薔薇将校
帝国の産声はある町の小さな部屋であがったという。
世界各地のありとあらゆる感情の波紋は、その一滴によって広がったのだ。その功罪など考える間もなく……。
私はアンヴェラー・アルシス・フェルガノン五世。
一族最後の生き残りであり、すべてを知る権利と義務を担う者である。
◇
孤独の体現者は去り、俺たちはまた皇帝派の捜索に戻る。
階下へ向かうとホールらしき場所に出るが、そこからして浸水しているな、しかしほんの僅かなので移動に影響はない。
ホールにはテーブルや椅子が整然と並んでいる。どれも目に見えて破損はしていなかったが、朽ちて久しい雰囲気を漂わせていた。
ガラスかなにかでできているドアを通り、外に出ると……やはり浸水している、広い路地に出た。
「気をつけて」ジューだ「道の中央が運河になってるよ。落ちたら濡れるし、この気温だから……」
おお、危ない危ない、広い路地ではなかった。河水が溢れて運河と路地の判別ができていなかったんだ……。
「わかった……というか見ろよ」
……けっこう魚がいる。その下では水草も揺れている。どうやら水はきれいなようだな。
「よし、いこうよ」
フェリクスに促され、俺たちは歩道を進んでいく。ちらほらと気配があるが、どうにも薄いな……。
そういえば、さきほどの男も妙に薄かったな……。気配断ちの上手い実力者というよりは、まるでここと同一化しつつあるような……そういう雰囲気の男だった。
町中に霧が立ちこめ、遠いほど景色がおぼろげになっていく。だからか、なにもかもが清涼で、静かな佇まいに感じる……。
「静かだな!」
うおっ! ヴォールか、びっくりした!
「おいおい、やめろよ、驚くだろう……!」
というかさっきの『静かだな!』が辺りに反響している……。
「すまん!」
いやだから! 声がでかいんだっつの……! ほらまた『すまん、すまん、すまん……』と反響しているし……!
「にゃっ!」
うおっとなんだよ、今度はロッキーか! やっぱり『にゃっ……! にゃっ……! にゃっ……!』とか響いちゃっているな……! まったく、遊んでんじゃないよ!
「とにかく、静かにな……! 肝心の皇帝に逃げられちゃかなわん」
そして気配を探るが……ううん、それらしいのはない、かな……? そもそも皇帝の気配とかよく覚えちゃいないしな、探すならむしろ同行しているであろうディーヴォとか、そっちだろうか……。
「知った気配は感じないな……。とにかく移動するしかないか」
……と、歩いているうちに、広場のような場所に出た。中央には噴水、しかし誰もいない、気配もない……。
「あっ、船発見!」
ロッキーが指差した先に……おお、ほんとに船だ。十人ほど乗れそうな小型のものが数隻、並んでいる。
「いいね、あれで移動しようか」
船の側へ近寄ると、どうにも手漕ぎのものではないことがわかった。ところどころ機械的な雰囲気だし、操縦するのに知識が必要な感じ……。
こういうときはジューの出番だ。彼女は舵らしきものがあるところの周囲をいじりまわし、
「……うん、動くね」
すると、船が息遣いを始め、あちこちが光った。
「周回って項目があったし、勝手にぐるっと回ってくれると思うけど、どうする?」
「そうだな、明確な行き先はないし、それでいこう」
俺たちはさっそく乗り込む。緑色の座席が縁に沿って並んでおり、俺は後ろの方に腰掛けた。クッションが程よく柔らかくて心地いい。そして船は動き出す。
「あとはレク任せだねー」フェリクスはのんきに辺りを見回している「頼んだよー」
あんまり期待されても困るんだけれどな……。
そして船が運河を進んでしばらく経つが……相変わらず、静けさに包まれた街並みが続くだけだ。霧のせいもあるだろうが、本当に代わり映えのしない白と灰色、そして直線の景色が続く……。昔の人たちはこんなところに住んでいて楽しかったのかね?
……いいや、どこか問題があったから人がいなくなったのかもしれないな。どうにも戦いや獣の襲来によって滅ぼされたって感じでもなさそうだし……。
それになにか……なんだろう? まるで現実ではないような……不思議な感じがあるんだよな……。幻想的な風景の影響だけではない、肌で感じる空気が違うというか……。
……でも、心は落ち着くな……。人も獣もいない場所……。こんなに静かなところなんてそうそうないんじゃあないか……?
