自他を超えて茫漠たる世界へ
「それでは、訓練を始めましょう」
伍長は淡々とした口調で言った。おいおい、今さっきアーマードラゴンを止めたばかりなんだけれど……?
とはいえ、それほど疲弊している訳でもないからな、伍長がやるって言うんだ、ここで泣き言を言っては男がすたるってもんだ。
「それは……いいけれど、正直、君の気配断ちは高度過ぎるな。こう、成長する過程を実感できないっていうかね……」
「大丈夫ですわー!」お嬢さまだ「相応のやり方があるのです! ニュー、いつものあれをしましょう!」
「あれを……? しかし、いきなりでは……」
「ゆっくりじっくり進めたらどうでしょう! 最初は一日三時間ほどから始めては!」
「ああ、その程度ならば問題ないな」
何だ? 何を始めようっていうんだ……?
「……何の話なんだい?」
お嬢さまは両手を広げ、
「よろしいですか! これより一日三時間、ニューがあなたにちょっかいをかけます! 最初こそ困りましたわね……という程度のものですが、ある程度続くとなると、さすがにいらいらしてくるでしょう! ですが、ニューのちょっかいは止まりません! そしてやがては神経をすり減らすこととなるのです!」
「神経を……? すり減らすって、それにどんな意味が……?」
「滑稽なようにも思えるでしょうが、効果はありますわー! 早くこの地獄から抜け出したいと思えばこそ、仮想攻撃者であるニューの気配を捉えんと感覚が鋭敏となるのです! まあ、それも初期段階の話に過ぎませんが!」
地獄だって? そんなにきついのか……?
「でも、三時間程度で効果はあるのかい……?」
「いいえ! 正直に言いますと、その程度ではほとんど効果がありませんわー! あくまで準備期間のようなものです! いきなり始めるとなると、心身がひどく疲弊してしまいますので!」
「……それで、どのくらいかかるんだい?」
「あなた様次第ですが、一年ほどと思いますわー!」
い、一年……! そいつはいささか長過ぎないか……?
いや、しかし、伍長を捉えられるほどの探知能力だ、むしろたった一年と考えるべきだろうが……実際問題、そこまでは時間をかけられないな……。
「……そこまで時間はかけられない。せめて一ヶ月!」
伍長とお嬢さまは顔を見合わせ、
「それは無茶ですわー!」
「無茶ですね」
やはり無茶か……。しかし、無理ではない?
「それはきついという意味であって、不可能ではないということだよな?」
お嬢さまは腕を組み、唸る。
「いきなり最終段階から始めるとなれば、まあ……」
「しかし、それだと命に関わります」
「い、命に……?」
お嬢さまは頷き「最悪、死にますわね!」
「し、死ぬ……」
「仮に一日中やるとなると、深刻な睡眠不足に陥りますわー! まあ、それが狙いなのですけれども……いきなりでは突然死などのリスクが激増してしまいますので!」
睡眠不足かぁ……。まあ、四六時中ちょっかいかけられるんだ、ぐっすり眠ることは難しいのかもしれないな。
「しかも」伍長だ「最終段階ともなると、与える刺激も悪戯程度のものではなくなります。相応の痛打も含まれますので」
「攻撃してくるって?」
「そうです。感覚は心身ともに危機的状況に追い込むことで研ぎ澄まされるもの、それを睡眠不足の常習化において実現し、さらに打撃という刺激で追い打ちをかけるのです」
……なるほど、そいつは確かに厳しい修行になりそうだ。
しかし、悠長にはやっていられんし、現状のままではこの先の戦いには通じないだろう……。
「よし、リスクは把握した! 一日中、やるぞ!」
二人は顔を見合わせ、
「あらら、どうしましょう……?」
「かなり辛い訓練ですよ」伍長だ「この極めて温厚なテーですら暴れ狂った程ですから……」
「まあ、恥ずかしいですわー!」
「でも、効果はあるんだろう?」
「それは折り紙付きですわねー」
「じゃあ、それでいい!」
そして二人はまた顔を見合わせる。
「ニュー、あなたにも相当な負担が掛かりますが……」
「それは構わない」
ああそうか、四六時中行うのなら伍長もまた不眠不況ということになるわな……。
「そうか、伍長も辛いよな。俺が言うのも何だが、いいのかい……?」
「はい、問題ありません」
お嬢さまは頷き「では! わたくしも邪魔が入らぬよう、善処いたしますわー!」
そして修行は最終段階より始めることに決まる。お嬢さまは俺を見やり、
「それでは幾つか、注意を!」
お嬢さまは俺の両肩をがっしりと掴む!
