第174話 カルーナ地方
ミュレー地方での反乱への対応が始まる一方で、進軍準備を完了させたツェツィーリア・ファルギエール伯爵率いる軍勢は南進。ヨルゴス・カルーナの軍勢に呼応してカルーナ地方の反乱勢力が蜂起する事態に備える。
その兵力規模は、総勢で六千。そのうち基幹となる正規部隊は二千。旧ロワール王国軍の精鋭を中核としたツェツィーリア直轄の一個連隊と、王領防衛のための兵力二千のうち半数から成る。そこへ、貴族領軍と傭兵を合計一千、さらに徴集兵を三千。
現状のアレリア王国社会の疲弊と不安定さ、国庫の困窮、王家の求心力の低下、ミュレーやカルーナほどではないが他の各征服地も安定していない状況を踏まえると、王都と王領、ロワール地方の防衛に必要な最低限の兵力を除いた場合、動員できるのはこの六千が限界だった。
冬の間の準備もあり、ツェツィーリア率いる軍勢は、ヨルゴスの軍勢の到着予想時期より三週間ほど前にカルーナ地方の首都へ到達。そこで、アレリア王国軍カルーナ地方駐留部隊と合流する。
「……そうか。万全の状態とは思っていなかったが、予想以上に酷いな」
「も、申し訳ございません」
「いや、卿にどうにかしろと言っても限界があるだろう。現地指揮官としての責は問わないと、国王陛下は仰せだ」
恐縮した様子の駐留部隊指揮官に、ツェツィーリアは淡々と伝える。
ツェツィーリアが軍を統括していたロワール地方は例外として、各征服地には、別の征服地から兵を派遣して駐留させるのがアレリア王国軍の方針。このカルーナ地方には、王国中央部から監督部隊として置かれている五百と、ミュレー地方や三つの旧小国から派遣された総勢千五百が置かれている。本来は合計三千の駐留部隊がいたが、国家予算の不足のために規模は二千まで減らされている。
そのはずだったが、現状はより酷い。
現地住民との癒着を防ぎ、征服地への圧力を維持するため、これまで駐留部隊にはある程度の役得――賄賂を受け取ったり、少しばかり着服をしたり、乱暴狼藉をはたらいても目を瞑られたり――が認められていた。圧政の敷かれてきたカルーナ地方ではその傾向が顕著で、ジルベールとキルデベルトは、あえてカルーナ人を押さえつけるために駐留部隊の好き勝手を許してきた。
しかし、各征服地を平和的に再独立させて友好的な隣国とするために、新王サミュエルが駐留部隊の違法行為を厳禁とした結果、このカルーナ地方では役得と共に駐留を続ける理由を失った兵が続出。脱走して故郷へ帰ってしまう者が跡を絶たない状況になっているという。
故郷がそう遠くないうちに再独立すると知ったことで、今アレリア王国軍から逃げてもその罪を問われることはないと考えている兵も多い様子。士官たちは引き締めを図っているが、そもそも士官たる騎士でさえ脱走する者が少なくない有様で、現場の努力でどうにかなる段を超えているというのが指揮官からの説明だった。
現在、計算上は二千いるはずの駐留部隊は、実数は半数強という有様になっている。
これがカルーナ地方だけの惨状とは思えない。おそらくファーロ大公国をはじめとした旧小国の三地方も、ここまでの惨状ではないとしても似たようなことが起こっているはず。五百強ずついることになっている駐留部隊の兵力がさらに減っていてもおかしくない。
「……案外、モゼッティ卿は名将なのかもしれないな」
周囲には聞こえないよう、ツェツィーリアは独り言ちる。
アンジェロ・モゼッティ侯爵から王家へは、丁寧に状況報告が続けられていた。それによると、彼はノヴァキア地方とミュレー地方の駐留部隊、その規模を概ね維持し続けている。ミュレー地方出身でノヴァキア地方に駐留していた将兵などは反乱に加わるために脱走した(隊内にいても邪魔なだけなのでアンジェロがあえて脱走を見逃したという)そうだが、それ以外の将兵は逃げることもなくアンジェロに付き従っているという。
自ら正面に立って将兵を率いるのが彼の戦い方。おまけに、彼は平時も面倒見がいい性格として知られている。だからこそ騎士も兵士も彼を慕い、苦境の中でも士気と秩序を維持しているのだろう。実直さだけが取り柄であるかのように語られてきたアンジェロだが、このまま長生きするのであれば、案外ロベール・モンテスキュー侯爵のような将になるのかもしれない。
そのように考えて、ツェツィーリアは意識を現状に戻す。
「駐留部隊には積極的な戦闘参加を求めない。我々本隊の補佐と、引き続きの治安維持、さらにはカルーナ地方各地の情報収集を頼みたい」
