マーカス計画
俺たちはジューたちといったん別れ、また霧の町へと足を踏み出したものの……はてさてどうしたものか……。
「……で、件の部屋がどこにあるのか、まるで見当もつかないのか?」
皇帝は軽く肩をすくめる。
「しかし、こんなに建造物がひしめく町で部屋をひとつひとつ調べるなんて一苦労じゃないか。シフォールの手すら借りたいほどだぜ」
ちょっとした冗談のつもりだったが、皇帝はあからさまに不快そうな顔をし、
「……貴女は少々、言葉遣いが荒いのではないか?」
貴女、言葉遣い……? ああ、俺のことか……。
「女性であるのなら、このような話し方をすべきだ……などとはいわんが、少々、その可憐な容姿には似つかわしくないのではないかと思うのだが……」
そうか、皇帝は知らんものな。
「いやいや俺は男だよ、覚えていないか? レクテリオル・ローミューンだ。これはたぶん、前世の姿なんだと思う。なぜだか知らんが、いつの間にかこんなになっていたんだ」
「なに?」皇帝はうなる「レクテリ……オラ、ではないのか?」
……うん? なぜにその名を知っている?
いや、おかしいな? 皇帝が俺だと知らないってのは当たり前だ、まだ詳しい話をしていなかったしな。しかしさっきは俺のことを……蒐集者が求めているとかって……あれ?
「あんた、この姿の女を知っているのか?」
皇帝は頷く。
「……レクテリオラ・エルフレリスであろう? 話は聞いているし、その姿が映った画像も見たことがある。ときどき彼が話をしていたよ、いわくおてんばな娘だそうだ」
へえ……。
そう、なのか……。
「しかしそうか……故人であったのか。話しぶりからしてそうとは思わなんだ」
レクテリオラ・エルフレリス、おてんば娘か……。
「……さっきもいったが俺の前世らしいんだよ、そのおてんばはさ。なんの因果か体だけ変わってしまって困っているんだ。この現象について、なにか知らないか?」
「高純度輪廻転生者だな……」
おお、それを知っているのか。いや、蒐集者と行動をともにしているんだ、知識は入ってくるわな。
「ここはアイテール濃度が極めて高いと聞いた。この霧は水分によるものではなく、アイテールの影響なのかもしれん」
なるほど、アイテールの濃度がな……。
「こういった場所では不可解な現象がよく起こると聞く。おそらくだが、その体はアイテールをもとにした高密構造体なのかもしれんな。いうなれば一種のロボット、ともいえるのかもしれん」
ロボット……って、つまり機械ってことかっ?
「遠隔操作だな、貴女……ではなく貴殿か、もとの体は別の場所にあるのだろう」
「マジかよ。しかし、五感はしっかりとあるぞ……」
「つまりはそれだけ精密なロボットということだな。アイテールにはその次元の構造体を一瞬にして創造する力がある。驚異的すぎて実感が追いつかんがな」
マ、マジかよ……。
いや、しかしニリャタムのことを考えればそうおかしくもない、か……。あれだってなにもない場所から現れたんだし……。
「まあ、利点は多かろう。その体が大破しても死にはせんよ、おそらくな」
理屈ではそうなのかもしれないが……。
しかし、変化したまま戻れなくなるってなことはなさそうか? だったらまあ、さして問題もないのかもしれないが……。
……とはいえ、とんでもないことには違いない。今日からハイ女性ね、なんて、そんなに簡単に割り切れるかってんだ。
「それよりさ」ロッキーだ「闇雲に探していても埒があかないよ。それでも総当たりならさ、いつかは終わりが見えるかもだけど……それも当たりの部屋だって目印があってのことじゃない?」
そうだな……当たりと気づけないんだとしたら、いくら探し回っても見つからない可能性がある……。
「いくつか手がかりがある。部屋番号に98が含まれているそうなのだ」
おっとなんだよ、手がかりがあるんじゃないか。それで、98……ねぇ?
「これはおそらく九階にある部屋だと思われる。ひとつの階に98以上も部屋がある建築物はそうそうあるものではないだろうしな」
「なるほど……? まあ、それなら探しようもあるかもな」
「でも九階って」ロッキーだ「わざわざそこまで上るの?」
まあ、面倒ではあるわな……。
「疲れてヘロヘロになったところを襲われたら大変じゃんか」
うーん、ロッキーのいう通りではある……。
……考えてみると意外とヤバいな、戦力的にはさすがにこちらが勝っているし、真っ向勝負なら勝てるだろう。しかし疲弊時、もしくは睡眠時に強襲を受けるとなると話は変わってくる。それになにより食料の問題だってある。
「……一旦、諦めて撤収するか? 怪我人を搬送し、再度準備してここへ戻ってくるとか」
「面倒だな!」ヴォールだ「もっとないのか、手がかりは!」
迫るヴォール、皇帝はするりとフェリクスの側へ……。なんか彼が苦手って感じみたいだな。
「いくつかあるといったであろう。部屋の主はジョン・マーカスというらしい」
……なに?
