時は来たれり
気が付くと天井、ここは……?
ああ、そうだった、修行していたんだ、そうだった……。
体を起こすと、側にエリ……。目を大きくしている……。
「……エリ? お、おはよう……」
うおっ、エリが飛び付いてきたっ……! ふわりとした感触、春風のような温もり……。
「よかった、よかったレクさん!」
「あ、ああ……」
温かい、なんて温かいんだ……。俺は思わず、彼女を強く抱き返す……って、黒エリが仁王立ちだ、そして拳を持ち上げる……!
これはゲンコツか手刀か……!
しかし、甘んじて受けよう。そうしなくてはならない。
そして拳が降ってくる……! が、当たる直前で止まる……。
「……どうした? どんとこいよ」
だが、黒エリは手を引っ込めてしまう……。
「どうやら、意義はあったようね」
老婦人だ、それにワルドやアリャ、フェリクスとアージェルもいる。ニューとテーの姿はないが、彼女らも疲弊しているんだ、まだ休んでいるのだろう……というか、胸元にエリが収まったままだ……!
「あっ……! ええっと……」
エリは、顔を赤くして……微笑んでいる……。
こんな笑顔は初めて見る、なんて愛らしい……。
「本当によかった、一時はどうなることかと……」
「え、そんなにヤバかった……?」
おおっと、エリの瞳が潤んでいく……!
「あなたは……こと切れる寸前でした……」
……なんだって? マジかよ……!
「そういうことだ」黒エリだ「奴らの修行で、お前は死ぬところだった」
「いや、その見方は違う!」俺は声を上げる「二人は悪くない、責めてはいけない……!」
「しかしな……!」
「分かっている、ありがとう、お前が心底……心配してくれていたことは誰より俺が一番よく知っている。なのに俺は目先のことに執着して……声を荒げて済まなかったな……」
「い、いや、それは別に……」
「エリもな、みんなも、本当に済まない。でも、ありがとう……」
俺は……エリの髪を撫でる……。彼女は微笑む……。
「悪いというなら俺がそうさ。軽率だったとか、自信過剰だったとか、理由は数あれど悪いのは俺に違いないんだ。彼女らはとかく本気だった。本気で俺に尽くしてくれた。どうか責めないでくれ……」
黒エリは後退し、
「そ、それはずるいだろう、責める相手がいなくなってしまう……」
「すまない、お前は本当に心配してくれていたなぁ……。でも、俺には、ありがとうとしか言えないんだ……」
黒エリは幾度も瞬きし、そして部屋から出て行ってしまった……。
「みんなも……心配を掛けて済まなかったな」
ワルドは頷き、
「とはいえ男の信念よ、見守るしかあるまい」
アリャは両手を振り回し、
「ムゥー! チョォオオオオオオオシンパイシタ! デモ、ジャマシナイヨウ、ガンバッタ!」
フェリクスは安堵の表情で、
「僕は君を尊敬しているし、信じていた。だから、僕は自身の修行に専念したよ」
アージェルは小首を傾げ、
「よかったね」
「みんな……」
なんてことだ、俺はなんて幸せ者……! なんていい仲間に恵まれたんだ……! 俺はみんなに会えて本当に……。
だが……くそっ! 何でこんな時に……!
しかも、この気配はっ……!
窓だ、窓の向こうに奴はいる!
「ルドリック! ヴァッジスカル! いるのは分かっているぞっ!」
すると影が現れ、みんなもそちらを注視する!
奴は窓を開け、窓辺に肘を突き、嫌な笑みを浮かべている……!
「言ったじゃないかぁ、今の俺様はルーザーウィナーだって」
「……何をしに来た?」
「俺様の気配断ちを見極めるとは、本当に化けやがったねぇ……!」
はっ、お前の気配断ちなど、ニューのそれに比べれば大したことないさ!
「二度、言わせるな。何をしに来た?」
「何も。俺様がここでヤラないって、今なら分かるんじゃないのぉ……?」
「そうかもな。みんなも不用意に手を出すな、こいつはいずれ、俺がやる」
ルドリックの野郎、いいや、ヴァッジスカルは大笑いする!
