第44話 恋愛小説をもっと読んでほしいかな
師匠との帰り道。学校から駅までの道のり。
「師匠って、将棋の本をよく読んでますよね」
隣を歩く師匠にそう問いかける。
師匠が本を読んでいる時、ほとんどの場合、その手にあるのは将棋の本だ。戦法解説、名局集、詰将棋、プロ棋士のエッセー。特定の本に固執しているわけではないが、とにかく師匠は将棋の本ばかりを読む。それは、僕が初めて師匠と出会ってから今まで、さんざん見てきた光景。ちなみに、師匠の部屋の本棚には、将棋の本がそれはもうびっしりと詰まっている。
「そうだけど。……また何か借りたい本でもあるの?」
いつものような穏やかな表情を浮かべながら、そう僕に尋ねる師匠。
「あ、いえ。以前借りたやつもまだ読み終わってませんし、大丈夫です」
「そっか。じゃあ、どうして急に……」
「えっと、何となく思ったことなんですけど、師匠って、将棋の本以外だと、どんなジャンルの本を読むんですか?」
僕は、師匠の好みをそれほど理解しているわけではない。知っていることと言えば、将棋と猫が好きということくらいだ。師匠は、自分のことを大っぴらにはしない。だからこそ、気になってしまう。
「好きなジャンル……ね」
少し上の方を見ながら考える師匠。僕は、師匠の言葉をただ黙って待った。
しばらくの間、僕たちの間に会話はなかった。僕たちのすぐ横を、数台の自転車が走り抜けていく。自転車に乗っていた女子生徒たちの会話声が、辺りに響き渡る。
「……特に、ないかな」
自転車が遠く離れた頃、師匠は静かにそう言った。
「そうなんですか?」
「うん。私、将棋の本以外の本に関しては、あんまりえり好みはしないから。まあ、そもそもあんまり読まないんだけど」
師匠の言葉に、僕の口から「へー」と声が漏れる。
「ちなみに、君は?」
「え?」
「君の、好きな本のジャンルは何かな?」
僕がした質問と同じ質問をする師匠。
僕は、頭の中で、今まで読んできた本をいくつも思い浮かべる。そして、一言。
「将棋関連の本……ですかね」
僕の言葉に、師匠は、一瞬目を大きく見開いた後、ニコリと微笑んだ。
「さすが、私の弟子だね」
「それほどでもないです」
よく分からないが、おそらく僕は褒められているのだろう。
「……でも、君には、恋愛小説をもっと読んでほしいかな」
「恋愛小説……ですか?」
「うん」
師匠は、大きく頷いた。そういえば、以前にも、師匠に恋愛小説を読みなさいと言われた覚えがある。
「恋愛小説を読んで、君はもっと勉強してね。それで、私……いや、ごめん。やっぱり何でもない」
首を傾げる僕を見ながら、師匠は、曖昧な表情でそう告げるのだった。




