月と太陽
俺は隣の部屋に移り、次はエリの番のようだ。
……エリは聡明だが、思い込みが強かったりするきらいもあるからな、占いの内容次第とはいえ、過度に落ち込んだりしなければいいが……。ワルドは紅茶のカップを置き、
「どのような話をしたのかね?」
「ああ、占いをしてもらったよ」
「むう、占いとな」
黒エリは俺を見やり「それで、どうだった?」
「……当たっている、とは思えるな。少なくとも俺の過去については……」
「ほおお……?」
何だか反応がいいな。黒エリは占いが好きなのか?
「それはともかく」俺はソファに座る「この状況だけれど、人から話を聞けば聞くほど……不可解に思えてくるな」
「ヨクワカラン」
「そうそう、よく分からなくなってくる。皆、言っていることが違うんだよ」
「当然だろう?」黒エリは腕組みをする「誰しもが同一の世界観を持っている訳もないし、事象の解釈は様々だ。知識の正誤もあるだろうしな、統一された見解などあるはずもない」
「まあ、そうなんだが……翻弄されるがままに動くのも危ういと思ってね」
「今更か」黒エリはため息を吐く「私はずっと忠告をしてきたぞ」
「……そもそもシンの意思からしておかしいんだよな。魔女やグゥーはシンを目覚めさせる要因としてそれを定義していた。そしてそれが可能というニュアンスをも含んでいた」
「しかし」黒エリだ「放送局の男は、それを不可能と軽んじていたな」
「しかし、アテマタはこう言っていた。シンはあくまで人類の総意でのみ目覚めると……。それにアイテールを除去するとか、妙な懸念もしていたな」
「シンと」おっと伍長だ「コンタクトを取るための装置なのでは?」
「……コンタクトを? なぜ、そう思うんだい?」
「どの意見にも正しい要素があると仮定した上での、矛盾の少ない仮説です」
「同一の事象を異なる観点で見ているだけだと?」
「あくまで仮説ですが」伍長は頷く「シンとのコンタクトは発狂を招くという話をご存知ですか?」
「ああ、さっき御婦人から聞いたよ」
「ですが、接近ないし会話をした程度で発狂など、そうそうあり得るとは思えません。もっとそう、直接的な影響を受けたのではないでしょうか?」
「ああ……もしかして、アイテール伝播とか?」
「その通りです。強烈な伝播を浴びて精神が崩壊したと考えた方がよほどあり得ると思うのです」
「うむ、道理に適うやもしれんな」ワルドだ「精神操作魔術の原理は不明とされてきたが、アイテール伝播なる事象が確かに実在するのならば、あるいはそれが理由なのかもしれんと考えておったよ」
「ゆえに、シンとまともに会話をするには、まずアイテール伝播を阻害ないし調整する装置が必要になると思うのです」
ああ……これは慧眼じゃないか!
「つまり、シンの意思を確かめる為の装置だと言うのか……!」
「あくまで仮説ですが」
「いや、確かにシンの意思って名称はおかしいんだよ、意思が物体として存在するのも奇妙な話だしな!」
伍長は頷き、
「シンが人類の総意によって目覚めるとしたら、それはアイテール伝播を使ってのことでしょう。それはつまり、とてつもない情報量の伝播を受信しているということであり、同時に発信する能力もまた極めて高いという推察も出来ます」
「ああ、伝播で大量の情報を叩き込まれて狂死するってな!」
「はい。それを抑制か調整か、ともかく人類にも理解できる情報量に単純化する装置がシンの意思なのではないでしょうか」
「そして意思の疎通が出来れば……目覚めることもあるって?」
「しかし」黒エリだ「アテマタ曰く、シンは総意でのみ動くのだろう?」
「矛盾するような表現ですが、総意で動いているのが現状なのではないでしょうか?」
既に総意で動いている……?