ジョン・マーカス……?
「……ジョン・マーカス? ジョン・マーカスで間違いないのか……?」
「うむ? ああ、そうだ。知っているのか?」
……そうか、皇帝たちはいまだヨデル・アンチャールだと思っている……?
「ええとな、皇帝さん……。ヨデル・アンチャールという男がいたろう? カタヴァンクラーのところで、無間鼠にのまれた」
「ああ……」
「あれは偽物だ。本物のヨデルは早期にあんたらのところから離脱している。そして最近、死亡した」
「なに?」
「あんたのところにいたのは、どうにも容姿と気配を変えて別人になりすませる男らしい。その名はジョン・マーカス」
皇帝は固まったまま動かない……。当然だろう、いきなりいわれても理解が追いつくまい……。
しかし、ジョン・マーカス、か……。
会ったのはけっきょく一回こっきりだったな。カタヴァンクラーのところで、ディーヴォと飯を食っていた……。
そうだ……ディーヴォといえば、なんかいっていたな、気配がおかしいとか……たしかそんなことを……って、あれ?
気配がおかしいってなんだ? ヨデルの話じゃ、マーカスとは皇帝派潜入初期に入れ替わったらしい。しかしディーヴォがおかしいとかいい始めたのはつい最近のことだよな? 俺に尋ねるくらいなんだから。
どういうことだろう? まさか、ヨデルに化けたマーカスに化けていた奴がいる……? いや、交代したみたいな……? ということは、けっきょく鼠に食われたのは誰だったんだ……?
ディーヴォと相談してみたいが、いまは眠っているようだな。彼も奮闘したんだろう、傷口はさほど深くないそうだが、なにせ数が多いらしい。
そして皇帝は思いふけっている……。やはりひっかかることでもあるのだろうか……?
それにしても、帝国の成立に関係しているのなら相当な年齢のはず、万能者の系譜か? しかし、気配に関することはむしろ転生者の領分……とするならなんらかの技術で延命している?
「どういうことだ……?」
皇帝は虚空に向けて疑問を口にするが、俺はもちろん、誰からも答えが返ってくるはずもなく……。
……まあともかく、部屋番号の断片と名前がわかっているのなら、なんとか探せるかもしれないな。
しかし闇雲に動いても仕方がない、誰かここに詳しい者に聞くのが早いが……ってそうだ、あの黒猫の男……。
ここをさまよっているのなら、そういった部屋に見覚えとかあるかもしれないな? 彼の気配は薄かったが、妙に印象に残っているので探せないこともない、この体ならなおさらに……!
「……探せるかもな」
俺の言葉に、みんなが注目する。
「さっき、ここに詳しそうな男に会ったんだ。彼に聞けば、あるいはなにかわかるかもしれない」
ロッキーはうなり「それでもわからなかったら?」
「日が暮れるまでにしよう。それまでに見つからなければ一旦、撤収する。それでいいか?」
みんなは頷き、皇帝も……若干、渋そうだが頷いた。
「よし、いこう」
俺たちはまた船に乗ることにする。今度はヴォールが操舵してくれるようだ。
そして運河を戻っていき……目当ての気配は意外と早くに見つかった。彼も俺たちのいた方へ歩いていたらしい、いまは……比較的にこぢんまりとした建物の……裏側、裏路地か? そのあたりにいるようだ。
俺たちは船を降り、建物の裏側に回ると……いたいた、外付けの階段に腰かけている人影がある。ソロソロと近づこうとすると、気配に敏感なのか、こちらの方を見やった。
「……なんだ、騒々しいな」
「たびたびすまない、さっきの者だ」
男は首をかしげる。ああそうか、俺は姿が変わっているし、レキサルもいない。
「妙な話に思えるだろうが、ちょっと姿が変わっていてな。さっき会った男だよ、まあ細かいことは気にしないでほしい」
興味がないのか、男は特に追及する気はないようだ。
「……それで、なにか用か?」
「ああ、ジョン・マーカスという男の部屋を知らないか? おそらくだが、建物の九階にあるらしい。そこへ行きたいんだ」
「ジョン……九階か……」
男はふと考え耽る……。知っているといいが……。
「……ああ、あの社会主義者の部屋か。知っている。ここからは多少、距離があるが……」
「案内してくれないか?」
男は俺を見やる……。
「……断る」
そして懐から手帳を取り出し、開いた。
「……メモがあった。ピアーズフラット908、住所は……」
「ここの土地勘はまるでないんだ。それに時間もない。すまないが……」
男は手帳を懐に仕舞い、
「断る。生きているナビでも探せ……」
「ナビ?」
「案内ロボットだ。たまに見かける」
「どこにいる?」
「知るか」
うーん、やっぱり人嫌いなのかね……。
「ちょっと、マジで急いでんの!」
おおっとロッキーだ! 皇帝を引き寄せてまくしたてる……!
