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振り切って

作者: まる×

「黒龍は韓露軍で立派にやっているようだ。彼はきっと白雉に並ぶだろうね。腕だけでみればすでに韓露一だろうし、実直で面倒見がいいからきっといい将軍になる。そうして、黒龍まで手放して、お前の手にはなにが残るの?」

「幸福だっという記憶が。…もうそれだけで、本当に手一杯なんですよ。」

 施設で潰れるはずだった命が、考えられぬほど生きながらえた。可愛くない弟子も取れた。馬鹿な弟子は勝手に育って、今はもう立派に一人前だ。

「どうせ、手足が潰れては何もできません。」

「君が治療をさせないからだろう。典医にかかれば治らない怪我ではないはずだよ。」

「…流石に、売り渡そうとしていた国の恩恵にあずかれるほど恥知らずではないんですよ。」

 拾われてから十年、ただ皇帝の御為に動いてきた。どれほどのことをしても全てに言い訳がたったのだ。何もなくなった今は、自分だけのために何かをする気にはならない。

「お前の世話はとても楽しいから、このままでも不満はないのだけれどね。」

「もう、そうそうお手間をかけることも無くなると思いますよ。」

 己が生きていると、きっと黒龍は自分のところへ帰ってくる。いくらでも広い世界へ飛び出せるのに、何の疑問も持たずにこんな小さな壊れかけの鳥籠へ。

この帝は、自分を処刑する意思を示さない。でも、それは為政者としては失格だ。国のトップが特定の個人を贔屓するようなことは、規律の乱れにつながってしまう。

どう考えても、己が消えるのが二人のためだった。


「君が死んだら、黒龍を殺すよ。」

 にこりと、何の気なしに告げられた言葉に刹花の思考が途切れた。見上げても帝はいつものひょうひょうとした笑みで、刹花に言葉の裏を読むことはできない。

「彼はそれでいいと言っていたよ。ああ、それと、お前の手足が治るまで私の護衛を外すことにしたから。早く治して、守ってくれると助かる。ここまで来られる賊は中々いないけれど、ここまで来られるくらいの賊だとそうとう手ごわいからね。」

 瞬間に、頭が沸いた。この帝は、こういう顔をして冗談は言わない。

「頭は大丈夫ですか!!白雉は何をしているんです!今の私は、盾になることさえできないんですよ!」

「うん。だから、早々に治してくれると助かるね。」

 眩暈がしてきた。どうりでここ最近護衛の気配がない。とうとう己の感覚器官までガタがきたと思っていたが、そのほうがどれほど良かったか。

「君には私が言って聞いてくれるような素直さはないだろう。黒龍に相談してみたのだけれど、彼も説得する自信はないそうでね。きっとばっさり切られてしまうと言うから、二人ならどうかと考えてみたのだよ。」

「私に、あの馬鹿とあなたが命をかける価値はありません。」

「それを決めるのは私たちだ。」

「とにかく、即刻馬鹿な真似はやめて護衛を戻してください。それから黒龍に一度顔を出せと伝言をお願いします。全く信じられない。」

「私は護衛を戻すつもりはないし、黒龍は君が全快するまで会わないそうだ。文句があれば宿舎に来いと言っていたよ。全く、何でだろうね。私と彼は、君に治療を受けてほしい。それだけのことなのに、君が意地をはるからひどく難しくなる。君が納得するにはまだ足りないかい?」

