おりがみくらぶ3 ー谷折りー
バザーが終わり、また今日の話は後日じっくり、という事で解散となった。
くるみとみかんが帰宅すると、うめが出迎えてくれた。
紐つきの紙コップ、もしもし電話を手に持っていて、くるみに向かって紙コップを差し出して来た。
くるみは紙コップを耳に当てて「もしもーし?」と言うと、うめが「もしもし」ともう一方のコップで答える。
しばらく茶番に付き合ってから、くるみはたずねた。
「うめたんバザー行ったの?」
「うん、ゆじゅにゃといった」
みかんと顔を見合わせる。
「うっそ!」
リビングへ行くと、ゆずはいつもの様にゲームをしている。
「ゆーずにゃん!ありがとうねー」
くるみが言っても、ゆずはなにも答えない。
うめはビニール袋を持ってきて、くるみとみかんに見せる。スライムやらペンダントやら、シールが大量に入っている。
「わあ!すごいね」
くるみはうめの頭を撫でて褒めた。
「うめたんもいっぱい工作して偉いねぇ」
「うん!」
そして、本日のMVP、すだちに声をかける。
「すだちもありがとう!すっごく助かった。みんな感謝してたよ」
すだちはアコースティックギターの練習をしていて、聞いていないように見える。
「すだちの和菓子も買って来たよ」
みかんが言うと、すだちは返事のつもりなのか、コンビニ入店時のメロディーを爪弾いた。
♪ ♪ ♪
聡美が手を合わせて言った。
「とっても助かりました!子供たちも、親御さんも楽しそうでよかったです。あとから随分反響があったんですよ。「あのうさぎのお菓子、すごく美味しかったです!」って」
祈も笑顔で答える。
「私の方も助かりました。あれからお客様が増えて、客層にも変化が見られました。聡美さん、そして折り紙くらぶのみんな、本当にありがとう」
くるみは祈の椅子に押しかけて座り、元気よく言った。
「打ち上げパーティーしようよ!」
みかんが賛成!と身を乗り出す。
ゆずとすだちも来るかとたずねたが、にべもなく断られた。
みんなでビュッフェに行った。
くるみは牛肉をたんまり入れたビーフシチューを食べ、幸せな気分で言った。
「聡美さん、先生って感じしました」
「そりゃあ、先生だもの。忙しくて全然会えなくてごめんね」
「いえいえ!でも、うめたん×40人も面倒みてると思うと、本当にすごいです。超大変じゃありません?」
「うふふ、それが仕事だからね。子供たちは可愛いし、毎日楽しいわ」
聡美から幼稚園の話をいろいろ聞いた。大変な職業だが、やりがいはありそうだ。
デザートタイムに突入して、くるみはたずねてみた。
「そういえば、聡美さんはどうして折り紙くらぶを立ち上げたんですか?」
「私が創設したわけじゃなくて、私のお爺さんの代からやっているの。それを私が引き継いだ形ね。でも随分人が減ってしまって、どうしようかなって悩んでいたの。今どき趣味で折り紙をする人って少ないし、若い人が少なくてちょっと大変だったのよ。でも、続けて良かったと思うわ。みんなにあえて良かった。みんながパワフルだから、私も明るくなるの。それだけじゃない、周りの人も巻き込んで、たくさんの人を笑顔にした。とっても素敵な事ね」
くるみは大きく頷く。
「そうですね!でも、そんなパワフルですかね?いつもこんな感じだから分からなかったです」
凪が言う。
「ずっと一緒にいると、その日よく眠れますよ」
「どういう意味?」
祈がくすくす笑い、くるみに肩を寄せて言った。
「私もみんなに会えて良かった」
☆彡 ☆彡 ☆彡
事件の発端はプール開きの初日だった。
凪は用事があり、くるみは先にプールの更衣室に入った。
着換えようとしたその時、隣に祈がいた。
裸だ。
膨らんだ張りのある双丘から、美しい流線を描く細い胴。薄く筋肉の張った大腿骨……更衣室の中、祈の身体がうっすらと見える。
祈は髪を拭いていて、くるみに気づいていない。
脇は芸術的なレベルで美しく、膨らむ三角筋は艶やかに引き締まっている。
あでやかな姿に、くるみは卒倒しかけた。
祈が髪を拭き終える。
「あ」
目が合った。
祈は少し恥ずかしそうに顔を赤らめて腰にタオルを巻く。
「祈ちゃんのクラスはこれからなのね」
「…ハイ」
「凪ちゃん…あたしおかしい」
「なによ急に」
「…あたし、本当に先輩が好きなんだ」
「今更な話じゃない」
「…」
「同性の恋に困惑中ってこと?」
「…祈先輩の裸が脳裏から離れない」
「それは重症ね。なるほど、更衣室で会った訳か」
「…昨夜も祈先輩のえっちな夢を見た」
「幸せな目覚めじゃない」
くるみは頭を抱える。
凪は言う。
「くるみはさ、彼氏とか彼女とか、いたことある?」
「ない。先輩以外、好きになった事もない」
「それが答えなんじゃない?くるみは、先輩が好きなんでしょ。そこに男か女かなんて関係ないんじゃない?」
「…そっか」
「自分の気持ちが一番大切よ」
「たしかに」
その通りだ。
くるみは落ち着いている凪にたずねる。
「凪ちゃんは、恋したことあるの?」
「無いけど、くるみは祈先輩といると、とても幸せそうだから、それを否定しなくても良いだろうと思っただけ」
「凪ちゃんはいろんな事知ってるね。初めに会った時も、祈先輩と仲良くなるためのアドバイスくれたり、気を遣ってくれたり…人生経験が違うのかな」
くるみの言葉に、凪は淡々と返した。
「私は、特に友達も欲しいなんて思わずに、一人で生きて来た。二人組を作るくらいのコミュニティはあっても、休日一緒に遊ぶくらいに距離が近い友達はいなかった。でも、お父さんは私の人間関係を心配していたみたいで、入学の時に友達を作ったらどうだって、言って来た。私の家片親なんだけど、お父さんは優しいから、心配かけたくなかった。私はけっこう打算的な考えで、人気者のくるみにバスケットボール部の紙を持ってきた、まさかこんな事になるとは思わなかったけど」
