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フリードリヒの戦場【書籍化】  作者: エノキスルメ
第五章 戦場に散った真の英雄たちへ捧ぐ。

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第154話 決戦⑭ 勝利の一手(後)

 モンテスキュー侯爵の部隊を突破したディートヘルム率いる騎兵部隊は、さらに「王の鎧」と対峙する。

 アレリア王国軍の最精鋭である「王の鎧」も、今は正面と左側面に兵力が偏重した陣形をとっており、未だ七〇〇騎近い戦力を保って右側前方から斬り込むディートヘルムたちの脅威にはならない。騎乗突撃の勢いを止めるほどに強靭な隊列はなく、混乱極まる戦場で陣形移動を成す十分な猶予もない。

 しかし、士気はある。王家のためにいつでも命を捧げる覚悟を決めている「王の鎧」の騎士と兵士たちは、主君が逃げるための時間を一秒でも長く稼ごうと、文字通り決死の抵抗を見せる。

 迫りくるエーデルシュタイン王国の騎兵部隊に、歩兵たちはもはや勝利しようとはしない。自身が巻き込まれることを承知の上で槍を馬の胴に突き刺し、転倒させる。しがみつくようにして馬上の騎士を引きずり下ろし、自身もろとも後続の騎馬に踏み殺させる。そうした滅茶苦茶な戦い方で足止めを図る。

 そして「王の鎧」の騎士たちも、足止めに徹する。剣や槍を振るって馬上の敵を叩き落とそうと試み、なかには落馬を覚悟で体当たりを敢行する者もいる。


 そうして彼らが稼いだ時間も、しかしそう長くはなかった。一〇〇騎あまりが隊列から脱落しながら、それでもエーデルシュタイン王国の騎兵部隊は「王の鎧」による抵抗の戦列を突破し、なおも覇王キルデベルトを追う。

 もはや突撃を阻むまともな敵部隊はない。キルデベルトを守る直衛の騎士たちが退却の邪魔になる徴集兵を踏み潰しながら駆けているために、その後ろを追うディートヘルムたちとしてはかえって走りやすい。

 アレリア王家の旗は次第に近づき、その下にいるキルデベルトを、一際目立つ覇王の鎧を、ディートヘルムはいよいよ視界に捉える。キルデベルトの隣には彼に負けないほど豪奢な鎧を纏っている者もいる。観戦に出ているとの情報があった王太子サミュエルが、まさかこの前衛まで父親に付き従っていたのか。

 だとしたら、尚更逃がすわけにはいかない。


「狙撃部隊は前に出ろ! 覇王はすぐそこだ!」


 ディートヘルムの命令で、これまで突撃陣形の中央正面を担っていた騎士たち――ヒルデガルト連隊騎兵部隊に属する騎士たちが左右に分かれ、その後方に置かれて守られていた五十騎が前に進み出る。

 この五十騎が装備しているのは、リガルド帝国より貸与された漆黒弩。馬上で、遠距離から、一撃のもとに重装の騎士にも致命傷を負わせることのできる最新兵器。

 まずは前列にいる二十余騎が、黒塗りの小型クロスボウを片手に構え――

 そのとき。キルデベルトの周囲を守る直衛のうち十騎ほどが、反転して迫ってきた。この期に及んで尚も、主君を守るために己を犠牲にして抵抗するつもりであるらしかった。


「矢は使うな! 接近戦で排除しろ!」


 叫びながら、ディートヘルムは自らも剣を振り上げて手綱を振り、愛馬を加速させる。

 騎乗戦闘の能力に関して、ディートヘルムは自身がエーデルシュタイン王国軍でも五指に入ると自負している。すれ違いざまに敵騎士の一人を難なく屠り、さらに別の敵騎士の馬に自身の愛馬を接触させる。接触された馬は体勢を崩し、ディートヘルムの後続の騎士たちの攻撃を防ぎきれず倒される。

 ディートヘルムが実質的に一人で二騎を倒し、他の敵騎士もヒルデガルト連隊騎兵部隊の騎士たちに殲滅される。邪魔な敵を排除し終えたディートヘルムたちは、再び漆黒弩装備の騎士たちの射線を開ける。

 未だ「王の鎧」の騎士たちに囲まれているキルデベルトだが、直衛の数が減ったことで、その後ろ姿は先ほどよりもよく見える。アレリア王国による侵略の元凶、その背を睨みつける。

 この攻撃に全てがかかっている。今は軍を去った師、自分にとって第二の父であるヨーゼフ・オブシディアン侯爵は、この瞬間のために自分を将として育てたのだ。そんな思いさえ抱きながら、斉射の命令を下す。