……この地に来てからは終始ドタバタだったからな……。きれいな景色もたくさんあっただろうに、感嘆とする暇もなかった……。
……いや、それは故郷でも同じだったか……。心より安堵していられたことなど、あまりなかったような気がする……。
……ここは脅威の手が遠いと感じる……。
……静けさが深い……。
……遠い場所の気配がわかるほどに……。
……そうだ、心なしか、感知する領域が広がっているような気がする……。
……おそらくだが……向こうにいるな、ここから五百メートルほど先の辺り……。
「えっ? あなた誰?」
おっとジューだ? なにか俺の方を見つめているので……思わず後ろを振り返る……。
「いやいや、あなたあなた。というかレックはどこへっ?」
なに? 俺はここにいるだろう?
「いえ、ほんとにあなた誰っ?」
ジューが立ち上がる! あれ、まさか俺のことっ?
「なになにどうしたっ?」
……って、声が変だっ? 体が、服装が変だっ? というか胸があるっ!
こっ、これはまさか……あのときのあれかっ……?
「うおおおっ? なんじゃこりゃあっ……!」
「な、なんじゃって、あなたがなんじゃよっ?」
「いやいやレクレク、俺はレクだし!」
しかし、みんなは疑惑に満ちた瞳で俺を凝視する……!
いやおいちょっと待て、なんで俺、これはマジでなんなんじゃっ……?
「まあ、落ち着こう」
レキサルだ、さすがに冷静だな! 彼は俺を見やり、
「……君、上手く化けていたつもりなのだろうが、いまはもう、バレているよ」
……バレている?
いやちっがう、化けてないからっ!
「いやいや、俺はレクテリオルだっての!」
「……どう見ても女性だよ。ものすごい突風の際に入れ替わったのだろう?」
うおお、ぜんぜん信じていないし! というか突風とか知らんし……!
しかしあれだな、なぜだか確信があるぞ! この体、レクテリオラのものじゃないかっ?
「よくわからんが偽者なのか?」
おおっとヴォールの拳が炎をまとう!
「女を殴らないのが信条の俺だが、思えばこの地で殴った獣には雌がいたかもしれんな!」
なんだかよくわからんが、ぶっ飛ばさないとは限らないみたいなこといってるんだろうなぁきっと……!
「まあ、まあまあまあまあ、落ち着こう……」
そして咳払いしてみるが、いちいち女の声が出るので違和感が半端じゃないな……!
「……俺は本当にレクテリオル・ローミューンなんだ。突然、こんな姿になっちゃったみたいだけれど、ほんとマジで……そうだ、鏡ある?」
一応だが、顔を確認しておきたい……。
「鏡っていうか、モニターならあるけど……」
ジューが懐から端末を取り出し、シャッと画面を引き出して、なにやら操作する……。
「はい……。これで見れるよ……」
端末を受け取り、画面を見ると……目の前に女の顔が……!
赤い髪、普通の赤毛ではない、本当に真っ赤、いや、ややピンク色が混じっているか? ともかく派手な髪の色の女だ……。
そして髪の長さはわりと短く、なんか鳥の翼みたいにビャッと流れていてかっこいいような気がする。
目は猫みたいだ。瞳は黄金、虹彩が縦長……だが、妙に四角い。鼻は小さく、唇はふわっとしている。
おおお、これはかなり美人なんじゃないか……?
「……なにニヤついてるの?」
おっと、ジューの目が冷たい……。
「……いや、本当にレクなんだよ。さっきスパイ・アクトレス一緒に観ただろ?」
「えっ……?」
ジュー目を大きくするが、すぐに疑惑の眼差しに戻る。
「気配がどこか……テリーっぽくない」
おっとロッキーだ。なんだと? そうなのか……?
「そ、そうかもしれないが、本当に俺なんだよ! 世の中にこんなバレバレの嘘をつくアホがいるか?」
みんなは互いに顔を見合わせるが……視線はまた俺に集まる……。まるで俺がそのアホだとでもいわんばかりだ……。
「たぶんこれはレクテリオラだ、俺の前世……。どういうわけか知らんが、体だけ寄越されたみたいなんだ……!」
いや、なんかみんな……どうする、ぶっとばす? みたいな相談しているんだけれど……!