「ニューとて好き好んであなた様を執拗に攻撃する訳ではありません! あなた様の為を想って、義務的に、いいえ、むしろ傷付きながら繰り返すのです!」
「ああ、遺恨なんか残さないさ、好きにやってくれ!」
「そして! 一度始めたら、あなた様からの中止は出来ません! 根を上げてからが本番なのですから! よろしいですか!」
「ああ!」
「本当によろしいですか!」
「ああ……!」
「きっと想像以上だと思いますが、よろしいですか!」
「……効果は、あるんだよな?」
「あります!」
「なら、やってくれ!」
「しつこいようですが、本当の本当によろしいですか! 命を懸けますか! ここで止めたとてわたくしたちは軽蔑など致しません! むしろ想像力があると賞賛しますわー!」
電撃の魔術だって死ぬような目に遭ってようやくだからな、そのくらいじゃないと身に付かんさ!
「ああ! マジで自慢じゃあないが、俺はヘボいからな! そのくらいやらんと、身に付かんのさっ!」
お嬢さまは伍長を見やり、彼女は頷く。
「わかりました! では、これより始めます!」
「開始します」
そして伍長の姿が消えた……。
えっと、それでどうなるんだ……と思ったその時、肩に何かが触れた……! 驚いて振り返るが、誰もいない……。
もちろん伍長の仕業だろうが……こういうのが続くのか……? もっとこう、打撃とか繰り出してくるんじゃ……って! 脇をつつかれ、俺は体をくねらせる!
「おおっと、そういうのはちょっと……驚くぜ!」
「打撃もあるでしょうが、そういった類のちょっかいも混ぜます。そのうち、相当なストレスになりますわよー!」
ま、まあ、確かに驚いたが……って頬をつつかれた! 反射的に頬に触れるが、もちろん、何も触れない……。
「なるほど、これがずっと続くのか……」
「ええ、寝る間もありませんわよー!」
耳を引っ張られた! うっお、始めたばかりだが、これ結構煩わしいぞぉ……って、さらに耳元で炸裂音がっ! 手を叩いたのかっ……?
おおっと、始めたばかりだが、こいつは本当にきっついな……! まあ、覚悟の上ではあるが……!
「ニューを発見できるようになれば終了です! それと、辛いからといってニューの悪口を言ったりしてはいけませんよー! その時は不肖ながら、わたくしの拳が炸裂することを予めお伝えしておきます!」
そいつは怖いね! だが、この程度のことなら堪えられそうだぜ……!
◆
……まだ三日目か。なるほど、見えない相手からのちょっかいや攻撃が続くとなると……なかなか苛々してくるもんだな……というか、本当に四六時中やってくるな、伍長はいつ寝ているんだ……?
うーん、さすがに疲れたな……。この三日間ろくに寝ていないんだ、かなりふらふらだし眠りたい……と、ソファに倒れ込もうとした時、首を絞められた! 慌てて引き剥がそうとするが、首元に手をやった時には既に伍長が離れた後だ、もちろん気配などまるで掴めない……。
「ムゥー……レク、ダイジョーブ?」
いつの間にかアリャがいる……。老婦人に借りたのか、白いワンピースを着ている……。
「おお、その服どうしたんだ……?」
「ニアウー?」
アリャは頬杖を突くような仕草で首を傾げる。そんなポーズ、どこで覚えたんだ……?
「ああ、似合うよ、可愛い」
「ナニ、マタァー!」
アリャは照れ臭そうに笑う。いやいや本当、可愛いさ。
「ソーレハトモカク、レク、ネムソー」
「眠いよ……。そういう修行なんだ……」
「ネムラナイ、アタマ……ガ、オカシクナル」
「大丈夫さ……。それよりお前は修行とかしているのか?」
「ヤッテル! コツヲツカム、トクイ!」
「お前は天才だからな……。というか、言葉が上手くなっているな……?」
「ワカルゥ?」
本当にどこで覚えたのやら、アリャは腰をくねらせ、妖艶っぽいポーズを取る。思わず笑いが溢れ……って、背中を突かれる……!