「放て!」


 二十余騎の構えた漆黒弩から、戦場の喧騒を切り裂いて矢が放たれる。


・・・・・・


「ち、父上!」

「走り続けろ! 後ろを振り返るな!」


 動揺を隠しきれない王太子サミュエルに怒鳴りながら、キルデベルトは自身も馬を駆り、後衛を目指す。予備の正規軍部隊が控える後衛まで到達すれば、少なくとも今この戦場では生き長らえることができる。

 こんなところで死ぬわけにはいかない。自分も。自分の跡を継ぐべき息子も。父より受け継ぎ、息子に受け継がせる覇道が、こんなところで終わっていいはずがない。

 キルデベルトの焦燥を、しかし嘲笑うかのように死は後ろから迫る。数百騎もの敵が、騎乗突撃の勢いのままに覇王の首を取らんと迫りくる。


 次の瞬間。

 何かが顔の傍を掠める鋭い音が響き、さらに後ろからは騎士たちの呻き声や悲鳴、そして馬たちの嘶きが響いた。キルデベルトが思わず振り返ると、自分と継嗣の背中を守っていた騎士たちが落馬し、あるいは馬ごと倒れ、あるいは走り続けられず隊列から脱落し、全滅していた。

 生き残っているのは、キルデベルトの右側後方を走っていたパトリックだけ。そのパトリックも顔には汗が浮かび、左手を手綱から放している。よく見ると、肩に短い矢が突き刺さっている。

 クロスボウか。しかしどうやって馬上から撃った。

 キルデベルトが思考を巡らせる暇もないまま、絶望的な逃走は続く。後方の敵騎兵部隊は走りながら隊列を動かす。先頭にいた敵集団が左右に分かれ、新たに先頭に数十騎が進み出てくる。その手にも、例のクロスボウらしき武器がある。


 そこから矢が放たれるまでの数瞬。人生で最も死が近づいているこの数瞬に、キルデベルトの思考がかつてなく速く回る。

 パトリックも敵が二射目を試みていることに気づき、進路を修正して主君とその継嗣の真後ろに回ろうとしているが、片手を使えないために手綱を操るのに手間取っている。その僅かな時間が今は命取りになる。おそらく間に合うまい。

 他の直衛――徴集兵の群れを蹴散らしてキルデベルトの退路を切り開くために前方を走っている騎士たちには、今からキルデベルトの後方に回り込むだけの猶予が残されていない。

 次の瞬間にも放たれる敵の攻撃から、自分とサミュエルを守れる者はいない。そう理解したキルデベルトは――咄嗟に、息子を庇う。すぐ隣を走るサミュエルに限界まで近づき、その背中に身を乗り出すようにして己を息子の盾にする。

 それとほぼ同時に、鋭い衝撃に襲われる。


「ぐうっ!」


 いくつもの矢が鎧を貫通して背中に突き刺さる感覚。まず焼けた棒を押しつけられたかのような熱さを覚え、次いで鋭い痛みが全身をはしる。

 矢を受けたのは背中だけではなかった。首にも命中したのが分かった。喉が潰れた感覚はなかったが、血が溢れて鉄の味が口の中を満たした。

 致命傷だと、本能的に理解した。


「ああっ!」


 サミュエルの馬が暴れ、並走していたキルデベルトから離れる。幸いにも息子の身は庇いきれたようだったが、その馬までは守れなかった。後ろ脚と尻に矢を受けて暴れる馬を操る術もなく、サミュエルは彼の意図に反してあらぬ方向に走っていく。

 このままでは、息子が一人この戦場に取り残される。


「……っ!」

「国王陛下!」


 痛みのあまり体勢を崩したキルデベルトは、馬を寄せてきたパトリックに支えられる。それで初めて、彼が先ほどの斉射を生き残ったことにキルデベルトも気づく。

 共に敵の二度目の斉射を受けたにもかかわらず、皮肉にもパトリックの方が傷が浅かった。キルデベルトに複数の矢が命中した一方で、彼は新たに腕に矢を一本受けただけで済んでいる。

 もはや言葉も発することも容易ではない状態で、キルデベルトは忠実な警護指揮官を睨み、離れていくサミュエルの方を指差す。


・・・・・・


 いくつもの矢を背に受け、さらには首まで矢に貫かれているキルデベルトの姿を見て、パトリックは己の主君が助かる見込みは極めて薄いと理解した。共に敵の第二射を受けたにもかかわらず、何故自分が腕に矢を受けただけで、守るべき主君がこれほど致命的な傷を負ってしまったのか。心では運命を呪って絶望しながら、しかし軍人としての理性が冷静に現実を受け入れた。