ええい、この空気はまずい……!
「皇帝はあっちだ!」
話を無理やり戻そうと試みたが、なにやらより一層、疑惑の光が強くなったようなっ……?
ジューは腕を組み、
「……なんで知ってるの?」
なんで、なんでって……。
「いや……気配で……」
「皇帝派ってなんか赤色で統一してるよね。あなたも髪が赤いし。関係あるんじゃないの?」
「いや、それは服装だろ? この髪は天然だよ!」
「あっ、天然っていった! なんかその表現おかしくない? レックの髪は黒だし!」
ああもう、そういう意味じゃないのに……!
どうする? 面倒だし、いっそ偽者のていでいっちまうか……?
そうだ、このままじゃあ埒が明かない! やっちまおう!
「……ふっふっふ、バレては仕方がない。その通り、レクテリオル・ローミューンはこの私の手の内にある!」
……どうだ?
……な、なんかいまいち反応が薄い……?
「いや、やっぱりごめん、うそうそ! レックだよー?」
おどけてみても、反応が薄い……。
どーしろっていうんだよ! ……って、これはディーヴォの気配だな? 弱いが近いぞ、その近隣にも複数……!
「あっ、近い近い、近いよ? さっさと行こうぜ!」
ちょうど岸に近づいていたので飛び降りる。するとボートが止まり、みんなも降りてくる……。
「……よし、ここからは特に静かにな。もしシフォールと出くわしても敵意を向けるなよ。奴はまだ、俺たちが皇帝を救いに来たとは知らないはずだからな。できれば不意打ちで仕留めたい」
みんなはうなる……。
こいつマジでどうするよ……? みたいな空気をひしひしと感じるんだけれど……!
というか、本当になんでまたレクテリオラなんだ? これ、なんというか、胸がでかいんで違和感がすごい……! ジャケットは革製、ところどころを金属らしきもので補強している。
「ちょっと」おっと、ロッキーだ、銃を構えている!「罠にはめるつもりじゃないよね?」
「ないない、というかさっさと済ませよう。ないと信じたいが、この姿が固着したら大変だ。フェリクス、準備はいいな?」
フェリクスは目を瞬き、
「……うん、いけるよ!」
まったく、なんで皇帝の女性化を止めにきて俺が女にならにゃあならんのだ? これがあいつのいっていた不意の客人なのか? 身体だけ寄越されても意味がわからねぇよ!
そもそもどういう原理なんだよ、身体が変化っておかしいだろ、俺の主観でのみ、変化しているように見えるってんなら幻覚とかで説明できるが、他から見ても変わっているというのは、つまり物理的にどうにかなっている可能性が高い……!
しかし、だとしたらかなりヤバくないか? 以前と比較して背とか縮んでいるし、骨格や内臓とかどうなっているんだ? というか、服までもが違うのはおかしくないか……ってか、シューターねーじゃねーかっ!
あははん、なにこれ、マジでヤバい! 俺どうやって戦うの? レクテリオラさん、手ぶらで来ちゃっているよ!
……頼みの綱はなぜだか異様に強化されている気配感知か、それにやろうと思えば普通に先読みができる気がする……。
だが、どのみち装備がないからといって俺は行かないよってな話にもできない、このままやるしかないか……!
さて、ディーヴォはと……前方の建物の中だな、そして複数の気配、これらのどれかが皇帝なのだろうか……?
「レク!」おっとフェリクスだ「よくわからないけど、僕は信じるよ!」
おおっと、そうかいっ?
「いまはとにかく彼女を助けたいんだ。ここにいるんだよね?」
彼女じゃあないんだが……。
「ディーヴォの気配がある。おそらくいると思う」
「じゃあ、いこうよ!」
フェリクスのおかげで、とりあえず目先の目的は固まった。俺たちは建物に侵入、静かに階段を上っていく……。
そして近いぞ、ディーヴォの気配だ! すぐ側にもうひとりいるな、どちらも弱々しい……!
急いで上ると、いたな、ディーヴォだ! 階段の踊り場に倒れている! それにもうひとりは暗黒城で見たカリメロだかカルメラだかって少年か、両者ともに決して軽くはない怪我を負っているようだ……!