組織立った反乱に呼応して、各地で農民反乱などが続発しては動きづらくなる。また、どこでどの程度の規模の反乱が起こったかをできるだけ迅速に把握し、情報収集を行いたいが、そうした仕事についてはさすがに現地に長く駐留している部隊の方が土地勘もあって得意なはず。最短距離での移動の案内などでも役立つことが期待できる。
だからこそ、戦力としてはあまりあてにならない駐留部隊は戦闘以外に用いることを決断し、ツェツィーリアは語った。
・・・・・・
五千の兵力を率いるヨルゴス・カルーナの侵攻に対抗するために、最も重要なのが上陸地点を見破ること。
千単位の大軍が上陸し、その後も規模を維持しながら活動するには、橋頭堡が必要となる。南洋に面したカルーナ地方には主要な港湾都市が三つあるが、そのうちどれかをあらかじめ確保した上で上陸し、都市にある備蓄や船から陸揚げした物資をもとに軍事行動を行わなければならない。
おそらくカルーナ地方の反乱勢力は、ヨルゴス・カルーナの上陸の直前に蜂起し、港湾都市のどれかを確保して亡国の王子の軍勢を迎え入れるつもり。となればツェツィーリア率いる軍勢は、確保された港湾都市へといち早く進軍し、ヨルゴスの軍勢が到達する前に蜂起した軍勢を撃破して港湾都市を奪還し、上陸を試みるヨルゴスたちを迎え撃つことを目指すべき。
海路で攻めてくる軍勢は、上陸の瞬間が最も無防備になる。言わば攻城戦と同じような苦労をする羽目になる。だからこそ、初動でどれほど迅速に対応できるかが、以降の戦いの流れを決める。
そのような考えのもとで、カルーナ地方にひとまずの拠点を置いたツェツィーリアは、情報収集に力を入れた。駐留部隊のうちある程度あてにできそうな騎士たちを中心に、自身直轄の騎士も投入して偵察に努めた。
それから一週間後。ツェツィーリアのもとに急報が届けられた。
「南東の港湾都市クアンカにて反乱勢力が蜂起しました。兵力は推定で二千。指揮官はクアンカを領都として治めるカルーナ貴族、ディオニシオ・ルカッティ子爵です」
司令部と定められた一室でそう報告するのは、セレスタン亡き後、新たにツェツィーリアの副官となった騎士ローズ。セレスタンの姪にあたる彼女は若いながらも聡明で有能な、気鋭の騎士と評されている。
「そうか……港湾都市の領主が直接的に蜂起するとは、少々意外だったな」
ローズの報告に、ツェツィーリアは淡々と返す。
三つの港湾都市はアレリア王家が直接支配に力を入れており、領主たちも懐柔が進んでいた。なのでツェツィーリアとしては、おそらく港湾都市の領主が直接的に蜂起するのではなく、内部に入り込んだ反乱軍が蜂起して港湾都市を占領し、上陸地点として確保することを予想していた。
その予想からすると、今やアレリア王家派と見られてきた領主の一人、ルカッティ子爵が自ら蜂起の指揮をとったのは少々意外だった。が、個人的に意外だと感じただけであり、作戦の遂行に際して何らの支障はない。王家ではなくヨルゴスを選ぶというのなら、武をもって鎮圧するのみ。
「こちらの軍勢はすぐに移動できるな?」
「はっ。ご命令通り、迅速に野営地を引き上げて進軍に移れるよう指示してあります」
「よろしい。では進軍準備を。南東へ進み、クアンカを奪取する。ヨルゴス・カルーナが到来するよりも前に」
ツェツィーリアの言葉を部隊長たちに届けるために、ローズは敬礼し、退室していく。
「……守りきれると思っているのだろうが、甘いな」
そして、ツェツィーリアは独り言ちる。
ヨルゴスの到来に呼応して蜂起するであろう反乱勢力の予想兵力は、四千から五千。それも、カルーナ地方の各地でいくつかの軍勢に分かれて蜂起するものと思われる。
となると、二千の兵力を擁するルカッティ子爵の反乱軍は、ヨルゴスの軍勢の橋頭堡を確保するためにいち早く動いた主力と見ていい。
こちらの兵力は総勢で六千。そして敵は二千。三倍の兵力差ならば、城壁に囲まれた都市をしばらく守るのは難しくない。
しかしそれは、あくまで平凡な将の率いる軍勢と戦う場合の話。このツェツィーリア・ファルギエール率いる軍勢を相手に、一週間以上も籠城を続けられると考えるとは。一昨年のあの決戦で敗北したことをきっかけに、智将の称号もこれほど舐められるようになったか。
では、鮮やかな勝利を成すことで、今一度この名に畏敬を纏ってみせよう。
久しぶりに笑みを浮かべながら、ツェツィーリアはそう考える。