凪は苦笑する。
くるみは驚いた。
「え、そうだったの?」
「つまり私のアドバイスは、人生経験じゃない。私は本が好きで、そこから引用しているだけ。でもね、くるみの助けになりたいと思っているのは本当よ。くるみの初恋が先輩というなら、私の初めての友達はくるみなのだから。大事な友達のためなら、いつでも力になりたい」
くるみはふるふると首を振った。
「う、嘘だ!だって凪ちゃん、ノートうつす時、くるみと友達になれて良かったなぁ~とかいつも言うじゃん!」
「くるみがひどい~って泣くから面白いんだもの」
「ひどい!」
くるみが机に突っ伏すと、凪は隣に座ってゆっくりとくるみの頭を撫でた。
「私が付いてる。私はたくさん恋の話を読んできたわ。だから任せなさい」
「…頼りになるようなならないような」
「くるみはくるみらしく居れば良いのよ。好きなものは好き、そうでしょう?」
くるみは自分の想いを認めることにした。
その日は折り紙くらぶが無かった。
放課後、初めて写真部の活動があったからだ。
大してやる気の無さそうな写真部の部長が言う。
「えーっと、今日集まってもらったのは、撮影旅行の場所を決めるためです。候補としては、一泊二日で「東京」「奈良と京都」「広島」のどれかです」
写真部は人数が多く、40人くらいいる。
年に2回しか活動しない部活動は、必ず部活に入らなければいけない、という高校の制約の中で救世主となっている。
凪がぼそっとつっこむ。
「旅行って言っちゃってるじゃん」
くるみは問う。
「凪ちゃんと祈先輩は、どこが良いなって思った?」
凪が即答する。
「私は東京。デ〇〇〇―〇〇ドに行きたい」
「そっか、凪ちゃんデ〇〇〇―好きだもんね」
「うん」
祈はそうねぇ、と配られた毎年同じらしい、モノクロのパンフレットを見て言う。
「広島かな。昔、お兄ちゃんが広島の店舗で修行をしていた事があって、私も行った事があるんだ。とっても綺麗だったから、また行きたいなぁ」
くるみは考える。
その時、凪の元へ女子生徒が声をかけてきた。
「凪ちゃん、一緒の班になろ」
その女子生徒も「デ〇〇〇―」好きで、凪と趣味が合うのはくるみもよく知っていた。
凪がくるみと祈に言う。
「じゃあ、お土産を買ってくるよ。そっちもお願い。私は紅葉饅頭がいいな」
祈は笑って任せて!と答える。
凪は振り向き、くるみに小さく親指を立てる。
まさかそんな事態になるとは思わず、くるみは動揺した。
つまり‥‥先輩と一泊二日のデート!!
祈はパンフレットを開き、どこが良いかなぁ、と考えだす。
「あ、くるみちゃん、ほかの場所が良かった?」
「い、いえ!あ、あたしも広島行きたいです!厳島神社があるっていうのは知っています。確か、海に浮かんでいるんでしたっけ」
祈は笑って首を振る。
「流石に浮いてはいないわ。朽ちにくい木を使って、海の上に建てられているのよ」
「へえ、すごーい!世界遺産とか見たことないから、行ってみたいです!」
「うん、夕焼けの海に立つ神社がね、今でも鮮明に思い出せるくらい、とっても綺麗だったの。いっぱい写真撮りたいね」
「はい!」
パンフレットを見ていた祈が手を止めた。
くるみは隣に行って覗き込む。
鉄骨だけの、ドーム型の建物。
原爆ドームだ。
くるみは祈を見て言った。
「あたし、行きたいです。原爆とはどんなものなのか、この目で見たいです」
祈もうなづいた。
「資料館や慰霊碑も合わせて行こうか」
「原爆ドームの近くにあるんですか?」
「うん、これ見て。主に平和記念公園の中に原爆ドームがある形なの。周りやすいわね」
「なるほど」
パンフレットをまくると、何枚か写真があった。
慰霊碑の周囲に千羽鶴が飾られている。
くるみはハッとして言った。
「先輩、千羽鶴折りませんか?おりがみくらぶの活動で!」
祈は目を大きくしてくるみを見る。
「すっごく賛成!がんばって折りましょう!」
☆彡 ☆彡 ☆彡
くるみは夕飯のハンバーグを作りながら、祈と二人きりで旅行をするのを想像した。
考えるだけで胸がどきどきしてくる。
夕飯を心待ちにしてリビングで待機する妹達に、くるみは言った。
「あのね、今度、写真部の活動で広島に行くんだけどさ」
「ええ!いいなーー!!」
みかんが両手を組んで立ち上がる。
くるみは火を止め、腰に手を当てて言う。
「違うよ、観光だけど勉強も兼ねてるの。それで、一日目に原爆ドームに行く予定なんだけど、慰霊碑の場所に千羽鶴をお供えしようと思って、だからおりがみくらぶで皆んなに手伝って欲しいの」
「なにそれ!すごくステキ!うちやるよ!」
「よーし!じゃあ早速明日から頑張ろう!」
すだちがうめを抱っこして椅子に座らせる。
すだちは少し低い声で言った。
「あの、水を差して悪いんだけどさ、旅行いつ?くるみはちゃんと計算したの?」
「2ヶ月後だよ!えーっと、みかんも含めて1000割る4で一人250羽!」
言いながらくるみは首をひねった。
「あれ、1ヶ月って30日だよね?」
「そうだよ」
「一日1羽折っても、30羽だよね?」
「2羽折っても60羽だよ」
「‥‥やばくね?」
すだちは大きくため息をつく。
みかんが腕を組んで言う。
「がんばれば終わるもん!」
「あのなぁ、250割る2で125羽。125割る30で一日約4羽の計算だ。みかんに出来る訳がないだろ」
みかんは顔をしかめて言い返す。
「そ、そんなのわかんないもん!そうだ!すだちとゆずにゃんに手伝ってもらえばいいんだ!」
静かに席に着き、ご飯を待っていたゆずが眉を上げた。
「バカなこと言わないでよ」
「ゆずにゃん!そんな怒らなくてもいいじゃん!」
「は?怒ってないから」