「ディーヴォ、ディーヴォ!」
揺らすと、彼はうっすらと目を開いた……。出血箇所は複数、か……。
くそっ、エリがいないんだもんなぁ……!
「ジュー、医療道具は?」
「……簡単なのなら、あるけど」
「治療を頼む。レキサル、ジューの手伝いをしつつ、護衛をしてくれ」
「ああ、そうしよう……」
「ロッキーもな!」
「ええ……?」
「よし、いこうフェリクス、ヴォール! 皇帝がヤバいかもしれん!」
「うん!」
「よくわからんが、いいだろう!」
残る気配は屋上か、俺たちは静かにそこを目指す……。そして塔屋より屋上に出るドアをそっと開き、外を覗き込むと……いたな! 皇帝とサラマンダー、そしてシフォールだ! 皇帝側は劣勢、対しシフォールは余裕の表情で彼らの周囲を歩いている。
サラマンダーは槍を支えによろめいているな、やはりシフォールを止めるのは難しいか……!
「ぐっ……貴様、陛下に手を出してみろ、ただでは……」
「はっはは、まだそんな元気があるんですか? しぶといという話は本当ですね!」
「傷口を即座に焼いて出血を抑えているのだ」皇帝だ「生半には真似のできぬ処置よ」
意外……かはわからないが、動じていないな。さすがは皇帝と呼ばれるだけはあるか。
しかし、シフォールにはそれが面白くないらしい。皇帝の頬に剣を近づける……。
「なにをする、貴様……!」
サラマンダーは動くが、足がもつれて転倒した……!
「はっははは、限界じゃないですか! 黙って見ていなさい」
やばいな、様子見をしている場合じゃないか……って、なんだ? フェリクスが片膝をついて瞑想? みたいなことをしている?
「どうした?」
「ちょっと待って、集中してるんだ……」
集中ってなあ……! シフォールの声が聞こえてくる……。
「わかりますか? これは始まりです。僕はこれよりあなたの前でしもべたちを蹂躙するのです、幾度もね……。あなたが頭を垂れるまで……」
「そうか」
「はっはは! 増援に期待しているようですが、アテナさんは来ませんよ! 彼女は他の方にご執心みたいですしね! いわく『新しい友達を見つけたわん!』だそうです、しょせんは傭兵ですね……!」
新しい友達……? 黒エリじゃないよな……?
表情こそ動いていないものの、皇帝の気配が大きく揺れる……。
「それにカーディナル……ではないですね、スカーレットさんもしばらく姿を見せていませんよね? 彼か彼女か知りませんが、やはり他にご執心な方がいらっしゃるようです」
気配がまた大きく揺れ、皇帝の動かぬ表情にやや焦燥が浮かんだ……。
「つまり、あなたにとって最強の騎士は実質この僕ということになります。他の兵隊を一掃できるこの僕です! 縋る相手はもはや、僕しかいないのですよ!」
笑うシフォール、皇帝の目が細くなる……。
「貴様が騎士だと? 笑わせるな」
おっ……?
おおっと……!
皇帝が、剣を抜いたっ!
「おっ、おやめください」サラマンダーは必死に立ち上がろうとしている「こやつめは、この私が必ず……!」
「よい。休んでおれ」
おいおいマジでやるつもりか! 強いのか、皇帝さんよ?
「はっはははははっ! あなたが僕と剣技で勝負を? ええ、ええ、稽古をつけてあげますよ!」
そうして戦いが始まるが……やはりというべきか、まるで大人と子供だな。皇帝もまったくの素人じゃあなさそうだが、シフォールの鋭さにはほど遠い……。
だめだな、フェリクスの瞑想を待っていられん! 皇帝の危機は確認した、さっさと不意打ちで仕留めるか……とも思ったが、いまの俺は丸腰だ……!
「ヴォール、隙を見て奴を倒してくれ」
「なんだと?」ヴォールは俺を見やる「俺に不意打ちをしろというのか?」
「そうだが……ダメか?」
「嫌だ、俺は一対一の決闘か、自身が不利な状況でしか戦わん!」
いやあ、その志は尊いかもしれんが、状況が状況だし……って、サラマンダーが動くっ!
「ぬおおオオオオッ!」
炎をまとった渾身の突きをシフォールは横にかわした……と同時に皇帝の剣が襲う!
