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三話「任命式。喝采の拍手に包まれて……」 その1

それからの日々は本当にあっという間だった。

僕と渚さまと純香さまとでの練習は毎日のように行われた。

それは特にきついとかそういうものではなかったけど、とても充実した日々だったと思う。

渚さまの力強い演奏と純香さまの丁寧な指揮に負けないように僕も全力で頑張ってきた。

そして、遂に今日がその練習の成果を発揮する任命式の日なのだ。

僕はとにかく、練習の成果を出し切ることに努めないと駄目だ。


任命式は学校の大ホールで行われる。

僕たちは最初から舞台袖でスタンバイをして、全校生徒が客席に集まるのをじっと待つ。

「洸夜さんは大丈夫?みつきは凄く緊張してるよ」

「みつきちゃんも?僕もだよ。やっぱり本番前だとドキドキしちゃうね」

みつきちゃんも僕と一緒みたいだ。

やっぱり、全校生徒の前でやるんだから緊張して当たり前だよね。

「あら、みつきちゃんも洸夜も緊張してるの?私はちっとも平気よ」

「あづさはフィギュアスケートとかやってるんだから当たり前でしょ」

「……そうね。言い過ぎたかもしれないわ。謝罪するわ」

あづささんが少し絡んできたので楓さんが嗜める。

でも、そのあづささんの声も少しだけいつもと違ったのは気のせいかな。

いつもよりほんのちょっとだけど声が上ずってるような錯覚を覚えた。

「皆さん落ち着きましょう。本番ではきっとみんなが悔いの残らない成果を出して気持ちよく終わると私は信じています」

ふと、雪美さんが落ち着いた声でみんなを諭す。

何となくいつもと違う騒然とした空気も雪美さんの言葉で落ち着いたように感じる。

「………さすが雪美………ね。頑張り………なさい」

「はい、ありがとうございますしのぶさま」

そんな雪美さんもしのぶさまがゆっくりとした口調で激励の言葉を掛けると、頬を赤らめながら満面の笑みを見せる。

それはまるで、しのぶさまが雪美さんに元気の出る魔法を掛けたみたいだ。

そして、そんな様子は他の場所でも行われているようだった。

「みつき、大丈夫?私が見守っていてあげるから、頑張ってね。あなたなら出来ると信じているわよ」

「聖華さま……はい。みつき頑張るねっ!」

聖華さまは優しい言葉の中に、元気の出る何かを含ませてみつきちゃんに魔法をかけていた。

「あづさ。あなたならまず失敗するなんてありえないと思うけれど、油断しないで頑張りなさいよ。私も頑張るんだから」

「そうね。楓の言うとおりだわ。私と楓が直接協力をするのだから、あづさは私達に負けない完璧なパフォーマンスをして見せなさい。それがあなたの義務よ」

「……はい。私は……あづさは楓さまと、琴実さまの期待に答えて見せますわ」

楓さまは琴実さまと二人であづささんに期待を込めていた。

そしてあづささんもさっきのプレッシャーにかかった様子は遠くに飛んでいったかのように、瞳には揺ぎ無い自信が溢れていた。

「洸夜ちゃん、あなたは大丈夫?落ち着きがないように感じたけど」

「えっ、純香さまっ!?いえっ、大丈夫です」

ふいに、純香さまに話しかけられ思わず大きな声をあげてしまう。

だけど、その様子に純香さまは何か感づいたようだった。

「ふふ、洸夜ちゃんもまだ緊張が解けてないでしょ」

図星だった。

確かにまだ緊張が解けてないのは事実だし、純香さまをそれをすぐに見破られてしまった。

純香さまは僕の心が読めているみたいなように感じてしまう。

「そうなの?それなら最初から言いなさいよ」

そこで渚さまが僕に注意をする。

どうやら、僕が強がっていたのが不快だったみたいだ。

「いえ、そんなんじゃ」

「強がってないで、わたくしに言いなさい。洸夜が緊張しない魔法を掛けてあげるわ」

「いえっ、僕は別にそんなんじゃ……」

「強がりは止めなさい。ほらっ」

「あっ!」

それだけ言うと、渚さまはそっと僕を抱きしめる。

優しく僕を包むように、渚さまの柔らかい体がそっと僕を包んでくれる。

「あなたの不安と緊張は全てわたくしに移しなさい。命令よ」

「……はい」

それだけで十分だった。

僕の中の不安な感情は全て、渚さまが吸い取ってくれたんだ。

いつまでこうしていたんだろう。

長いようで短い。いや、時間の感覚が無くなる。

そんな世界に僕と渚さまはいた。

そして、その優しい時間は静かに終わる。

「これで大丈夫よね」

「はい。渚さまの魔法のおかげです」

 渚さまの言葉に僕は元気よく答える。不安がなくなったのをアピールするように。

すると、渚さまの表情も笑顔が強くなっていく。

「ふふ、洸夜ちゃん、渚。もうすぐ始まるから静かにしなさい」

「「はい」」

それをずっと見ていたのか、純香さまは話が切れる瞬間を計ったようなタイミングで声を掛ける。

それに僕と渚さまの返事は仲良くハモってしまう。

何となく照れくさい笑いをお互いに浮かべながら、話を一度打ち切る。


任命式は、純香さま、萌さま、つかささま、琴実さまのキングのカルテットが最初にステージに立つことから始まる。

任命式とは、クイーンのカルテットが新人のジャックのカルテットに対し行うある儀式が最初に行われるので、やることの少ないキングのカルテットは司会のようなものをやる立場にあるようなのだ。