「私はいない方がいい人間です。そもそも貴方がたが個人を贔屓すれば、国が乱れるでしょう。」

「それくらいで揺らぐほど、もろい国ではないよ。」


「覚えていないかな。十三年前、君は甘露の北端の城に忍び込んだことがあるだろう。」

 覚えている。「闇」としての初仕事だった。相手は年端もいかぬ子どもゆえ、忍び込んで首を取れと言われた。

「…あれは、帝でしたか。」

「うん。あのころは兄君達がいたから末の側妃の弟宮は用なしでね。内乱の種になってはいけないとほとんど幽閉に近い状態だったのだよ。」

 子どもの寝室に入るまで、てこずった覚えはない。あのころの己に易々と侵入されるということは、つまりそういうことだったのだろう。

「ははは、益々私は、吊るされた方がいいんじゃないですか。」

 皇族の寝室へ無断侵入と言うだけで立派に死罪だ。

「初めて遊びに来てくれた友人を、大切にしたくない子どもはいないのではないかな。」

「あれ、それじゃあ人違いですね。私は暗殺にしか伺っていないはずですが。」

「でも、君は殺さなかっただろう?あの城の警備は賊の侵入よりも私の脱走を警戒するためのものでね。あの頃の君にさえ、敵う者はいなかったはずだよ。」

 確かにあの時刹花の脅威になる者はいなかった。誰もいないことが恐ろしかった。

「よく今まで生きてましたね。あの警備では殺してくれと言うようなものでしたよ。」

「おそらく私の存在を知る人間がほとんどいなかったのだろうね。利用価値も、排除するほどの脅威もない子どもだっただろうから。」

 あの城での日々は、ただただ、飼い殺されている様な毎日だった。食事、衣装、教育。生きるために必要なものは与えられていたけれど、本当にそれだけだった。親族に会った記憶はなく、城から出た覚えも、誰かに遊んでもらったこともない。世界の終りは高い城壁と重たい城門で、外との繋がりは週に一度来る家庭教師だけだった。灰霞にぼやけるように、断片的な記憶しかない。

「君には、私はどう見えていたのかな。」

「覚えて、ないです。」

 寝ている子どもを見たときに、きれいな金髪だなと思った。すうすうと寝息を立てる子どもは温かそうで、冷たいモノにしてしまうのはもったいないとぼんやり思った。

 この子は、己よりも強いのだろうか。

 刹花の周りでは弱い子どもは生き残れなかったし、力がなければ寝床も食事も与えられなかった。だから、きっとこの子は己よりも強くて、ここにいるんだろうと思ったのだ。

『起きて。』

顔が触れるまで近寄っても目を覚まさないので、声をかけた。

『…なあに。』

『勝負しよう。貴方の武器はどこ?』

『遊んでくれるの?!』

『私は、強いよ。』

 きらきらと目を輝かせた子供と、きっと刹花は対極にいたと思う。このころもうすでに「遊ぶ」と言われて頭に浮かぶのは血みどろの「ゲーム」だった。

『何して遊ぶ?カードも、チェスもあるよ。庭に出ればかくれんぼと鬼ごっこができる。絵本もあるし、お菓子もあるよ。』

 この辺りで、やっぱり外の子は違うんだなと、諦めたことを思い出す。

『私は、君を殺しに来たんだよ。』

 子供は、言われた意味を分かっていなかった。遊ぼうと言ったら、知らない遊びを提案された。自分はそれを知らないけど、遊んでくれるなら遊びたいな。多分、そんな顔。

『お姉ちゃん、お外から来たの?』

『なんて教えてもらったの?』

『お外には、僕に悪いことをしようとする人がいっぱいいるから、僕はこのお城からでたらだめなのだって。このお城にいれば悪い人は外から入ってこられないから、ここでいい子にしていなくちゃだめなのだよ。でも、お姉ちゃんは入ってこられたのだね。』

『うん。私は強いし、それが仕事だから。』

『じゃぁ朝まででいいから、遊ぼう。お仕事は、夜はお休みなのでしょう?朝になったら、僕、お仕事の邪魔はしないでいい子にしているよ。』

『…うん。日が出るまでなら、いいよ。』

 暖かい部屋の中。かわいいぬいぐるみ。磨かれたチェスの駒。どれも、興味がないわけじゃない。手が届くなら、少しでいいから、触れてみたかった。

『私に勝ったら、なにかひとついうこと聞いてあげる。』

 「中」の「ゲーム」なら負けなしだった。

『え~、すごい!強いんだね!』

『死なないんだよ。私が殺さないんだから、絶対死んじゃ駄目だからね!』

『大丈夫だよ。僕はここでいい子にしていれば、大丈夫だよ。』

『馬鹿!!こんなところでいい子にしてても駄目なんだよ。私よりも強い大人はたくさんいるし、ここの人達弱いから、あんたのこと守れないんだから!』

『じゃあ、どうすればいいの。』

『あんたが強くなんなくちゃ、駄目なんだよ。生き残るためにどうするか考えて、大人の言うことが信じられるのか、ちゃんと考えなさい。自分で考えて、味方をつくって、助けてもらえるようになりなさい。あんたは弱いから、誰よりも考えて、考えて、考えなくちゃ、居場所なんてあっという間に盗られちゃうんだからね。』

