第1話:うちの姫にはバブみがある・中
門を潜ってすぐ、シリンはしゃがんで、右手を地面につける。すると、大地が大きく隆起し、弾けた。土塊を跳ね飛ばして現れたのは、4m程の土でできた巨人であった。土の精霊を召喚したのだ。この門から誰も逃がさないためだ。
乾いた音がして、城壁の上にいた男が落ちてくる。見ると、シリンの銃口が硝煙を上げていた。また矢でも射掛けて来ようとしたのがウザかったのだろう。シリンの放った弾丸は、正確に男の額を貫いていた。即死だっただろう。
土の巨人をその場に置いて、孝士郎とシリンは砦の中の方へと歩を進める。手に鉈や斧などの粗末な武器を持った村人風の男達が建物の中から現れる。だが、彼らは遠巻きに孝士郎達を取り巻いているだけだった。シリンの持つ銃と、大型の狼犬である孝士郎を恐れているのだろう。
ふと、孝士郎は砦の奥から毛並みの変わった連中が駆けて来ているのに気が付いた。その人数は20体と少しだった。
大型の戦鎚や槍を構える、豚に似た顔とチェインメイルに包まれた屈強な躰を持つ大男共。彼らはオークと呼ばれる魔族であり、戦闘力に長けた野蛮な民族であった。
見た目と違い、高度な知性を持ち、魔法も使える彼らは人間にとって脅威な存在である。彼らがこの件の黒幕なのかもしれない。実際、銃を装備しない騎士団の者達では同程度の人数の彼らにはとてもではないが太刀打ちできない。
だが、地獄の猟犬である孝士郎にとっては、それこそ十把一絡げの雑魚に過ぎない。シリンの手を煩わせるまでもなく瞬殺してやる。そう思って、孝士郎は先行する。シリンもそれが分かっているため、銃を構えることさえしていない。
風を纏い、音の壁をぶち抜く速度で孝士郎は駆ける。1秒未満で100m以上もの距離を詰め、爪を伸ばして前足を振り下ろす。それだけで、オークの体は両断され、血をまき散らして地面に崩れ落ちた。
オーク達がろくに反応もできない内に、孝士郎は3体のオークを斬殺していた。時速1000kmを超える速度を誇る孝士郎が相手では、余程の相手でなければ反応さえできない。
ようやく、攻撃を受けている事にオーク達が気付く。彼らが身構える前に、また2体のオークの上半身と下半身がお別れした。
オークの一人が地面に手を付ける。そして、シリンと同じように土塊の巨人を召喚した。丁度いい武器ができた。孝士郎はそう思って、両肩に隠されている一対の触手を展開する。そして、その右の一本を伸ばして、巨人の足を巻き取った。
孝士郎が大きく体を捻る。すると、巨人の身体が宙に浮きあがった。巨人を空中に振り上げ、孝士郎はオークに叩き付けた。まるで蠅叩きでぶん殴られた蚊のように、オークの身体は簡単に潰れた。
触手を伸ばし、巨人を鈍器のように振るって、孝士郎は次々とオークを薙ぎ倒して行く。天高くホームランされる物、虫のように地に叩き潰されたもの。色々な形の死が、古い戦場を彩っていく。
それを見る村人達の視線は、まさに化け物を見るそれであった。あの恐ろしいオーク達が次々と屠られていくのだ。領主の猟犬は規格外の化け物だ。彼らはその事実をまざまざと思い知らされたのだ。
戦闘開始から一分足らず、立っているオーク達はいなくなった。その様子を見た村人達は我先に逃げようとする。だが、駆けようとした彼らの数名が、飛んできた大きな矢のようなものに突き刺されて地面に倒れた。それを見て、彼らは足を止め、恐怖の叫びを上げた。そして、宙の一点を見る。
大地に大きな影を落とし、空から舞い降りたもの。それは獅子の体に大きな皮膜の翼、蠍の尾に老人の顔を持ち、それらを象に近いサイズに合わせたような姿をしていた。孝士郎の知識の中では、それはマンティコアという怪物あると認識していた。
マンティコアは極めて強力な魔獣であった。地上のどのような動物でさえも薙ぎ倒せる膂力と飛行能力、そして人間のそれと変わらない奸智と魔法能力。帝国正規軍でさえその討伐には手を焼き、騎士団程度では討伐はほとんど不可能。そう言われる存在であった。
「ふん。領主め、もう手を打って来おったか」
マンティコアはしゃがれた老人のような声で言う。どうもこの件の黒幕はこいつのようであった。孝士郎は思わず、怯えてへたり込む村人達を見る。脅されたのかもしれないが、よくもまあこんな化け物と手を組む気になったものだ。
「マンティコア。貴方に一つ確認させて貰いたいことがあります」
シリンが前に進み出て、マンティコアに言う。その口調には水を打ったような静かさしかなく、恐怖などの感情は全く感じられない。
「なんだ、エルフの娘よ?」
それが面白くないのか、マンティコアは幾分か鼻白んだ声でシリンに言った。
「オークを引き連れた貴方は、騎士団を全滅させ、その物資を奪い取った。そして、それを近隣の村人達に施して、力を背景に領主の裏切りを唆して、反逆に至らせた。今回の件の筋書きはそういうところですね?」