「もしかして……大量の異なる意思を受信しているからこそ、シンは動かない……?」
「その通りです。ですが……」
「受信を単純化されてしまうと、それを総意と勘違いしてしまう……!」
伍長は頷く……。
「馬鹿な、判別の付かん子供でもあるまいし」黒エリだ「ほいほい言うことを聞くものか」
……いや、絶対にない、とは言い切れない。デヌメクは言っていた、宇宙の孤独はどのような賢者をも子供にしてしまうと……。
「……シンが大人とは、正気とは限らない。よしんばそうでも、気まぐれで願いを聞き届けないとも限らない……」
「……ふん、まあ、そういった懸念はあるがな」黒エリは唸る「ともかく、シンの意思にはアイテール伝播を制御する機能があると推察しているのだな? それで発狂することなくシンと接することが可能だと」
「ああ……」
「それをアテマタは過大に評価し、除去にまで発展するのではないかと思い至り、懸念を大きくしていると」
「ああ、事実はともかく、少なくとも案じてはいたな」
「なるほど」ワルドだ「つまり、クルセリアがシンの力を狙っておる可能性も高まった訳であるな」
「シンの意思は三つあるらしい。後はそれらを集めることが出来る可能性だが……」
「低いと高を括っておった放送局の男は魔術師でも冒険者でもあるまい」
「信用に足りないって?」
「うむ。凄腕の魔術師の力はよく想像を絶するものだ」
まあ、あくまで放送局の人間だからな……。
「それにしても」俺は伍長を見やる「君はすごいな」
「何度も言いますが、あくまで仮説ですよ。それに、前提としてユーさまの知識があってのことです」
確かに、老婦人の知識はとても広く深そうだ。その言動も無視するには難しい。
「ですが、身内というバイアスを考慮しても、ユーさまが仰っていることがより正確だと思っています」
「……俺もそう思う。あの御婦人の話には一貫性があるからな。超低密構造体による大規模紛争の話も懸念せざるを得ないよ」
黒エリは唸り「……何の話だ?」
俺は超低密構造体が起こす可能性の話をする……。
「……なるほど。面白くない解釈だが、想定しておいた方がいいかもしれんな……」
「どのみち、抗いようなどありません」伍長だ「シンがやってきて、この星の秩序は変わってしまったのですから……」
「シンとは一体……? 宇宙からやってきたそうだが……何というのか、他の惑星にシンのような人種がいるのか……?」
「シンには四肢があり、頭があります。そしておそらく顔も」伍長は俺を見やる「となれば、我々とそう遠くない存在ではあると思います」
「遠くない……」
黒エリは鼻を鳴らし「ふん、かといって親近感はまるで覚えんがな。我々を利用しているのだろうし」
「ええ、その可能性はあります。私たちは使い捨ての部品かもしれない。ですが、もしかしたら、その機械は私たちのために動いているかもしれない……」
俺たちのために……? どうかな、楽観視はしたくない。
「……それに、私たちが、この力が部品ならば、罪を一人で背負わなくともいい……。いいや、罪とはそもそも、単一にしてこれを成さない……。たった独りでのみ背負うべき罪など存在しないのだから……」
罪を……?
ああ、すべては機械の思し召しってなあ……。個人的には、あまり好ましい考え方とは思えないかな……。
だが、罪がすべて、ある個人に帰結する訳ではないってところは……同意できるかもしれない。
「……まあ、そうだな、罪を犯した者を捕え、罰しようとする者が、その罪とまるで無関係であってはならない……」
「その通りです」伍長は俺を見やる「罪という穢れを担わずに罰することは出来ないのです。罪人は投獄され、労役に就かされ、あるいは極刑に処されます。それらは罰という名の下に容認されることですが、同時に受刑者の悲痛でもあります」
「馬鹿な」黒エリだ「では心地よい環境を与えろとでも言うのか」
「いいえ、受刑者の境遇に文句を付けたいのではありません。私が言いたいのは、それが悲痛であるほどに、穢れを担う真心が必要だということなのです」
伍長は手を組んで祈りの形にする……。
「罪を……穢れを担う愛があってこそ、罰は神聖なる真の姿を現します。すべての罪人は、本来は……そのように……」
……言いたいことは分かる、分かる……。
分かるが……俺に、奴に対する感情に……神聖さなどあるのか……? 俺と黒エリは唸る……。
「オーラ・テー様がご到着しました」
おっと、いつの間にやら執事がいる。考え事をしていて、まるで気付かなかったな。伍長は執事を見やり、
「……通してあげて下さい」
ややして近付いてくる足音、そしてドアが勢い良く開いた!
