第170話 反乱の予兆
七月の末。フリードリヒはフェルディナント連隊長として、女王クラウディア・エーデルシュタインより、王城へ参上するよう命を受けた。
「フリードリヒ・ホーゼンフェルト伯爵。登城ご苦労。よく来てくれた」
「女王陛下」
応接室へ入ったフリードリヒは、椅子に座ったクラウディアに迎えられる。女王への敬意として一礼した後、促されて彼女の向かい側に着席し、その後ろには副官グレゴールが無言で控える。
まずはお茶が出され、それを飲みながらクラウディアは王国中枢の政治の様子などを、フリードリヒはフェルディナント連隊の再建の具合などを語る。そうして報告交じりの雑談で場の空気が温められた後、話は本題に移る。
「――さて、今回呼んだ用件だが……お前も噂としては聞いていることと思う。アレリア王国内の情勢、特にカルーナ地方とミュレー地方についてだ」
クラウディアの言葉に、フリードリヒは無言で小さく頷く。
講和後、軍事的には目に見えて弱体化しつつあるアレリア王国。サミュエル・アレリア国王は旧来の王国領土と、情勢的に支配の継続が容易であろうロワール地方の維持に注力しているものと見られ、その他の地方――かつては独立した国だった各征服地についてはそう遠くないうちに手放すものと、エーデルシュタイン王家は分析している。
各征服地の主だった支配者層とアレリア王家の間で、水面下で再独立に向けた交渉が進められているという噂もあり、ノヴァキア公爵ユリウスからは、少なくともノヴァキア地方に関してはこの噂が事実であると伝えられている。
そんな中で情勢がきな臭くなっているのが、アレリア王国南部のカルーナ地方と、北東側のミュレー地方。
カルーナ地方については、征服の背景やその後の苛烈な統治も考えれば、反動として反乱の兆候が発生するのもある程度は致し方ないと言える。またミュレー地方についても、山岳貴族という保守的かつ武闘派の貴族閥があることを考えると、反乱準備の動きが見られることは納得がいく。ミュレー地方で部下ギュンターが見聞きした現状については、既に王家に報告した。
「王家としては、冬明けより情報収集にさらなる力を入れていた。ときにアレリア王家やノヴァキア公爵家とも情報交換をしてきた。その結論としては、やはりカルーナ地方とミュレー地方で反乱が起こる可能性が高まっていると言わざるを得ない。起こる前提で考えた方がいいだろう」
アレリア王家が事前に反乱の芽を摘むことは、おそらく難しい。財政難によって各征服地の駐留部隊が規模縮小を続けるアレリア王国軍では、征服地の社会全体を監視することさえままならないはず。そのため、両地方における不穏な動きの予兆はうかがえても、反乱勢力の具体的な顔ぶれや計画の全体像を把握することは叶わないものと思われる。
なので、アレリア王サミュエルとしてはおそらく、反乱を起こした軍勢を叩き伏せて両地方の軍事力を削いだ上で、アレリア王国に有利なかたちで両地方の穏便な再独立を進めたいだろう。クラウディアはそう語った。
「時期としては、おそらく今年中にはまだ起こらない。起こるとしたら年明けだ。カルーナ地方とミュレー地方の反乱勢力が裏で繋がり、同時に蜂起することで反乱の成功率を高めようとする、などという見方もできる……とはいえ、いつどのように事態が動くかは分からない。反乱勢力とは言っても、所詮はアレリア王家への不満を募らせた複数の貴族や大勢の民から成る不安定な集団だろうからな。暴発によって不意に反乱が起こってもおかしくはない。アレリア王家はできる限りの備えを進めるのだろうが、我がエーデルシュタイン王家としても、ただ傍観を決め込むつもりではいられない」
「では、介入の可能性もある、ということになりますか?」
フリードリヒの問いに、クラウディアは静かに首肯する。
「大陸西部の安定は我が国にとっても重要だ。反乱を起こして独立を果たしたカルーナ王国とミュレー王国が、独立するだけに留まらず勢力拡大を試み、大陸西部の全体に新たな混乱が巻き起こる可能性もある。そのような事態になれば、アレリア王国に勝利して安寧を手にし、さらなる発展のために日々前進している我々の努力が無駄になりかねない」
征服地で武装蜂起が起こり、その対応にアレリア王家が苦慮することは、エーデルシュタイン王国としては他人事。賠償金さえ払われるのであれば、敗戦国の苦労は知ったことではない。
が、アレリア王家があまりにも敗けすぎては困る。滅びられてはもっと困る。賠償金を払い終えないままアレリア王家が打倒され、その打倒を成した勢力が新たな侵略者として大陸西部で台頭したりすれば、先の死闘が水の泡となる。それがエーデルシュタイン王国としての立場であると、フリードリヒも理解している。
「なので王家としては、もちろんアレリア王家に求められればだが、助力することもあり得るだろう」
「……その場合、出撃するのは我々フェルディナント連隊というわけですね」
察し良く言ったフリードリヒに、クラウディアは微苦笑を見せた。