『分かった。ちゃんと、考える。』

『約束だよ。』

『うん。約束守ったら、また、お姉ちゃんと会える?』

『私は悪い人だから、会わない方がいいんだよ。』

『やだ!!僕がお姉ちゃんを悪い人じゃなくするから、だから会いに来てよ。約束だよ。』

『分かった。あんたがちゃんと強くなったら、また会いにくる。約束する。』

「初めて抱きしめられた子供は、だきしめた相手に恋をしたのだよ。」


「お前は自分を顧みないから、ときどきすごく腹が立つよ。」

「…分からないんです。今までのことを、どうしていいか。」

 騙して、裏切って、壊して、殺して、そのうち誰かに殺される。そういう人生だと思ってきた。もう全部を覚えていられないくらい罪状は積み重なっているのに、最後の報いだけがぽっかりと空いてしまって。

 振るった刃を覚えている。首の落ちる音も、己の密告で焼ける城の朱さも。最後に無残に殺されることで全ての帳尻が合うと思っていた。ずっしりとのしかかってくる重みを、己を殺した者へ引き渡せると思っていたのに。背負って生きることも忘れてしまうことも、己にできると思わない。そう遠くないうちに誰かへ渡せる機会があると思ったから、どうにかここまで引きずってきたのだ。あの晩、崑崙に殺されるために出向いた夜に、すっかり引き渡すつもりでいた。我ながらずいぶん貯まったものだと、制裁の痛み一つ一つにむしろ安堵していたのに。もう一度引きずって進めと言われても、目的もなく、ましてや自分のために踏み出すほどの気力は沸いてこない。いっそ死んでしまえるほうが、ずっと楽だった。

 ぼろぼろと涙がこぼれて、鼻が痛くて、声も出ない。ふざけた水滴を隠そうにも自分では指一本動かせないから、馬鹿みたいに上を見てただ泣いていた。

 この男の傍にいると、刹花はグズグズに弱くなっていく。泣くことなんて許していない。弱音を吐くことも、逃げることも。慰めを期待して縋りつく自分が薄汚くて、自覚しながらただただ甘える現状に吐き気がした。身体が動けば、一目散に逃げ去りたいくらいだ。

「ああ、やっと、泣いてくれたね。」

「一思いに、腰のもので突き刺して頂けませんかね。」

 帝の声は家臣が聞いたら驚くほど温かいものだったけれども、刹花にはそれさえ聞きとる余裕がなかった。

「そんなもったいないことはしないよ。どうだろう、君が背負ったその負債に、これから少しずつでも返済していくというのは。」

「生きているだけで負債を増やす身が、どうやって。あまりに滑稽で、馬鹿馬鹿しい。」

「君が生きている間は、私はできるだけ善政をしくよ。崑崙との関係だって穏やかに保とう。私はこれでなかなかの名君だから、君が私を生かすというのはこの国にとってプラスになると思うのだけれど。」

「あなたが、名君なのは存じ上げています。ですが、そこは、私が居るべき場所ではありません。そこを目指して、一心に努力しているものが居るでしょう。清廉で、国を背負う覚悟をした多くの者が。」

「そうだね。『帝』を慕って、多くの者が城を目指す。でも、彼らの目に映るのは『帝』なんだ。僕じゃなくて。冠をかぶって、玉座に座る人形なのだよ。」

 彼らが見るのは、敬意を示すのは、いつだって玉座に座る「帝」だ。政治の腕を見、治世の術を見、名君だと慕って国を動かす。

「彼らは、決して『私』を見ない。」

 家臣たる者が、主君の弱さを慮ることはできない。それには分が過ぎるし、帝も家臣に素を、弱さをさらすことはできない。

「冠するものは、常に孤独だ。だから、ときどき私たちは狂ってしまう。」

「貴方には心を開けるものがたくさんいると思いますが。」

「それでも、彼らは臣下だからね。」

 どこかで線を引かなければならない。彼らはしっかりとその線を決め、守っている。そうでなければ、その地位にいることはできないから。

「私は、君に、居てほしいのだけれど。」

「私だって、貴方を『帝』としてしか見ていないかもしれませんよ。」

「はは!君はもう少し、私を『帝』として頼ってくれてもいいくらいだよ。君の世界には、身分なんて存在していないだろう?君にとって大切なものと、そうでないものがあるだけだ。」

「そこまで無礼ではないつもりなんですがね。」

「確かに、無礼ではないね。だからこそ、私には君が必要なのだけれども。」

「私には、あなたは必要ではありません。」

「君に必要だといってもらえるものを探していたら、年が明けてしまうのではないかな。私は一応、この国の帝だ。欲しいものを手の中においておくくらいの権利は、許されているよ。」