「チッ……やりやがったな……!」
「ムゥー! ヒドイ!」
「いや待て、そういう修行なんだ、俺が了承した。伍長は俺の為にやってくれているんだよ」
「そうは言ってもさー」おっとフェリクスが現れた「その修行、かなり厳しいものだよねー。僕だって剣術の鍛錬をしているけどさー、そういうのってある種の爽やかさもあるんだ。でも、君がしているのは……」
「ああ……だからこそ、効果がある」
「……言っても無駄だろうけど、ほどほどに」
「ホドホドーニ、スル!」
「はいはい申し訳ありませんがお邪魔ですわよー」お嬢さまがやってきた「これはレク様の戦いであり、わたくしたちの流儀です。彼の為を思えばこそ、ここは静観して下さいまし」
そして二人を遠ざけ、お嬢さまはふと、真顔になる。
「……これは本当に厳しい修行ですわ。たった三日とはいえ、その片鱗を味わっていることでしょう。ゆえに三度だけチャンスを差し上げます。これはその一つ目、止めますか?」
「止めない」
「ですわよねー」お嬢さまはにっこり笑う「では再開して下さい」
そして腰に一撃! こいつは……重いぞ……! ついにこの次元の攻撃がきたか……!
……だが、散々念を押されてもなお、意思を通したのは他ならぬ俺自身だ、感覚を研ぎ澄ませて……伍長の気配を探らなければならない、やってみせる、やり遂げなくてはならない……!
◆
……ああ、頭がくらくらする、もう五日、六日目か……? ろくに寝ていない、目が痛い、身体の各所も痛む、日光が眩しい、黒い影が踊っている、足元がふらつく……。
「馬鹿なことを」黒エリがため息をつく「そんな状態で修行になるものか」
「……実際に、伍長の気配を辿れる彼女が言うんだぞ……間違いない……」
うおっ! 背中をどつかれた……! これまた重い、な……! ちくしょう、痛え……。
……伍長が悪い訳じゃあないってのは分かっている……が、こう何度も繰り返されては……マジで苛々してくるぜ……!
「進捗は悪いのだろう? もっと別の方法で……」
「ああ? そんなものはねぇよ……」
「……だからといって、眠らずに攻撃を受け続けるなど、おかしなやり方だとは思わんのか?」
「他に方法はねぇんだ……」
「しかし、睡眠不足はいかん。この六日でどのくらい眠ったのだ?」
「知らん……」
「このままだと……」
「うるせぇなっ!」俺はテーブルをぶっ叩く!「口ではなんとでも言えるんだよっ……!」
黒エリは目を丸くする……。ああくそ、ついにやっちまったか……!
「……それこそ睡眠不足の弊害だ。奴らは一睡すら許さんのか?」
「そういう修行なんだよ……!」
……って、肩を蹴られた、俺は床に転がる……! くそっ、未だにまったく気配が掴めん! 黒エリは周囲を見回し、
「ソ・ニュー……! こんな修行方法、まともではなかろう! 本当に効果などあるのかっ?」
返事なんかねぇさ……! その必要もねぇ……!
「……とにかく口を出すな、こいつを乗り越えれば力が手に入るんだ……!」
「しかし、睡眠不足はお前が思っている以上に……」
……いい加減、しつこいぜ! 俺は部屋から出て行く、ここまできて止められるかってんだ……!
◆
……ああ、今日で何日目だ? 九日、十日……?
……やばいな、視界の端で黒い影が踊っている……もうずっと、消えない……。
だがあれは本当に幻覚なのか……? これまで見えなかったものが見え始めたからでは……って頬を叩かれた……!
「この野郎っ……!」
思わず拳を振り回してしまう……! ああくそっ……! 未だに全く気配が読めねぇ……!
ちくしょう、ちくしょう、そんなことあるものか、近くにいるんだ、気配くらい掴めるに違いねぇんだ……!
