光源
笑う、笑う、影が笑う……殺せと笑う。
あれは何なんだ?
この世界は、いったい……。
……景色が赤みを帯びている。いつの間にか夕方に……また眠ってしまったか。
森は……いやに静かだ、虫の音すらも聞こえない、というか霧がかってるじゃないか……奥は真っ白でまったく見えない。
ええっと……じゃあ、戻ろうか……。
……いや、あれ? 戻るって、いったいどこへ……?
……ああ、そうだ、そうだった。
そんなもの、どこにもないじゃないか。
そう、だから俺はこの地へとやってきたんだ。
そしてそう、とりあえずのあの宿だ、戻るといえばあそこしかない、あれはどこだ、どちらの方角だったっけ……? 森の中じゃよく分からないな……いや、あれは何だ?
……何か細い、枝じゃない……腕? 人間の腕だ……大樹の幹の陰から……黒い腕が出ている? 下方を指している……。
ああ、あれはそう……見覚えがあったじゃないか、女中の黒い服のだ、袖の一部が白い、あの……。
そう、母さんのだ、しかし、どこを指差している? 下の、切り株を……文字がある……?
ほんとうに愛すべきは
愛すべきは、べきは……?
「馬鹿な、赦すというのかっ……!」
……って、いつの間にか、腕はない……いやっ、幹に……牙の生えた口がついているっ……?
「お前っ……あのときの……?」
口が開いたっ、触手と一緒に、白い服の、グラトニーズ! 這い出て、そんな、さっきまでただの樹木だっただろっ?
くそっ、武器は何もない……! ならば魔術……なんて、まだ無理に決まっている……!
奴の、嬉しそうな奇声、こっちへ向かってくる! 斧を、振りかぶった!
「うおおっ?」
うわっ、木の根に引っかかって、転んじっ……斧がぁっ? すぐ横にっ、地面にめり込んだ、危なかった……! ヤバい、体勢を立て直して、逃げろっ! 走らないと! だがくそっ、足元がなんだか、ふわふわしている、びびっているのか? そうさ俺はいつもびびっている……いや違う、逃げないと……って、何だ? グラトニーズが、獣人が、追ってきていない、悪戦苦闘している……? なんだ、切り株にはまった斧が抜けないのか……? 切り株……に?
奴は……両手で懸命に引っ張っているが……抜けない、全身を反らして頑張っているものの……やはり抜けない。
……はは、なんだよ、妙におかしいな、ああ……ユーモラスじゃないか……。
……そう、あのときだってそう思ったんだ。奴らの顔は、表情としては恐ろしかったが、顔自体には……愛嬌がある。丸顔でほとんど人だ、あえて何かに例えるとしたならまあ豚なのかもしれないが、目や口が大きく、子供のよう……といっては変だが、かわいらしいともいえなくもない……そう、根っから邪悪な存在という感じには見えない……。
……だから、どうだろう? いっそ、声をかけてみようか……?
「お、おい……。諦めて帰ったらどうだ……?」
奴はまだ踏ん張っているが……ふと、こっちを見た?
「た、助けてやろうってのにさ!」
返答した……? やはり、会話ができるのか……?
「助ける? 何の話だ……?」
「ちょっと待ってな! 今、こいつをくらわせてやるから!」
「くらわせるって、お前、お前たちは一体……何者なんだ? なぜ俺を、人を襲う……?」
「そうしたいからだよ! そしてそのことには意義もある! ついでだがな!」
うおっ、いきなり斧を引き抜きやがった! 振りかぶるっ?
「くたばりなっ!」
はっ……やい……!
避けろっ……がっ、体が重く……!
……斧がっ……胸に……めりこんで……。
……力が、抜けていく……。
樹々の葉が……輪郭を失って……。
きっと、倒れている……。
だめだ……こんなところで……。
視界に……奴が現れる……。
「どうだ、上手いだろ!」
口の中が、血で溢れていく……。
「その斧は俺の手づくりなんだ」
血で溺れていく……。
「いい斧だろう? 斧は好きだった。当たればほとんど死ぬからな」
お前たちは……何者なんだ……?
「ははっ、お前こそ何者なんだ?」
俺は……何者でもない……。
「そんなはずはないだろう!」
居場所がない……者は、何者にも、なれはしない……。
「はっはは! 居場所だと? そこがそうさ! お前は俺にやられてそこに倒れている! 間違いなくそこがお前の場所だよ! お前だけのものさ!」
ここ、こことは、どこだ……?
「俺たちが必要としている場所だ!」
必要……。
必要と……されたい……?
そうでなければ……居場所がもらえない……から。
「もらうものか? くだらないね! そんなものは自分で決めりゃいいだろう! 奪ったっていい! 少なくともお前の死に場所は俺が選んだんじゃない、たまたまそこだったってだけのことだ、だからこそ、そこはお前の場所なんだよ!」
そう……。
そう、だろうか……?