くるみは「はいはい、ご飯ですよ〜」と仲裁に入る。
ハンバーグをお皿に乗せて、茹でた人参とブロッコリーを添える。白米と一緒にテーブルに並べる。
5人で手を合わせた。
「いただきます」
夕飯が終わってから、すだちが言った。
「またお菓子をくれるなら、手伝っても良いけど」
「ほんと?ありがとう、すだち大好きよ!」
くるみが言うと、うめも言った。
「うめもやりゅ!」
「うめたんも手伝ってくれるの?それは心強いわ!」
「うん!」
ゆずがぼそっと言う。
「ゆずの分もくれるなら、ほんの少しなら折っても良い」
「え!ゆずにゃんまで!あたしすごく嬉しいよ、明日祈先輩と凪ちゃんに話して来るね!」
☆彡 ☆彡 ☆彡
凪が頬杖をついて、ふむ、と考える。
「なるほど、千羽鶴か。いいね、でも人手足りなくない?」
「あたしと凪ちゃんと祈先輩と、みーちゃんとゆずにゃんとすだちとうめたんで7人でしょ」
「流石にうめちゃんを数に入れるのは無理があるでしょ」
「うーん…あ!聡美さんにも手伝って貰えば良いよ。集中して土日にやれば、2か月後だし、きっと終わる!」
「まあ確かに、そこまでガチでやれば完成しそうね」
「よーし!なんだかわくわくしてきた!さっそく放課後作戦会議よ!」
放課後、月ノ宮家の離れに集まった。
はじめはくるみと祈と凪の3人だったが、部活の終わったみかんが合流する。
4人が揃い、祈は言った。
「みなさんは、千羽鶴が何なのか知っていますか?」
凪が首を傾げ、言う。
「唐突ですね。病気平癒祈願とかの意味があって、お見舞いとかに持っていくもの、って思っていたのですが、ほかに意味があるんでしょうか」
「物としての機能はそう。じゃあ、千羽鶴の由来は知ってる?」
くるみは答えた。
「原爆症で亡くなった女の子が、自らの延命を願って折り始めた」
千羽鶴を調べていて、たまたま見かけた記事がとても印象深かった。
「諸説あるけれど、ネットの情報からあたしなりに解釈をしてみました」
あらかじめノートに書いたものを、くるみは読み上げた。
「女の子は1945年、8月6日、2歳の時原子爆弾によって被爆してしまいました。女の子は運良く生き延びましたが、小学6年生の秋、亜急性リンパ性出血症を発症して入院することになりました。慰問の手紙の間に鶴が挟んであることに気がつき、治癒を願って女の子は鶴を折り始めました。女の子は千羽、鶴を折ればきっと元気になれる、と信じていました。そのジンクスはいつの間にか病院全体に広がり、みんなが鶴を折り始めました」
部屋が静まり、くるみが顔をあげると、みかんが泣いていた。
「みーちゃんはすーぐ泣く」
「か、可哀そうなんだもの‥‥うち知らなかったよ。ちゃんと折ってあげなきゃ…グスン」
凪と祈もうなづく。
祈が言う。
「折り紙って不思議ね。初めは同じ紙なのに、完成したものは、もう折り紙ではなくて、それぞれ違う意味を持っているんだもの」
くるみは深く感銘を受けた。
「その通りですね。もとはただ一枚の紙だと思うと、不思議です」
みんなで真面目に鶴を折り、休憩をとる。
たわいないことを話し、あっという間に一日が過ぎていった。
祈は勉強がよく出来るので、たまにくるみも分からない所を教えて貰った。インドアで時間だけはたっぷりとあるので、期末試験は皆上々の出来栄えだった。
☆彡 ☆彡 ☆彡
夏休み、日向家は頻繁に祈の家にお世話になっていた。
要因はクーラーだ。
くるみの家の冷房が故障し、扇風機で暑さを凌いでいた。
一度遊びに行ったうめが、祈の家は涼しいという事を覚えてしまい、駄々をこねるようになってしまった。そして、うめの駄々こねが尋常ではないので、ゆずもクーラーがあるのだと察し、ゲームを持って付いてくるようになった。
初めは机と座布団しかなかった月ノ宮の離れの座敷は物が増え、生活感が満載だ。
時刻は午後一時。
凪は夏期講習でいない。
くるみと祈とみかんとゆず、そしてうめが部屋にいる。
くるみの作ったお弁当を食べ終え、みんなお昼寝の時間だ。みんな畳の上に転がって、気持ち良さそうにスースー寝息を立てている。
くるみは持ってきたブランケットを掛ける。
うめが寝ると気を遣ってみんな静かにし始め、その結果、釣られて寝てしまうのだ。
みんなの寝顔がとても愛くるしい。
その時、すっと襖を開け、顔を出したのは祈の兄だった。
くるみも随分仲良くなって、月ノ宮太一だと自己紹介をしてくれた。
太一は部屋の様子を見て苦笑する。
「みんなお眠か」
「はい。いつも本当に有難うございます」
「いいって」
「なにかご用事ですか?」
「ああ。これからサービスエリアのお店に和菓子を届けに行くんだけど、海が近いから、みんなが行きたいなら連れていこうかなって思ってさ」
「わあ!すごく行きたいです、皆あと少しで起きると思うので、聞いてみます」
「わかった」
みんなが起き始め、くるみが話をすると、みかんと祈とうめは「行きたい!」と即答した。
ゆずは「待ってる」と言ったが、他人の家に一人でいるという状況の方が嫌だったらしく「やっぱり行く」と行きたくなさそうに言った。
いったんくるみ達は家に戻り、色々と準備をする。家の前で太一が車をつけてくれて、くるみとみかんとゆずとうめは乗り込んだ。
「すみません、お願いしますー」
「はいよ」
太一の車はワゴン車でとても大きい。それだけでうめはテンションが爆上がりしている。
くるみは手早くチャイルドシートを取り付け、うめを座らせる。
凪に、みんなで海へ行くという旨のチャットをすると、「私も行きたい」という返信があったので、塾終わりの凪を車で拾い、海へ向かった。
うめが窓の外を見て、きゃーー‼︎と叫ぶ。
確かに車高が高いので景色が違って見える。
みんなで色々な事を話した。
凪は言う。