全校生徒は既に椅子に座り、ステージをじっと見つめていた。

当然客席の視線は、現在ステージに立つ四人に集中する。

「今日は任命式に集まってくださって、ありがとうございます。心から礼を言わせていただきます」

純香さまが最初に丁寧な口調で挨拶を行う。

こうしてみると、やっぱり純香さまは大人びているのが見てとれた。

「今日はね。萌たちの新しい仲間を紹介するんだ。みんなも応援をお願いするね」

「うん。つかさたちの仲間なんだよー。とっても、とっても優しくしてね」

萌さまとつかささまの言葉に、何となく全校生徒の空気も暖かくなった気がした。

僕たちが出やすいようにと、萌さまとつかささまの心配りが感じられる。

「思えば私たちも三年生よね。二年前に初めてこの上に立ったのが昨日のように感じるわ」

琴実さまは何だか感傷的な風に語る。

「そうなんだ。実は萌は頭が真っ白だったから、あのときのことよく覚えてないんだ」

萌さまは軽く当時のことを暴露してしまう。

「つかさも最初のときは緊張して転んじゃったんだよね。凄く恥ずかしかった、はうっ」

つかささまは当時のことを思い出して、少しだけ恥ずかしそうに頬を赤らめていた。

「あら。二人ともそんなに緊張してたの?私と同じでリラックス出来ていたように思ったけれど」

純香さまは少し驚いていた。

どうやら純香さまの落ち着きは昔も今も同じようにあったみたいだ。

「私もそれほど緊張とかそういうのは無かったわよ。思い出としてはとても鮮明に覚えているけど……」

琴実さまも純香さまに同意する。

その様子に少しだけ、つかささまは頬を膨らませていた。

「それは純香や琴実が落ち着きすぎなんだよ。つかさは普通だからね」

「確かにそうだよね。二人とも落ち着きすぎ。って、話がわき道にそれちゃったね。それでは今から萌たちの新しい仲間を紹介するね」

萌さまは脱線しかけていた話を本筋に戻す。

だけど、先ほどのやり取りもきっと予定通りだったんだと思う。

おかげでステージや全校生徒の空気も最初と比べるととても柔らかくなったように思う。

少しでもやりやすいようにと純香さまと萌さまとつかささまと琴実さまの気遣いには本当に強く感謝したい。

「えっと……それでは出てきてもらいます。新しいジャックの四人はそれぞれのクイーンが手をつないで出てきてもらいます。まずは私のクイーンとジャックからです」

純香さまがゆっくりと一度言葉を切って、ゆっくりと吐き出すように名前を呼ぶ。

「スペードのジャック麻井洸夜ちゃん。クイーンの綾河渚と一緒に出てきなさい」

僕の名前だ。

それと同時に渚さまは僕の手を優しく握る。

「それでは洸夜。行きましょう」

「はい」

僕の右手を渚さまの左手が優しく包む。

そして、優しく引っ張られるまま、だけど僕も自信を持って、胸を張ってステージの上へと歩き出す。

僕と渚さまがステージに現れると、客席からは小さくだけど、歓声が聞こえる。

渚さまはそれに応えるかのように手を振っている。

僕もそれに合わせて小さく手を振る。

すると客席の視線は僕の方に集まったような気がする。

いや、気じゃなくて本当に僕に集まったんだろう。

そんな変な確信まで覚えてしまった。

「皆さんこんにちは。綾河渚ですわ。そして彼はわたくしが選んだ……」

そこで渚さまは僕にそっと目配せをする。