「甘い!」
一瞬で二人を斬りつけるが、皇帝の方は無傷か、あくまで牽制、服を切り裂いたに過ぎない。皇帝は胸元を隠す……。
対し、サラマンダーの方はやや深くやられたようだ、さすがに限界か……?
「くっ……! ゲオルフ……!」
皇帝はサラマンダーもとへ、
「ぬうううおおおっ!」
サラマンダーはまた傷を焼いて塞いでいるようだ……! そんな無茶なことをしているからあんなに体が傷だらけなんだろうな……。
「……くそっ、仕方ない、俺がやる!」
丸腰でも先読みができればなんとかなる……って、なんだ? フェリクスの気配が……なんか変? というか急に立ち上がり、彼らの方へ歩いていったぞ……!
「さて、そろそろとどめを……」
シフォールはサラマンダーの方へ向かうが、フェリクスの登場に気づいてその足を止めた。やはり奴は気配がまるで読めていないな、ということは輪廻の系譜ではないということか。
そしてフェリクスは皇帝を守るように立ち阻む……!
「騎士ならば主に忠義を尽くせ! 軍人たるものそれが本懐である!」
ええっ……? なんか声音がいつもとぜんぜん違うな? そうだ、まるで舞台の台詞のような……。
「……誰ですか、あなたは」
「ロ、ロザンタール将校……」
皇帝が呟く……。あ、やっぱり薔薇将校なんだ。
「剣は主のためにその身を敵に投げ出し、主は剣の忠義にふさわしい剣技をふるう。それは軍人とて同じこと!」
フェリクスはシフォールに剣を突きつける……!
「剣たる資格なき者よ、隊を去るがいい!」
あ、なんか皇帝の顔がパアッと輝いた!
……そしてその様子を見て、シフォールの目に黒い炎が……。
さあてヤバいぞ、加勢しないとな……っと、やるなフェリクス!
シフォールが動いた、はらい切り……をかわし、フェリクスの一閃! 当たらなかったものの、シフォールがよろめいた……!
「……あなたは、そうだ、あの一行の……。取るに足らない存在だと思っていましたが、なかなかどうして……!」
「我が名はフェリクス・ロザンタール! 義の薔薇よ、我が名のもとに咲き乱れん!」
うわお、皇帝マジで嬉しそう! 側でサラマンダーがうめいているんだけれど……。
「よし、俺たちも……」
「待て」ヴォールだ「これはフェリクスの戦いではないのか?」
「それはそうだが……」
「男の決闘に手を出すな。女にはわからんだろうが……」
いや、俺も男だし! そういう機敏もわかるっつーの!
……だが、シフォールはおそらくかなり強い! フェリクスが敗北し、死ぬ可能性は低くないんだ……! せめて先読みしてから動いて届く距離にいないと……。
「……まあ、邪魔しないにせよだ、ここでコソコソしなくてもいいだろう?」
ヴォールはうなり、
「……それはたしかにな! 堂々と観戦したいところだ!」
そして俺たちも屋上に出る……。シフォールは俺たちをちらりと見やり……眉をしかめた。
「……これは」
増援に不利を感じたのか、奴は後退し始める……。
「ふっふふ、まあ、今日はこの辺にしておくつもりだった……といえば信じてもらえますかね?」
そうして剣を収め、シフォールは皇帝を見つめる。
「僕はまたやってきますよ、アンヴェラー。そのたびに大事な配下を失っていくことでしょう」
そして肩をすくめる。
「役に立たない者どもなど捨てて僕のもとへ来なさい。ずっと大事にしてあげますから」
そこでやれやれとフェリクスは首を振る。
「……違う。捨てられぬからこそ同志なのだ」
「そうだ、その通りだ!」
おっと皇帝がフェリクスの側へ……。
「私にはロザンタール将校がついている! 貴様などには決して屈さん!」
あーあ、やっぱり面倒な構図になってきたなぁ……。
「はっははは! はははははっ!」
シフォールは散々笑い、ふと真顔になる……!