「このひとを手篭めにしてやろうってヘンタイに狙われてんの、このままここにいたらジリ貧になって、このひとがカワイソウなことになるの! そしたら不親切なアンタのせいじゃんか!」
「知ったことか」
まあ、たしかになぁ……。
「そもそもここでなにしてんの?」
男の目つきが、やや険しくなる……!
「……まるで、己のいまに負い目がないかのようだな。しかし、お前は単に無関心なだけだ。他者はおろか、自身にすらも」
ロッキーは首をかしげるが、俺には……なぜだか彼のいいたいことがわかる気がする……。ロッキーとて、彼が何者でなにをしているのか本当に知りたいわけでもないだろう。そして彼とて他者に価値を明示できる生き方をしているわけでもない。
瑣末なようで深い孤独だ……。彼が手を貸してくれないのは当然のことかもしれない。
「さあ、いけよ。充分に助けてやったろう」
しかし、俺はといえば……彼に興味があるんだよな。ちょっと話をしてみたい……。
「……なぜ、メモを?」
男は俺を見やり、わずかに首をかしげる。
「メモをとったのは、ジョン・マーカスが興味深かったからだろう?」
男は俺をじっと見つめ、
「……まあ、そうだな」そして頷く「とはいえ軽い、学術的な興味だよ。ジョン・マーカスは社会主義の研究をしていたようだ。それも信仰的、戒律的な影響下にあるもののな」
信仰……?
「……もしや、白い教会とか?」
「そう、要たる主の倫理観を研究していた。それを社会主義に取り入れているわけだ」
ほう……? 要たる主の話はエリやニューにも繋がることだ。知っておきたいな。
「具体的に、どういう話なんだ?」
「思想、想念的だということだよ」男はやや饒舌になる「社会主義の歴史は不調の歴史だ。なぜかいまいち上手くいかない。これはなぜか?」
「……なぜだ?」
「根本的な理由として、制度として解釈、採用することにあったのではないか? マーカスはそう考えたらしい」
実は、あまり意味がよくわかっていないんだよね……。しかし話の腰を折るのもなんなので、頷いておこう……。
「なるほど平等なる分配はよいことに違いない。しかし、何事においても均一化はよく弊害を生むものだ。この矛盾は制度としての採用を見送るに充分な根拠と彼は考えたらしい」
ふ、ふーん……?
「しかしその理念自体はやはり正しい。必要なものは必要なぶんだけ、必要としている者の手へ。それを実現するのが信仰と戒律だよ。瀕死の時代、要たる主は適正なる分配によって人々を救った。それに倣う精神が高潔であればこそ、施しとして形を成すべきだ。そしてそれが頻繁に行われ、労働力や物品の流動による多数の幸福を実現するのならば、それこそ社会主義の理想に違いないのではないか? マーカスはそう考えたんだ」
ううむ、まず社会主義がなんだかよくわからないが……内容から察するに、平等に分かち合おうみたいな感じの話みたいだな。
しかしそれは制度として運用するには難しいという。これまたよくわからないが、平等という概念が曖昧かつ扱いが難しいってのはわかる……かな。ゆえに、その思想を制度として運用するのではなく、あくまで善意によって、個々の判断によって再分配が実現される仕組みであるべきだと、彼というかマーカスはいいたい……のかもしれない。そしてその思想の基盤は信仰によって支えられるべきだと……。
「つまり」おっと皇帝だ「社会主義は思想として肯定されるが、制度としては必ずしもそうではないと」
男は頷き「そうだ。思想と制度の混濁が悲劇を生むという話だな」
「ということは、資本主義の解釈はその逆か」
「その通りだ。資本主義などないというのがマーカスの主張らしい。あれはあくまで現象にすぎないと」
皇帝はうなり「主義、思想として語るべきではない?」
「ああ。資本制度とは膨張の現象であり、爆発へと至る化学作用のようなもので、そこに人心など介入する余地は本来ないらしい。ひとはよく貧困層への憐憫や優越感を抱くが、そうあればこそ資本制度を理解していないのだ、という言い回しをよく覚えている。つまり資本制度においてすら勝者も敗者もないそうなんだ。使い捨ての歯車が回っているだけに過ぎないと。ゆえに、主義思想的にそれを解釈すると、非人間的な想念に蝕まれるという」
「では、どうしろと?」
「資本制度の競争性は進歩において必要だとマーカスは説いている。なので、システムとして資本制度を採用し、主義思想として社会主義を精神的地盤におく。それこそが人間たるバランスだと……マーカスは考えたようだな」
おっと、男は立ち上がった。
「……いいだろう、案内してやる。またあそこに行きたくなったしな」
おおお、なんだかよくわからんが案内してくれるようだな?