「力を感じないか? パワーがある! そこに着地する力だ、運命といってもいい! それはよく着地後に感じるものだが、ときおり先んじて理解する奴もいる! 俺もその一人さ、俺はあそこで死ぬことは分かっていた、影が囁くのさ! でも俺は、俺の旅はまだ始まったばかりだ」
始まったばかり……か。
そうならいいが……。
でも、俺はもう……うおっ……?
……何だ? いつの間にか、無数の黒い影が……?
俺を、囲っている……!
それにこの光……! 影を生み出す光源……あれかっ?
光源が、彼方にある……!
「見えるか、かの天上たる存在が! そして数多の願望の影たちが!」
影たちが笑う、笑う、笑いながら周囲をめぐる、渦となる……!
あれは、これはいったいっ……?
なにか、囁く、
これは、この言葉は……。
「聞こえるだろう? 殺せ、殺せと……! 誰しもそれに至るのさ、そういう旅なんだ、それに至るための旅……」
馬鹿な、なぜ、誰を、何を殺す必要がある……?
あれは、この影は、あの光は……。
「俺は殺した! たくさん殺した! さあ、新たなる旅へ!」
奴が、影の中へと取り込まれて……。
……しかし、おかしいだろう……。
……おかしいぞっ? 最期にしたって、こんなのあるかよっ!
何なんだ、この騒ぎは……!
輝きが強くなる! 地面が揺れ始めている……? 凄まじい力で揺れている……!
どんどん激しくなっていく……!
世界が、崩れて……!
「レクさんっ!」
うおおっ? いった、いいった! いってぇえええ……!
すげぇ、ぶん殴られたっ?
「なっ、何だこれはっ……?」
あれっ……?
あれ、ここは……。
ただの森、の中だ……。
「き、肝を冷やしたぞ……!」
あれっ、ワルド?
「な、なんだよ、誰だいま叩いたの!」
「私です……!」
エ、エリか! なんでまたっ……?
「あれっ、そういや俺は……」
「よかった……!」
「よかった? よかったって……」
見ると、体が血だらけっ……!
「ええっ、おおお、なにこれぇっ?」
いや、いやいやそうだ、金色の狼とやり合ったんだ、そしてボロボロになって……。
「レクッ!」
アリャが飛びついてくる!
「コノ、アホーッ!」
「いったいどうしたというのだ、こんなところで、危なかったのだぞ……!」
「そ、そうか……」
「魔物か、それとも他の冒険者か、なぜ単身にて橋の下にいたのかねっ……?」
「そ、それは……」
い、勢いというかなんというか……。
「ともかくよかった、本当に……」
エリの瞳に涙が……。というかアリャが、待てまて首を締めるなぁああ……!
「ニェエエー! ワタシ、マモル、イワレテタ……! デモ、レク、ナンデカッテスルッ?」
「い、いや、なんか勢いで……」
「勢いだと?」ワルドはうなる「本当のことをいうのだ、いったい何があった?」
「いや……ほら、修行が上手くいかないし、瞑想していたらちょっといろいろ思い出して……軽く獣とひと勝負……」
「ニァアアアアアアアー!」
いやすっごい、アリャの力すっごい! 揺れ揺れ揺れて意識飛びそうっ……!
「ままっ、待てまてって、ごめんごめん、とにかく助かったよ、もうこんな無茶はしないからっ……!」
「ニエッ!」
……まだ痛い、妙に痛い……。アリャの強烈な手刀もそうだが、頬が痛い……とんでもない威力のビンタじゃないか……。
まあ、ひとまずはお許しを得たような気がするし、無事? にラウンジへと戻ってこられた……ものの、ボロボロの俺を見て輩どもがニヤニヤしていやがるよ、きっと敗走してきたとでも思われているんだろうな、むしろ勝ったのにさぁ……。
……でも血や泥まみれだ、こうして座っていても席を汚してしまうか、さすがに風呂場へ行かねば……洗濯槽もあるらしいし、服も洗わないとな……。
しかしここの風呂、でかいのはいいんだが無駄に鏡もでかいんだよな。俺は正直、鏡が苦手なんだよ、いやに怖くて……。
はあ……それにしても腹減ったな……すげぇ減った……。でもこの姿で食堂には行けんわな、早く入って……着替えて、何か食いたい……。
「やあやあ、なんか腹減らない……? ちょっと風呂へと行ってくるから、その後……」
うっ……! いつの間にか……謎の威圧感が渦巻いているような……!
