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第5章~その1~

 野球の親睦試合当日、3カ月ぶりに俊樹と恵美に合うその日は好天に恵まれた。雲はほとんど見えず、太陽も気合が入っている。

 和は東京駅まで二人を迎えに行った。会社の寮からは野球場と全く逆方向になるけれど、行かないという選択肢は考えられない。むしろ遅れないように早めに、嬉々として部屋を出た。

 美咲とは球場近くの駅で待ち合わせるようしっかりメッセージを送り合っていた。4時試合開始だけど、移動や着替え、ウォーミングアップのために、1時間半余裕を見ている。

 約束していた八重洲口改札付近で彼らを待つ。腕時計を何度も見ながら到着を待ち、そろそろかと目を凝らしていると、二人が並んで歩いてくる姿を見つけた。

 相変わらず俊樹はポロシャツにジーンズと言ったいでたちで、背中に大きく膨らんだリュックを背負い、右手にスポーツバッグ、左手には赤いキャリーバッグを引きずっている。逆に珍しくジーンズにロングTシャツ、頭にバイザーをがぶった恵美ちゃんは、隣で紙袋を一つ持って、まるで召し使いに文句を言っているかのように話しかけていた。彼は笑いながら聞いているから、荷物も持ってあげたのだろうし、これがいつもの二人なのだ。思い返しても、あの二人がこうして無防備にしゃべっている姿を見るのは、大学時代に二人がテニスサークルでコートにいた時以来かもしれない。そのあとは5月に会った時も含めて、必ず自分がいたのだ。特に恵美は一緒にいる人でその雰囲気ががらりと変わる。今彼を向いてきつい顔にときおり無邪気な笑顔も見せる彼女。初めて素の恵美を見た気がした。

 企業説明会のために昨日から来ている彼女とは、昨晩無事に終わったことを含めて話をしていたけれど、彼は今日東京に来ると言っていた。彼も夏休みに入っているのだから、どうせなら昨日一緒に来ればいいのにと老婆心(?)ながら考えたけど、遊びではない大事な説明会に来ているのだからと考えるのが彼なのだ。彼女がそれを至極当り前に受け入れるタイプだということも残念ながらよく分かっている。ただ朝早く合流していたことはなぜだかホッとさせられた。

 立っているだけで汗が噴き出してくる暑さに涼を求めたくなるけど、二人はせっかくの東京。球場までの途中、緑の木々に覆われた有名な神社に立ち寄った。併設されている結婚式場も大都会の真ん中だというのに落ち着いた趣のあるたたずまいで、二名はテンションが上がっていたけれど、両手に荷物を抱えた一名は時おりペットボトルを口にしながらただ黙って付いて来ていた。

 しばらく散策してから、ファミレスで昼食を取り、球場に向かった。


 2時半前、駅には早目に着いたつもりだったけれどすでに美咲が待っていた。少しは涼しい改札前で壁にもたれながら中を覗き込んでいた彼女。ずっとぐったりしていたのだろう、そのふてくされたような顔を和たちに気づいた瞬間元気モードに変えた。三人が改札を抜けると、大きく右手を上げて近づいてきた。

「はじめまして、立花美咲です。俊樹さんと……恵美さん?」

 二人を紹介しようとした和を制するように、美咲が問いかけた。いきなり名前を呼ばれて二人とも戸惑った顔を見せる。

 そもそも美咲には俊樹の写真は見せたけれど、恵美の写真は見せていなかったのだ。おまけに、あの時しゃべっていたのは名前だけで美咲は名字すら知らない。

「あ、そうです。はじめまして、春田恵美と言います」

「僕は沢波俊樹です」

 いつものようにすばやく落ち着いて反応する恵美。笑みを浮かべて小さく会釈した。つられて俊樹まで標準語っぽくきちんとしている。こちらもいつもと変わらずお偉いさんに出会ったのかと思うくらい大げさにお辞儀した。

 恵美は小学生まで東京で暮らしていたので、京都でもいつも標準語だった。俊樹は、和と同じ高知出身で土佐弁だけど、京都ではおかしな関西弁を駆使している。

「はぁー、恵美さんめっちゃスタイルいいし、キレイですね」

 相変わらず美咲は思ったことがそのまま口をついて出てくる。その口調とタイミングが口だけではないことを物語っている。

「いや、そんな」と首を振る恵美に美咲がたたみかける。

「うるさいくらい声かけられるんじゃないですか?」

「でしょ? そう思うんだけどね、昔はブスーッとしてたもんね」

「してた、してた」

 和の言葉に俊樹が大きくうなずくと、恵美は俊樹だけ睨む。

 そんな言葉の応酬で挨拶を済ませると、先を急ぐかのように美咲が背中を押した。

「じゃあそろそろ行きましょうか。ってもすぐそこなんですけどね」

 そう言って笑顔を見せる美咲に引きずられるように三人そろって歩き出す。

 駅前の信号を渡って坂を上ると、まだまだきつい太陽の光の向こうに球場らしき建物が見えた。


 サークルの親睦試合というからどんな所かと想像していたが、思っていたより立派な球場だった。外野席はないかわりに芝生が植えられていて、内野席は長椅子だけどかなりの数がある。一塁側と三塁側にしっかりベンチもあり、なんと照明まで付いていてナイトゲームもできる設備だ。その他にもテニスコートやバスケットもできる施設があり、そのためきれいな更衣室やシャワー室も整備されていた。