……ああ、黒い影が踊っている、それとも燃えているのか……? わからん、視界が傾いている、体が痛え……。
「だ、大丈夫ですか……?」
触れられた! 反射的に振り払い、拳を握った……が、眼前にいるのはエリ……? 驚いた顔をしている……。
「……エ、エリかよ、ニューかと思ったぜ……」
エリが傾いている、その背後で影が踊っている……。
「……レクさん、鏡をご覧になりましたか? くまもそうですが、怪我も……。やはり、治療をした方が……」
「いらんと何度も言ってるだろ……。もっと追い込むんだよ……」
「で、ですが……せめて睡眠だけでも……」
「寝させてくれねぇんだ、仕方ねぇーだろうがっ!」
エリは仰け反る、ああくそっ! つい吠えちまった……! ちくしょう、苛ついて堪らんぜっ……!
俺は努めて、努めて冷静に、落ち着いて彼女に話し掛ける……。
「……済まない、こんな状態だ、どうか構わないでくれ……。こいつは戦いなんだ……」
「戦い……?」
「ここまでやってるんだ、俺は勝つ……!」
「……この修行方法は、明らかに普通ではありません。いつまで続けるのですか……?」
「……力を得るまで」
「ですが……」
ああ……! 俺だってすぐに止めたいよ、でもここで止めたら何にもならねぇだろうがっ……! その辺、散々説明したろうがよ、なんで分からねぇーんだ、マジでイラつくぜっ……!
影が、踊り狂っている……! 奴らは、武器を持っている……!
ヤバい、何かがヤバい……!
だめだ、落ち着け、落ち着くんだ……。
「……エリ、俺に構うな。みんなにもそう言っておいてくれ……」
「ですが……」
「頼む……」
俺は急いでその場を去ろうとするが、床が左右に傾いてまともに歩けん……。
重い、体が重い……。影が俺に後ろ指をさし、笑っている……。
◆
……あれから何日、どうでもいい、何日だ……。
二度目の問い掛けも否と、それは間違いだ、間違いだが間違いではない、やり遂げなければ、影に笑われる……。
「厳しい、やり方であるな」
……何だ? ワルド、ワルドなのか? 姿が、崩れているぞ……?
「しかし、体現者たる彼女がいては、やり方に文句も付けられまい」
そうそう、さっすがのワルド? 話がわかる……。
そうそうさ、男には、やらねばやらねばならん時があるもんだ、そうだろう、もちろん!
うっお、腹に一撃が入った俺は崩れ落ちる……?
「ソ・ニュー貴様っ! これほど痛め付けた上にまだ続けるのかっ! これは実質的に拷問だっ……!」
何だこいつは? ああ、また黒エリの奴だなぁ……!
「レク、レク? こっちを見ろ、レクッ!」
気を付けろ、影が周囲を囲っている、でかくなってるぞ……。
「一日にどれくらい眠れているのだっ? その瞳、普通ではないぞ……!」
ああ、お前の声はガンガン響く……! うるさい、うるさい……! いま立ち上がるってのよ……!
「喚くな……! お前は毎日毎日、うるせぇんだよっ……!」
「わ、私はっ……!」
「やると言ってるんだからいいでしょ」
今度は何だ金色の、髪? アー……ジェル、だっけ……?
いたのか久しぶりに見たかもなぁ……。
「彼の意思を尊重して支えようよ」
「支えるだとっ? ふらりと姿を消してばかりの貴様が言うことかっ!」
「少なくても、邪魔はしてないもん」
ああいいことを言う、そうだ、そう……。
邪魔は、邪魔だけはするな……!
影たちにぶち殺させられるぜ……!
「いい加減、俺に構うな……! こいつは戦いなんだ、俺は、俺はニューに勝つ……!」
やってやるさ、やって、やるのさ! もう少し、少しだ、かすかに気配を感じる気がするんだ……これまで感じなかった気配、気配……? たぶん気配!
「できるさやれる、俺にだって、やれるんだ……」
「正気ではない……」
黒エリは俺を心配している、それはわかる。
わかるがわかってない、影の恐ろしさを……。
◆
……ああ、どれだけ経った……?
頭が重い、遠くから重たい声が聞こえてくる、重たい、何もかもが重たい、日光が眩しい重たい、木漏れ日が重たい、気が付くと、地面に横たわっていた……。眼前の草の先に、てんとう虫がいる……。こいつもきっと重たいに違いない……。
そして明らかに遠くから、重たい声が聞こえてくる……。でもあれだ、重たいせいか意識がはっきりしている感じだぞ……。
「ふざけるなっ! 貴様ら、レクを殺す気かっ……!」
また黒エーリかぁ……。今日は重過ぎて相手をしていられんよ……。
「私に言われてもねぇ……」
これはユーの婆ちゃんだなぁ、腹が減ったんだけど、飯はまだかい……?