「太一さんはモテモテですね。前のバザーでもお母さん達が盛り上がっていましたよ」
太一は肩を竦める。
「いや全然。彼女もいないし」
「そうなんですか」
太一は窓を開け、呟くように言う。
「祈よりも可愛い女の子がいないからなぁ」
一瞬なにを言っているのかよく分からなかった。
祈が顔を赤らめ、腰を浮かせて言う。
「ちょっとお兄ちゃん!」
思わず凪と視線を交わしてしまった。
太一は重度のシスコンだった。
国道を道のりに行くと、急に道が開けて左手に海が見えた。
「海だ!」
うめとみかんが喜びの声を上げる。
夏真っ盛りで、みんな海水浴を楽しんでいる。
駐車場から浜辺はすぐだった。
みんなが車から降り、太一が言う。
「じゃあ俺は行ってくるから、遊んできな。仕事終わったら俺も行くから、人様に迷惑は掛けないように」
「ハーイ」
浜辺に降り立ち、パラソルの下へ移動する。
荷物を下ろし、凪が言う。
「私は水着ないし、荷物番してるから遊んできな」
くるみは浜辺にある海の家を指差して言う。
「海の家で売ってるんじゃない?」
「遠慮するわ。雰囲気が味わえればそれで良いもの」
「ゆずも」
祈はうなづく。
「じゃあ荷物番たのんだわね」
みんな服の下に水着を着ていて、パラソルの下でささっと服を脱ぎ、水着になる。
祈は純白の、オフショルダーのフリルの水着だ。すらっとした手足が露出され、更にデコルテが見える。浮き出た鎖骨と真っ白な肌がまぶしい。
くるみがじっと見ていると、祈と目が合った。
祈は腕を交差して胸を隠し、恥ずかしそうに言う。
「こういうのは恥ずかしがった方が恥ずかしいものよ。水着なんだもの」
「水着、すごく可愛いです。先輩にとても似合っています」
くるみが素直な感想を口にすると、祈は顔を赤くした。
くるみも恥ずかしくなってうめを連れて海に向かった。
くるみと祈はうめと浅瀬で遊ぶ。
みかんが深いところまで行くので、くるみは注意した。
「あまり遠くまで行っちゃだめよ。みんなが居るところにして」
「はいはーい」
祈は笑って言う。
「くるみちゃんは大変ね」
「あー、すだちを連れてくれば良かったかも」
「私も一緒にうめちゃんと遊ぶから、大丈夫よ」
そう言って、うめの貝拾いに付き合ってくれた。
途中で太一が合流し、アイスを奢ってくれた。
気づけば日が沈みつつあった。
祈と凪とゆずとみかんとうめが、浜辺でビーチボールをしている。
みんな楽しそうにきゃーきゃー遊んでいる。
くるみはパラソルの下から、平和な光景を眺めた。
太一が海の家から帰ってきて、くるみにサイダーを差し出した。
「あ、すみません、ありがとうございます」
太一がくるみの隣に座る。
「気にしないでくれ。いつものお礼だ」
意味が分からず、くるみは太一を見る。
太一は言った。
「君が来てから、祈はとても楽しそうだ。俺が見る中で一番よく笑ってる」
「良かったです。お兄さんは妹想いですね」
「たまに気持ち悪いって怒られるけどな」
「へえ、先輩、お兄さんにはそんな事言うんだ」
「でも今回も、祈からどんな水着が良いか、なんて聞いてきたんだ。正直に答えたら怒られた」
「あはは、それは仕方がないですね」
「まったくだ。でも、それだけ海に行くのを楽しみにしていたみたいなんだ。自分から誘うのに悩んでいたっぽいから、俺が言ったんだ」
「え、そうだったんですね」
太一は家での祈の様子をいろいろ教えてくれた。
水着以外にも、洋服えらびは最近太一に頼っているらしい。
裏話を聞くのはとても面白かった。
くるみは何気なく聞いた。
「祈先輩って小さい頃、どんな感じだったんですか」
「そうだな、祈は病気を患っていて、年単位で入退院を繰り返してた。そのせいか、人づきあいが上手くいかなかったみたいで、学校から帰ってきてはよく泣いていたよ」
「‥そうだったんですね。病気はもう大丈夫なんですか」
「ああ、今は完治してるよ」
「そっか」
「高校生になってから、いつの間にか泣かなくなったけど、こう見ると、我慢をしていただけなのかもな」
祈がみかんにボールをトスし、みかんが取り落とす。水しぶきの中で煌めく祈の笑顔が綺麗だ。
「だから感謝してる」
「いえ、あたしは何も」
「祈は君のことばかり話をするんだ。だから、あんまり仲良くなられるのも困るけどな」
急にシスコンの流れになり、くるみは笑ってしまった。
「良いお兄さんですね」
「君こそ良い友達だ。これからも祈と仲良くしてやってくれ」
「もちろんです」
祈とみかんと凪とゆずとうめが帰って来た。
「お兄ちゃん、くるみちゃんと何話してたの」
「祈が可愛いって話だよ」
「…そういう事、冗談でも外で言わないで」
本気で嫌そうな顔をする祈が面白い。
太一が立ち上がる。
「じゃあ日も暮れて来たし、帰るとするか」
☆彡 ☆彡 ☆彡
「千羽鶴、完成!」
みかんが紐を通し、完成させた千羽鶴の紐のてっぺんを持ちあげる。
くるみはみんなの顔を見て言った。
「祈先輩、凪ちゃん、聡美さん、みーちゃん、手伝ってくれて、ありがとうございます!自分一人じゃ出来ませんでした。ほんとに感謝の気持ちでいっぱいです!」
いいえ~と聡美が微笑む。
凪が肩をすくめて言う。
「折り紙くらぶの活動なんだから、みんなでやるのは当然でしょ」
くるみは凪に抱き着いた。
「凪ちゃん大好き!」
聡美が微笑んで言った。
「みんなのお土産楽しみだわ。気をつけていってらっしゃいね」
「はーい」
公民館から帰宅し、くるみは持ち物の最終確認をする。
「お菓子と、お洋服と、トランプと、お菓子と、お菓子と、お菓子と…」
みかんがバッグを覗き込んで呆れた風に言う。
「お菓子多くない?おねーちゃん、小学生みたい」
「いいのいいの~」
ついに明日、待ちに待った、撮影旅行が始まる!
