第175話 クアンカ攻略戦①
数日後。ツェツィーリア率いる軍勢およそ五千五百が、港湾都市クアンカ近郊に迫った。
クアンカの人口はおよそ四千。様子を監視していた斥候の報告によると、反乱軍の蜂起を前に避難した者も少なくないようで、周囲の農村や小都市から集結した兵を含む反乱軍二千に加え、同数かそれ以上の都市住民が城壁内に残っているものと思われる。
城壁は都市の東西と北を半円に囲むよう築かれ、高さは六メートルほど。大都市のものと比べると低いが、十分に厄介な障害となる。南は海に面しており、城壁は海岸沿いにも一部が延びているため、そちら側からの攻略を試みるには船団がいる。元が内陸国であるアレリア王国にはまともな海軍がなく、今のアレリア王家には大量の船を雇う金もないため、現実的ではない。
常識的に考えれば、容易に落とすことはできない要害。しかしツェツィーリアには攻略のための策がある。既に準備は済ませている。
「まあ、勧告に応じて降伏するのであれば、そもそも蜂起などしないか……ご苦労だった。損な役回りをさせてすまなかったな」
「いえ。軍務ですので」
敵は反乱軍とはいえ一応はアレリア王国民。なので、まず最初に寛大な処分を約束しながら降伏勧告を行う必要があった。クアンカの城門前まで近づいて勧告を伝えたところ、矢を射かけられて慌てて逃げ戻ってきた騎士は、ツェツィーリアの労いの言葉に生真面目な表情で答える。
騎士を下がらせたツェツィーリアは、傍らの副官を振り返る。
「ローズ。弓兵部隊の行動準備は?」
「完了しております」
「よろしい。それでは行くとしようか」
有能な副官の返答に頷き、ツェツィーリアは彼女と共に司令部天幕を出る。
今日の昼に到着したばかりで、まだ野営地設営も終わっておらず、最優先で建てられた司令部天幕の周囲は喧騒に包まれている。多くの将兵は寝起きするための天幕を建てたり物資を運んだりと雑務に奔走している中で、しかしクアンカと対峙する南側には、アレリア王国軍の弓兵部隊が整列していた。
自身の直衛の騎士たちに加え、彼ら弓兵部隊を率いて、ツェツィーリアは前進。クアンカが弓の射程に収まる距離まで迫る。
ツェツィーリアが合図を送ると、弓兵部隊の隊長たちは射撃用意の命令を発する。そして。
「放て!」
隊長たちの命令で、数百の矢が一斉に曲射される。
矢の先端には鏃ではなく球状に丸めた布が付けられ、着弾しても人を傷つけにくいようになっている。さらに、矢には書簡が結びつけられている。
すなわちこれは、クアンカの城壁内を攻撃するための矢ではなく、城壁内にいる者たちにこちらの言葉を届けるための矢文だった。
数百の矢文が城壁を飛び越え、クアンカ市街地に降り注ぐ。結びつけられた書簡に記されているのは、蜂起した反乱軍と中に取り残されている都市住民たちへの警告。
寛大な降伏勧告に応じなかった反乱軍は捕え次第殺すが、住民たちは保護し、身の安全を保障する。都市内に取り残されている住民たちは反乱に加担せず、屋内に留まって戦闘終結を待っているように。そのような伝言が、平易な言葉で記されて届く。
書簡を拾った者のうち、文字を読める者は内容を理解するだろう。文字を読めない周囲の者たちにも語り広めるだろう。都市住民だけではない。反乱軍の兵士たちもそうする。
伝言が広まれば、現時点でも温度差があるであろう反乱軍と都市住民たちの間にはさらなる軋轢が生まれる。都市住民たちは反乱軍に対して非協力的になり、都市内の治安は乱れる。
さらに、戦闘で反乱軍の側が不利になった際、あちらの兵士たちが城壁を放棄して逃げ出し、反乱軍が瓦解するのが早まる。反乱軍兵士の大半は、所詮はただの平民。勝てないとなれば、兵士たちは処刑を恐れて武器を捨て、都市住民の中に紛れて生き延びようとするはず。住民の中に紛れられれば少なからぬ反乱軍兵士を取り逃がすことになるだろうが、元より全員を殺すことなど現実的ではないので、逃げる分には見逃していいとツェツィーリアは考えている。国王サミュエルからも、そのように許可を得ている。
結果として、この数百の矢文だけで、ツェツィーリアは明日以降の本格的な戦闘を一段も二段も楽に進めることができる。
「さて、今日の作戦は終わりだ。野営地に帰って休むとしよう」
反乱軍や都市住民たちの、城壁外まで届く喧騒を聞きながら、ツェツィーリアは将兵を引き連れて下がる。
・・・・・・
翌日。ツェツィーリア率いる軍勢は、いよいよ本格的に攻撃を開始した。
「放て!」
クアンカの城壁に矢が届く距離まで迫った弓兵部隊。その隊長の命令で、弓兵たちは昨日と同じように矢を曲射する。今回放つのは、鉄の鏃が付けられた、真に殺傷力のある矢。敵陣に降り注ぐ矢の雨は、不運な反乱軍兵士を少しずつ着実に仕留めていく。
