が死亡。民兵の多くは武器を捨てて逃亡するか都市内に紛れ、蜂起を主導した貴族は家族と僅かな手勢を連れて逃げ出した。
領都である都市を失った貴族にはもはや継戦能力はなく、指導者を失った民に再び蜂起する力はない。対峙する反乱軍を打ち破ったエーデルシュタイン王国の軍勢は、次なる戦いに向けて態勢を整える。