☆彡 ☆彡 ☆彡
翌日。
本来なら駅に集合だが、くるみは待ちきれず、月ノ宮の家まで祈を迎えに行った。待っていると、駐車場の脇から祈が出てきて、くるみを見て驚く。
「くるみちゃん!?来てくれたの?」
「はい!」
祈は膝丈の淡い水色のスカートを履いていて、細くて白い膝小僧が見え隠れしている。透明なシースルーのTシャツで、その下にエキゾチック風の赤いインナーを着ていた。
綺麗な黒髪には、オレンジ色の布のカチューシャが巻かれていて、服装と合っている。
くるみが思わずじっと見ると、祈は頬を赤らめて視線を逸らした。
「へ、変じゃない?」
「す、すごく可愛いです!!オシャレです!ハワイアンなモデルみたい!」
褒めると、祈は嬉しそうに笑った。
「ありがとう。くるみちゃんもデニムのロングワンピース、よく似合っているわ。髪もふわふわしていて可愛い」
「わあ!気づいてくれました?ちゃんと巻いて来たんです」
「うんうん!お人形さんみたいよ」
「ふふ、先輩は褒め上手ですね」
「本当のことよ」
「え〜!嬉しいです」
近くのバス停に乗り、街へ向かう。バスのロータリーから駅まで歩き、写真部の皆と集合した。
広島旅行の班長が言う。
「各自写真を2枚提出するように。それ以外は自由に、世間にご迷惑を掛けないように行動すること。次に集合するのは宮島フ〇リー港前、2時30分です」
ホームへ上がり、新幹線に乗りこむ。
くるみはたずねる。
「先輩は窓際が良い人ですか?」
「どっちでも良いよ」
「では、お先にどうぞ」
くるみは窓際を譲る。
「あら、ありがとうね」
「いえ」
くるみと祈は座席についている折り畳みのテーブルを開く。
「先輩先輩、いっぱいお菓子持ってきました、何が良いですか?」
「私も持ってきたよ、くるみちゃんは何がいい?
祈はビニール袋から小さな駄菓子のラムネやガム、キャンディーやグミを取り出す。
「わぁ!いっぱいですね。じゃあこの、外国のクマのグミもらっていいですか?」
「もちろんよー」
くるみもリュックのジッパーを開け、じゃ◯◯こを出す。蓋を開けて、祈に差し出す。
「ありがと。これ久しぶりに食べる!」
「良かったです!」
日本語のアナウンスが入った。
―ご案内いたします、この電車はのぞみ号、名古屋行きです。途中の停車駅は……
「あたし、このアナウンス超好きです!なんかわくわくしませんか?」
「あ!それ分かるよ!」
くるみはアナウンスと同時に唱えた。
「れでぃーすあんどじぇんとるめん、ウェルカムトゥーザ新幹線。ディスいずのぞーみえくすぷれす、ばうんどふぉー名古屋」
「くるみちゃんすごい!」
「えへへ、あたしこれなら暗唱できます。英語は苦手なんですけどね」
「そうなの?点数良いじゃない」
「結構ごまかしてます、長文が怪しいです」
「じゃあ今度教えてあげるね!代わりに数学教えて」
「はい!」
祈がうふふ、と笑う。
「勉強もくるみちゃんが居ると、私楽しくできるわ。不思議ね」
その時、景色がゆっくりと流れだした。
祈がくるみの腕を引く。
「みてみて!くるみちゃん、動きだしたよ」
「ほんとだ!この地元を出て違う場所に出発!っていう感じ、あたしすっごく好き!」
「分かる!」
お茶を取り出し、早くもお菓子タイムに突入する。
くるみは何気なくスマホを取り出し、通知に気が付いて画面を開く。
「あ、凪ちゃんはもうすぐ神奈川ですって」
「そっか、バスだもんね」
「うん」
「そういえば、初日の自由行動、くるみちゃんが案内してくれるって言っていたから、本当に私なにも考えてないけど、大丈夫?」
「はい!任せて下さい!」
「ふふ、楽しみだなぁ」
名古屋に到着し、乗り換えの時間に構内を探索した。
「くるみちゃん、あそこのお弁当すっごく美味しそう!」
祈がくるみの手を引く。
ショーケースには大きな味噌カツが乗ったお弁当がある。横に紙で包装されたお弁当が積み重なって置かれている。
「本当だ!味噌カツですね!丸ごと入っているんだ」
味噌カツ駅弁を購入し、新幹線に乗って食べた。
くるみと祈は一口食べ、顔を見合わせた。
くるみはうなって言う。
「これぞ駅弁って感じ!」
祈も頬に手を当てて、うっとりと言う。
「名古屋の味噌カツ初めて食べたけど、甘くて濃厚で、凄く美味しいわ」
「衣もしっとりしていて、味が染みていますね。お肉も柔らかい」
「うんうん」
あっという間に広島駅に到着する。
広島駅の南口を出ると、すぐ目の前に路面電車の駅がある。
4車線の広い道路の中央に、黒い4本の電車のレールが敷いてあった。
ちょうど目の前を、下半分が緑で上が白の塗装をした路面電車が走っていった。
祈は目を輝かせた。
「すごい!路面電車初めて見たわ」
「あたしもです!風情ありますね」
路面電車を待ち、乗り込む。
乗り込んだ瞬間、床が軋んだ。
床が木で出来ている。窓枠も木製で、とても味がある。
「レトロで可愛いですね」
「そうね、とっても素敵ね」
内装は向き合う形の長椅子があり、そこに座る。深緑のふかふかしている生地で、座った感触はすぐ下に木があるような感じだった。不思議な手ごたえだ。だがとても座りやすい。
くるみはうとうとして、いつの間にか眠ってしまっていた。
「くるみちゃん」
揺り起こされて目を覚ますと、ちょうど電車が失速し、駅に到着したところだった。
「あれ、あたし寝てたのか」
「寝言を言っていて面白かったわ」
「え!起こして下さいよ」
「うふふ、可愛いかったわよ」
駅を出て外に降り立つと、潮の香が鼻をつく。空は雲一つない快晴だ。高い場所で、知らない鳥が旋回している。
