第111話 陰の実力者
故郷を追われたノヴァキア王国南部の民が王都ツェーシスに到着し、南部を荒らされていることを知ったノヴァキア王家が難民への対処をしつつ進軍準備を急ぎ、進軍してくるまで、推定で三週間ほど。どれほど早くとも二週間ほど。
そう見越したフェルディナント連隊は、期限を十日間と定め、できる限り多くの人里を焼いて回った。
最大の敵は時間。各部隊は一日に少なくとも二か所、多ければ四か所もの村を巡り、村人たちに荷物をまとめさせて追い払い、そして村を焼く。ある程度の規模の小都市に関しては、複数の部隊で対応に当たる。
焦土作戦を進めるほどに、フリードリヒたちも非情な振る舞いに慣れた。さらにフリードリヒたちの噂は王国南部に広まったようで、最後の数日は村に到着すると既に村人たちが逃げた後だったり、指示をされる前に荷物をまとめ終えていたりしたため、効率は向上した。
それでも、十日間の任務を終える頃には疲労が溜まっていた。
常に周囲を警戒し、休息は焼く前の村の家屋で、交代で仮眠をとるのみ。食事は現地調達したパンや野菜、干し肉を移動しながら齧るのみ。風呂など望むべくもなく、せいぜい水で身体や髪を拭くだけ。そして、作戦中は現地住民たちから舐められないよう、強気の姿勢で振る舞い続ける。そんな十日間を過ごし、国境の砦に帰ったときには、作戦に従事した者たちは疲れ果てていた。
本来、エーデルシュタイン王国軍が軍事行動をとるのは自国領内、国境地帯まで。だからこそ国境までは堅実な補給路が敷かれ、各連隊は安定した環境で力を十全に発揮することができる。
まともに後方支援を得られない地で、十日間にわたって心身の消耗の激しい任務に従事し続けるというのは、フェルディナント連隊の騎士と兵士たちにとっても未知の経験。これほどの消耗は誰にとっても予想以上だった。
「……やっとお風呂に入れるね、フリードリヒ」
「そうだね。早くこの汗を流したい」
後発のアルブレヒト連隊や補給部隊も合流し、決戦に向けて拠点化された国境の砦。その北側に広がる野営地に帰り着き、部隊を解散してひと息つきながら、フリードリヒはユーリカと言葉を交わす。
「おいおい、その前にまずは飯だろう」
「腹減った……」
「ああ。空腹なのはもちろん、味気ない食事ばかりとっていたこともあるからな。とにかく何か温かいものを腹に入れたい」
二人の会話にヤーグが返し、ギュンターが呟くように零し、オリヴァーも同意するように頷く。
野営地に着いて早々、養父マティアスへと簡単な報告を済ませたフリードリヒは、ひとまず休む許可を得ている。疲れを隠しきれない顔で、同じ部隊として行動していた騎士の皆で輸送部隊のもとまで行くと、炊事を担当していた兵士たちはすぐに焼きたてのパンと熱いスープの夕食を出してくれた。
「……疲れた身体に染みるね」
「うん。信じられないほど美味しい。今まで食べたものでいちばん美味しいかもしれない」
肉や野菜がふんだんに入ったスープを匙で口に運び、フリードリヒとユーリカはため息を吐きながら言った。温かい食事を口にしたことで、十日間ずっと張りつめていた緊張がようやく解けた気がした。
「やはり、戦場では輸送部隊の作る食事が一番の楽しみだな。いつでも確実に美味い」
「さすがは王国軍最強の部隊だよな」
ギュンターをはじめ小隊の騎士たちが夢中で食事をかきこむ横で、オリヴァーとヤーグが言う。
直接的な戦力ではない輸送部隊は、しかし食料や飼い葉をはじめとした物資の補給、戦場の後方での野営地運営などで活躍している、軍に欠かせない存在。
ときに野営地での炊事も担当する彼らは、下手に商人を介して雇ったり周辺住民から徴集したりして炊事係を置くよりも美味い食事を用意してくれることで有名。補給部隊の発足時、野営料理の得意な傭兵上がりが士官にいたそうで、その者の残したレシピが部隊内で受け継がれているおかげなのだと言われている。
実戦部隊は戦場では補給部隊に胃袋を握られており、補給部隊の働きが士気に直結し、勝敗にも影響を与える。それが分かっているからこそ、如何な猛者でも丁重に接するしかない。そのため補給部隊は「王国軍最強の部隊」などと冗談半分で、もう半分は本気で呼ばれている。
任務から戻れば、落ち着ける野営地や温かい食事が用意されている。そのありがたみを、フリードリヒたちは今、かつてないほど痛感する。
「フリードリヒ・ホーゼンフェルト殿。それに皆さんも。過酷な任務お疲れさまでした」
食事をとり進めるフリードリヒたちのもとに、歩み寄って声をかける者がいた。
「っ、バルツァー卿」
「ああ、皆さんどうぞ座ったままで。くたびれているでしょうから」
立ち上がりかけたフリードリヒたちに柔和な口調で言うのは、ランドルフ・バルツァー男爵。輸送部隊の総指揮官を務める人物だった。
「どうですか、久々の温かい食事は」
「……本当にありがたいです。おかげさまで、また英気を養うことができます。戦場を支えてくれる輸送部隊の存在の大きさを実感しています」
「それはよかった。我々も務めに奮闘する甲斐があります」
軍人らしからぬ穏やかな表情で語るランドルフだが、しかし彼も尋常な騎士ではない。
先代バルツァー男爵は純粋に武人として名の知れた人物だったというが、当代男爵である彼は武ではなく、後方での働きにおいて才覚を発揮した。才覚を見込まれて輸送部隊の隊長に任命されてからは、その能力を惜しみなく発揮し、王国軍の兵站を支えてきた。
平時の補給の維持はもちろん、戦時は実戦部隊の動きを見ながら巧みに指揮下の各隊の運用に采配を振るい、不足なく補給を成している。能力とこれまでの働きへの信用から、現場判断で補給計画を如何様にも修正変更する権限を王家より与えられている。
エーデルシュタイン王国の防衛において、陰の実力者として絶大な成果を見せてきたのがこのランドルフだった。
「他の部隊も次々に帰還していますが、今のところ民の抵抗を受けての負傷者はいても、死者までは出ていないようです。皆さんが無事で何より。我々も、帰路の荷は少ない方がいいですから」
戦場で死者が出たら、その遺体をできる限り回収し、持ち帰るのも輸送部隊の務め。なので彼らの間では「帰路の荷は少ない方がいい」と決まり文句のように言われているという。
「良い報せです。こちらとしても、輸送部隊に預ける荷が出なくて安堵しています」
「ははは、さすがホーゼンフェルト卿のご子息、上手い言い方をなさる……それでは、邪魔をしました。砦の中では風呂も用意されていますので、今夜はどうかゆっくり疲れを癒してください」
紳士的に笑い、ランドルフはフリードリヒたちのもとを離れていった。