「確かに、あなたは帝だ。だからもっと、身辺に気を配ったほうがいい。あんまり情けないところばかりお見せになると、イライラして己が殺してしまうかもしれません。」

「じゃあ、まずはそこまで回復してみないかい?」

「実はもう、あなたを殺せるくらいは回復しているかもしれませんよ。今の己は死にたがりなんです。望むものを与えてもらえなければ、夜な夜なあなたの大切なものを壊していきましょうか。まずは手始めに、皇子様方ですかね。」

しん、と部屋が静まり返る。数度、一気に寒くなったような気がした。

背を向けて止まった帝の顔は見えない。怒っているか、傷ついているか。

刹花は何を言ったか自覚がある。薄氷の上のバランスを崩した。ここ数日の掛け合いは楽しかったが、本来帝は刹花なんかに構っている時間はない。

 ピリピリとした圧力が、どこか懐かしかった。


 かちり、と刃が抜かれる音がする。そういえば帝は、珍しく帯刀していた。

入ってきなさい、と懐かしい声が響く。国の頂点である、絶対者の声だ。

 刹花は数秒後の終幕を予想しながら、ゆっくりと開かれる扉を見ていた。


「どちら様でしょう。衛兵ではありませんね?」

 ぞろぞろと入室してきたのは、白衣の軍団だ。槍の代わりに持っているのは…。

「解剖でもなさるおつもりですか?」

「まさか。でも、そうだね。君が私よりも先に死んだら、はく製にして大切に飾っておくことにするよ。」

 相変わらず刹花に背を向けて、帝は白衣の集団へ指示を飛ばす。

「打ち合わせ通りに。ここでのことは一切他言無用だ。」

 白衣の集団は、かしこまって礼を取る。その道は考えていなかったなと、刹花はぼんやり天井を見ていた。

こんなことなら、今日の昼食をとるんじゃなかった。内容物が多ければ、腹を開いたときに見苦しい。この帝は素知らぬ顔をして、腹いっぱいまで食べさせてくれたから。

「結構な趣味をお持ちで。なら、できるだけきれいに保存してください。晒されるのは構いませんが、お見苦しいのは遠慮したいところです。」

「きみはきっと、そうなのだろうね。」


「…なにを、お考えですか?」

「なんだと思う?」

「馬鹿なまねを!!それを向ける相手が違うでしょう!どうした、あなた方、さっさと剣を取り上げてしまえ!!」

「彼らには、私からの指示がない限り一切動くなと伝えてあるのだ。お前は私が何を言いたいかわかるね。」

「分かりませんよ、何もかも!私が答えられる限りの情報はお伝えしました。どう脅されても、これ以上のものは何も出せません!」

「私が聞きたいのはその言葉じゃない。」

「まずはそれを下してください。そこは頸動脈だ、かすっただけで血管が飛ぶ!衛兵は何をしているんです?!帝のご乱心だ、取り押さえに出てこい!!」

「二度目だね。私が聞きたいのはその言葉じゃない。」

 帝の目が、昏い。刹花はこの目を知っている。でも、それは帝がしていい目ではない。狂信者の目だ。己の首に刃を当てながら、一切ぶれない帝の手が、ひたすら恐ろしかった。抜身の刃があと数ミリの指の動きで肌をさくのに。刹花の手で奪い去りたいのに、どれほど命令を送っても手足はピクリとも動かない。

「一つヒントをあげようか。君が飲もうとしている毒は、解毒剤がないものなのだ。」

 ぎくりと肩が震えた。瞬間、この程度の不意打ちに引っかかる自分に吐き気がする。

「黒龍からの情報でね。証拠は残らないくせに、死ぬまでの時間を苦しみぬいていくような薬なんだろう?」

「お望みでしたらお渡しします!私の右奥歯をぬいていただければすぐにあるでしょう!」

「それも、私が聞きたい言葉じゃない。三度目だね。本気が伝わっていないかな。耳の一つでも切り落としてみせようか。」

 本当に照準がずれて、刃先が当たる。刹花は真っ青なのに、本人も白衣の集団も涼しい顔だ。

「おやめください!!おっしゃるとおりにいたします!!!」

刹花の叫び声はもう、哀願に近い。冷汗が滝のように流れるのがわかる。

「では、彼らの手術を受けなさい。それから、私が生きているうちは、君も生きていなさい。私はもう、君なしで生きていくつもりはないのだから。」

 