「最早、限界です……! 止めましょう……! どうか、止めて下さい……!」
そして白エーリもかぁ……。今日も重過ぎて相手をしていられんよ……。
「彼はやり遂げると言いましたわー! 蒐集者の予知に対抗できるのならば、彼にだって相応の力が眠っているはずです!」
テーテテテーちゃん、今日も元気だなぁ……。
そしてニューちゃんもいるんだなこれが……。
わかるんだぜぇ……? 後ろの方にいるってことはぼんやりわかるんだぜぇ……? わかっちゃってる気がしてるんだぜぇ……?
「あれは、拷問だ!」
そうそう、ゴーモンだよマジでマジマジ……またゴーモンで力を手に入れちゃいますってなもんだ……。
それにしても体がマジで超重てぇ……。ほとんど動かないし、実は立っているのも精一杯……! ……立っているよな?
「効果はありますわー! わたくしがその体現者です!」
つーことは、お前もこれやったんだよな……? すげぇよマジですげぇテーテテテーちゃん……。
「貴様、狂っている訳ではあるまいな!」
何がすごいって、ゴールも見えないままにやったってことだ……テーテテテーちゃん、マジで正気じゃねぇ……。
「ちょっとなぁにっ? テーちゃんに向かってなんてことを言うのっ!」
そうだそうだ……正気じゃないかもしれんが、狂人ではないだろう、ひどいぞ黒エーリ……。
「あのままでは人格が破壊され、最悪、死ぬぞ!」
死なねぇーよ、たぶんあと三日くらいはもつよ……。
「最低限の睡眠は取っているはずですわー!」
とってねぇーよ、とってねぇー……。
「ごく短い睡眠を幾度くり返しても、まともなそれとは言いません……!」
そりゃそうだ……当たり前のこったなぁ……。
「ニューもまた、不眠不休で頑張っているのです!」
そうだよなー、ニューちゃんもきっとふらふらだぜ……! つまりまだ同点さ……!
「なんだと? やはり、まともとは思えん……!」
ちょっと待て待て……今そっちに行くから……。
ああ、足が動かん、ナメクジ並みに進まねぇ……。
「う、うるさい、ぜ……」
「レク……」
黒エリが……抱き付いてきた、珍しいこともあるもんだ……。
どうでもいいが……お前は胸がでかい……。
「やめろ、すぐにだ。このままでは運が良くても正気を失ってしまう」
なんだ、そんなことを心配してるのか……。
「ま、任せ、ろ……。問題、ない……。最近、怒気が、減ってきたんだ……こいつは、いい、兆候だ……」
「ば、馬鹿なことを……!」
「そうですわー」
テーテテテーちゃんが……黒エーリを引き離す……。
「続けるという意思を尊重するのです!」
「きっ、貴様っ……!」
「短期間で極限まで効率よく修行を行うのです。正気くらいなんでしょう!」
「離せっ……狂人がっ……!」
「さあ、レク様、最後の問い掛けです! ここで止めにしますかっ? それとも最後まで、力を手にするまで続けますかっ……?」
なんだとぉ……? この後に及んで……そんな質問をこの俺にしちまうのかぁ……?
「駄目ですレクさん! もう終わりにして下さいっ!」
「半端に終わらせてこれまでの努力を無としますかっ?」
「離せっ!」
黒エリが……お嬢さまを投げ飛ばした……んが、黒エリが……吹っ飛ばされちゃった……。
止めとけ黒エーリ、今なら超わかる……テーテテテーちゃんはマジで超強いよ……。
「邪魔はさせませんっ! さあ、レク様、如何ですっ!」
如何ってお前……。
答えるのも面倒だ……っていうか、むしろ傷付いちゃうぜぇ……?
「テーテテテー……ちゃん……そりゃないぜ……。当然……やりまくり……だよ?」
「流石ですわー! さあニュー、もう一踏ん張りです!」
「きっ……貴様ぁ……!」
黒エーリがのしのし歩いてくる……。
歪んでいてよく分からないが……きっと臨戦態勢だなぁ……。
「邪魔はさせませんわよー!」
「本気ですかっ? 止めて下さい!」
「あなたもやりますか!」
やめとけやめとけ、今ならほんと、超わかっちゃうんだな、テーテテテーちゃん、シャレにならんくらい強いよ……?