「いいねぇ! だからこそ、お前ちゃんは有用な駒として俺様に認められた! なので挨拶しに来ちゃったのよぉ……」
「そうかよ」
「ムシケラが化けるなんて、意外とあるのよぉ、この地は怖いところだからねぇ……! 多くの馬鹿どもは気にしてもいないが、俺様ほどになるとビンビンきちゃうんだなぁ!」
こいつ……! 以前よりよく分かる、この深くどす黒い気配……! こいつは悪党どころか、人類に対する脅威だ……!
「修行の途中で死んだら大笑い、墓に小便でもかけてやろうと思っていたのにねぇ……! 怖い怖い、やはりボーダーランドは怖いなぁ……!」
「そんな懸念があるなら、なぜ見逃した?」
「懸念だってぇ?」ヴァッジスカルは首を真横に傾ける「言っただろぉ? お前ちゃんは使える駒に昇格したってのよぉ」
「ぬかせよ」
「ともかく、楽しいパーティの準備は整ったって訳だ! あの女とフィンのガキ共も二つ目のトランスレーターを手に入れたようだし、そろそろ始めちゃってもいいよねぇ……?」
「トラン……? シンの意思のことか?」
「そうそう、あれは翻訳機なのさ。受信制御、発信制御、そして解析翻訳の三種類からなるのぉ。特に発信制御は重要さ、これを用いないままシンと話すと脳味噌バーン! だからねぇ!」
そうか、ニューの推論は正しかった……!
「ああっと! ごめーん、そろそろ時間だってのは分かる?」
「ああ」
「あと何秒でやられそう?」
「十秒だな」
「そうか! いち、にい……」
さんで奴が貫かれるっ! だが、また泥人形か!
「奴は後ろだ!」
刹那、シフォールの一閃が瞬く! しかし浅いっ!
「やあぁあああるねぇええええ……!」
笑い声と共に奴の気配が遠ざかっていく……。
外壁に剣を突き立て、シフォールが窓辺よりこちらを見やった。
「助言には感謝します、でもね」赤い目が輝いた「既に承知していた……って言ったら、信じてもらえます?」
「奴が逃げるぞっ!」
「まあいいです、泥魔術を至近距離で見れましたし。でも、まさかあなたたちがこんなところにいるなんて、奇遇ですね」
シフォール・ビュージェン、またの名をヴァーミリオン。皇帝派、インペリアル・サーヴァントのひとりがどうしてこんなところに、いや、なぜヴァッジスカルを狙ったんだ……?
皇帝は元老院の根城を知りたがっていた、奴より聞き出そうとしているのか? あるいは……口封じ?
「……お前、もしや元老院の者なのか?」
「あー、やっぱりそう思えます?」シフォールは窓から室内へ入ってくる「でも実は二重スパイなんですよ。元老院派と見せかけて、実はやっぱり皇帝派みたいな」
なにぃ? 軽くカマを掛けたつもりだったが、想像以上に自白しやがったな……。
「……本当かよ?」
「いえ、皇帝は知りませんけどね、僕の心持ちではそうなんです。だって、権力に拘る老人に尽くすって怖気が走りますよ。世界の有り様がどうとか言ってましたけど、彼らもうすぐ死ぬじゃないですか、晩年にもなって権力に縋りつくってとても醜悪です。ましてや竜の血で生き永らえようなんてね……」
「皇帝を泳がせているのはそれが目的なのか?」
「おおっと、意外に鋭い! ああいえ、済みません、まあそうですね」
その言い分が本当かは分からないが……皇帝を殺すつもりならいくらでも機会はあっただろう。少なくとも元老院は皇帝を泳がせているらしい……。
「……まあ、皇帝に伝える義理はないからな」
「そうこなくっちゃ!」シフォールは剣を仕舞う「それにしても、なぜこんなところにいるんですか?」
「そりゃあ……成り行きでさ」
「へえ? 豚の友人が多いとは聞いてましたが……じゃなかった、ははは、今のは受け売りですよ、あるでしょう? ひとの口癖が移っちゃうみたいな」
「……どのみち、無礼には違いないだろう」
「まったくもって」シフォールは片膝を突いて頭を垂れる「お許し下さい、御婦人」
老婦人は手を漕いで、
「いいのよぉ、豚でも猿でも。それに、本当に気に障ったのなら、どれほど謝ろうが叩き潰しちゃうわよ」
このひと、意外と怖いよなぁ……。
「そうですか、よかった」シフォールは屈託もなく笑う「いや、言い訳に聞こえるでしょうけど、意外と素敵じゃないですか、グラトニー7に可愛い子いましたよね?」
グラトニー7ならスゥーの事か……?