「その通りだ。任務の性質上、即応部隊である卿らが最も適任であることは間違いないからな。とはいえ、他国に援軍を派兵するというのは、我が国にとって久しくなかったこと。今から必要な準備や訓練を進めてもらいたい。王国軍としても、王家としても、必要な支援は全面的に行おう」
「承知しました。どのような状況となっても対応できるよう、努めてまいります」
一応、このような話をされることはフリードリヒも可能性のひとつとして想像していた。だからこそ、驚くことなく答える。
「……決戦から二年と経っていないというのに、苦労をかける」
「畏れながら陛下、我々は王国軍人です。王家と王国を守るために、あらゆるかたちで全力を尽くすのは当然のこと。戦禍がエーデルシュタイン王国に及ぶことを未然に防ぐために戦うのも、また我々の務めにございます」
フリードリヒの殊勝な応答に、クラウディアは優しい表情を見せる。
「よく言ってくれた。では……まだ必ず介入すると決まったわけではないが、万全の備えをしてくれ。頼りにしているぞ、エーデルシュタインの生ける英雄よ」
英雄。この国の主よりそう呼ばれながら、フリードリヒは厳かに敬礼で応えた。
・・・・・・
九月。アレリア王家の居城。
会議室には国王サミュエルと宰相エマニュエル、そして王国軍将軍ツェツィーリアと「王の鎧」の隊長であるパトリックが集っていた。
議題は現在最も重要な事項――カルーナ地方とミュレー地方の反乱について。両地方で反乱の機運が高まっていることについては、当然ながらアレリア王家も情報を掴んでいる。
王家としては、来年にも反乱が起こるものとして対応に当たっている。とはいえ、あくまで不穏な予兆が見られるだけの状況で、できる対応は限られる。国力が落ちている現状、反乱勢力の全体像を把握することは叶わず、先制攻撃も難しい。証拠もなく下手に適当な貴族に手を出せば、それこそが両地方の暴発のきっかけとなりかねない。
だからこそ、反乱が起こる前提で戦いの準備をしなければならない。昨年の決戦の傷も未だ癒えていない現状で。
「ユリウス・ノヴァキア公爵より、反乱への対応について提案がなされました」
会議の場でそう語ったのは、エマニュエルだった。
「ミュレー地方で起こり得る反乱については、その鎮圧に全面的に協力する意思があるそうです。モゼッティ侯爵率いる王国軍駐留部隊を全面的に支援し、公爵家の手勢や徴集兵も援軍として動員したいとのことでした」
「……当然、見返りを求められるのでしょうな」
呟くように言ったパトリックに、エマニュエルも頷く。
「戦後は保留となっていた、ノヴァキア卿の妹君の輿入れの正式な撤回。加えて、王国軍駐留部隊の完全な撤退。その上での、ノヴァキア王国再独立の承認。これらを反乱鎮圧後、三か月以内に行うことを条件として要求されました」
「いずれの要求も妥当な内容で、政治的には叶えることは難しくない。何せ、ノヴァキア地方を征服して僅か二年ほどだからな。元より、ノヴァキア地方は他の征服地と比べても速やかに再独立させるつもりでいた」
叔父に続いて、サミュエルもそのように語る。
「ノヴァキア卿の全面的な協力を得られるとなれば、モゼッティ卿も全力を発揮できるでしょう。そこにノヴァキア公爵家の兵力も加わるとなれば……こちらは一個連隊規模の兵力をミュレー地方に差し向ければ、反乱軍の兵力を上回るでしょう。軍事的にも魅力的な提案です」
ツェツィーリアは将の立場としてそのように語る。それが予想済みだったのか、サミュエルもエマニュエルも驚きは示さない。
「ミュレー地方の対処が容易になるのであれば、カルーナ地方で同時に反乱が起こっても鎮圧できそうか?」
「はい。カルーナ地方の反乱も、兵力規模としてはせいぜい数千のはず。王国軍の主力に加え、多少の徴集兵も動員すれば、そちらの鎮圧も難しくはないでしょう」
ミュレー地方の人口は推定で三十万弱。カルーナ地方の人口は四十万強。いずれも、征服後の圧政によって人口が王国中央部に流入し、減少している。
そこでいくら反乱の機運が高まろうと、兵力的には限界があるはず。それも、複数の貴族の手勢が寄り集まった反乱勢力では、重大な脅威にはなり得ない。少なくとも、昨年戦ったエーデルシュタイン王国の軍勢とは比べ物にならない。意思の統一も定かではないはずで、上手く立ち回れば各個撃破も叶う。
それがツェツィーリアの予想であり、パトリックも同意見であることを確認している。
「では、この二地方で同時に反乱が起こっても、十分に対処できそうだな……諸卿が役割を果たしてくれているおかげだ。ありがとう」
「恐縮です、閣下」
サミュエルの言葉に、この場の臣下を代表してエマニュエルが答えた。
軍部が戦力の再建に努め、文官たちも宰相の下で王国社会の情勢把握に努めている。だからこそ反乱についても事前に予兆を掴み、鎮圧に向けて備えを進めることができている。
この調子で、何とか新たな秩序の構築を成し、アレリア王国を現実的に叶う最善のかたちで存続させていきたい。十分に可能なはず。
サミュエルがそう手応えを感じていた矢先、新たに凶報がもたらされたのは翌月のことだった。
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