「や、やめとけぇ……? 間違いなく、敵わんよ……」
でも俺の声は……届いてない……。
鳥が飛ぶ、黒エリが……構えてる……。
「これはレク様とわたくしたちの約束事です! 邪魔者はすべて排除致しますわー!」
燃える、太陽が燃えている……。
近付く者は……。
◆
ええと、あれから一週間じゃない、一ヶ月、一年だろうか? いや一週間だな? 一ヶ月かも、いっそ一年にしとくか……?
なんだ、動かないね、体とか……。でも、変だなぁ、頭は意外と元気だぞ……? かえってスッキリしているくらいだ。
「……エリ?」
エリかと思ったけれどカーテンだった、窓辺が眩しい、ギラギラしていて眩しい、眩しい眼下にいるのはニューちゃんたちだ眩しい、三人いるが、俺のすぐ右手より感じる気配こそ本物だと思うし、足払いされて俺は倒れたからやはり正解か? いや、単に俺が転んだだけだな。というか蒐集者もいる。
「アアラドウシチャッタノォオオオオーメノショーテンガアッテナイワヨォオオオオオオオオー」
うわあ、何だその声、というかお前、本当に蒐集者か? もしかして本物のエジーネじゃないのか……って、なんで服を脱ごうとするんだ! お前、お前……前から思っていたが、マジでおかしいんじゃないのか?
「アイシテイルワァアアアアアアアアアー」
ああ眩しい……! とても目を開けていられん、ドアが笑う、暖炉が泣いている、影が踊っている、こいつ、こいつらは……ただの幻覚ではない……? 敵か? 敵なのか?
「くっ、黒エリ、電撃をくれ!」
バカモノォオオオオオーと遠くの森より雄叫びが聞こえ、黒エリかと思ったが狼かもしれない。
「電撃だ、強いやつをくれっ!」
ふと、毛布に包まれるような心地よい感触……もう眩しくない、夜がきたのか? いや、ここは宇宙か、それなら鳥がたくさん飛んでいるのも納得かな。
だが、今はとにかく戦わなくては! あの影たち、敵は一体どこに? だが遠くから、イナイッイナイッ……イナイッ……イナイッ……と反響、残響が聞こえてくる……? ああ、ここはあの砦か、そうだ、隠れなくては! 隠れるならあそこがいい、俺の秘密の場所だ、物置の天井が開いて、そこが俺の、本当の部屋だった。
……誰も知らない、俺の居場所。でも俺だけの場所ではない。あいつもよく来るからな……ああ、今日もやってきた。
「よお、また会ったな」
黒い、黒猫、音も立てずに歩いている。
満月のような眼、孤高の瞳、見下す訳でも、媚びる訳でもなく、俺の側を通り過ぎるだけ。
俺たちは友人ではない、仲間でもない、ただの、
「隣人だよ」
黒い、黒い霧、その中に男が立っている。
泰然たる眼、孤高の瞳、見ている訳でも、見ない訳でもなく、遠くも近くもない場所に立っているだけ。
俺たちは友人ではない、仲間でもない、ただの、
「宿縁ですね」
黒い、黒い聖女、音も立てずに歩いている。
満月のような眼、黄金の瞳、見下す訳でも、媚びる訳でもなく、遠くも近くもない場所から俺を見守っているだけ。
俺たちは友人ではない、恋人でもない、ただの、
「男女よ」
黒い、黒いドレスの女、どこまでも追ってくる。
新月のような眼、孤独な瞳、見下しながらも媚びた視線、俺の背後より近付いてくる。
俺たちは家族ではない、恋人でもない、ただの、
「迷い子です」
白い、白い鳥が飛んでいる、その環の下に女が立っている。
憂いた眼、黄金の瞳、じっと彼方を見詰めていた視線が俺の方を向いた。
俺たち、俺たちは、
「半身だよ」
黒い、黒い鳥が飛んでいる、その環の下で骸骨が朽ちている。
奈落の穴、孤独な瞳、じっと虚空を見詰めていた視線が俺の方を向いた。
俺たちは友人ではない、他人でもない、ただの……。
「自分だ」
◆
……気が付くと、切り株に座っていた。
……眼前には彩色豊かな花畑が広がっている。
夢を見ていたような……今も見ているような……。
それにしても、自分、か……。
そうだな、あまり考えたことがなかったな。
……自分とはいったい何だろう?