赤い大きな鳥居に似た門がある。「宮島ゆき直行便」という看板が掛かっている。
門を超えると、すぐ目の前に海があった。
陽光を照り返し、きらきらと輝いている。
船乗り場の手前は広い駐車場のようになっていて、多くの旅行者が乗船するのを待っていた。
写真部の生徒が集まっていて、くるみと祈も向かい、点呼を取る。
既に船はとまっていて、金属の板が地上と船を繋いでいた。
時間になり、そこから歩いて乗船する。
ポーーーーと音を立てた後、船はしぶきをあげて海の上を走り出す。
デッキに上がり、祈は手摺から身を乗り出して歓声を上げた。
「すっごい!」
「先輩、落ちないで下さいね!」
「はいはい!」
祈の黒髪が風でたなびき、ふわりと舞い上がる。
景色を眺めるのかと思いきや、祈はじっと真下の海面を見つめている。
祈が振り返って言う。
「くるみちゃんも見てみなよ、下の飛沫が凄くて不思議だよ」
「景色じゃなくてそっちですか?」
手摺の間から下を覗くと、確かに次から次へ、火花のような勢いで無尽蔵に湧いてくる飛沫が面白い。
「癖になってずっと見ちゃうヤツですね」
「でも、見て!空も綺麗!」
「本当ですね!」
祈は子供のように興味をあちこちに向けて楽しんでいた。
無邪気な姿がなんだかとても愛おしい。守ってあげたくなる。
この一瞬に、くるみは祈を好きな気持ちを実感していた。
船の旅は本当に一瞬で、すぐに宮島に着いてしまう。
祈が伸びをして言う。
「もっと乗りたかった」
「ふふ、帰りも乗れますよ。さて、ここからはあたしがご案内します」
くるみが手の平を返し、ガイドを気取って言う。
祈が首を傾げる。
「厳島神社じゃないの?」
「いえいえ、現在の時刻は2時15分。厳島神社が映える夕刻までは、時間がありますよ」
「じゃあ、今から何処に行くの?」
「秘密です」
「えー、教えてよ」
少し歩き、バス停で待つ。
「このバスです」
やって来たバスに乗車する。10分ほど揺られていると、アナウンスが入った。
―次は、宮島水族館、宮島水族館です
祈が目を丸くする。
「水族館なんてあったんだ」
バス停を降りると、すぐに宮島水族館がある。
入場券を買い、くるみは説明する。
「ここの水族館は3050種類、13000匹以上の水生生物を飼育しています。有名なのがスナメリで、スナメリは瀬戸内海でも食物連鎖の頂点にたつ、イルカの仲間です。ですが今は数が減ってしまって見る事が出来る機会はめったにありません」
「じゃあレアなのね」
「はい!」
「くるみちゃん連れ来てくれて、ありがとうね」
「いえ!」
中は暗くて、瑠璃色の淡い光に包まれている。
深い水底を歩いているかのようで、神秘的な雰囲気がある。
祈がそっと手を繋いできた。
祈が何も言わないので、くるみが「デートっぽい」と茶化そうと思ったが、視線が合って恥ずかしくなってしまった。
祈は澄まし顔…というか、特に意識してはいないようで、あの魚が綺麗、スナメリが可愛い、など途切れ途切れに話をした。
先輩が楽しそうなので、くるみは良かったなと思った。
屋外でアシカのショーを見た後、二階へ移動する。
ペンギンプールのすぐ隣に、小さなレストランがある。
「へえ、お食事できるところもあるんだね。あ、でも予約が必要なんだ」
祈は少し残念そうだ。
くるみは祈の手を引いて、入口へ向かう。スマートフォンの画面を見せて従業員に予約を伝えた。
祈が目をぱちくりとさせる。
「うそ、予約してくれてたの?」
「一応。ガイドをすると言った手前もありますし」
祈がぱっと花咲くように笑った。
「ほんとデートみたい!ありがと」
「いえいえ」
テラス席でご飯を食べた。
広い瀬戸内海が一望できる。
祈が頬を押さえ、目をくの字にして言う。
「ん~!さくさくのカキフライ、甘たれの焼きアナゴ、ふわふわしたじゃこ。最高に美味しいお丼だわ」
祈が大食いなのは夏休みになって判明した。
くるみの作ってきたお弁当にプラスして、平気でカツ丼やおにぎり、ハンバーガーなどを食べるのだ。
駅弁だけでは夕方にはお腹が空くだろうというのはあらかじめ計算していた。
「良かったです。このおうどんの削り節はトビウオらしいです。どうぞ食べてみて下さい」
くるみはお椀にうどんを取り分ける。
祈は目を輝かせて言った。
「わあ!ありがとう」
水族館の後、バスで厳島神社へ向かった。
厳島神社の中へ入り、唐紅の廻廊を歩きながら、黄金色の海を見ていると、神聖な場所というのを肌で感じた。
緋色の柱と低い欄干、木の床板が、平安時代を想起させる。
行き止まりまで行くと、正面に海に立つ鳥居が見えた。
「神をいつきまつる島、か」
海上に鳥居が立っている理由は、この厳島自体がご神体、神様であるから、らしい。地上で木を切ったり、土を削ったりする事が神様を傷つけてしまうかもしれない、と昔の人は危惧し、島の上を避けたのだという。
「くるみちゃんこっち向いて」
「え」
振り向いた瞬間を撮られてしまった。
「ちょ!先輩!ずるいです!」
くるみも祈を撮る。
祈は横顔が美しい。
くるみはカメラを外し、思わず言った。
「先輩、とっても綺麗ですね」
大勢人がいる中でハッキリ言ったので、目立ってしまった。
くるみは慌てて言い直す。
「いえ、夕日が…夕日が綺麗ですね」
祈はくるみを見て微笑む。
夕日の逆光を受け、祈が囁く。
「あなたと一緒に見るからでしょう」
くるみは目を丸くした。
それは、月が綺麗ですね、という夏目漱石が生んだ愛の告白の返答の一つだ。
そう、愛の告白の返答だ。
いやいや、とくるみは首を振る。
文脈的におかしくはない。普通の話だ。
くるみは静かに返す。