今度は、どこへ逃げようか。刹花にはそろそろネタがない。

雪山へこもっても、陸終わりの漁村に紛れても、無駄に優秀に育った弟子は見つけてしまった。見つけられてしまえば数日のうちに帝が現れるから、全力で逃げようとはするものの、一度とらえられてしまえば刹花は黒龍に敵わない。そうして王宮へ連れ帰られて、一月を待たずしてまた逃げる。それほどに追うならばいっそ拘束でもすればいいものを、連れ帰られるたび、王は刹花をおかえりと笑って自室へ招き入れる。

「そろそろ、観念したらどうだ?」

「うるさい。大体、なんで毎回お前が指揮を執るんだ。国軍の将軍はそんなに暇なのか?せっせと自分の本懐に励んでいればいいだろう。」

「うかうかしていれば国外へ逃げるという帝の判断でな。最優先かつ最速で探索を行うよう指示を受けている。」

 それも、刹花を悩ませている原因の一つだ。国境付近の村はやたら警備が厳しくて。

「昔の師匠に融通を聞かせてやろうという思いやりはないのか。」

「情に流されるな、常に任務に忠実でいろと教わったんでな。」

「お前は臨機応変な対応が苦手だったな。」

「師匠譲りで、頑固だからな。」

「…いやな弟子をもったものだ。」

「意外と似合うと思うぞ、血にまみれた正妃というのも。どうせあの帝は早々にくるっている。」

「お前は他人事だから軽く言えるんだ。私がそうなったら、お前だって要職に挙げてやるからな。」

「残念だが、早々に将軍だ。」

「…そうだったな。」

「俺を推薦したのはお前だったな。」

「忘れた。おまえ、最近口数が多すぎないか。」

「白雉ゆずりでな。」

「さっさと上官のもとへ帰っちまえ。」

「だからここにいる。俺は最後までお前の手の中に残るんだろう?」

「な、ど、ば、どこで聞いてた!?」

「いや?帝に散々あてこすられてな。できるなら立場を変わりたいそうだぞ。お前にひれ伏すのはさぞ気持ちがいいだろうって。」

 初耳だし、ドン引きだ。

「お前がいつ俺にひれ伏したんだ…。」

「なんならここで実践してやろうか?」

「やめてくれ、背筋が寒くなる。そもそも、今はお前のが地位的に上だろう?私こそ、正式な礼にのっとって膝まづいてやろうか。」

 黒龍が心底いやそうな顔をする。いい気味だ。なんなら、本気でやってもいい気になってくる。


「…そろそろ、いいんじゃないか?」

「…――そう思えたら、毎回手間はかけないさ。」

「あの帝の命、国の命運、ついでにオレの命で、まだ足りないか?」

「気軽に言うなよ。」

「あのな、」

「気軽に言うなよ!!」

 すべてが己の手の内にある。助かるピースが揃いすぎていた。黙って流されてしまえば、逃げる足を少しでも緩めれば、空恐ろしいほどアタタカイトコロが、己のために用意されている。

 十数年前、泣きながら毎夜夢に見た。お帰りと笑ってくれる誰か。ただいまと、ただ帰ればよい場所。おいでと伸ばしてもらえる腕。

 でも、あのときあそこにそんなものはなかった。そんなものはかけらもなくて、ただただ腹が鳴ったから、刹花はナイフを握ったのだ。刃物というのは、どれほど小さくとも、いやになるほど重い。自分で握って相手に向けると、一層冷たく、重くなる。なんだろうな、悪魔がついているようなあの感覚は。吹き出す汗とこみあげてくる吐き気と、涙も出ないほどの空腹。ぐちゃぐちゃになって、怒鳴られて、相手の刃物が目について。ふらふらと揺れる相手の刃物がただ怖くて、自分が持っているものを振り下ろした。殴られる恐怖と斬られる痛みは、どうしたって逃げられずに与えられていたから。

昨日まで遊んでいた女の子の腹を裂いて、ようやく与えられたのは一切れのパンで。湯気の立つニンゲンノナカミを見ながら、一息で食べた。血の匂いとはらわたの匂いと、漏れた排泄物の匂いと。向き合う勇気なんてなくて、呼ばれるままに逃げ出して、少し褒められて、そこからはもう、手についた血が渇く間もなく、ここまで来た。