そして男はさっさと歩き始める……。
「ちょっと待った」呼びかけに、男は振り返る「あんたの名前は? 俺はレクテリオル・ローミューンだ」
男は肩をすくめ「……ターン・コーナー」
ターン・コーナー……ねぇ……? まあテキトウに考えた名前だろうな……。
そして大きなバックパックを揺らしながら黙々と歩くコーナーの後を俺たちはついていく。
……そうして歩くこと二時間近く、コーナーはふと、とある建物の前で立ち止まった。
「ここの九階だ」
ここが……。他のと比べてなにが変わっているということもない。むしろ背が低くて地味な建物だ。
入り口のドアを開けてホールに入る。掛け時計やテーブル、椅子など、なんの変哲もない装いだ……。
そうしてまた階段で上へ……。皇帝は急くように先頭を歩き、案内の必要がなくなったからか、コーナーは後ろからついてくる。シフォールの気配は遠目にも感じないな。
……そして九階だ、やはり簡素な廊下、ええっと908だっけ……?
「ここか……!」
皇帝がとある部屋の前で止まっている。なるほど908、ジョン・マーカスとあるな。
……ドアは施錠されていない。開くと、これまたなんの変哲もない部屋に窺えた。中央にテーブルと椅子があり、壁際には本棚、あまりに普通で……拍子抜けだな。
皇帝もどうしたものかと周囲を見回すが……おっと、コーナーがテーブルの椅子に座った。
「社会の最小構成単位は三人」
すると! 壁になにか映った……!
「パスワード?」皇帝だ「……よく、知っていたな?」
「偶然だ」コーナーは皇帝を見やり「ジョン・マーカスは記録魔だったらしいが、破損していないファイルは少ない。帝国の話となるとさらに少ないだろうな。少なくともおれは見ていない」
男が指を動かすと、画面も有機的に動く……。
「マーカスはここにいたようだが、基本的に外界の人間だ。外界には行ったことがないからな、なかなか興味深い」
「帝国の成立に関する情報は?」
「あるいはロックがかかっているこの……」
コーナーはフードを脱ぐ。
びょんと垂れた猫っぽい耳が出てきた。
「……なんだと? 開示されている? 誰かがやった……いや、お前がいるからか? なるほど遺伝子ロックか、解除できんわけだ……」
うっ! 椅子に人が三人、現れた! 立体的に見えるが、これは映像だな……?
一人は壮年の男、もうひとりは偉そうな老人、そしてやせ細ったギョロ目の男……が座っており、その周囲には複数の取り巻きがいる。誰しもが外界の人種だ。偉そうな老人が口を開いた。
「……して、進捗はいかがかな?」
「進んでおらんでしょう」
ギョロ目の男、この声は……あの、エクス、かっ?