「嬉しいです。あたしもおんなじ気持ちです」
祈は目を細めて笑む。
お守りを買って、厳島神社を後にした。
歩いてすぐのところに旅館があり、くるみと祈はチェックインした。
鍵をもらい、二人で部屋に入る。
「わあ!」
ベッドが二つ、奥に窓と小さい机とテーブルがある。
祈は落ち着いた内装を見て言う。
「中はけっこうホテルっぽいのね」
荷物を下ろしてラフな格好に着換える。
ベッドの上で大の字になって休憩してから、夕食へ向かった。
夕食は写真部の全員でとるようになっていて、広い座敷でみんなで食べた。
帰ってきて、くるみと祈は顔を見合わせる。
「お風呂いく?」
「いきましょう!」
一階へ降りて、廊下を歩く。本館からは離れた場所にあった。女湯の暖簾をくぐり、中に入る。
服を脱いでいると、祈が頬を染めて言った。
「くるみちゃん…その…じっと見すぎよ」
「そうですか?先輩自意識過剰ですよ」
しれっとくるみが予め考えていた返しを決めると、祈が顔を真っ赤にした。
檜の浴槽は、表面が少しぬるっとしていて、柔らかい。ジンと体の芯から温まる。
「ごくらく…」
「しあわせ…」
二人は温泉を堪能した。
寝る前に、祈は言った。
「くるみちゃん本当にありがとう。今日、私のために色々計画してくれて」
「ぜんぜんですよ、あたしが行きたかった場所に連れて行っただけです」
「またまた~ショーの時間とかピッタリだったじゃない」
祈はくるみのベッドに乗ってきて、くるみを頭ごとすっぽり抱きしめる。
「みかんちゃんと凪ちゃんが教えてくれたよ。くるみちゃんが私の事、本当に好きだって」
意味をたずねる前に、祈は言う。
「私、結構ズボラなの。洋服とかも全然拘らないタイプだった。でも祈ちゃんが私の事を好きって言ってくれて、洋服とか褒めてくれるから、ちゃんとオシャレするようになった」
くるみは顔を上げる。
照れ臭そうに祈は視線を逸らして言う。
「くるみちゃんは私の事好きって言っているけど、凪ちゃんとばっかり話をするなあってやきもち焼いたりした」
「え!」
「びっくりした?」
「…はい」
「それに、くるみちゃん本当にカッコいいんだもん。今日だって凄く楽しかった。ほんとビックリしたんだから」
「えへへ、良かったです」
祈は布団に潜り込むと、口元まで布団を上げ、小声で言う。
「私もくるみちゃんが好きよ」
くるみは茶化して返す。
「愛の告白ですか?」
「そうよ」
真剣なまなざしで祈は言う。
くるみは驚いた。
真面目な話?
「真面目な話ですか?」
「そうよ。好きよ」
先輩は視線をそらさない。
茶化してない‥
祈はもう一度言った。
「くるみちゃん、好きよ」
熱くなった頭で、くるみは考える。
これは現実か?
くるみが祈を見ると、祈は何度もまばたきをした。視線を逸らされる。顔が赤い。
本当ですか?なんて聞き返す格好悪いことはしたくない。
だから今は自分の気持ちを伝えよう。
くるみ決心し、祈に向き合った。
「先輩に初めて会ったあの時から、あたし先輩が本当に好きです。確かにあたしもはじめは容姿に惹かれました。でも仲良くなっていく内に、すごく真面目で優しくて不器用なところも素敵だなって思うようになりました。先輩の全部は知ることができないけど、今まであたしが見てきた限りの先輩ぜんぶ、大好きです。きっとこの気持ちは誰にも負けません」
祈は笑って言う。
「私もそうだよ。くるみちゃんが私の熱狂的なファンだったから嬉しかった。正直、男子だったら避けてたと思う。だけどそこまで含めて、くるみちゃんと仲良くなれたのは運命だと思うんだ。くるみちゃんと一緒にいると、私すごく楽しくて胸がぽかぽかする。だからこれからも、ずっと近くに居てほしい」
「‥はい」
両手を繋いで額を寄せ合った。
見つめ合うとドキドキする。
「あたし、先輩が初恋です。恋がこんなにもキラキラしてドキドキするものだったなんて、知りませんでした。あたし、幸せ者です」
祈は目を細めて笑う。
その時、ドアから漏れる光がぱっと消えた。
もう消灯の時間だ。
祈が言う。
「寝よっか」
「はい」
背中を合わせてベッドに眠った。
嬉しさと緊張で脈打つ心臓をなだめながら、明日も格好つけられるように、くるみはしっかり睡眠をとった。
翌日。写真部のみんなで朝食をとってから、チェックアウトをした。
旅館を出た入口のところに鹿がいて、くるみと祈は写真を撮った。
二日目にしてようやく撮影に気合が入り、船での様子も沢山撮影した。
今日も晴天で太陽がよく映える。
広島市街へ向かう電車の中、祈がカメラのデータを見返して言う。
「なんか鹿が一番綺麗に取れている気がする。これ提出しようかな」
「え、風景じゃないんですか」
「ほら見て。すごく凛としていて、格好よくない?」
祈のデジタルカメラを覗くと、確かに後ろの林とその正面に佇む牡鹿の配置が、ジ〇リを彷彿とさせる。
「なるほど。確かに風景はみんな提出しそうですもんね」
「そうそう」
くるみもデータを見返す。
厳島神社の本殿から、海の上に立つ鳥居を見つめる祈の後ろ姿を提出する事に決めた。
これが一番綺麗だ。
広島駅に着いてから、歩いて原爆ドームに向かった。
資料館へ入館し、当時の戦争についての、膨大なパネルや展示物を見て進む。想像以上に凄惨なものばかりで、くるみは手足が竦んだ。
だが一番悲しかったのは最後の部屋にあった、戦争の被爆者の体験が纏められたラミネーターの本で、くるみはそこで初めて涙が零れた。
平和記念公園へ行くと、小学生くらいの子供達が合唱をしていた。
歌詞がとても印象深く、くるみと祈は足を止めて聴き入った。