「こんにちは!」
現れたのは……背の高いギマの女性、ウェーブのかかった茶色い髪は後ろと左右で縛られ、金色の模様で彩られた気品のある赤いジャケット姿に身を包んでいる。
「ニュー! お久しぶりですわねー!」
そして伍長に抱き付く! 背が高いだけでなく、ガタイも良さそうだな。でもどこか気品があるし、可愛らしくもあり、総じてお嬢様みたいな雰囲気だ。伍長は抱き締められながら、
「テー、皆様にご挨拶を」
「あら、これはしたり!」
オーラ・テーは伍長から離れ、俺たちを見回す。
「わたくしはオーラ・テーと申します! 今後ともよしなにお願い申し上げますわー!」
すごく明るい子だなぁ。物静かな伍長とは正反対の雰囲気だ。容姿はけっこう色っぽい雰囲気なのに、動きが少年みたいだ。俺たちも自己紹介をする。
「よろしく……お嬢さま」
「まあ! よろしくお願い致しますわぁー!」
「それで」伍長だ「シスターズの件だが……」
「敵はみんなぶっ飛ばしますわー!」
うおおお、お嬢さまの気配が増大する!
いや、本当にすごい気配だ! 敵意とか悪意はまるでないが、太陽のように眩しい感じがする! でかさだけならこれまで会った人々の中でも随一だ……!
伍長にせよ彼女にせよホーさんの身内だけあるな、とんでもない実力者ばかりだ。
「ニアー!」
そしてなぜかアリャが呼応し、飛び跳ねる! 気質は合いそうだがな!
「ところでお腹が空きました! ユーさま!」
ドア越しより「勝手に食べてぇー」と老婦人の声……。
「そうします! 皆様もいかがですかっ?」
「ニエッ!」
アリャのみが手を上げる。
「そろそろ夕飯時だ」伍長は唸る「食事の前に食べ過ぎてはならないぞ」
「わかっていますわー! では、行きましょうか!」
「イク!」
二人はすごい勢いで部屋から出て行った……というか、本当に身内なんだなぁ……。老婦人とのやりとりがまるで祖母と孫みたいだ。
「……あのように騒がしいですが、大目に見てあげて下さい」
「いやあ、明るくていい子じゃないか」
「それはもう」伍長は頷く「ですが、それゆえに戦いの場に駆り出すことには心苦しさを覚えますね……。しかし、ホー様をお守りするには彼女の力は絶対に必要なのです」
「やはり強いのかい?」
「強いですね。接近戦では無類の強さを誇ります」
「ほう……」
「ただ、性格上、殺傷を好みません。あくまで敵を打ち負かす戦力です」
なるほど、まあ、そんな感じはあるわな。俺だって可能ならば殺さずに制したいしな……。
「でも、それは伍長も同じなのでは?」
伍長は俺を見やり「私自身は……敵に対しては慈悲を持ちません。敵は可能な限り迅速に排除すべきと考えます」
まあ、それも正しいとは思うが……。
「ただ、けだものに堕ちることを恐れてはいます。だからあの時、彼女を取り逃がしてしまった。判別が付かなかったからです」
彼女? ああ、セラ・ルーのことだな。
「貴様は何やら教典だの社会だの、いろいろとこだわっていたな」黒エリだ「そのような指標がなければ善悪が分からんのか?」
おいおい、また突っ掛かりやがって……。
「自然の掟に従うことは簡単です。敵性があり、今後の障害となり得るような存在は即座に排除する。そういった意味においてはあの場で仕留めるべきでした。ですが、それは人間社会において正当とは限りません」
「あの場で殺すことは、社会的に良くなかったって?」
「はい。彼女はコマンドメンツと指定されていますが、ギマの社会においては犯罪人として罪状が確定していません。あくまで参考人程度です」
「奴らはあくまで外界で暴れているだけだと」
「そうです」