「ならば苦悶に歪んだ彼の首を贈呈して進ぜよう。わかるかい、アンヴェラー。その無様な死の責任は君にあるのだよ。そして最後にはひとりになる」
「撤退するのであろう? さあ、敗走する様を見せよ」
皇帝が意気揚々といい放った……。
「なに、恥ではない。このロザンタール将校に敵うはずもないのだからな!」
おいおい、無闇に挑発するんじゃあないよ……。
……シフォールは嫌な笑みを浮かべ、
「……やめろ、やめるんだ、アンヴェラー……。あまり抵抗をすると、僕のものになったとき、君をお姫さま扱いをするまでに……時間がかかるようになるよ……」
皇帝は眉をしかめ「……姫だと?」
「そうさ……僕たちが姫にしてあげたんだ……。いまもそんな顔をしている……」
シフォールの瞳が不気味に光る……!
「最初は首輪からかい? くっくっく……」
……いかんな、あいつは思ったよりイカレている……。
「よし、ぶちのめすか!」おおっとヴォールだ!「なんだか気味が悪いぞお前! 俺の鉄拳で正気に戻してやる!」
「いやいや、あんたさっき決闘がどうとかいってなかったか?」
「これは治療だ! 民間療法というやつだな!」
いやあ、それはまるで違うと思う……!
シフォールは嘲笑い、
「サイボーグ風情が、僕に……」
始まる!
「ァイアナックゥ!」
疾いっ! 炎をまとった拳で突っ込む……が、ぎりぎりかわされる……しかし! だからこそ、拳の炎でシフォールは怯むことになる! そしてその隙は次の攻撃へと繋がる……!
「ゥレイムバーストッ!」
地面を殴って炎が飛散するっ!
「ちっ……!」
炎を受けシフォールは後退、だがすげえ疾い! 高速あびせ蹴りが炸裂するぞっ!
「ブラストゥキッ!」
かろうじてガードしたものの、シフォールはぶっ飛んでいき、屋上から消えた……!
うおおおおおおっ! ヤバい、超かっこいい!
「しまった!」ヴォールだ!「逃がしてしまったか!」
ああ、あれで死ぬようなタマでもないわな。事実、奴の気配は遠ざかっていく……。
「まあいいか!」ヴォールは拳を上げる「勝者、この俺!」
なにやら勝ち名乗りをあげてひと段落はしたものの、はてさてこれからどうしたもんか……と、下から四人、ジューたちがやってくるな。
「ああっ、陛下、それにゲオルフさん……!」
カリメロ? だかの少年がふらふらとした足取りで彼らのもとへ……。
「……ああ、まずい、すぐに手当しないと……!」
少年はジューの見やり、彼女は肩をすくめる。
「はいはい、やってはみるけど、あんまり期待しないでね」
さてフェリクスだが……元の状態に戻ったのか、その場にへたり込む……。
「いやぁ、なんとかなったよー」
「ああ、やるじゃないか、フェリクス!」
「素敵だった!」
皇帝が瞳を輝かせながらフェリクスを見つめている。まあ、憧れの薔薇将校に窮地を救ってもらったんだ、それは当然かもしれんが……はっきりいって恋する乙女にしか見えないなぁ……。
というか、後ろでサラマンダーがわりとヤバい状況みたいなのに心配とかしないのか……?
「ジュー、そいつはどうだ?」
「さあ……あくまで応急処置だし、責任はもてないよ。それにあんた」ジューは少年を見やる「熱すごいんだから寝てなよ」
少年はうなり「でも……」
「案ずるな」皇帝だ。乙女モードから戻ったか「ゲオルフは私を残して死んだりはせん……」
そうやって無闇に信じるからサラマンダーも頑張り過ぎちゃうんじゃあないのか……?
とはいえしぶといとの話は本当なようで、そのうちサラマンダーは意識を回復した。本当に頑丈な野郎だなぁ、こいつ!
「も、申し訳、ありません、陛下……」
皇帝はサラマンダーの額に手を当て、
「よい。いまはただ休め……」
そしてサラマンダーは目を瞑るが、死んだんじゃないよな……? 気配はあるし、大丈夫か……。
「それで、どうするんだ?」ヴォールだ「奴を排除するまでやるのか?」
「僕は」フェリクスだ「彼女を守るよ!」
だから彼女じゃねぇっての! あんまりそういうこといってるとしまいには怒る……かと思ったが、どうにも皇帝が気分を害した様子はないようだ……。シフォールの姫扱いは受け入れなかったのにな。まったく、人の心とは奇怪なもんだぜ……。
「……というか皇帝さんよ、そもそもあんたはなんでここにいるの?」
皇帝はちらりと俺を見やるが、答えない……。
「あのひとに追われてきたの?」
「いや、ここへは望んでやって来た」
フェリクスの質問にはすんなり答えやがるなこいつ……。
「……私は帝国のルーツを紐解いている。ここにその謎の一端があるらしい」
ルーツ、だって……?
