第172話 二人の答え
「来年に襲来するものと思われるヨルゴス・カル―ナの軍勢、及びカルーナ地方の反乱勢力への対応において、アレリア王家より正式に助力の要請があった」
十一月。王城の応接室。参上したフリードリヒに、クラウディアはそう告げた。
「……やはり、独力での対応は厳しいとアレリア王も考えましたか」
主君の言葉に、フリードリヒは神妙な表情で返した。
エーデルシュタイン王国も南方のルディア大陸とは貿易などで一定の交流があり、独自に情報収集も行っている。その情報網によって、カルーナ王家の末裔であるヨルゴス・カルーナが軍勢を引き連れ、大陸西部に舞い戻るつもりであることは少し前に掴んでいた。
五千の軍勢で乗り込むと公言しているヨルゴスの言葉が本当であれば、アレリア王国にとって重大な脅威となるのは確実。フリードリヒの個人的な意見としては、あのツェツィーリア・ファルギエール伯爵がいるのであればそうそう一方的に敗北するとは思えないが、それでも弱体化の激しいアレリア王家が独力で対応するのは至難の業であると想像できる。アレリアに先立って国力回復を成しているエーデルシュタイン王国に、助力の要請があることは想定の範囲内だった。
「ああ、どうやらそのようだ。そしてエーデルシュタイン王家としては、この要請に応えようと考えている……ヨルゴスが先代アレリア王キルデベルトに代わって新たな侵略者となれば、我が国にとっても極めて危険な敵となる。ヨルゴスがこの大陸西部で勢力圏を確立する前に、潰せるものなら潰しておきたい」
フリードリヒは無言で頷き、主君の意見に賛同を示す。
領土拡大の意向を示しているヨルゴスが、旧来のカルーナ王国領土を奪還するのみならず周辺地域へと支配を広げていけば、ジルベールやキルデベルトに続く敵になりかねない。自国の領土や国境地帯を戦場にすることなく、アレリア王国内でヨルゴスの野望を断つことができればそれが最善であるというのは、フリードリヒとしても同意見だった。
「こちらから送り込むのは、基幹としてフェルディナント連隊。そこへ貴族領軍と傭兵から成る増強兵力を加え、総勢で二千の見込みだ。指揮はフェルディナント連隊長であるフリードリヒ、お前に任せる」
「御意。全身全霊をかけて任務に臨みます」
フリードリヒの返答にクラウディアは微笑を見せ、そしてまたすぐに表情を引き締める。
「ヨルゴスへの対処はアレリア王国側が行うらしい。こちらの役割としては、カルーナ地方の各地で蜂起するであろう、各反乱軍の討伐あるいは牽制を求められている。アレリア王国側がヨルゴスの軍勢の迎撃にできるだけ多くの戦力を割けるよう、反乱軍を少しでも多く削り、あるいは引きつけるかたちで協力してほしいそうだ」
「では、さほど困難な戦いにはならないでしょうね」
最も危険なヨルゴスへの対処はアレリア王国側が担い、エーデルシュタイン王国からの援軍には、質でも量でもさしたる脅威にはならないであろう各地の反乱軍を各個撃破、あるいは対峙して引きつけておく役割を任せる。こちらがあくまで助力の立場であることを考えると、役割分担としては妥当なところだった。
「ああ、智将たるお前にとってはそう難しくない任務となるだろう……とはいえ、今回はアレリア王国軍としても久々の遠征になる。アレリア王国側からは補給に全面的に協力する旨が伝えられており、こちらの輸送中隊も随行させるが、それでもおそらく王国領土内のような補給は叶わない。いつものように戦うことはできないはずだ。なのでどのように立ち回るかはもちろん、撤退の判断もお前が自由に下していい。我々が為すのはあくまで助力だ。無理をしてまでアレリア王国領土の秩序維持に貢献はしなくていい」
前提として、これはアレリア王家の戦い。エーデルシュタイン王国側は部外者。戦いに最後まで付き合う必要はない。アレリア王家のために大損害を負ってやる必要もない。王家としては、フェルディナント連隊をはじめとした貴重な戦力を損耗させたくはない。英雄を失いたくもない。できる助力はするが、血はなるべくあちら側が流すべき。クラウディアはそう語った。
「実際に動くのは来年になる。詳細についてはこれから詰め、遠征の準備を進めていこう」
「承知しました、女王陛下」
・・・・・・
女王との会談を終えたフリードリヒは、王国軍本部に戻っていくつかの仕事を片付けた後、ホーゼンフェルト伯爵家の屋敷に帰宅する。
「旦那様、お帰りなさいませ」
「ありがとう、ドーリスさん」
出迎えてくれた家令のドーリスにマントを預け、剣と短剣を置き、私服へ着替え、居間へ移る。
そこにいたのは、伴侶であるユーリカと――先月に生まれたばかりの赤ん坊だった。