「外界ならばあの女は死んでいたのか?」
「はい」
伍長の端的な一言には相応に凄みがあるな……。
しかし、その行動原理は黒エリがいちゃもんを付けるほど問題がありそうでもない……いや、逆に一貫性があり過ぎて融通が利かない面もある、か……? エリが懸念していたのはこのことかな……。
まあ、それはそれで仕方がないだろう。敵になるとかより余程マシな話だ。
「そういえば、あのお嬢さまは君を見付けられるんだって?」
「はい。近距離であるならば発見されることでしょう」
「敵同士じゃなくてよかったなぁ」
「そもそもテーは親友であり、家族です。敵対する立場になろうとも、殺し合いなど出来ません」
そうか、当然だな……。
「ですが、これは感情の問題に過ぎません。感情は曖昧なものです。人道にも、けだものの道にも続いている……」
「ふん、所詮、人などけだものの延長だろう。理性と感情は常に揺れ動き、いい加減な考えでいくらでも殺してきたのが人類だ。そこまで人とやらに拘泥する意義などあるのか?」
おーいおい、余計なことを言うなよ、さっきからさぁ……!
「人である意義……」
ああ、伍長が考え込んでしまった……。この黒エリ、味方を煙に巻いてどうするんだよ……!
「そ、それはあれだ、もちろん神における人としてあれだ、立派にね……」
「お前は敬虔ではないだろう」
「うるさいなぁ! いいだろ別に!」
「神と人は不可分です。その点においては我々は間違いなく人でしょう。しかし、社会における人となると、意味がまた違ってくるのです……」
なるほど、まあ、そういうものなのかもしれないな……と、そこでエリが戻ってきた。
……しかし、何だか……心持ち表情が暗い、な……。
「ど、どうだった……?」
エリは俺を見やり、
「ええ、まあ、ほどほどでした……」
ほどほど、ね……。
「次は私が行こう」
そして黒エリは意気揚々と隣の部屋へ……。エリは静かにソファへと落ち着いた。
「……それで、修行は出来そうかい?」
「はい、いろいろと助言を頂けそうです」
「それはなにより」
「ですが……」
そこまで言って、エリは黙してしまう。後に続くのは占いのことか、それともセイントバード絡みの話か……。
……どちらにしても、いい話ではないだろうな。エリの目的は険しく、そしてセイントバードもまた、便利なだけの魔術とも思えない……。
「帰還しましたわー!」
「ニエー!」
うおっと、勢いよくドアが開いて二人が戻ってきた。
「着陸しますわー!」
「ニアー!」
本当に元気がいいなぁ……! 二人は揃ってソファに座った……と思ったら、
「あら!」
お嬢さまがエリに急接近!
「はじめまして! オーラ・テーですわー!」
エリは仰け反り「は、初めまして……」
「鳥!」
「と、鳥……?」
「鳥がいっぱい見えますわー!」
おっと、エリの能力を言い当てたな。
「そうそう、よく分かったなぁ!」
「漠然としてですが!」
「それは気配を探知する延長線にある力なのかい?」
「おそらくは! 伝播に過敏な方ならば大なり小なり持っている力だと思いますわー!」
なるほど……。じゃあ、俺にも出来るか? 戦いにおいて敵の戦力がまるで未知ってのは極めて怖いことだからな……。
「そして、予知も出来ると?」
「ほぼ直前のことのみですが、戦いには便利ですわー!」
「それは修行をして身に付けた力なのかい?」
「いいえ……?」テーはふと思い耽る「確かに、鍛錬をしていた時に身に付けた能力ですが、予知の鍛錬そのものはしていませんわねー」
ほう……?
「それに万能ではありませんわ、予知はニューには通じないのです!」
……なに?