「どんどん投げろ! 少しずつ筋が良くなっているぞ! その調子だ!」
さらに弓兵部隊の周囲では、数百人の徴集兵たちが正規軍人の指揮の下、投石を行う。
布で作った簡易な投石器を用い、遠心力を利用して放たれたこぶし大の石は、城壁の手前に落ちるものも多い。が、半数程度は城壁を越えて敵陣に届く。投石の飛距離を稼ぐのも簡単な技術ではなく、訓練など受けたことのない徴集兵たちの技量はお世辞にも高いとは言えないが、くり返すうちに彼らも慣れていき、飛距離の平均は伸びていく。
石は周辺から拾ってくれば金もかからない。それでいて、こぶし大の石が頭にでも直撃しようものなら人を容易に殺める。徴集兵たちは城壁から距離を保ったまま、敵側に着実に損害を与える。たとえ石が当たらずとも、致死力のある攻撃が無数に飛んでくるというだけで敵は緊張を強いられて疲弊していく。
当然、反乱軍も反撃してくる。こちらの矢や石が届くのだから、敵側の遠距離攻撃も届く。
しかし、その数は限られる。戦力の多くが戦いの素人である敵側には、弓兵は少ない。投石をしようにも、都市内にはそう都合よく投げられる石は大量になく、石材などを割って用立てるにも時間を要する。また、投石兵は開けた場所に並ぶ必要があるが、城壁付近にそう都合よく大勢が並ぶ場所はない。
遠距離攻撃の応酬では、明らかにツェツィーリア率いる軍勢が有利だった。自軍の損害は軽微で、一方の敵側には着実に死傷者が増えていく。
「……そろそろいいだろう」
総指揮官として安全な本陣から攻防を見守っていたツェツィーリアは、敵側の攻撃が徐々に鈍っていく状況を受けて呟く。
敵の兵力を削る、という一点においては射撃や投石だけで今日の攻勢を終えてもいいが、こちらはあくまで反乱鎮圧のために進軍した軍勢。相応に強硬な態度をもって、積極的にクアンカを攻略する姿勢を示さなければ不自然。
なのでツェツィーリアは、次の命令を下す。
「投石部隊は攻撃停止。歩兵部隊は突撃」
「はっ」
敬礼したローズと伝令役の騎士たちが、ツェツィーリアの命令を各部隊に伝達する。
前に出た味方を誤射しかねない技量の投石部隊は攻撃を止め、一方で腕の良い正規軍弓兵たちは引き続き曲射で敵を牽制。その隙に歩兵部隊が城壁へ迫る。
ツェツィーリアが事前に指示した通り、前面に出るのは重装備の正規軍部隊。徴集兵部隊はその後ろに続く。一昨年のエーデルシュタイン王国との会戦とは違い、正規軍人たちが矢面に立って徴集兵たちを守るかたちとなる。
サミュエル・アレリア国王は、先代国王キルデベルトとは違う戦い方をする。徴集兵を徒に消耗することはない。民にそう示すための戦術だった。
歩兵たちは城壁に梯子を立てかけ、クアンカの市域内へ侵入しようと試みる。丸太で作られた破城槌を抱え、城門を打つ者たちもいる。
それに対する敵側の抵抗は、思ったよりも弱い。昨日の矢文が早速効いた結果かとツェツィーリアは思案する。
あのような警告が広まれば、元より反乱に積極的に関わる気のない都市住民たちは家に閉じこもり、なおのこと戦いには関わるまいとする。反乱軍も人員に余裕はないであろうから、非協力的な住民の男連中を無理やり動員して戦わせるようなことはあまりできない。下手に横暴な振る舞いをすれば、最悪の場合は都市住民たちが集団で抵抗し、反乱軍は内と外から攻撃されてしまう。
結果として、抵抗しているのは推定二千の反乱軍のみ。それも全軍が城門周辺に集まっているのではなく、一部の者は都市内の治安維持を担っているはず。
予想される兵力差はおそらく四倍弱。攻城戦においては、どちらかが決定的に有利や不利を得るほどの差ではない。現に、こちらの歩兵部隊はさして大きな損害を受けることはなく攻勢を続けている。一方で敵側は、梯子を倒したり、上がってくる歩兵を叩き落としたり、城門前へ障害物や熱湯などを投げ落として破城槌による攻撃の勢いを削いだりと、練度が低いながらも城壁に守られて堅実に抵抗している。
「……頃合いだ。歩兵部隊は撤退」
このまま力押しで攻め続ければいずれ突破できるかもしれないが、それではこちらの損害があまりにも大きくなりすぎる。これはあくまで緒戦。勝利の後にヨルゴス・カルーナの軍勢への対応も待っているとなれば、あまり無茶はできない。
この攻勢の目的は、こちらが攻城戦によってクアンカを陥落させるつもりであると、反乱軍に、その将であるルカッティ子爵に信じさせること。十分に目的は達成されたからこそ、ツェツィーリアは撤退命令を下した。
この日の自軍の死者はおよそ三十人。負傷者はその倍ほど。ツェツィーリア率いる軍勢は、損害を許容範囲内に抑えつつ、本気の姿勢を示すことに成功した。