 全部あきらめたはずのものだ。捨ててきたものだ。今になって何を間違えたかそれが追いかけてくるから、刹花は逃げるしかない。

 どさりと黒龍が隣に座る。上等な上着が汚れるとか、そこに花があったんだよとか、関係ないことがぐるぐると頭を回るけど、聞けよ、と言われているのは分かった。

「おまえは肝心なところが臆病だ。」

「いまさらか?」

「始めからだな。身近なやつの不幸を見れない。気に入ったやつは殺せない。あんな施設のくそ野郎でも、殺すほどには憎めなかったろう?そんでどんだけ躾けられようが、血みどろになってもなんも変わらなかったから、戦場用なんかにされちまうんだ。」

「そんなにきれいな人間だったら、ここまできやしてねえだろ。」

「この国を落とすったって、最初っから無理なのは目に見えてただろう。」

「自覚はしている。」

「そんで、ぎりぎりのところで落としきれなくて、気が付けば一人で血だるまだ。」

「本当に、何やってるんだろうな。」

「大事な人間は大事にするくせに、自分のことなんかかけらも考えないからだ。」

「そういう結論か?」

「お前の自分ルールだろうが。」

「そんなおきれいなもんは持ってない。」

「だったら、悪党としてのプライドか?なんでもいいが、それ、一度だけ、曲げないか?」

「なんだ?どいつか、邪魔者でもできたのか?」

「お前に殺しをやらせるぐらいなら、俺がやる。邪魔なのは、お前の最後の欠点だよ。自分が幸せになるのが怖くて怖くて、動けなくなる。」


「俺は、そこから逃げなかったぞ。」

 逃げなかった、と黒龍は繰り返す。だから今、ここにお前を追ってこれたのだと。

「今さら帝の寝室に納まって、そこで私は何をするんだよ。」

 暗部に入れというなら考える。国軍でも、諜報部でも。刹花はあまりに知られているから、顔から人格から丸ごと作り変えてしまっていい。だが、あの帝は刹花をそうは使わない。

「まあ、こんなに頻繁に逃げ出しちゃ、どこかで使ってやろうと思えるほど信用はもらえないけどな。」

「分かっているくせに、逃げるな。」

「分かんねぇよ。」

「分かりたくないから、だろう。」

 分かっている。帝は、刹花の望むように刹花を扱うことはできない。どれほど顔を変えても、別人を装っても、人の目は無数にある。どこにでも追ってくる。刹花はそれだけのことをやった。どこかで刹花を使おうと思えば、そこで必ずもめごとが起こる。一度起これば飛び火して、かろうじて今ぎりぎり隠しているたくさんのことが、あることないこと大衆好みに尾ひれがついて表に出ていくことになる。宮殿加工でねじまがったセイギノツイキュウで、下手をすれば帝の周りがごっそり引きずり降ろされる。

 あの帝が刹花を側に置こうとすれば、一番人目の届かない場所、自分の寝室に置いておくくらいしか手がないはずだ。

「だからさっさと、私を土の下に押し込めてしまえばいいんだ。」

「堂々巡りだな。」

「どの面下げて被害者面してんのかって話だけどね。ただフツウに暮らすってのが、どうも、私はだめみたいだ。」

 下手に逃げたすほうがよっぽど迷惑だ。帝は刹花が逃げるたび、何人もを動して刹花を探す。カネもかかるし、人の不満もたまっていく。それはよくわかっている。

でも、あそこにはどうしてもいられない。真綿で首を絞められる、というのはこういうことを言ったのだろうか。体が壊れるか、心が壊れるか。回復しない分だけ、心のほうがしんどい。自傷行為なんてみっともないものを見せる前に、逃げ出すしかなかった。

「もう病気だよ私。ほんとうにさ。」

 ヤサシイ場所が戦場よりもきついとは、ほとほと終わっている。

「またどこかで、暗部を探す。まだこの体も動くしな。そのうちだれかが私を壊す。それで終わりだ。」

 体を動かしておけば、頭が一人で迷子になることはない。常に殺気の中にいれば、反射的に活路を探す。傷があれば、自分で作らなくても済む。なにより、戦う相手があれば、他のことは何も考えずに済む。それが善でも悪でも。刹花はもう、刹花でいるよりも道具であったほうが居心地がいい。