こっ……これはまさか……。
「私たちは……お互いに天敵なんだよ」
ぼそりと伍長が呟いた……。
「天敵だって?」
「……超低密構造体と関連する話かと思いますが、強力な力であるほど、それを無効化する存在があるものなのです。その中でも予知はとりわけ強いもので、効かない対象がいてもなんら不思議は……いいえ、むしろ引き寄せられているのかも……」
「運命ですわねー!」
運命か……。
あるいは機械仕掛けの、な……。
「なるほど、ところで俺は君たちと特性が似ているらしい。それで、修行を手伝って欲しいんだけれど……」
「我々の都合に巻き込むのです。お手伝いくらい、当然致します」
「はい! やりますわよー!」
よかった、二人とも快諾してくれた。後は俺次第、か……。
それから少しして黒エリが戻ってくるが、やはり難しい顔をしているな。そして次はアリャが隣の部屋へ……。
「占い、どうだった?」
「……うん? うん……さして意外ではなかった、かな……」
……そうか? その割にどこか落ち込んでいるような……。
まあ、あまり深く聞くことでもないか。俺も聞かれたくないしな……。
その後アリャが笑顔で戻ってきて、次はワルド、そしてアージェルと続くが、どうにもいい内容だったのはアリャだけのようだな……。いや、ということは無事にクラタムを連れ帰ることが出来るのか……? だとしたらいい話ではあるが……。
そして老婦人が部屋から現れ、よっこいせとソファに座り、凝ったであろう肩をお嬢さまが揉み始める。
「ああー、そこそこ」老婦人は軽く伸びをする「……さて、そろそろ夕食の時間ねぇ」
それから少しして執事たちが現れ、俺たちは夕食をご馳走になることとなる。
別室に移ると円形の大きな机が、そして各々、食器がセッティングされている。これはコース料理だな。俺たちは静かに着席し……執事が料理の乗ったカートを押して部屋に入ってきた。そして料理の皿を各々の前に並べていく。
「前菜は小松菜とサーモンのクリームソテーで御座います」
執事はそう言い残し、部屋を後にする。なるほど上品そうに盛られているな。
ふと隣を見やると、アリャが横に並んでいるナイフとフォークを見て首を傾げていた。なぜこんなにいっぱいあるのかよく分からないって感じだな。
「これは時間をおいて順番に料理が運ばれてくる食事の仕方なんだ。食器は外側から使うんだよ」
「ホウ……?」
説明を聞いても訝しげだな……。なんでわざわざそんなことをするのかって顔をしている。そしてエリもきょろきょろしているな……。やはり、なぜこんなに食器があるのかよく分からないって感じだ。隣の黒エリが小声で説明をしている。
そして老婦人が軽い挨拶をし、その後ひとしきり祈ってから食事が始まった。さて味は……。
……やはり、美味いな。バターで炒めた小松菜とサーモン、そしてクリームソースの相性は抜群だ。何らかの柑橘系や香辛料の香りもするな。見た目に違わず上品な仕上がりと言えるだろう……。
「ウメー!」
アリャはさっさと食べ切ってしまい、次の料理を待つ姿勢となった。ナイフは一切、使わなかったみたいだな……。
「ツギノヤツ、ハヤクホシイ」
というかお前、さっきお嬢さまと一緒に何か食べてきたんだろう……? まあ、成長期だろうしいくら食っても足りないのかもしれないが……。
そして皆が食べ終わった頃、次の料理がやってきた。黄色いスープだ、香りからしてコーンのスープだな。
「コーンスープです」
スプーンですくい、口に含む。なるほど、これまた味わい深い……と、アリャがいろんな音を出しつつスープを啜っているな……。あんまり煩くは言いたくないが、一応、マナーを教えておくか。
「おいアリャ、もっと静かに口に含みなさい」
「ムゥー?」アリャはまたも怪訝な顔をする「オトグライ、イイダロー?」
「こういうスタイルではもっと優雅に食べなきゃな。マナーってやつだよ」
「マナー……?」アリャは唸る「ナンデ、ソンナコトスル?」
……なんで? 改めて聞かれると困るなぁ……!
