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エピローグ

 夢は情報の整理のためにあるんだよ、なんて友達に聞いたことがある。物識り顔で言っていたから覚えているんだけれど、そのくせ誰が言ったのか忘れてしまった。

 朝早く目が覚めた。

 恵美と俊樹の二人と会った一昨日、かつて経験したことがないほど気持ちが大きく波打った。追い打ちをかけるように昨日、会社は激変し、さらに病院で心を揺さぶられた。だから到底寝られないと思っていたのに、布団に入ったとたん引きずり込まれるように深い眠りについたようだ。その証拠に目覚まし時計すらセットしていない。

 カーテンの隙間から遠慮気味に入ってくる光が優しく頭を撫でてくれて、今日をスタートさせようとする。ホカホカと温かい掛布団、自分の方が腕枕してあげている抱き枕のクッション。ポーッとした意識とそれらがまた何とも言えず心地よくて、まだ夜の暗さが残る天井に向いて、誰が作り出したか分からないふわりと浮かんでくる言葉と映像を視聴していった。

 恵美ちゃんと俊樹、二人並んで歩いている後ろ姿。

 やっぱ、いい組み合わせだよ。うんうん、よかったよかった。ときどきお互い振り向いているけれど、ただそれだけ。なにしゃべってんだか。いつものように恵美ちゃんは肩にトートバッグをかけて、俊樹はリュックを背負って。手が空いているんだから繋げばいいのに。なんなら恵美ちゃん、俊樹と腕くらい組みなさいよ。いつまでたっても肩も腕もぶつからないくらい離れて歩いている。いっそ後ろから近づいて行って、無理矢理腕を絡ませてやろうか。うーん、じれったい。あなたたち、それで楽しいの? おまけに俊樹を振り向いた時に見える恵美ちゃんの横顔は、楽しそうじゃなくて、嬉しそうでもなくて、普通だ。俊樹も同じかな。ただ目が優しくて頬がわずかに緩んでいるくらい。こんなカップルってあるのかな?

 あらためて桜舞う春の川辺を歩く二人をぼんやり見ていてふと気づいた。ぶつからないくらいに離れているけれど、少し離れるとすぐその間が詰まる。つかず離れず。歩幅はどちらが合わせているのか分からないけれど同じくらいで、二人同じリズムで足を出す。なるほど、この二人は磁石のS極とN極のように、バッチーンとくっついているんじゃないんだ。輪ゴムで柔らかいボール二つが結ばれているような、ううん違うな、輪ゴムじゃなくってフワフワの綿よりもっとやわらかい空気みたいなものを二人の間にはさんで、そしてフワフワの綿に二人がくるまれてどこかに飛んでいくこともないって感じなんだ。だからいつでも手を繋ごうと思えばすぐ繋げるし、ギュッと抱きしめることもできる。

 ああ、そうか。きっとそうだ。いつだか、夜に二人からメールをもらって、朝まで二人一緒なんだろうな、なんて考えたけど、それは自分だからだ。自分が俊樹と付き合うとすれば、仲良くなって親密になって、キスして、お互い確認し合いながらじゃないとダメなんだと思う。いつも手を繋いで、ハグして、隣にいること、肌と肌を合わせて繋がっていることが分からないと不安になるんだ。

 ひょっとするとあの二人、ハグもキスもしていないかもしれないな。笑ってしまう。それでいい関係なんだもん。いやになる。もちろん二人一緒にいればそんなのもあるかもしれないけど、なんとなくそう思う。でもそれでいいと思う。あの二人は。

(あーあ)

 光が強くなっていた。天井ももう明るい。枕元の時計を見るとまだ布団から出るには早かったけど、ゴソゴソと起き出し、洗面所にのしのしと向かう。白いタオル地のヘアバンドをかけて冷水で顔を洗うと、まだ少しもやがかかっていた頭がサッとクリアになった。

 ピロンと遠くでメールの受信音がした。こんな朝早くに誰だ、とニヤニヤしながらゴシゴシタオルで顔をふいて、スマホを手にする。

<昨日はどうだった? 今晩それを肴に有志で飲み会するよ。空けておくように!>

 ネコが酔っ払ったスタンプを張り付けて、美咲からメッセージが届いていた。

 昨晩のことを知っているとは、情報はあの二人から筒抜けのようだ。

 それでもいきなり今晩って大丈夫なのか? 誰も来なくて、結局いつものように二人きりなんてことはないよね。それも悪くはないけれど。

<了解! なにかあったら面倒見てよね>

 ネコがお礼をしているスタンプを張り付けた。誰が来ても飲むつもりだけれど、明日も仕事はあるのだ。

 スマホをソファに放り投げると、すぐにまた着信音がした。どうせあと1時間半もすればそのドアの前で会えるのに。ホント美咲はせっかちだ。

 と思ったら、相手が違った。

<俊樹が和ちゃん、和ちゃんってうるさいから、試験が終わった後、2月初めに東京に会いに行くね。遊園地をメインに行くところを考えとく。また近くなったら連絡するから、空けといてね>

 笑って尻尾を振っている犬のスタンプがついていた。

 俊樹がうるさいって、自分に会いにって、そんなこと言ってるけど、恵美ちゃんがあのテーマパークに行きたいだけじゃないか。俊樹のことだから気にはしてくれているだろうけど、いくらなんでも恵美ちゃんの前で他の女の子の名前を連呼するわけがない。

 しかしなんでまたこんな朝早くに送ってくるんだろ? やっぱ隣に彼がいるのかな? ま、いてもいなくてもいいけど。

<了解! またスケジュールが決まったら教えて。こっちも合わせるから。でも恵美ちゃん朝弱いのに珍しく早いね。隣で寝ている俊樹に起こされた?>

 思い立って自分なりにあおってやった。より親密になるよう接着剤を追加してやるつもりで。もうなにも必要としない二人なのに、相変わらず余計な事をしてしまう。

 ニヤニヤしながら返事を待つ。

<俊樹? まだ寝てるよ。耳元でグーグー言うからやかましくて起きちゃった。ゆすったら起きると思うけど、起こそうか?>

 え? 耳元でグーグー? やかましくて起きた? ゆすったら? え! 隣にいるの? マジで! 

<うそ! 隣にいるの?>

 驚いてつい返信してしまった。頭の中では理解していたつもりだけれど、現実にそう言われるとそれはそれで衝撃を受けてしまう。

 すぐ返事が来た。

<うそ。いないよ。俊樹に聞いてまた連絡するね>

 ……やられた。まさか恵美ちゃんにやられるとは思っていなかった。この件に関しては、自分だって偉そうに言えるほどじゃないんだけど、まさかお子様でレベル1の恵美ちゃんにしてやられるとは。

 しかしあの恵美ちゃんがこんなことを言えるなんて。大学で出会った頃を思うと信じられない。荒波をたくさん乗り越えてきたからなんだろうな。うらやましほど素敵な女の子になった。素敵な女の子というより、素敵な『ひと』か。ま、どっちでもいいけど。

 自分はどうなんだろう、彼女についていけているのだろうか。

(隣でグーグー寝ている……ね)

 ふと思い浮かんだ二人の姿に、嬉しくなって、つい笑ってしまった。

 窓を見ると、元気な光が自分を照らしていた。

 あまりに光がまぶしいから振り返ると、自分で作り出した影が白い壁にくっきり映っていた。

 その影もなんだか嬉しそうに真っ黒い顔で笑っている。

 なるほど。

 今日は良い一日になりそうだ。


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