「そんなものあるのか? 元老院の隠れ蓑だろう」
おっと、皇帝が俺を睨む……が、すぐに破れた胸元の羽根の生えた蛇に視線を移す……。
「……これはケツァルコアトルだ。古い古い信仰の神……。生贄を望む太陽神と相反する存在……という解釈がなされており、残酷な元老院に対する我が一族の象徴であるとされてもいる」
……へえ? そうなのか。
「しかし、ケツァルコアトル信仰もまた、生贄文化があったとされている。つまり、本質はさして変わらぬということだ」
……はあ、そうなのか。
「……ともかく、貴様のいう通り、我が一族は元老院の隠れ蓑として権威を得た。しかし、我々とてただの傀儡ではない。世界が権力によって束ねられようとしているのなら、そして己の意思に正常さを見出せるとしたならば、そこに平定の世を望むのは必然ではないか?」
正常、ね……。
「しかし、あんたらはユジルーンを滅亡させた」
この言葉に皇帝は目を見開いた。そのことを知っているのが意外だったか?
「……そう、本質はさして変わらぬ。しかし、我々は……」
「一族を皆殺しにしたのは、そしてあんたをそんなにしたのはユジルーンの王だ。そしてその王を父にもち、また殺めたのがスクラトだ。彼はイジグヤット王の息子なんだよ」
「なんだと?」皇帝がまた、目を見開く「まさか……?」
「帝国が解体され、各国はバラバラになった。そのために元老院による世界の制御が困難となった。だから奴らは各国にスパイを送り出し、またも手中に収めようと画策した。しかしそれもまた上手くいっていないようだな」
「……貴様は何者だ?」
「ただの冒険者だよ。事実かは知らないが、聞いた話を紡ぐとそういうことになるようだな」
皇帝はうなる……。
「それで、あんたは帝国の復興を?」
「……まずは元老院の打倒を。我々は共に眠るべきなのだ」
「本物の皇帝にはなる気がないと?」
「ないとはいえん……」
「いえない?」
いえないってな、どういうことだ?
いや、そうか……。
「蒐集者がそれを望んでいる、からか?」
「おかしいと思うかもしれないが」皇帝は俺をまっすぐに見る「彼は私の家族だ」
なに?
家族……だって?
「いや、あのな……」
「知っている、あれが人外の者であるなど。しかし、あれはたしかに私の家族だ。私は期待されているのだよ。ならば、その意を汲むことがそれほどおかしなことに思えるか?」
「あんたの父親を殺したのは……」
「知っている。しかし思うのだ、あの村でなにも知らず一生を過ごすことと、いまの生き方……どちらがよいのかとな」
「奴は親の仇だぞっ?」
「どうかな。罠にはめたらしいが、本当かどうか。よく考えてみろ、彼がただの農民を殺すか? いいや、父は偶然、熊にやられてしまったんだ。そして彼はそれを罪として被った。私はそう思っている」
なんだとぉ……?
「いやいや、しかし奴は……!」
「冒険者を狩る魔の者だ。善人などではない、そんなことは承知している」
皇帝は俺を見つめる……。
「だが、私の家族なんだ」
いや、しかし……!
「でも、奴は危機に瀕しているあんたを放置している!」
「だからなんだ? 音信不通な時もあるだろう。それを容認するのが家族だ。そして不意の再会もまた、なにも特別なことではない」
……あのときはあんなに気配を揺らしていたのに、またも信じようとするのか……?
「……俺は、奴が気に入らない」
「だが、彼はお前を望んでいる」皇帝は俺を睨む「私よりもな」
妬ましいってのか……? 理解できんぜ……。
「……だからというわけではないが」皇帝はフェリクスを見やる「……彼を、同行させてほしい」
フェリクスを、か……。
「こいつはプリズムロウの一員だ。意見を乞う相手は俺ではない」
「やるよ」フェリクスだ!「あのひとはあなたを女性にして支配しようとしているんだよね? そんなことは認めないよ!」
いやにあっさり受け入れたなこいつ!