僕はそれに気付いてすぐに意味を理解する。

「麻井洸夜です。これからスペードのジャックとして頑張っていきますっ!」

僕は力強くシンプルに簡潔に、客席の全校生徒に挨拶をする。

すると、僕に対し最初よりも更に大きい歓声と声援が沸き起こる。

その様子に僕の中では嬉しさと戸惑いの二つが同居してしまう。

「洸夜ちゃんと渚ちゃんの挨拶凄くよかったよ。だけど、萌の方ももっとすっごいんだから。クローバーのジャックの西崎雪美ちゃん。クイーンのしのぶと一緒に入ってきてね」

萌さまは客席の様子が落ち着いたのを見計らったかのようなタイミングでテンポ良く雪美さんとしのぶさまの紹介を始める。

するとすぐに、雪美さんとしのぶさまは手をつないで……じゃない。

客席からも僕のときとは違った雰囲気の歓声が聞こえる。

それもそのはず。

雪美さんとしのぶさまは手をつないでじゃなくて指を絡めあい、手のひらを重ねあって入場してきた。

その様子に僕もさすがに驚きを隠せない。

「………木陰しのぶよ……………今日はいつもと違って…………騒がしいわ」

しのぶさまが騒がしくした一因なんですよ!

そう突っ込みそうになるのをのど元で抑える。

すると雪美さんがゆっくりと手を放してから、一人で一歩前に出て小さく微笑む。

「始めまして皆さん。一年の西崎雪美と申します。まだ慣れないことが多くて戸惑うことが多いですが、しのぶさまや萌さま、そして他の先輩方や同級生の皆さんに迷惑を掛けないよう、クローバーのジャックとして至力を尽くしたいと思います」

雪美さんは僕とは全然違う、しっかりとした挨拶を行い、最後に小さくお辞儀をする。

そのとてもしっかりとした挨拶に、僕は同級生のはずの雪美さんが少しだけ大人っぽく見えたように感じた。

それは生徒のみんなも同じだったようで、僕のときの歓声ではなく、大きな拍手で雪美さんへの期待を表していた。

その拍手に対し、雪美さんは再度微笑んで小さくお辞儀をする。

しのぶさまもその雪美さんに対する拍手にとても嬉しそうな表情を見せていた。

「雪美ちゃん凄く上品だったよね。それに笑顔が可愛いし、みつきも見惚れちゃったよ。だけどつかさも負けないんだからね。ダイヤのジャックの桜野みつきちゃんとクイーンの水樹聖華。……出番だよー」

つかささまは雪美さんのべた褒めしつつ、明るい話し方で次の順番となるみつきちゃんと聖華さまを呼ぶ。

すると聖華さまとみつきちゃんは腕を組んで入場してくる。

その姿には先ほどの雪美さんとしのぶさまの入場のときとはまた違った雰囲気の歓声が客席から響く。

「皆さんこんにちは。今日は歓声が大きくてとてもいい感じね。私はこういうの好きよ」

聖華さまは組んだ腕を外し、客席を見渡してから一言挨拶をする。そしてそのままみつきちゃんの方に視線を映す。

「はっ、始めまして。みつきです。みつきはハートのジャックとしてとっても頑張りたいです。だからみんなも応援をしてください」

みつきちゃんはオドオドしながらも必死で頑張ろうとしているのは伝わってきた。

それは全校生徒にも届いたらしく、暖かい拍手がみつきちゃんを包んでいた。

「みつきちゃんの頑張り屋さんなところがとても出てたわね。私も可愛いと思うわ。だけど、最後を飾るのは私のところよ。みんなも笑顔で迎えなさい。ダイヤのジャックになる仲野あづさちゃん。ダイヤのクイーンの楓と一緒に入場よ」