「と、ところでエリ、大丈夫かい? 魔術は身体的に消耗するんだろう? すまないな、おごるよ、何か食べたり……」
「私は大丈夫です」なんかまだ怒ってねぇ?「レクさんこそ、痛む箇所はもうありませんか? 我慢はいけませんからね」
「ああ、俺はぜんぜん、ぴんぴんしているし……! なんかめちゃくちゃ腹が減っているけれど……」
「そうだろうとも。半死半生からの回復であるからな」うっ、ワルドの声音もまだ厳しい「まったく……いや、確かにだ、修行といいつつ放任していたやもしれんが……」
「いやあの、なんか、すみませんね……」
「レク、ヤバイ」アリャは頬を膨らませる「アタマ、ヤバイ」
いやそんなちょっと焦燥感にかられただけだし……と言い訳したいところだが、客観的に見て俺もヤバいかと思う……。
うーん、なんでだろうな……? あれほどびびっていた獣の森なのに、衝動的とはいえどうしてあんなことを……。
……あるいは、それだけあの屋敷のことが精神的な負荷だったのかもしれないな。そう……母さんが死んだのはきっとあいつの……。
「……悪かったよ、もう無茶はしないからさ」
「どうだかな」
「どうでしょうか」
「ドーカナー!」
なんだよおい、俺ほど慎重な奴もそういねぇよ? まあ、今となっては説得力もないだろうが……。
「でもまあ、なんだか気持ち的に吹っ切れたんだよ! 今なら魔術もできそうな……あっ!」
そうそうそう、そうなんだよ!
「そうだ、なんかさ、金色の狼みたいなやつぶん殴ってたら光ったんだよな!」
ああ、確かに光った、あれってもしや魔術じゃねぇっ?
「なぬう! 金色の狼、ゴールデンウルフではないかっ!」
あいった、杖で小突かんでもいいじゃないかよ!
「よく生きておったものだ、あれは極めて強靭な獣、なるほど光った、そして助かったとするなら……」
そう、俺はやれるかも……。
「あいって!」
いっていって、今度は何だよ、太ももに衝撃っ? 指先が触れた途端に、静電気かっ? なんでこんなときに……いやっ?
「イマ、ナンカ、ヒカッタ」
まさか……! 静電気、電気、電撃かっ……?
まさかまさかの……ちょっとやってみよう、ええっと、指先から……こう、電撃っ……?
「ヒカッタ!」
うおお、マジで光った! ちょっとだけだが、確実に!
「うおおおっ? まさか!」
「なんだ、妙な音がしたが、よもやっ……?」
「ええ、確かに光りました……!」
「ゼッタイ、ヒカッタ!」
きたかっ! ここでまさかの大逆転っ?
もっとやってみよう! ほら、やっぱりバチンと光るぞっ!
「うおおお……! なんかよく分からんができるぅう!」
「ほう……!」
「スゲー!」
「おめでとうございます!」
マジかぁー! できちゃったかぁー……!
……ぶっちゃけた話、できると思わなかったぁー……。
なんとかなるもんだなぁー……。
いや、でもそうだ……だからあの狼は逃げていったのか! 刃や打撃じゃない、電撃を嫌がったんだ!
ははあ、やっぱりあれだ、修行の効果はある程度あったんじゃないか? 相応に努力が蓄積されて……死ぬような目に遭って花開いたみたいな? いくら俺でもさすがになぁ、相応に真面目にやっていたしなぁ……!
「ほらぁー! やっぱりちょっとガツンとやったからさぁー……」
……って、あれ? なんか三人の雰囲気が怖い、ねぇ……?
「災い転じてなんとやら……。しかし増長はいかん、幸運であっただけであるぞ……!」
「あ、ああ……」
「レク、チョーシコク、ヤバイ……!」
「う、うん……」
「まずはおめでとうございます。ですが、怪我をしても治癒の魔術があるので大丈夫、などと楽観されては困りますよ。先ほどは本当に危うかったのですから……!」
「は、はい……」
いやまあ、確かにヤバかったかもしれないけれど……結果的によかったよね! みたいな感じがあってもいいじゃん……?
でもまあ、やったぜ……! これで新しい武器が使えるぞ! それに……こんな空気の中じゃとても口にはできないが、あの狼にも正直、感謝しないとな……! それになにより……。
「みんな……ええっと、ごめんというか、ありがとう」
ちょっと照れ臭いが……。
「こんなのでもいいなら、これからも、よろしく……!」
こういうことはさ……ちゃんといっておかないとな。
「レク、ナカマ! デモ、コンナノ、ヨクナイ、ハナシ、ダッタ」
「こちらこそよろしくお願いいたします。ですがアリャの言う通り、無茶はいけないというくだりでしたよね?」
「うむ、仲間という自覚があればこそ、独断での……」
あれ……? なんか思いの外、許されていない感じ……?
「まあまあ……それじゃあぼちぼち意識していくかい、ハイロードってやつをさぁ……!」
……って、どうした、未だ反応が薄いが……?
えっ、マジで心配されている? こいつ本当に大丈夫か? みたいな空気をひしひしと感じるんだけれど……。
あれっ……電撃使える前より俺の立場、悪くなってない? そんなことってある?
待てまて、大丈夫だって、これから新型のブレイドシューターを受け取って、俺がどれだけ強くなったか見せてやるからさ……!