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抜け目なき網 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 へえー、このあたりも様変わりしちゃったね。昔はだだっ広い野原だったのに、いまはこうも一軒家が肩を寄せ合って建っちゃうだなんて。なんか、急激にタイムスリップしちゃった感じがするよ。

 これから生まれてくる子たちに、ここは野原だったんだよ、と話して信じてもらえるかな? 共感してもらえるかな?

 僕は難しいと思っている。何より、あのときの空気というか雰囲気が失われちゃっているからね。同じものをじかに味わわないと、どうしても理解がゆがんじゃう気がするんだよね。


 こーちゃんをはじめとする、アーティストな人も大変だと思うよ。

 自ら手を入れながらも、作品を通して鑑賞する人に100パーセントを、いやときには100パーセント以上の体感をしてもらう。

 並たいていの技量じゃできないだろうね。ぜひとも、更に研鑽を積んでほしいと思う。

 僕からもひとつ、ネタを提供しようか。昔に体験した不思議な話ってやつさ。

 

 

 ここに限らず、少し緑があるところならば、僕は虫取り網を片手に駆けまわっていたね。

 当時、まわりで虫取りが流行っていたからね。話を合わせるためなら、その場限りのことにだってついていき、形だけでも真似をしていくのは、よくあるだろ?

 主だった場所は、仲間たちにとってもテリトリーでね。足を運べば、先客が誰かしらいるのが当たり前だった。

 

 僕は特に、「彼」と一緒になることが多かった。

 示し合わせたわけじゃないけど、僕より先に同じ場所に来て、網を振っていたから感性みたいなものが近かったのかもしれない。

 僕たちは、虫を入れる籠を首から下げるのが主流だったけど、彼は珍しく、キャンディドロップを入れるような、大きいガラス瓶を持ち歩いていた。

 中には土や葉っぱ、木の枝といった虫たちが這う場所に近づけた環境が整っている。

 かさばるんじゃないかと懸念する声も、彼にとってはどこ吹く風。その日も、僕が原っぱへ繰り出した時には、もう彼はその一角で網をぶんぶんと振っていた。


 蝶とか、あの瓶の中に入れるのに向いているのかな、と僕は準備をしながら彼の様子を眺めていたけど、やがてあることに気づく。

 彼の振るう網が、いやに光を放っているんだ。陽の光が反射しているのもあっただろうけど、雨とかで濡れた様子もない。そもそもしぶきも飛んでいない。


 ――網全体に何かを塗ったり、張ったりしているんじゃないか?


 準備を整えた僕は、彼へ寄っていこうとして、網がぱっと引き寄せられるのを見る。

 草の上にたたずんでいた、ガラス瓶のふたが開けられた。網の口を片手でおさえながら、たいした器用さでもってだ。

 すっかり口が開くと、彼はそこへ網の閉じ目をあてがっていく。

 網の中に虫の姿は見えない。それでも彼は網を、これでもかと丁寧に瓶へ重ねていき、ついには瓶そのものを包み込む格好に。それでもって、上から重しになる岩さえ積んで、いよいよ瓶と網は深い恋人になってしまう。

 

