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第3章~その5~

「俊樹さんのことも、和のこともよく分かるよ」

 和はチラリと目線だけ向ける。

 その美咲の言葉は、無理に共感を口にした感じもしたし、わざとらしくも聞こえたからだ。

 それにどこかその後の自分の言葉を遮るような。

 それが気になると、眉間にしわを寄せたまま顔を上げた。

 すると意外なことに、その目は思わぬ涙をたたえていて、その口元は優しく綻んでいた。

「どうして……?」

 自然にそんな疑問が和の口をつく。

 すると、美咲はその疑問に答える決心をするようにゆっくり目を閉じると、姿勢を正し、左腕を和の方に伸ばした。薄いブルーのシャツ、その袖のボタンを外すと、少しだけ顔を曇らせた。わずかに躊躇うように袖をつかんで、静かにまくり上げる。真っ白く細い指と手のひらから、柔らかな前腕の肌、それが肘の内側になるとカサカサして褐色をしている。

「今はまだいいんだけどね、冬になると調子悪くって」

「え、美咲も?」

「うん。小さいころから」

 その声が耳に届くと、微笑には深い悲しみも帯びているように見えた。美咲は暗い茶色がしみ込んだ腕に目を向けると、いとおしむように指先で撫で、シャツで隠した。

 胸がまた熱くなる。さっきの美咲の言葉がとても軽く聞こえてしまった自分。俊樹に対して感じたのと同じ罪の意識が湧き上がる。

「ごめん……どうしよう…………私こんな人間だから……」

「大丈夫だよ。さっき話してくれたことで和を見る目を変えることもないし、嫌いにもならない」

「でも……」

「中学のころだったかな。すごくひどくなっちゃって、それから冬にはいつもカサカサでかゆくて。指なんかパキッて割れることもあるし、ときには顔にも出るんだよ。嫌になっちゃうよね。いじめられたこともあったけど、おかげで人を見る目はできたかな。人間は、見た通りすごくできてるけど」

 身振り手振りを交えながらおどける美咲に、和は安堵の笑みを浮かべた。

「そうね。本当にそうね」

「え! もう! そこ、突っ込んでくれないと。関西の大学を卒業してるのに、何を勉強してきたのよ!」

「ご、ごめん……」

「まあ、いいけどね。それでね、よく分かるの、かゆみがつらい人のこと。自分でいろいろ調べて、お話も聞きにいって……。症状は人それぞれで、生活も違ってくるからその人なりに苦労があるの。単純に症状がひどいとか軽いとかだけでつらさが決まるわけじゃないのね。私も私なりに思ったの、お母さんとか妹には迷惑かけてるなって。高校の時までは、人に見られたくないことも多くて、友達も少なかったかも。彼氏が欲しいって気なんか全然起きなくて。大学に入って体調が良くなってからかな、そんなのは。だから俊樹さんの気持ちも、全部分かるとまでは言わないけど、恵美さんのように懸命になってくれたら、私も何かするかな」

「そうなんだ……」

「私みたいに優しい人がアトピーになりやすいって説もあるみたいよ」

「そうかも。俊樹もすごく優しいの。私がお願いしたら応えてくれるし、困っていたら必ず助けてくれるの」

「あのね、私のボケをスルーしておいて、のろけないでくれる?」

「ごめん……」

「もう――。それとね、まわりの人が思っている以上に本人は気にしてるの」

「なにを?」

「見た目とか、自分がいることで迷惑かけていないかとか。今調子がいいから余計に思う。前はそうだったんだなってすごく思うの」

「俊樹も調子悪い時は顔を逸らしてたな」

「うん。見られたくないから。それから他の人の言葉がとても気になるのよね。人がとても気になる。気にしちゃう。だからなんとなく分かるの。その人がどう思っているのかが」

 返す言葉が思い浮かばない。美咲にどう思われているのか気になってしかたがない。俊樹を奇異の目で見てしまった自分だ。ひいては美咲を同じ目で見ていると思われてしまったかも。でも美咲には嫌われたくはない。

 それが伝わったのか、察してくれたのか、すぐに不安から解き放ってくれた。

「和は大丈夫だよ。考えすぎなんだって。見た目だけで毛嫌いする人って、和ほど思い悩むことはないから。それに、何度もお酒飲みながらおしゃべりしてて、分かってるし。嫌な人だったら、いくら部屋が隣だっていっても、こんなに一緒しないよ。」

 美咲が笑うから、和の顔も自然に緩む。

「あのね、人ってだいたい同じように感じるものだと思うの。特に同じ文化で同じような生活をしてきた人はね。綺麗って感じるものはだいたいみんな綺麗と感じているし、同じように汚いって感じるものは汚いって感じるんじゃないかと思う。でも感じるのは瞬間的なことだから止めようもない。なんだろうな、いままでいろんなことを経験してきた自分が勝手に判断してしまうのよね。それは悪いことじゃない。ただ、その人がそれをどう表現するかだと思うよ」

 和は、いまは笑顔でいる美咲がずっと考えた結論だと思った。少し気の抜けたビールの入ったグラスを持ち上げる美咲からは、さっきまでと違い少しも非難めいたことは感じない。ただ美咲が選んだその言葉には、どうしても気になるところを見つけてしまう。その小さな矢は、自分の一番痛い所に刺さってくる。その痛みに気づくと、つい自責の念にかられて俯いてしまう。

「でも和の中にそんなドラマティックな出来事があったんだねぇ」

「え?」

「そんな重たいものを引きずっていたなんて、まさかだよ。別れた彼に未練があるなんてものじゃないもんね」

 和は美咲に分かってもらえたと安堵したが、すべてを見られたことが恥ずかしくもあった。

「そりゃむしかえすなって怒るよね」

 美咲が納得したかのようにうなずくから、和もうなずく。

「天然でふだんはボーっとしているような和なのに、そんなことができるなんてすごいわ!」

 いきなりふざけたように身を乗り出して言うと、手にしていたビールをぐいとグラス半分くらい飲み込んだ。

 返事に窮する和もつられてひとくち口にする。

「そのふたりはもう絶対に離れられないよね」

「離れないでしょ」

 そう自分が口にした言葉で、今一度自分がこの数カ月でしたことを納得することができた。理解の手助けをしてくれた美咲には感謝しかなかった。

「ありがと、美咲」

「なにが?」

「全部」

 つい感謝の言葉がたくさん浮かんだけれど、それはそれで恥ずかしかった。和は顔をそむけ、棚に置いてあるオルゴールに目を向けた。

 いきなり美咲が「俊樹さんと恵美さんってどんな人?」って言うから、昨日送られてきた写真を開いた。意外なことに俊樹だけアップで笑っている写真だった。これは絶対恵美だ。恵美の心配も少しだけ分かった。

「これ俊樹だけど、送ったのは恵美ちゃん。恵美ちゃんってこういう人」と涙声で言うと、美咲も「いい友達だね」と言った。「俊樹さん、肌綺麗になったんだね。あ、ちなみに私のタイプじゃないから安心してね」、美人の美咲の顔に今日一番の可愛いがあった。

 美咲は自分なんかよりずっと深く考え悩んできたんだろうなと、その笑顔に思った。


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