しかし、よく分からんではあまりに説得力がないし……。
「そ、そうだなぁ……例えば、食事中に……排泄物の話はしないだろ……?」
「ハイセツ……?」
「排泄ってその……ウ、ウンチとか……」
「ウンチィ? ウンチノハナシ、シナイナー」
「そ、そうだろう? そんな話をしていたら周囲が気分悪くなるからな」
「ナルナー」
うっ……! 黒エリがこっちを睨んでいる……!
そ、そうだよな、他ならぬ俺自身がウンチの話を始めた訳で……!
「な、なので……そういう話をしないのは、周囲を気遣ってのことで、尊いことだよな……?」
「ウン」
「だったら、あんまり物音を立てちゃいけないってことも理解できるよな?」
「ムゥー? チョットグライ、イイダロー」
ぬう、そこは納得できないか……? ううん、これは俺が悪いか、排泄物の話はちょっと極端過ぎただろうしな……。
「……まあ、なるべく抑えろって話さ、なるべくね」
「フーン、ヨクワカランナー」
「お、俺もよく分からなくなってきた……」
そして白身魚の料理や羊の肉料理と料理は何品も続き、締めに紅茶が出てきた。これ、外の世界じゃ相当に高価な食事だったろうな。
「さて」老婦人だ「お使いや修行は明日から、今日のところは皆ゆっくり休んでね。私もそろそろ寝室へゆきます。寝る前に本をのんびり読むのが至福なの」
そしてお休みの挨拶をして、老婦人は姿を消した。執事は俺たちを見やり、
「さて皆様、しばしおくつろぎを……。ご入浴をご希望の際はいつでも申し付け下さい」
また風呂か……。冒険者としては信じられんほど頻繁に入っている気がするな……。
そして俺たちはリビングでのんびりしつつ、順番に浴場へと向かう。浴場は高価そうな白い石が敷き詰められており、絵画の額縁のような枠に彩られた鏡が壁に掛けられている。浴槽も五人くらいなら同時に入れそうなほど広い。カタヴァンクラーといい老婦人といい、なんとまあ優雅な暮らしをしているものだ。ここは獣の襲来とかないのかね……?
風呂から上がると、脱衣所に寝巻きが置かれていた。これまた周到なことだなぁ……。一瞬だが、俺は単なる旅行をしているだけなんじゃないかと錯覚しそうになるぜ……。
そして寝室は個室らしい。ベッドの側に窓が一つ、小さな机の上には風景画が飾られている。花瓶があるが、花は造花のようだ。
特にやることもないのでベッドの上でくつろいでいると、ふと、窓を叩くような音が……?
起き上がって窓辺に近付くが、何もいない……。開けるのは……万一のこともあるし、止めておこうか……。
そしてまたベッドの上でのんびりして……ウトウトしていると、また、コンコンと窓が叩かれた……!
何だよ? うるさいな、風に乗って木の実でも飛んできているのかもしれないが、あるいは何者かが顔を出せと誘っているのかもしれん、無視だ無視……!
……それから少ししてまた睡魔がやってくる。もうこのまま寝ちまおう……とウトウトし始めた時、またも! コンコンと窓を叩く音がっ……!
くそっ、マジで何だよ? 俺は勢い余って窓を開く!
窓は思ったより重く、分厚い。なるほど、半端な獣じゃ打ち破れないかもしれないな。そして外は暗い、真っ暗だ。夜風と森の静寂が入り込んでくる……。
……気配はないよな? 少なくとも近くには感じない……と思った瞬間、上から何かが現れたっ!
「うおおっ?」
思わず飛び退く、逆さまの女、冷たい微笑み……!
「お前、蒐集者っ……!」
「スカーレットよ」
なんでこいつ、逆さまなんだ?
ああそうか、蜘蛛の糸でぶら下がっているとかそんなところだろう……!