 僕の呼びかけに、ようやく彼は応答してくれた。

 何をしているのかというと、「風づくり」なのだという。厳密には、限られた「空気」の作成なのだと。


「キミも、これまでに空気の匂いを嗅いできているはずだ。

 家の中、車の中、公民館のホールの中……好き嫌いはあるかもしれないけど、印象に残ってつい鼻をひくつかせてしまうものもあるはずだ。

 こいつは、それを作る。ただし人でない生き物向きのね」


 そっと網の下からフタを差し入れて、彼は瓶をしっかり閉じ合わせてしまう。

 その網自身も間近で見て、網といわず網目といわずセロテープのような、けれどもニスを塗ったような光沢を放つものをまんべんなく張りつけられていたんだ。



 熟成には1時間ほどかかるというから、その間、僕は虫取りに集中していた。

 その日は低い葉っぱの上を活動場所とするものが多く、僕はバッタやカマキリを何匹も胸から提げる虫かごの中へ入れていた。

 そんな僕の様子を、彼は瓶の上に腰かけながら悠然と眺めていたけれど、50分経過したあたりから腕時計を気にし始める。

 やがてぴったり一時間。彼はひょいと立ち上がり、重しとしていた石もどかし出した。

 彼のやらんとしていることに僕も興味があったし、今回の収穫を確かめながら、彼の脇に控える。


「臭うよ、最初は」


 そう告げてふたをあけるや、カメムシを潰したような香りが、むんと僕の鼻へ押し寄せた。


 しかし、臭いは長続きしない。

 次第に香りは、少しずつ醤油のものへ近づき、それを通り越してハッカとミカンを混ぜたようなものへと変じていく。

 臭いの百面相ぶりに、僕がただただぽかんとしていると、胸元できりきりと音を立てるものがある。

 捕まえた虫だ。最後にこのかごの主となったのは一匹の大きなカマキリだったが、そいつが腕のカマで、かごの表面をしきりにこすっていたんだ。

 いかにもな慌てぶりに、僕がかごのフタを開けようとすると、彼がそれを止める。


「かご越しの臭いをかいで、それなんだ。外へ出したら、どうなるか分からないぞ。ならいっそ、終わるまでそこで保護しておいた方がいい」


 なお薄らぐ気配を見せない香りの中、彼は瓶からとった虫取りかごを、肩にかついで身構える。

 控えろといわんばかりに、僕の前へゴールテープのように腕を伸ばしていた。


 ごくりと固唾を飲んで、見守ること数分。

 僕たちの前に、軽々と降り立つ影がひとつあったんだ。

 大人の馬ほどはあるだろうか。頭や背、四本の足を擁する姿はイメージに近いそれだけど、その足のひづめにあたる部分は、目を凝らしても全然見えない。

 ただ胴に近い足の部分と、それに合わせて真下の下映えたちが揺れることで、そこに何かしらの気配があるのは察せられた。


 馬らしき影は、こちらへ顔を向けない。

 くいっと首を僕たちと反対へ傾げると、そのまま尾っぽを見せていくような形をとった。その尾もやたら短くて、人工的に切り落とされたかのように思えたよ。

 彼がかついでいた網を下ろし、両手で構えるのを見て僕は「本気か?」といわんばかりに目を見張った。あの馬はとうてい、彼の持つ網の中におさまりそうに見えなかったんだ。

 かまわず、彼は身を小さくかがめながら、馬へ近づいていく。それはちょうど、あの馬の真後ろから追いかけるかっこうになっていた。


 馬の後ろから近づくと、脚に蹴られる。

 そう聞いてはいたけれど、このひづめが見えない馬にどれほど通用するだろう。

 はらはらしているうちに、彼は遠ざかる馬に倍する速さで、その間合いをつめていく。そして馬と完全に重なったかと思った時、すっと立ち上がって網を天高く掲げると、一気に飛びかかっていったんだ。


 彼が網を振り下ろすや、馬の姿はたちまち消える。

 積もったほこりへはたきを当てたように、あたりへ自分の身体と同じ色の、黒い煙を浮かばせたうえで、ふっとね。

 彼はというと、全霊を込めた網を振り、そのまま地面へつけたまま自らもかがみこんでいた。動かない彼をいぶかしく思い、僕はそっと近づいていく。


 彼の手にする網は、全体的に黒ずんでいた。

 あらかじめ、光るテープを張っていたためか。あの時、尾っぽに当たったと思しき彼の網は、その黒をいささかも逃さず、中へとらえたままにしていた。


「ごめん、あの瓶を持ってきてもらうと助かる」


 彼の頼み通り、僕はいったん引き返してガラス瓶を持ってくる。

 すると彼は先ほどやって見せた動作で、今度は網の中の黒を、ことごとく瓶の中へ閉じ込めていったんだ。

 フタをぎゅっと締めると、内部で霧のように渦巻いていた黒の動きが落ち着いていく。

 瓶の底、彼が用意した土と葉のあたりに固まり、とどまった黒煙たちは、やがてあの馬の姿をかたどっていったんだ。瓶の中におさまる、小さい小さいサイズでね。



 やはりひづめは見えないまま、指でつまめそうな大きさのその馬は、瓶の中に突き立てた枝の周りをよちよちと周り出す。

 いまのこの時期、用意をしないと手に入らないんだと、彼は教えてくれる。

 その後も日が暮れるまでの間、彼は熱心に虫をとっていき、ことごとくをかの瓶の中へあけていった。土の上へ転がされる虫たちを、黒馬は草をはむかのように、首を近づけてもそもそとくわえ込んでいたよ。


 一度、僕も捕まえてみたいと申し出たけれど、彼はどうにも乗り気じゃないらしく、詳しいことは教えてくれなかった。

 それから彼が、黒馬を虫取りの場へ持ってくることはなかったけれど、虫そのものはたくさんとって帰っていく。おそらく、あの馬のエサたちだ。

 卒業する間近では、それこそ山のように捕まえて帰っていくのが当たり前でさ。あの馬がいまでは何をしているのか、少しばかり気になっているんだ。

 


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