第155話 決戦⑮ 勝利
「うわあああっ!」
矢を受けて暴れる馬に振り回されていたサミュエル・アレリアは、前脚を跳ね上げて暴れた馬からとうとう振り落とされ、地面に転がった。
全身に痛みを覚えながら立ち上がり、剣を抜く。父や「王の鎧」とはぐれ、なおも一人で戦う気概があるわけではなく、ただ少しでも安心感を得るために武器を手に持つ。
周囲を見回すと、そこは未だ味方前衛の混乱の只中。泣き叫び、あるいは険しい顔で逃げ惑う徴集兵たちの喧騒に、飛び交う怒号に、思わず恐怖で身が竦む。手にした剣はさして勇気をくれなかった。父に勇ましい様を見せるために前衛までついてきたことを既に後悔していたが、その後悔がより深くなった。
このまま一人で戦場の只中に取り残され、一体どうすればいいのか。どちらへ逃げるべきかは周りの徴集兵たちと同じく判断がつかない。
「王太子殿下!」
恐ろしい無力感に包まれていたところへ、駆けつけたのは「王の鎧」の隊長であるパトリック・ヴィルヌーヴ伯爵だった。見知った王家の側近が来てくれたことで、サミュエルは安堵に表情を緩ませる。
しかし、そのパトリックもどうやら負傷で左の肩と腕を封じられているらしく、手綱を握らず下ろされた腕からは血が流れている。サミュエルの傍で馬を停止させたパトリックは、そのまま飛び降りるように下馬し、右手だけで剣を抜いてサミュエルを背後に置く。
「パトリック! よく来てくれた! だが父上は?」
「国王陛下は重傷を負われ、残る騎士たちに守られて後衛に退却されました! 今は一命をとりとめられることを神に願うしかありません!」
「そんなっ! じゃ、じゃあ僕たちはこれからどうすれば……っ!」
「ここからアレリア王国側の後衛まではまだ距離があり、戦場がこの混乱では徒歩での退却も極めて難しいことと存じます! この上は、敵に捕縛されることを覚悟し――」
パトリックが説明し終える前に、二人を包んでいた徴集兵たちの群れが目の前で割れる。烏合の衆を蹴散らして現れたのは、先ほどまでこちらを追っていたエーデルシュタイン王国の騎兵部隊だった。
敵の騎士たちは素早く円陣を作り、その内側にサミュエルとパトリックを閉じ込める。
「ぱ、パトリック……」
「武器をお捨てください! そのまま下手に動かず、お待ちを!」
言いながら、パトリックは自身が手にしていた剣と、予備の武装である短剣を地面に捨てる。サミュエルもそれに倣う。父キルデベルトより賜った剣と短剣を手放すことに、少なからぬためらいを覚えながら。
「こちらの御方はアレリア王国王太子、サミュエル・アレリア殿下である! そして私はヴィルヌーヴ伯爵パトリック! 我らは貴国に投降する! 抵抗はしない!」
パトリックが叫ぶ間も敵の騎士たちは動き、二人の逃げ場を完全に塞ぐ。もはや騎馬の向こうの徴集兵たちも見えないほどに、数百騎もの敵に厚く包囲される。
鋭い殺気を放ちながら、敵の騎士たちは二人を囲む。サミュエルは腰が抜けそうなほどの恐怖を覚える。周辺諸国は恐ろしい国ばかり。こちらが侵略しなければ、いつかこちらを侵略しにくるであろう明確な敵。父よりそう教えられてきたからこそ、敵国の軍人たちにこれからどのような酷い扱いをされるのかと不安に襲われる。
騎兵部隊の指揮官らしき騎士が、馬を下りて二人を向く。鎧に刻まれた家紋と、下馬の際に見えたマントの背中の同じ家紋から、貴族であると分かった。
険しい表情の騎士は、こちらを睨みながら歩み寄ってくる。サミュエルが思わず息を呑み、パトリックが庇うように前に立ち――
歩み寄ってきた敵指揮官は剣を収め、姿勢を整えて敬礼する。
「サミュエル・アレリア王太子殿下。私はエーデルシュタイン王国軍ヒルデガルト連隊長、ディートヘルム・ブライトクロイツと申します。これより貴方様は我らエーデルシュタイン王国軍の捕虜にございます。不自由を強いることと存じますが、どうかご理解ください……おい、ヴィルヌーヴ伯爵に傷の手当てを」
敵指揮官――ディートヘルム・ブライトクロイツの命令で、数人の騎士が下馬する。サミュエルとパトリックの捨てた武器が丁寧に回収され、パトリックの矢傷に応急処置が施されていく。
どうやら敵は想像していたような野蛮人ではなく、自分たちは正当な捕虜として身分相応の扱いを受けるらしい。そう理解したサミュエルは、安堵して地面にへたり込んだ。
・・・・・・
戦場の最前面で味方の歩兵を鼓舞し続けながら、クラウディアは戦況がこちらの有利に動いていくのを実感していた。
こちらの騎兵部隊が突撃を敢行して以降、覇王キルデベルトは直衛を伴って退却していき、その姿が見えなくなった。それと時を同じくして、烏合の衆となり果ててこちらに狩られるばかりだった敵徴集兵の密度が薄くなり、敵を押し込むこちらの前進の速度が増していた。
勝ちが見えたか。そう思ったとき、敵陣を突き抜けて数騎の王国軍騎士がクラウディアのもとに駆けてくる。
「報告です! アレリア王に致命傷と思われる重傷を負わせることに成功! また、サミュエル・アレリア王太子を捕縛! 敵本陣は敗走し、敵の歩兵後衛と弓兵部隊、騎兵部隊もそれぞれ退却を開始しました!」