出産から一か月弱。ユーリカは屋敷で体力を取り戻すための自主的な鍛錬に励みながら、冬の前にも連隊に復帰する予定となっている。
「ただいま、ユーリカ」
「おかえり、フリードリヒ……この子、ついさっき起きたんだよ。まるでお父さんが帰ってくることが分かってたみたい」
ソファに座っているユーリカはそう言って、腕に抱いた我が子に愛しそうな視線を向ける。フリードリヒも彼女の隣に座り、微笑を浮かべて娘を見下ろす。
「あはは、そうだったんだ……お母さんと一緒に僕を迎えようとしてくれたのかな、カサンドラ?」
話しかけるフリードリヒを、赤ん坊――カサンドラは興味深そうに見つめていた。
「本当に賢そうな目。さすがはフリードリヒの血を引いてる子だね」
そんな娘の様子に、ユーリカがそう語る。
カサンドラの瞳は、フリードリヒと同じ深紅の色を帯びている。そして髪は、ユーリカと同じ黒髪。顔立ちは目や輪郭はフリードリヒの面影があり、鼻や唇はユーリカに似ながら育ちそうな気配がある。まさしく、二人の愛の結晶。
「成長したら、きっとユーリカに似て身のこなしが素早い子になるよ。何せ、生まれるときからあの速さだったからね」
フリードリヒの言葉に、ユーリカは小さく吹き出した。その反応が気になったのか、カサンドラはルビーのような瞳を今度は母親の方へ向ける。
カサンドラが生まれたのは十月中旬の夜半のことだった。出産に際して呼ばれた熟練の産婆の話では「これほど素直に生まれてきた子は初めて見た」とのことで、実際にカサンドラはユーリカが産気づいてから一時間とかからず産声を上げた。
元々体力があることもあって、ユーリカは出産直後もあまり疲弊した様子はなかった。女性にとって出産は命懸け。養父マティアスの妻アンネマリーも出産で命を落としている。だからこそフリードリヒとしては気が気ではなく、内心で心配と恐怖が膨らむのを顔に出さないよう懸命にこらえていた。予想より遥かに順調にカサンドラが生まれてくれたことで、心の底から安堵した。
「……それで、王城に召喚された理由って?」
「予想通りだった。カルーナ地方での反乱やヨルゴス・カルーナの襲来に際して、エーデルシュタイン王国からアレリア王国に援軍を送るらしい。フェルディナント連隊を基幹とし、僕が指揮を担うことになった。出撃はおそらく来年だ」
カサンドラを見つめながらそう語り、そしてフリードリヒはユーリカの方へ視線を移す。
「ユーリカ。君には……」
「分かってる。二人で話し合ったことだから」
そう答え、ユーリカは優しく微笑んだ。フリードリヒは少しの罪悪感を抱きながら、自身も微笑を浮かべる。
ユーリカは騎士であり、フリードリヒの剣である。そして同時に、今はホーゼンフェルト伯爵夫人であり、カサンドラの母でもある。
ホーゼンフェルト伯爵とその夫人としては、世継ぎがある程度成長するまでは庇護してやらなければならない。
そしてフリードリヒもユーリカも、親と触れ合うことを知らずに育った。だからこそ、娘が物心もつかないうちから独りにはしたくない。せめて、娘の記憶の中に親の存在が刻まれるまでは庇護してやりたい。
戦えば二人ともが死ぬこともあり得る。それが戦場の現実。特に、他国への遠征という任務では不測の事態が起こり、それが不幸を招く可能性が平時よりもさらに高い。
できることならば、今しばらくは平和が続き、フリードリヒもユーリカも危険な最前線に立つことなく軍人としての務めを果たせる情勢であってほしかった。二人で共に軍務に就きながら、それでもある程度は安全でいられる状況が続いてほしかった。
しかし、世界がそれを許さない情勢となれば、最悪の事態に備えるしかない。だからこそ、もしフリードリヒがアレリア王国への援軍を率いることになれば、ユーリカは屋敷に残り、ホーゼンフェルト伯爵家とカサンドラを守る。そう二人で決めていた。
「忘れないで、フリードリヒ。私はあなたのいる場所に一緒にいるし、あなたのすることを一緒にするの。身体が離れていても心は一緒よ。これからもずっと」
「……ありがとう、ユーリカ」
二人は笑みを交わし、そして口づけを交わす。
身体のいる場所が違っても、心のいる場所――志のある場所は同じ。そうありながら、ホーゼンフェルト伯爵家とこの国、そして愛する我が子を一緒に守る。二人で見出だした、どのような状況でも共にあり続けるための術を、互いの唇に触れながら確かめ合う。
新年あけましておめでとうございます。
2025年もエノキスルメの活動を見守っていただけますと幸いです。
引き続きよろしくお願いいたします。