「やはり、我がネクロスに……」
「危険です」壮年の男だ「このような形でアテマタを刺激するのはよろしくありません。それにギマとウォルの大きな反発が予想されます。発覚した場合……いずれそうなるでしょうが、間違いなく危機的状況になることでしょう」
「構わん」偉そうな爺さんだ「計画を進めたまえ」
「しかし、原理はわかっていません。なぜそうなるのか、さっぱりわからない。これは不測の事態に対処できないということです」
「承知している」
壮年の男はうなり……。
「……いいでしょう、あとはお任せします」
「なに? 君にいてもらわないと困るな」
「いったでしょう、原理は不明なのです。つまり応用はきかない。経験則によって培われたデータなら喜んで明け渡しますよ。私はすべきことをした。あとは……」
……おっと、女性が現れ、みなにお茶を差し出す……。
「ありがとう」偉そうな爺さんは笑む「貴女のような素晴らしい女性に見初められるとは、これほど幸運な男も少ないでしょうな」
「まあ、おやめください」女性は微笑みながらも眉をひそめる「みなさま、お世辞が過ぎます、肩がこっちゃう」
老人は笑い「やむなきことですな、ははは!」
そうしてみな笑うが、エクスらしき男だけほぞを噛んでいる……。そして女性は奥へと引っ込んだ……のを見て、老人の表情が険しくなる。
「ジョン・マーカスの大量生産を成功させろ、さすればもはや干渉はしまい」
なにっ? なんだそれはっ? 男は声を落とし、
「ご存じの通り、あの異能は彼特有の才能です。まったく同じ能力者はつくりだせません。可能なのは、あくまでよく似た偽者を個別につくりだすこと……」
「それでもよい。コストはかかるが、効果は同じであろう」
「ですが、先ほども申し上げた通り原理は不明ですし、どのような弊害が起こるか予想ができません。そもそも気配を感知できるということはそれだけ位置情報という概念が重要であるということ、それをいたずらに錯綜させようとする行為はどれだけの危機を招くか……」
「可能である限り承認は得ているものと見なす」
老人はそういいきった。壮年の男はうなり、
「気配とはその者がもつ、生来の特性ではないのかもしれません。アイテールによるマーキングなのかも……。つまり、突如として気配が変わる可能性すらある」
「そういったケースは確認されているのかね?」
「ええ、少数ですし、根拠としても、ごく個人的な感想に過ぎませんが……」
「ならば無視してかまわん。マーカス計画を進める。君には今後とも主任の地位でいてもらおう。とはいえ、君のいう通り引き継ぎが容易ということならば君の責任も次第に軽くなってゆくだろうな」
「そう、ですか……」
そして老人たちは席を離れ、記録もそこで終了する……。
しかし、マーカス計画ってなんだ? つまりは他者に化けられる者を増やすってことだろうが……しかし、どうやって?
「どうにも、よく似た偽者を大量生産し、敵対組織に送り込むという計画のようだ」コーナーだ「もしかしたら、お前たちの誰かも偽者なのかもしれんな」
なにぃ……? 冗談にしたって薄気味悪いぜ……!
「しかし、そんなこと……可能なのか?」
「肉体の複製は可能だ。」コーナーは断じる「記憶や人格の移植もな。しかし、気配まで似せる技術の存在は初めて知った」
「それはそれで興味深いが」皇帝だ「私が知りたいのは帝国のことだ」
「帝国か……」コーナーはまた操作をする「それほど自身のルーツが大事か?」
「無論だ」
「帝国に関するキーワードがヒットしたファイルがいくつかあるな。破損していないのはひとつだけだが……。誇りが抱ける内容であればいいな」
そして……また、壮年の男が現れる。今度はひとりのようだ……。
「馬鹿げた話だ、この時代に帝国だと? ろくな未来にはなるまい。ここに記録を残して外界のためになるとは思えないが、積極的な啓蒙者になるつもりもない。いまの生活が大切なんだ」
そうして彼はこちらの方を見やる……。
「マーカス計画の全貌はもはや不明、だがこれだけはいっておく、彼らは人間ではない」
人間では、ないだと……。
「彼らはサイボーグとは逆の発想よりなっている。つまり、脳髄を機械化した人間なのだ。クローンによって同一の遺伝子を確保し、人工子宮によって出産、成長させた無垢な個体の脳髄にナノマシンを注入し、機械化を促す。脳髄を体内で機械に置換していくんだ。そして置換終了後、人格と記憶データをダウンロード、できあがった人間はほぼオリジナルと遜色がない。スキャントリックの使用によって、ある程度のスキャンマシンをも騙せるんだ。しかし、人間とは決定的な違いがある」
男はパチンと指を鳴らす。
「スイッチひとつで機械になるんだ。どんな命令でもきく機械人間に……。そして各国、組織の要人をマーカスと入れ替え、支配を強固なものとする。これが奴らの構想、マーカス計画だ」
男はまた、指を鳴らす。
「だが、なんの意味がある? 支配など虚無的だ。思想的な意味だけではない、本当に無意味なんだ。我々の時代は終わった。我々は楽園へゆけない。我々を赦せるのは我々自身だ。今度は我々が神となり、そして新人類は我々の時代を神話として解釈するだろう」
なに、どういう意味だ……?