「だから、もうさ。放っておいてくれ。」

「どうして俺に、ついて来いと言わない?お前につけと一言いえば、俺は」

「お前はあそこにつけよ。私がいられない分まで、帝に尽くせ。いい加減に師匠離れができていいころだろ。」

「…俺も、とっくにお前と同じだ。戦場だろうが宮殿だろうが、お前がいるところにいる。他の場所は、もう体が受け付けない。」

「そ」

「それで、きっと、あの帝も同じなんだよ。お前を側に置かずにいられない。三つ巴だ。」

「はん、どいつもこいつも、狂ってやがる。」


「ねえ、なら、私は退位しようか。」

「はあ?」

「きみはここにいられない。私と黒龍はどうやら、君なしではいられない。なら、ここじゃないところで3人でいればいいと思わない?」

「あ、そんじゃ、俺も入れといてください。あのクロ俺が目を離すとすぐ不幸になりそうなんで、師匠としては目を離さずにいようかと。」

「黙ってろ白雉。私は黒龍には年上の子供好きで優しい奥さんをもらわせるんだ。胡散臭い野郎が勝手に近寄るんじゃない。」

「白雉も来るの?私と君で夫婦で、黒龍を子供にせっかく家族水入らずにしようと思ったのに。恋人の同行は気まずいのではない?」

「帝も馬鹿言ってないで、どうぞ正気にお戻りください。あなたにはお立場と、責任があるでしょう!」

「もう三十年近く、背負い続けた荷物だよ。そろそろ次に渡してもいい。東宮はもう、私が即位した年より年長だ。」

「では、どうぞ西宮で第二の人生をお送りください。何を好き好んで無職の宿無しになりますか。」

「ああ、では私は君たちのスポンサーになれるね。大丈夫、立派に一家の大黒柱を務められるよ。」

「帝、スポンサーなら俺もなりますよ。貢ぐ君がいるといろいろメリットあるじゃないですか。」

「あなたがたに馬鹿な話をした黒龍はどこですか?ちょっと行ってぶん殴ってきます。」

「さっき俺に辞表を持ってきたから、今頃宿舎の片づけじゃないか。で、帝、こちらが俺と黒龍の辞表になります。銘水に持ってったら無言でなきものにされそうだったので、直接お持ちしました。」

「私によこしてください。燃やしてくれるそんなもの。」

「ちょうどいいから私の退位表明も一緒に銘水にもっていってくれるかな、白雉。」

「お二人とも、どうか正気に戻ってください…。」

なんだろう、この状態は。自分の死因が、銘水になるかもしれない。

「なんだ、おまえまだいたのか。てっきり根負けして逃げ出すと思って、急いで旅支度してきたんだがな。」

「ようハニー。相変わらずやることがはやいなぁ。」

「そこに直れ黒龍。この混乱どうしてくれる。」

「あ、黒龍、2,30分もたしておいておくれ。私もすぐに着替えてくるから。」

「え、帝、抜け駆けはずるい。俺もすぐ支度してきます。やっぱ男なら、仕事より愛に生きろですよねぇ。」


「言い訳があるなら聞いてやるぞ。遺言になる前に説明してみせろ。」

「旅の道ずれ相手に物騒なことを言うな。」

「それは遺言だな?」

「おまえは、足手まといがいないとダメな人間だからな。」

「はぁ?」

「自分のことだけ考え始めると行き詰って逃げ出すだろう?危なっかしくてしょうがない相手がいれば、ひとまずはそっちに集中するからな。」

「意味が分からん。」

「最初は、紛争地域に留学したい物好きに心当たりはありませんかと聞いたんだ。そしたらご本人が立候補されてな。ひとまず西の紛争あたりを仲介してみたいとおっしゃった。」

「ちょっと待て、腐っても帝を戦のただなかに放り込む気か。」

「危なっかしくてしょうがないだろう?」

「それで済むか、馬鹿!下手すればこの国巻き込んでの大戦になるぞ!」

「だからまぁ、お前の出番というわけだ。」

「な、」

「お前に生きろと言っても無駄らしいからな。お前の生きる理由は、俺が考えて、あの方が作る。」

「狂ってんのか、お前は!」

「『どいつもこいつも、狂ってやがる』だろう?本当なら俺が理由になれればよかったんだが、あの頃はお前を見る目がなくてな。気が付いたのは、『危なっかしくてしょうがない』なんて卒業してからだ。」

「…お前なんてまだまだ半人前だ、馬鹿。」


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