「自分とは、最も近しい他人のことさ」
おっと、隣に青年が立っていた? いつの間に……。
長い黒髪、陰鬱そうだが優しい瞳の青年……。
見ない顔だが、この気配には覚えがあるような……?
「……最も近しい他人? 本当かよ、じゃあ他人とは?」
「もちろん、最も遠い自分のことだよ」
「両者は、はっきりと区別できるものではないって?」
「だからこそ、我執に囚われる必要もない」
「……そうかなぁ? この自分に拘るって、大切だろ?」
「そうかな。それは表層の問題でしかないとわたしは考えている。すべては永遠なる無垢に帰結するのだから」
「無垢……?」
青年は俺を見やる。
「外からやってくるものと、内から湧き上がるそれは本質的に同一ではないだろうか。すべては到来し、そして去ってゆくのみなのだから」
そして青年はふっと笑み、
「……だが、この無垢においてもまた、到来に過ぎない。あれと語り合えるものではないのだ」
「……どうかな、なんとなくだが、わかる気がするよ」
「そうかな。あれを見てごらん」
青年が指差した先が、燃えている……。
その中には数多の人々の、阿鼻叫喚……。
「おっ、何だっ……? は、早く助けなくては……!」
「向こうを見てごらん」
その先には、幸せそうに笑っている人々が……。
それに嘆き悲しんでいる人々、ぽつねんと立ち尽くす人々……。そんな集団が幾つもあり、まだらとなって存在している……。
気が付けば、花畑などどこにもなかった。あるのは、人々の様々な有り様……。
「すべて到来に過ぎない。多幸、薄幸、残酷、虚無……。ありとあらゆる事象は、色彩のひとつに過ぎない……」
「そんな、そんなの、受け入れられない!」
「そう、特に残酷は受け入れ難い。わたしも努力をしているが、まだ、だめだ」
「なに? まさか、お前は……!」
「わたしのことは、今はいい。それより、見付けてあげるべき人がいるのではないかい」
見付けてあげるべき……。
そうだ、俺は、彼女を見付けなくてはならない……!
「こ、ここのどこかにいるのかっ?」
「ああ」
俺は走る、彼女の居場所はどこだ?
……どこに? どこにいる?
……いや、焦るな、大丈夫だ、きっと探せる、今こそ気配を辿っていける……!
彼女は……彼女は……いたっ、わかるぞ! あそこの、残酷と虚無の間に立っている……!
「ニュー!」
近付くほどに全身が痛む……! そして重苦しく、息苦しい……! 駄目だ、こんなところにいては、なぜ彼女は動こうとしないんだっ……?
「おい、ニュー!」
ニューは俺に気付く、そして僅かに、微笑んだ……。
「さあ、さっさと行くぞ!」
俺は手を差し出す。しかし、彼女の手は動かない……。
「どうしたっ? 行くぞっ?」
「どこへ?」
……どこへ? それはもちろん……。
「ここよりはマシなところだっ……!」
「ここよりも?」
ニューは首を傾げる……。わからないのか? ここは長く居てはいけないところだぞ……!
「いいから来いっ……!」
俺は彼女を手を掴む……! 確かな感触、温もり……。
「よし、行くぞっ!」
しかしニューの足取りは重い……。
「本当に、ここよりもいいところなの?」
「もちろん、向こうの、みんなが笑っている場所だよ、きっといいところに決まっているさ!」
俺は彼女の手を強く引き、歩き出す。
しかし、今度は俺の足が思うように動かない……。
そうか、疲弊し切っていたんだ……。
ああ、眠い……眠くなってきた……。ニュー、君だってすごく眠いだろう……。
でも、もう少し歩こう、多幸の近くまで……。
「……他の方は?」
それは優しいニューにとって当然の問い掛けだった。
しかし、今の俺には、首を横に振るしかない……。
「すぐには……まだ、難しいんだ。でも、きっと、これから」
そして俺たちは人々の間を縫っていくが……その途中で、崩れ落ちるように眠りについた……。