「ありだと思いますよ、ははは、いや! さすがにあなた程ではありませんけどね」
シフォールはエリを示す……。エリは目を瞬き、
「は、はあ……」
黒エリがいたらしばかれるだろうに、惜しいな……。
「なんですか、そういう仲なんですか?」
俺とエリは互いに見やり、慌てて離れる……。
「ははは、冗談ですよ」シフォールは腕を組み「僕の想い人はひとりだけですから。しかし哀しいかな、余計なものが付いている」
余計な……? え、それってもしや……。
「しかし、望みはあります。その鍵はアテナさんでしてね、聞くところによると、彼女は武装と融合しているとか。それはつまり、体を改造する技術があるということであり……」
おおおい、おいおい、こいつ、何を言い出すんだぁ……?
さっきからペラペラと、いろんな意味で危ねぇなぁ……!
「わ、わかったわかった、それで、用は済んだんだろう?」
「まあ。ところで聞きました?」
「……何を?」
「そろそろ本格的にフィン達を止めるようですよ」
ああ、ヴァッジスカルも言っていたな……。
「割と状況は混沌としていますがね、あなた方も参戦を?」
「ああ。彼らを止めたい。生かして帰したいんだ」
「はっはは、それは難しい!」シフォールはわざとらしく仰け反る「まあ、そうなればいいですね! 我々は今、フィンたちの居所を掴んでいます。既に袋の鼠ですよ」
「……彼らはどこに?」
「それは教えられませんよ。ではまた」
「おい、待て!」
シフォールは窓から姿を消す……。
くっ……! あんなにいろいろと喋りまくってたのに、肝心なところは話してくれないのかよ……!
くそっ、居場所が分からないんじゃあ……!
「あれ、何かなー」
フェリクスが、落ちている紙を拾う。そして、俺を見やった。
「これ、クラタム君たちの居場所、みたいだよ……」
「なにっ……?」
……シフォールではないな、おそらくヴァッジスカルだろう……!
あの野郎、随分と余裕じゃねーか……!
俺を駒として見ているようだが、そんなに事が上手く運ぶと思うなよ……!
「……何かあったのか? 彼女が妙な気配を感じ取ったそうだが」
黒エリだ、そしてニューとテーも一緒か。よかった、二人とも大丈夫そうだ。さすがにニューは俺と同様に消耗が激しいみたいだが……。
俺は、先ほどあったことを話す。黒エリは頷き、
「ふん、そうか、ついに始まるのか。私とてこのひと月、何もしなかった訳ではない」
アリャは拳を掲げ、
「ワルイヤツハ、ブチノメス!」
フェリクスは窓辺を見やり、
「……僕だって、やってみせるさ」
ニューは俺を見詰め、
「あなたの生き様、しかと見届けましょう」
テーは拳を突き出し、
「よくわかりませんけれど、頑張りますわー!」
老婦人は目を瞑り、
「やっぱり、本を読んでいるだけという訳にはいかないのねぇ……」
アージェルは口元を上げ、
「……ま、最後に勝てば、過程はいいよ」
エリは力強い瞳を向け、
「皆さんを助けましょう!」
そしてワルドが遠くを見るように言った。
「そうか……決着は近いな……」
そう、三つ目への接近を待たずして、地獄の釜が開かれようとしている……。
クラタム、お前はフィンを守ろうと懸命なのだろうが……その力はあまりに危険なんだ、止めさせてもらうぞ……。
……いいや、本当にフィンが使うのならばまだいいのかもしれない。しかし、もしもヴァッジスカル、ブラッドワーカーの手に渡ってしまったら……。
俺は止めねばならない。
これは他ならぬ俺自身の意思、そして決意なんだ。