 そして、キルデベルトが王太子サミュエルを指差したことで、彼の意図を理解した。

 現状、国王キルデベルトと王太子サミュエルでは、退却の隊列からはぐれただけの後者の方が生き残る可能性が高い。であれば、王家の守護を使命とする自分は、王位継承者であるサミュエルの傍について彼を守るべき。手負いの身だが、それでも戦場の混乱から身を挺して彼を庇う程度はできる。共に捕虜となり、敵国の地で彼を補佐することもできる。

 そして、自分にも子供がいる。だからこそ、もはや死に体の己より、我が子を案じるキルデベルトの気持ちは痛いほど理解できる。


「い、行け……」

「……御意! 必ずや殿下をお守りします!」


 声を絞り出すように言ったキルデベルトに、パトリックはせめて力強く答える。そして、退路を切り開くために前を走っていた騎士の一人を呼んでキルデベルトを任せると、自身はサミュエルを追いかける。肩と腕の痛みをこらえながら手綱を引き、暴れ馬に連れて行かれた王太子のもとを目指す。

 最後にもう一度、主君の姿を横目に見る。若き日には共に武芸の稽古に打ち込むことさえした主君との、おそらくこれが今生の別れとなる。まさか、さして苦労なく勝利を収めるはずのこの決戦が、偉大な覇王の最期の戦いになろうとは。

 後衛まではそう遠くない。このままキルデベルトが生きて自陣の後方まで逃げ延び、せめて最期に言葉のひとつでも遺すことができるか。それはもはや神のみぞ知る。


・・・・・・


「……ここまでか」


 前方を見据えながら、ディートヘルムはあくまでも冷静に呟く。

 敵陣後衛に近づくにつれて敵徴集兵の群れの密度は薄くなり、キルデベルトとそれを囲む「王の鎧」の騎士たちは進路上の邪魔が減ったからか、退却の速度を増している。現状ではこちらが追いつくまでに今しばらく時間がかかる。

 そして、キルデベルトたちは間もなく前衛の混乱を抜け、後衛にたどり着く。そこには未だ数千の敵兵力、それも脆弱な徴集兵ではなく、一定以上の練度を誇るアレリア王国軍や貴族領軍が控えている。ここまでの疾走で疲弊し、脱落者も続出しているこちらの残存兵力では、キルデベルトの間近まで迫って剣で仕留めることは極めて難しい。

 幸い、キルデベルトの胴体に漆黒弩の矢を複数発、直撃させることに成功した。首に矢が突き立つ様も確認した。即死はさせられなかったとしても、致命傷を与えたのはほぼ間違いない。あのような状態で彼が生き長らえるとは考え難く、万が一生き長らえたとしても長期にわたって王の務めを果たすことはできない。敗北し、精鋭部隊を含む多くの兵力を失い、自らも重傷を負って弱った覇王の求心力が、今まで通り続くことはない。

 完璧に理想通りというわけではないが、十分以上の成果は得た。この上で物理的な首を得ることにこだわり、女王より預かった貴重な騎兵戦力を壊滅させるわけにはいかない。

 それよりも優先すべき別の目標がある。


「総員、俺に続いて進路を変えろ! 王太子サミュエルを捕らえ、以降は味方の援護に回るぞ!」


 ディートヘルムはそう言いながら手綱を操って馬首を巡らせ、おそらくは馬の暴走で隊列を離れた王太子サミュエルを追う。それに、騎兵部隊の残存兵力が続く。

 キルデベルトがどうやら戦場に継嗣を伴っているらしいと偵察によって分かった時点で、サミュエルは二番目の重要目標と見なされていた。馬の暴走によって、彼が生きたまま隊列からはぐれる様は見えていた。

 共存が不可能なキルデベルトとは違い、サミュエルは必ずしも討ち取る必要はない。捕虜としての利用価値は極めて高い上に、その後も隣国の新たな君主として共存し得る。

 キルデベルトの首に匹敵する価値が、サミュエルの身柄にはある。だからこそ、ディートヘルムはサミュエルの捕縛に騎兵部隊の余力を注ぎ込む。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 関ヶ原の薩摩の戦術(捨て奸)を思い出しました。 [気になる点] アレリア王国の後衛はなぜ王を助けにこなかったのか気になりました。 待機の指示があったのか、身動きが取れなかったのか。 自分…
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