 すでに会社のサークルメンバーはボツボツ集まり始めていた。その中に山中もいて、美咲に連れられた俊樹は恐縮しながら挨拶していた。助っ人でそれも強力な戦力としてわざわざ来てもらっているつもりだから、もっとどしっとしていてもいいようなものなのに。ただ彼にはそんなこと到底できないことはよく分かっている。もともと背も高くなく細い体が、頭を下げると余計に小さく見えた。大病という大きな嵐を潜り抜けてきたとはいえ、彼は昔とまったく変わっていないのだ。

 しばらくすると更衣室で借り物のユニフォームに着替えた俊樹がグローブを持って歩いて来た。山中と言葉を交わしながら球場脇の小さな広場で体を動かし始める。周りでも同じように準備ができた人から体をほぐしたりキャッチボールをしたりして、これから始まる野球の気分を盛り上げていた。

 何年かぶりの気分の高揚を隠し切れない和は、その脇に作られているベンチにムズムズするお尻を落ち着ける。

「恵美ちゃんはピクニックだねぇ」

 和が座ったから隣に座りましたと言わんばかりの恵美。彼女の下げている袋には、お茶やお菓子がたくさん詰まっていた。お菓子はなぜか和菓子が多い。試合が待ち遠しくてしようがない和にはその姿が珍妙に映る。野球を見るのにお饅頭やみたらし団子は合わないと思うのだけれど。

 目の前で山中と俊樹がキャッチボールを始めた。ボールを軽く投げて取りを繰り返しながら、手が届くくらいの距離から徐々に間隔を広げていく。今日会ったばかりの二人なのに、俊樹にも山中にもその動きにぎごちなさは見られない。ずっとそうしてきたように慣れて見える。体が温まってきたのか、俊樹が軽いステップを踏んで素早く投げ返し始めると、それに山中も合わせる。

「楽しそうだよね、俊樹」

 和が昔を思い出すように、ポツリと呟く。

「一緒にいてあんなに楽しそうな顔してるの見たことない。なんか腹が立つ」

 そう言う恵美の頬も綻んでいる。でも彼女のこと、半分以上は本心なのだろう。

「好きなんだろうね。野球」

「絶対そう! このあいだ言ってたもん。大学でもやってたらよかったって。グローブ見ながらめちゃくちゃ悔しそうな顔してた。それに漢方の先生の話からしても、ガッツリ野球してればあんなひどい病気にはならなかったかもしれないって」

「だとしたらテニスサークルで恵美ちゃんと出会わなかったよね」

「それはそうかもしれないけど……」

 恵美は言葉を濁したけれど、あの酷かった俊樹を一番知る彼女としては複雑な思いなのだろう。

「もうそれを悔やんでも仕方ないから、これからだよ。それに恵美ちゃんとしては良かったんだし」

 和のその言葉に恵美はしるしばかりの微笑を浮かべた。

「んー、スローイングは昔と変わってない気がするけど、ユニフォーム、似合ってないなあ。丈はいいけど、ぶかぶかじゃない」

 そんな恵美を慮って、和が無理やり話題を変える。和自身今日ばかりは楽しみにしていたし、二人にも楽しんでもらいたかった。

「そうねぇ。一時期よりかなり引き締まったみたいだし」

 顔を上げた恵美にも、暗い影がなくなっていた。

「私としてはもうちょっとカッコよくいて欲しいんだけど」

「和ちゃん、一番カッコよかった俊樹を知ってるんだもんね。でももう無理じゃない?」

「恵美ちゃんは、今の俊樹がいいんだもんね」

「ねえ、東京に来て口が悪くなってない? 昔はもっと優しかった気がするんだけど」

 ちくちく嫌味をこめているのだからもっともだ。でもうらやましいのは確かなのだから仕方がない。

「そうは言ってもね、誰かさんがね、幸せを分けてくれないのよ」

 和があからさまに文句を言い返す。

 恵美は何のことか分からないとばかりに目を丸くしたが、しばらくじっと見つめているとようやく気づいたようだ。

「あ、そっか。誰か知らないけど、それじゃあ仕方がないね!」

 反論しながら笑う恵美。分かるようになっただけ少しはましになったのだろう。

 和は肩を落として頬を緩めた。


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