くるみと祈はドーム状になっている、千羽鶴が飾られている場所へ行き、そっと自分達の折った千羽鶴を石の台に置いた。黙祷してからその場を離れた。
くるみは言った。
「来て良かったです。最近、戦争の話はフィクションとして扱われる事が多くて、あたし自身その悲惨さを忘れてしまっていたのを痛感させられました。どんなに真面目な戦争のアニメや漫画でも、現実とは違いますから」
「そうね」
祈は言葉すくなだ。
市街地に出て、くるみと祈は向き合う。
あらかじめ話し合っていたのは、市街に出たら、気持ちを切り替えて旅行を楽しむ、というものだ。
手を繋ぎ、前を向く。
祈が満開の笑顔で言う。
「老舗の、美味しいもみじ饅頭、買いに行かなきゃ。みんなの分をいっぱい買ってあげないとね!」
「はい!」
☆彡 ☆彡 ☆彡
帰ってくると、大騒ぎだった。
「ただいまー」
「おかえりっ」
みかんとうめがダッシュしてきて、上辺だけの挨拶を返し、荷物を引っ手繰ろうとする。
「ちょっと!そういう子にはお土産あげないよ?」
うめとみかんが頬を膨らませてくるみを見る。
それが可愛くて、くるみは笑って言った。
「ちゃんとテーブルで分けっこしましょ、手を洗っておいで」
家族でお土産開封の儀が始まる。
「紅葉饅頭すっごく美味しい!」
みかんがバクバク食べる。
うめも負けじと、無心で次から次へとお饅頭を貪っている。
「二人共、喉に詰まっちゃうからゆっくり食べなよ」
とくるみが注意する中、こっそりゆずが他の種類の紅葉饅頭を空けて、すだちと食べている。
すだちが感心して言う。
「紅葉饅頭でも、餡子以外もあるのか。チョコとクリーム、凄く美味い」
「良かった!」
くるみは水族館で買って来たぬいぐるみをうめの前に出す。
「ほら、うめたん、ペンギンさんよ」
「わぁ!!」
嬉しそうに目を輝かせ、ペンギンのぬいぐるみを抱き締める。
「ありがちょう」
「どういたしまして」
みかんとゆずにも同じペンギンのぬいぐるみ(違うと喧嘩になるから)、すだちには水族館のシャープペンだ。
すだちが頬杖をつき、言う。
「お土産話も聞かせてよ」
両親もやって来て、くるみは沢山話をした。
☆彡 ☆彡 ☆彡
日曜日になり、公民館で折り紙くらぶが始まった。
みんなでお土産を出して、一つずつ袋を開けながら、土産話を披露する。
グループラインに写真を上げて、写真つきで詳しく話すと、みんな熱心に聞いてくれた。
凪の話も面白い。
今はカメと話をするアトラクションなんて物もあるらしい。
「へえ~いろいろあって面白いね」
東京土産の〇〇バナナを食べながら、聡美は言う。
「みんな、とっても充実した旅行だったのね。美味しいお土産も沢山ありがとう」
「いいえ」
祈は言う。
「千羽鶴もしっかり奉納して来ました。みんな折ってくれてありがとう」
みんながうなずく。
撮影旅行も恋愛も大成功をおさめた。
折り紙くらぶは終了し、各々帰っていく。
くるみと祈は二人きりになった。
祈にくるみの気持ちを伝えてくれたのも凪とみかんだと言っていた。
たぶん気を遣ってくれているのだろう。
心の中でくるみは二人に感謝した。
二人で帰り道を歩いていると、祈は足を止めた。
くるみを見て言う。
「くるみちゃん、私の恋人になってくれる?」
「…」
くるみは視線を落とした。
同性の恋なんて、今は周りの人が優しいから浮いていないだけだ。
祈先輩は大学生になって、新しい地で異性の恋人を作るのが一番良いに決まっている。
「あたしは、先輩の幸せを心から願っています。この想いを受け取ってくれただけでも、すごく嬉しいです。だから…」
「幸せかどうか決めるのは私よ」
「…」
「くるみちゃん、こっちを見て」
両手を取られて、くるみは顔を上げる。
祈は手を強く握り、微笑んで言った。
「私、くるみちゃんのそういう所、大好き。私のこと本当に大事に思ってくれてるんだなって温かい気持ちになる。だからお願い。これからも一緒にいて」
「…でも」
「それともくるみちゃんは、ほかに好きな人がいるの?」
「いません」
「…ダメかな」
祈が小さく首をかしげる。
くるみは言った。
「先輩がそこまで言ってくれるなら、あたしは断れません。先輩が好きです、お付き合いさせて下さい」
祈は目を細めてうなずく。
「うん。お願いします。私、くるみちゃんの誠実な所が好き。今まで会った誰よりもカッコいい」
「ハードル上げないで下さい」
「本当のことよ。頭も良くて、料理も上手で、努力家で、面倒見が良くて、みんなに優しい。私に無いものを沢山持っていて、憧れてる」
「それはあたしも同じです。誠実な人っていうのは、先輩みたいな人を言うと思います。なあなあの関係じゃなくて、こうやって告白してくれたり、先輩は人の顔色うかがって動いてしまうと言っていましたが、そんな所も好きです。最後までちゃんと仕事をこなそうとしているのも、あたしだったら絶対出来ないから」
くるみと祈は見つめ合った。
恥ずかしくなって、くるみは言った。
「帰りましょうか」
ぼつぼつと話ながら、歩く。
祈は言った。
「私、もう一つ志望校のランク上げようと思うの」
「え、どうしてですか?十分すごいと思いますが」
「もし受かれば、近くにいられる。休日はこっちに戻って来られる距離だから」
くるみは息を呑み、小さく息をついた。
「…嬉しい。考えていてくれたんですね」
「うん」
「でも、今のところから一段階上だと、かなり難しくなりそうですね」
「そうね、でもやるって決めた。くるみちゃんが嬉しいって言ってくれたから」
「なら、あたしは応援します。でも、無理はしないで下さいね」
「うん」