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第5章~その2~

 暑さのピークを過ぎたとはいえ、まだまだ体力を削られる中で試合は始まった。

 その気温の割に試合自体は和気あいあいといった様子で進んでいった。レベルの高い試合ばかり見ていた和には、不思議な展開が随所に見られるけれど、年配の選手もいるのだからこれが自然なのだろう。

 特に和の会社の先発ピッチャーは、言うと悪いから言わないけれど、ストレートなのか変化球なのかよく分からない。相手チームも似たようなもので、打球を処理するときでもちょっと難しいと思うと、諦めて安全策に走る人が多い。安全策とはダイビングキャッチを試みたり、無理な体勢から送球したりするのを諦めるのではない。ケガをしないようには、難しい打球はそもそも捕りに行かず、頑張って捕ったとしても投げないのだ。その中でも山中のように現役に近い若い選手は気を吐いていた。全力で走り、動きの悪い先輩方をサポートする。とはいえベテランも諦めてばかりではなく、イージーなプレーは確実にこなしている。そのあたりが、試合をグダグダにせず引き締めていた。


 試合はあと2回を残して5対5の接戦になっていた。どちらに転ぶか分からない展開が続き、みんな徐々に熱くなってきていた。そんな中、俊樹はあくまでお手伝い要員とばかり、ベンチの隅に恵美や和と並んで座っていると思えば、ボールを拾ったり、バットを片付けたり、ランナーコーチに出たりと、裏方でせわしなく動き回っていた。だいたい助っ人で来ているんだし、そこまで気を遣わなくてもいいのだけれど。

 それもたまに恵美や和に声をかけて、口の中にお菓子を詰め込んでもらっていた。手が汚れてしまいそのたびにウエットティッシュで拭くのも大変だから仕方がないとはいえ、恥ずかしそうにするしぐさがどことなく可愛い。

 どことなくのんびりしている彼に山中が「沢波さん」と声をかけた。振り返る俊樹に手招きをすると、彼も理解したのか二人でグラウンド脇の広いスペースに向かう。キャッチボールを始めたので、最後はせっかく来てくれた俊樹も試合に出してくれるようだ。

 試合前の練習では思いつかなかったようで、恵美は無言でいそいそとベンチを出て、俊樹のキャッチボールしている姿を動画に撮ろうとしていた。するとすぐに危ないから、と怒られていた。見たこともない彼の姿、それにこの先いつ見られるのか分からないから撮りたいのだろう。その気持ちも分かるだけに、ちょっとかわいそうな気もする。すごすご戻ってきて、隣にちょこんと座りなおすと、「ちょっとくらいいいじゃない。ケチ」とふてくされている。それでもベンチから体を乗り出して、キャッチボールする彼の背中を撮影していた。


 最終回の7回表、和の会社の攻撃。いまだ変わらず5対5の同点。軟式草野球でもこれほどいい試合の終盤になると、いかに親睦試合とはいえみんなヒートアップしていた。序盤に無かった声援も大きな声となり、ベンチの奥に座っていた人たちもベンチの一番前で立ち上がって気勢をあげている。

 先頭バッターがセンター前ヒットで出塁すると、すかさず相手チームがピッチャーを代えてきた。

「げ、あの人投げんのか⁉」

 それまで恵美の隣でのんびり見ていた俊樹が、珍しく驚いている。和もポカンとしていたけれど、恵美はもっとわからないらしく、「なんで?」と二人ハモって俊樹を振り向いた。

「いや、さっきキャッチボールしているのを見ていたら、別格やったから。現役でやっているか、引退直後やないやろうか」

 すると和たち三人の前に座っていた山中がポツリと呟いた。

「大学で硬式やってて、エースクラスだったやつですよ。今年あの会社に入ってからは、もう本格的にはやってないようだけど」

「よく知ってるね」

 山中の隣に座っていた美咲が、興味深そうに振り向いた。

「同じ大学で、呑んだことがあるから」

 なるほど、類は友を呼ぶということだろう。その彼もかなりイケメンに見える。ユニフォームにごまかされているかもしれないけれど。

「ふーん」とか言っていまだのんびりしている俊樹に、「沢波さん」と遠くから声がかかる。

「代打ですね。頑張ってください」

 山中が後ろを振り向いて、都会的ニッコリを注ぎかけていた。俊樹は顔色が変わる。

「マジっすか? こんなチャンスに? アップもろくにしてないのに」

 そんなことを言いながらも、慌てて立ち上がり、スパイクをカチャカチャ言わせながら飛び出していった。監督らしき人の前で、無理ですよ、と言わんばかりに顔の前で手を振っていたが、肩を叩かれて観念したのか、バットを持って次打者席に歩いて行った。