シリンの語った筋書きに、孝士郎はなるほど、と頷いた。あろうことかこの化け物は、姫の送った物資を横取りして、飢えた村人達に施し、領主に見捨てられたお前達を私達は救ってやったとか言って、従えることに成功したのだろう。ふざけた野郎だ、と孝士郎は地面に唾を吐いた。
「頭が回るな、女ぁ!」
そう叫んでマンティコアがシリンに飛び掛かる。一足飛びで間合いを詰め、その巨大な前足をシリンの小さな体目がけて振り下ろそうとする。
だが、次の瞬間、マンティコアの身体が真横に吹っ飛んでいった。孝士郎が土の巨人を投げつけたのだ。巨人と折り重なりながら、地面を転がっていくマンティコア。だが、途中で体勢を立て直し、巨人を跳ね飛ばしてマンティコアは立ち上がる。そして、孝士郎の方へ尻尾を向けて、その先端についた針を矢のように飛ばした。
飛んできた数本の針を、孝士郎はゆっくりと前進しながら受ける。額、目、右足、首。それぞれに針が命中する。だが、それらは突き立つことさえなく、力なく地面に墜ちた。孝士郎の身体は極めて頑丈で、その体毛は大砲の一撃でさえダメージを負わない。比較的脆い目でさえ、マスケット銃の至近距離射撃を受けてもビクともしないほどだ。
次にマンティコアは口元で何やら呪文を唱えた。魔法式起動。マンティコアの頭上に、バスケットボールほどの火球が生み出され、それが孝士郎に叩き付けられる。火球は爆発し、孝士郎の姿は爆炎の中に消えた。だが、次の瞬間、吹き去られた爆炎の中から無傷の孝士郎が現れた。爆裂火球の魔法如きで、孝士郎を傷つけることなどできないのだ。
「化け物め!」
「お前に言われたかないよ」
憎々しげに言うマンティコアに、孝士郎は呆れ気味に言う。もう十分構ってやったから、止めを刺そう。そう考えた孝士郎は両の触手を伸ばし、マンティコアの首に巻き付ける。そして、身体ごと触手を振り回して、マンティコアの身体を空中に放り投げる。途中で、ごきり、と首の骨が折れる音がしたが気にしないことにした。
そして、飛んでいくマンティコアを上回る速度で、孝士郎も飛び上がる。そして、爪を展開し、一閃、二閃、三閃。そして、最後はX字に大きく切り裂き、マンティコアの身体を文字通り八つ裂きにした。
孝士郎ともはやわけのわからない肉塊と化したマンティコアが地に墜ちる。敵の排除は完了した。孝士郎は勝利の雄たけびを上げる。それを聞いた村人達は力無く地面に座り込んだ。世の中には化け物さえ上回る化け物がいる。その恐怖が、彼らの心を押し潰したのだ。
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「これで最後ですね?」
「ああ」
シリンと言葉を交わして、孝士郎は建物の扉を閉じる。
マンティコアを倒した孝士郎は、村人達を全員見つけ出して、大きな倉庫らしき建物に閉じ込めたのだ。女子供も一人残らず、だ。
どのような理由があれ、魔族に唆されて領主に反逆した彼らは犯罪者であった。裁きは受けなければいけない。だが、彼らを護送するにはシリンと孝士郎だけでは人が少なすぎる。そこで、姫に連絡して騎士団を派遣して貰い、彼らを護送して貰おう、ということにしたのだ。
「さて、しばらくは交代で見張りだな」
一仕事を終えた孝士郎はシリンに軽い口調で言う。裁きを待つ彼らに逃げられては困る。騎士団が来るまでの数日はここで見張らなければならない。幸い、孝士郎はその気になれば1ヶ月飲み食いしなくても、寝なくても平気だ。主な見張りは自分が引き受けよう。そう言いかけたところで、シリンがライフルを構えるのを見た。
「見張りは必要ありませんよ、孝士郎」
そう言ったシリンは躊躇なく引き金を引いた。放たれた弾丸が巨大な炎を纏い、まるで火の鳥のようになって倉庫に殺到する。そして、それは瞬く間に火達磨になった。中の村人達は遠からず全員焼け死ぬだろう。
「え…?」
孝士郎はその様子を馬鹿みたいに眺めていた。訳が分からない。一つ分かるのは、シリンは最初からこうするつもりでいたのだ。
「姫からは最初からこうするように命令を受けていました。…反逆者にかける情けなどありません」
燃え盛る炎の前で、シリンは氷山から吹き降ろす風のような口調でそう言った。そういえば姫はそういう考えの人だった。
姫は良民には優しい。それは女神のようでさえあると思う。だが、犯罪者には恐ろしいほどに厳しい。それは無慈悲な鬼神のようであると思う。
そんなことを考えながら、孝士郎は燃える人々を眺めていた。つい少し前までは守られるべき民であった人々が、未来のある子供達とその親達が燃えていく。その様を孝士郎は、炎が燃え尽きるまで、ただただ馬鹿みたいに見つめていた。