「獣の時代からけだものの時代へ……。そして人の時代がきて、楽園をつくれるかもしれないというところまできた。しかし大雨が降り、私たちが信じていたものはすべて、すべて洗い流された……」
男は両手で、顔を覆う……。
「しかし、いつか楽園の時代がくるだろう。私たちの子、次世代の人類が最後の社会をつくりだし、そして血と涙の大河はようやく浄化されるのだ……」
そして記録は消えた……。
なんだ、どういうことだ?
雨、また雨だ、ダイモニカスの雨、ホーさんがいっていた雨、そしてこの男のいう雨……。
なんの雨なんだ? 血や涙の比喩なのか? それとも弾丸や爆弾の雨? あるいは毒とかそういったもので世界が終わりかけた?
「……他に、他の記録は?」
「だめだな」コーナーは首を振る「帝国に関する他のファイルは破損している。以前に観たものには帝国の情報などなかったし、ここまでだな」
皇帝はうなり「復旧は?」
「なにぶん古いデータだ、できるかどうかはわからない」
俺たちは顔を見合わせる……。
「……いったい、なんなのだ?」皇帝だ「けっきょくのところ、帝国とは……」
「マーカス計画の成果だろう」コーナーだ「計画にはひとまずの目的が必要だからな」
「……馬鹿な」
「事実、帝国などもはや見る影もないだろう。それは役目が終わったからさ。必要なら後釜の支配体制をおくもんだ。しかしそうはならず、元老院のみ存続している」
「しかし、元老院は狂っていると聞いた……」
「そのわりに外の世界は破綻していないだろう? それだけマーカスというシステムが強固なんだろうさ」
た、たしかに……スパイたちを無駄に消耗できるのも、マーカスという便利な人材がいるからなのかもしれない……。
……だが、もしそうなら全部マーカスにしてしまえばいいのに……。そうすれば裏切りの懸念もないだろうし……。
……いや、操らない方が都合がよかったり、そもそも複製できない者もいるのかもしれないな。例えば戦闘力までは真似できないとか……。
「ともかく用は済んだな!」ヴォールだ「帰るか!」
ううん、ちょっと考える時間がほしいが……ちんたらしていられないってのはそうだな。
「……よし、思うこともあるだろうが、行動は早い方がいい。ひとまずここを出ようか、皇帝さん?」
「し、しかし……」
やはり、皇帝にとっては消化不良のようだな。気持ちはよくわかる。しかし、参照できる情報がないんじゃ仕方がない……。
フェリクスは皇帝の肩を叩き、
「ここで得た情報はあくまで経緯に過ぎないと思うな。君が求めているのは、いわばご先祖様の意志なんじゃないのかい?」
皇帝はフェリクスを見やり、意気消沈気味に頷く……。
「そういう意味じゃ知ることができず、残念だったかもしれないけど……落胆するには早いと思うな。経緯がどうあれ、考え方は高潔だったかもしれないしさ!」
いいこというじゃないか。そうだ、その通り、ここで知ったのは経緯であって、皇帝一族の思想ではない。
「まあ、復旧はしてみるさ」コーナーだ「だが、すぐじゃあない。しばらく経って、まだ興味があるならまた来ればいい」
「本当か」皇帝だ「できるのか?」
「約束はできん。すぐに飽きて放り投げるかもな」コーナーは肩をすくめる「ま、期待はするな」
ともかく、やってはくれるようだな……。個人的な興味もあるんだろうが、やっぱり親切じゃないかあんた……。
根が優しい人間にこそ生き難い状況があるのも社会の側面だ。哀しいことだが……。
「ありがとう、助かるよ」
「……よせ、ただの暇つぶしだ」
「礼といっちゃなんだが、なにか欲しいものはあるかい?」
「……ないな。どうしても礼がしたいなら、あんたの好きなものでいい」
そういわれるとかえって困るなぁ……!
そうして俺たちはコーナーを残し、建物を後にする……。
「よし、さっさと戻ろうか!」
みんなは頷く。そうだ、シフォールに備えて体制を整えないとならんしな。
しっかし、皇帝の戦力は一気に総崩れだなぁ……。まったく、シルヴェはなにをしているんだ……? つまらん用事で見捨てるほど薄情でもないと思うんだが……。
まあいい、ともかくジューたちと合流しないと……。