その報告に、クラウディアは静かに笑む。勝利の予感が確信に変わる。
敵後衛歩兵のうち精鋭部隊が前に出てしまったことで、残ったのはアレリア王国軍の中でも旧周辺諸国から呼び寄せた二線級の部隊や、貴族領軍ばかり。これほど混乱した戦況で、総大将たる国王が深手を負って本陣ごと敗走したとなれば、忠誠心に欠けるそれらの部隊が逃げ腰になって退却するのは必然。
近接戦を担う歩兵が前衛後衛ともに戦闘を継続できないとなれば、弓兵部隊も続く。帝国軍の漆黒弓部隊による攻撃で既に相当の損害を負っているはずの敵弓兵は、これ以上戦い続けられず下がるしかない。
そして敵騎兵部隊も。逃れてくる徴集兵や、ディートヘルムたちに呼応して突撃した帝国の騎兵部隊によって、敵騎兵部隊が突撃に失敗する様はここからも見えていた。まとまりも勢いも失った騎兵の群れが、このまま戦場に残ったところでできることはない。
後方や側面を塞ぐ部隊が完全にいなくなれば、敵徴集兵たちはもはや誰にも逃亡を阻まれることなく、好き勝手に戦場から去っていく。目の前に広がる敵陣前衛、そこを蠢く敵兵の密度が急激に薄くなっていくのも当然のこと。
こうなれば、もはや勝てるか否かではなく、どれだけの戦果をもって勝利を飾れるかを考えるべき段階。
「皆喜べ! 我らの勝利は決まった! 敵は背中を見せて逃げ出した! 後は追いかけて狩るだけだ! 勝利の栄光に向かって進め!」
勝利は決まった。強大な侵略者であるアレリア王国に勝利した。
女王による宣言に、エーデルシュタイン王国の軍勢は鬨の声で応えながら突き進む。戦いながら戦線を押し込むのではない。逃げ去る敵の背中を目指して勢いよく駆けていく。
・・・・・・
敵前衛を崩壊させ、ファルギエール伯爵の部隊を排除した後、フェルディナント連隊は敵陣の只中で待機していた。ホーゼンフェルト伯爵家の旗を掲げ、歩兵の隊列によって防御を固め、その周囲を騎兵部隊が回ることで威圧し、烏合の衆と化した敵を遠ざけていた。
「……勝ったね」
安全を確保した陣形の中央で、フリードリヒは戦場の様子を見ながら呟いた。
先ほどまでは逃げ場も少なく前衛で蠢いていた敵徴集兵たちは、今は一斉に後方へ流れていく。すなわち徴集兵の逃亡を阻んでいた敵後衛が既に退却を開始しているということであり、それはつまり敵軍全体の敗走を意味している。
覇王キルデベルトがどうなったかはまだ分からないが、少なくともこの決戦においてエーデルシュタイン王国が勝利を成しつつあるのは間違いない。
「大隊長たちに伝達。本隊に合流し、敵の追撃に移る。事前の計画通り、敵徴集兵は無視して正規軍人に狙いを定めるように」
「はっ」
命令を下すと、グレゴールが直ちに答えて伝達に動く。
細かい動きまでは操作の利かない味方徴集兵たちは別として、正規軍部隊には敵の正規軍人だけを狙って追撃戦を行うよう命じる。これは事前に定められていたことだった。戦が終われば民に戻る敵徴集兵を狩る意味は薄く、しかし正規軍人を一人でも多く減らせば戦後のアレリア王国をより弱体化させられる。
それからさして時間もかからず、敗走する敵軍を追撃する味方前衛が近づいてくる。先頭の中央には、堂々とはためくエーデルシュタイン王家の紋章旗。
フェルディナント連隊も、既に追撃に向けて陣形を変えている。敵が敗走していく方、すなわち戦場西側を向いて騎兵部隊が隊列を整え、その後ろに歩兵部隊が並ぶ。戦場北側の森に留まっていた歩兵と弓兵たちも、敵の抵抗がなくなったことで合流を果たす。
フリードリヒは戦場を見渡す。やや離れた位置に、ディートヘルム率いる騎兵部隊がいるのが見えた。突撃任務を果たした彼らも、これから追撃に臨む構えをとっているのだろう。
「本隊より伝令です!」
いよいよ本隊と合流する直前、近衛隊の所属と思わしき騎士が単騎で駆けてきた。女王クラウディアが寄越してくれたのであろうその騎士の報告によると、ディートヘルムたちは覇王キルデベルトに致命的な重傷を負わせ、さらには王太子サミュエルを捕縛したという。
想定の中でも最良に近い朗報に、フリードリヒは微笑を浮かべて部下たちの方を向く。
「これより追撃を開始する。各部隊は前進せよ」
新たな英雄の命令で、フェルディナント連隊が動き出す。先行する騎兵部隊が逃げ去る敵を蹴散らし、歩兵部隊がその後に続き、抵抗せんと近づいてくる僅かな敵を弓兵部隊が仕留める。損害らしい損害を受けることもなく追撃を進め、間もなく本隊と陣形をひとつにする。
戦場の只中にいたディートヘルムたち騎兵部隊や、戦場南端で戦っていた帝国の騎兵部隊も合流し、エーデルシュタイン王国の軍勢は再びひとつになって勝利への前進を成す。
当初は比較的秩序を保っていたアレリア王国側の後衛も、前衛の味方の敗走や敵の激しい追撃を受け、徐々に隊列が混乱。最後にはアレリア王国の軍勢全体が崩壊し、ますます損害を大きくしながら西へ壊走した。
ルドナ大陸西部の未来を左右する決戦は、エーデルシュタイン王国の劇的な勝利で終わった。