琴実さまが振ると、あづささんと楓さまが入場する。

その入場もやはり今までと違って、まるで楓さまがあづささんをダンスにエスコートするかのように、あづささんが楓さまの腕にそっと手を添えて入場してきた。

その様子にまたしても、感じの異なる声援が会場に響き渡る。

「今日はいい天気ね。塚山楓よ。おはよう」

楓さまはそっけないしゃべり方で挨拶をすると、長い金髪の髪を一度手で軽くはらう。

流れるような光る髪に生徒たちも思わず見とれているようだった。

しかし、その流れを切るようにあづささんは一歩前に出る。

その動きに会場の視線はあづささんに集中する。

「始めまして。仲野あづさよ。今日からダイヤのジャックになりますけど………特に言うことはありません。私の今後の動きと働きを見ていただければ言うこともなく分かると思いますので。それでは」

あづささんはそれだけ言うと、挨拶をあっさりと切り上げてしまう。

だけど、客席はそのあづささんの自信溢れる挨拶に妙な興奮のようなものを覚えたようで、大きな熱い声援があづささんに送られた。

その声援もあづささんは特に意に介していないようで、その仕草もまた生徒に大きな興味を与えているようだった。

「んっ、さて。挨拶は終わりましたけど、みんなとても素敵な挨拶だと思います。では次は新たなジャックを正式に確定する儀式に入りたいと思います。クイーンの綾河渚。木陰しのぶ。水樹聖華。塚山楓。以上四名はジャックの証となるジャックのイヤリングをそれぞれの選んだジャックの両耳につけていただきます」

純香さまはなれているかのような動きで任命式を次の段取りとなる儀式へと移行する。

渚さまはポケットから小さな箱を出して、そこからスペードの形を彩ったイヤリングを二つ取り出す。

そのまま純香さまは僕に近づき、僕の耳に純香さまの両手が触れる。

この儀式の際はジャックはクイーンがイヤリングをつけ終わるまで動いてはいけないのが決まりなので、僕は動かずにじっとしている。

だけど、渚さまの顔が僕の顔とくっつきそうなぐらい近くにあるので、頬が赤くなっているのはきっとしょうがないと思う。これだけは我慢しようにも仕方が分からない。

渚さまは僕の右耳から先につけようとしているけど、どうやら少し手こずっているようだった。

少し耳が引っ張られている感覚もある。

だけど、特に痛みは感じてはいない。それどころか、渚さまの手の感触が耳に当たって少むしろ心地よく感じる。

それに顔があまりにも近くにはるので、渚さまの真剣な表情や目つきも何だか新鮮だった。

全校生徒の前でこんな風に渚さまと顔を近づけあっているのはさすがに恥ずかしいけど、ここだから感じる新しい気持ちとか、ジャックとして見られる立場にある自覚も何となくだけど持てたようにも思える。するとそのタイミングで右耳に少し違った感触が伝わる。

「ふう。右が終わったわ。次は左ね」

どうやら片方の耳が無事につけ終わったみたいだ。

その後左耳の方にも先ほどと同じ渚さまの両手の指先の感触が伝わる。

渚さまの手は心地よく、とても暖かいものだった。

だけど、渚さまは右耳でコツをつかんだらしく、左耳の方は右耳の半分以下の時間であっさりと終わらせてしまった。

「終わったわよ。洸夜」

「あ……ありがとうございます」

あまりにも短い時間がほんの少しだけ残念に思えた。

だけど、他の雪美さんやみつきちゃんやあづささんも僕とほとんど同じようなタイミングで儀式を終えていたので、この儀式自体がそれほど時間をかけてやるものではないんだろうな。

そう思うと、さっきの名残惜しく感じた自分がちょっとだけど、恥ずかしかった。


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