 イケメン豪腕ピッチャーが投球練習を始める。確かにキャッチャーが取る音が違う。

「俊樹、野球は久しぶりだからって、何度かバッティングセンターに連れて行かれたよ」

 俊樹がブンブンバットを振っているのをじっと見ていた和に、恵美がさも迷惑そうに呟いた。

「やっぱ、まじめだねぇ。うれしいけど。で、どうだった?」

「よくわかんないけど、まっすぐ打ち返してたよ。テニスのフォアハンドでストレートに打ち返す感じで。パカーンとだいたい全部。私もやってみたけど、当たるには当たるんだけどなかなか。まあうまいんじゃない?」

 和はにっこり笑って、また俊樹を向いた。恵美はよくわかっていないようだけど、すべてまっすぐに打ち返すのは上手なはずだ。昔のことも思い出される。俊樹は体が小さいからホームランはないけれど、器用にヒットを重ね、打率は高かったのだ。

 試合が再開され、イケメンが1球目を投げる。すごいスピードの球が思い切りワンバウンドしてキャッチャーの後ろに転がった。1塁ランナーは悠々と2塁に進む。ノーアウトランナー2塁。

 2球目は高め、3球目は低めと少しずつストライクに近くなってきていたけど、結局フォアボール。ベンチからは「よく見たな!」と声が飛んでいるようだけれど、たぶんあのスピードだと、見た、というより、振れなかったんじゃないかと和は思った。ノーアウトランナー1塁2塁

 代打の俊樹がベンチを見ている。そりゃお客さんだ、「思い切り打ってください」と丁寧語で全員にわかるサインを出されていた。俊樹もヘルメットこそ脱がないけれどぺこりと頭を下げる。名刺交換のようでとても野球に見えない。

 ただ、打席前で俊樹が2、3回素振りして打席で足場を軽くならすと、豪腕イケメンピッチャーが何かに気づいたように顔を上げた。

 和も気づく。

「恵美ちゃん。1球目。俊樹は初球を打つよ」

 和は目をまん丸く見開いて打席を見つめる。

「どうして?」

「今、最終回同点でノーアウト1、2塁でしょ。相手としても、これ以上ランナー増やすと、エラーでも点が入るから絶対に出したくないの。だから俊樹をアウトにしたいわけ。前の人にストライクが入らなかったけど、徐々にコントロールがついてきているようだから、次はストライクには投げれると思う。そんで、俊樹を見て経験者だって気づいたようだったから、まずは、甘いコースになるかもしれないけど、カウントを取りに強いボールを投げると思うの。それもストレート。俊樹は絶対それを狙ってる」

「なごみちゃん……」

 恵美はなんのことやらまったく分からないと言った様子でポカンと口を開けていた。おまけにどこか呆れているようにも見える。その口にお饅頭でも詰め込んでやろうかと思ったけれど、今はそれどころではない。

「恵美ちゃん! 投げるよ!」

 和の言ったとおりだった。

 俊樹の打ったボールは、あっという間にレフトとセンターの間を抜け、一番深いフェンスまで達した。前寄りに守っていた外野手がボールに向かって走る。1塁と2塁にいたランナーは余裕をもってホームを踏む。

「回れ! 回れ!」

 和が腕をぐるぐる回しながら叫ぶ。

 ボールがようやく内野に戻ってきたときには、俊樹もホームベースを駆け抜けていた。

 ウワーと突然ベンチが蜂の巣をつついたような大騒ぎになる。みんながハイタッチをしに駆け寄る。俊樹もさぞかし大喜びをしていると思いきや、逆に恥ずかしそうにぺこぺこ頭を下げていた。それでもベンチの応援の人ともずっとタッチをしていく。前に座っていた山中ともグータッチ。美咲とは両手でタッチ。和は……嬉しさのあまり抱きついた! 「うわっ!」とのけぞる俊樹。恵美は驚いて和のシャツを引っ張る。

「ちょっと、和ちゃん! 喜びすぎ! わざとでしょ!」

 パッと振り向いた和が、じゃあどうぞととばかり俊樹を押し出すと、恵美は瞬時に固まって赤くなり、しばらく躊躇した挙句、静かに両手のひらを目の前に上げた。俊樹はニッコリ笑って、軽くタッチした。その様子に和は呆れ、美咲は大笑いしていた。

 その後、サードの守備に就いた俊樹はゴロを一つ無難にさばき、そのまま試合は終わった。8対5。


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