皇帝は微笑み「ありがとう」
……やれやれ。
……でもまあ、そうだな、お前は正しいよ、フェリクス。
しかし……。
「フェリクス、実際どうなんだ、やれるのか?」
フェリクスは首をかしげる。
「お前は本当にいい奴だよ。だからこそ問う、シフォールを殺せるのか? 奴は説得できる相手ではなさそうだ。だからこそ、実力、その意思、双方ともにお前は奴を超えなくてはならない」
「やるよ」
なんだよ、妙に深みのある即答をするな……。
くそ、そういい切られちゃあ、仕方ない……!
「わかった、お前の意思を尊重する! 手助けはするぞ!」
「ありがとう!」
「そして皇帝さんよ」
「なんだ」
「あんたを助けるってことは、今後のあんたの行動にも間接的に俺たちが責任を負うってことだ。ふざけたことを企んだら、力づくで止めるぜ」
「……ふん」
「その時になって理不尽だとかいうなよな」
「……無論だ」
「よし、敵はたかが一人だ、さっさとカタをつけるぞ。奴の気配は覚えた、この体なら広範囲を探せる」
「待て」皇帝だ「それより重要な要件がある」
「……ああ、帝国のルーツか?」
「ある部屋に行きたい。そこにかつての記憶があるらしい」
「記憶?」
「帝国の設立に関する記憶だ」
「そんなものがなんでここに?」
「わからない。だが、ここにある数多の建造物の一室に、それがあるらしいのだ」
「なぜそういえる?」
「ただの盲信だ」
「情報元は? 蒐集者か?」
「そうだ。彼はカーディナルと呼ばれる方を好む」
「司祭ってか、冒険者を狩っているくせに!」
「赤色の名前でもある」
……赤色?
「なにが?」
「我々のコードネームだ。すべて赤色の名前で統一されている」
「……へえ?」
「我々は赤き家族だ。そうありたいと願っている」
……家族。
家族、か……。
あんな奴と……。
いや、これ以上はいうまい……。
「……まあ、なんだ」俺は咳払いする「あんたのことは、わかったよ。私情はともかく……家族が大事って想いは尊重したいしな」
ふと……皇帝は俯き、
「……ああ。そして謝辞が遅れたが、どこからともなく救いに駆けつけてくれたことには驚嘆し、そして心より感謝している……」
ああもう、なんだかなぁ……!
「……じゃああれだ、さっそくその部屋を探しにいくか」
しかし、サラマンダーはもちろん、ディーヴォたちもろくに動けないようだ。獣に襲われる心配はなさそうだが、裏をかかれてシフォールに狙われても面白くない。レキサル……に、ジューかな、二人を残しておくか……。
「よし、じゃあフェリクス、ロッキー、ヴォール、皇帝さんとともにその部屋を探しにいくか。レキサルとジューはみなの介抱と護衛を頼んだ。シフォールの強襲には気をつけてな」
「ちょっと待って!」
うん? ジューとロッキーだ……。
「……あの、レック、なの?」
もちろんそうだが……。
「ああ、そうだよ」
二人は俺を見つめる……。
「ごめんね、その……信じてあげられなくて……」
「いや、いやいや、いいんだよ。俺だってこの状況を信じられないくらいだし!」
おおお、なにがきっかけなのか、みんな信じてくれるらしい。まあ、姿は変わっても言動は俺だしな、つまりはそれだけ俺のことを見ていてくれたってことなのかもしれない……。
そしてレキサルもやってくる。
「……その、散々疑っておいてなんだが、具象魔術で人や獣を象り、それを自在に操る魔術があると聞いたことがある。君のその状態に、なにか関係しているのかもしれないね」
なるほど……? この体は具象魔術的な力でつくられたもので、それに俺の意思がのっかっているって……?
……あり得ることだ、少なくとも体が変化したと考えるよりはよほどな……!
しかし、そうなってくると、元の体はどこにあるんだ……?
うおお、なんかヤバい気がしてきた……!
「ともかく、俺は早く元の体に戻りたい、さっさと件の部屋を見つけてここを出たいもんだぜ!」
そう、ぶっちゃけシフォールは後でもいい。というか、後の方がいい。いまはとにかくその部屋だ……!