しかし、気配がなかった、こいつも気配断ちが……出来てもおかしくはないか、魔女だってやっていたしな……。
「ここで修行をするんですって?」
「ああ……? ああ、そうさ……!」
「まあ、彼女らでも悪くはないと思うけれど、修行ならば私と一緒にした方がずっと伸びるわよ」
「なにぃ……?」
「なぜなら私たちは半身同士なのだから」
……またその話か。気に入らんな……。
「……何を企んでいる?」
「あなたに死んでもらいたくないだけよ」
「なにぃ? 天敵には死んでもらった方がいいだろう?」
「そうして転生して、また私の前に立つのでしょう? イタチごっこだわ」
「天敵同士、引き合うって話か」
「その通り。強大なる力ほど弱点も大きくなる。その点、あなたは私の弱点として都合がいい」
「……どういうことだよ?」
「ここへ来たということは、前世の話も聞いたのではないかしら?」
「……レクテリオラ・シュッダーレア」
「彼らは強かった。シュッダーレアの罠には苦しめられたし、彼のコードを得たレクテリオラにはとうとう敗北してしまった」
「そういった不完全性がお望みなんじゃないのか?」
「もちろんそうだけれど、あなたと戦うほどに、同時にわたしの力も強大になっていく。それは都合が悪いのよ」
「都合が……? どうしてだよ?」
「強大なる力ほどアイテールの束縛を強く受けるからよ。わたしの主はシンでもアイテールでもない」
「ほう……?」
「あなたとは、なんとか上手くやっていけると思っているの。互いに尊重し合いましょう」
「なにぃ? 今更、何を言ってやがる! 先に仕掛けてきたのはお前だろうが!」
「半身かどうか、確かめただけよ」
「駄目だ、お前は身勝手に人を殺し過ぎた、俺はお前を止めねばならない!」
「ヴァッジスカルは? 彼も倒すのでしょう? 今のままでは勝てないわよ」
ルドリックの野郎か……。
「……お前の知ったことではない!」
「いいえ、わたしにとっても問題だわ。次のあなたは説得できないかもしれない」
「今も出来ねぇよ! それにお前も決着を付けるって言っていたじゃねーか!」
「カーディナルが、でしょう?」蒐集者は首を傾ける「わたしはそう思っていないもの」
なんだとぉ……? この野郎、随分と調子がいいじゃねーか……!
だが待て、こいつは俺を鍛えるつもりらしい。ならば、その話に乗ってやってもいいんじゃないか……? ここで我を通して力を得る機会を逃し、それこそルドリックのクソ野郎にやられたりなんかしたら……これほど悔しいこともない……。
「……お前と組んだら、ルドリックの野郎や他の敵と……戦えるようになるのか?」
「なるわ」
蒐集者は妖しく微笑む……。
「……よし、よし……まあ、いいだろう。どうせ何か企んでいるんだろうが、今は蜘蛛の巣に掛かってやる。だが!」
俺は奴を指差す!
「その顔は止めろ!」
「嫌よ」
あっさり拒否してきやがった……。
「嫌って……じゃあ、お前とは組まん!」
「子供みたいなこと言わないの」蒐集者は笑う「では明日から修行に入りましょうね」
そう言って蒐集者は上方へ消えていく……!
「おいっ! 待てこら!」
窓辺から顔を出したその時、頬に手が添えられる……!
上を見やると、エジーネの顔……。
「憎いというなら、わたしだってあなたが憎いわ。でもね、これはアイテールの支配からくる憎悪かもしれないでしょう? 例えわたしが人殺しでも、あなたが嫌う顔をしていても、わたしたちはきっと愛し合えるわ。その可能性を捨てることは……」
「都合のいいことばかり言いやがって……!」
「強かなだけよ。そうあろうとすることは、どんな罪人にも赦されることだわ。そして……」
手が離れ、蒐集者は闇へと上っていく……。
「わたしが罪深いというなら、あなたが半分、背負って……」
「なにぃ? なんでそんな……」
その時、伍長の話が脳裏を過ぎり、否定の言葉が止まる……。
「わたしの罪が夜の闇より深いというなら、あなたが太陽となって夜明けを呼んで……」
「お前……」
蒐集者の姿が闇へと消え、声だけが聞こえてくる……。
「わたしが主に愛されないというなら、あなたが深く、深く愛されて……」
闇より声が……。
いや……もう何も、聞こえてこない……。