内なる世界の基軸
獣は悪の認知において人となり、ありとあらゆる社会を創造してきた。
しかし外界においては獣との差異もなく、かつての慣習を引き摺る亡者になり果てる。
ゆえに我々は神における人としてその本質を回帰させ、夜の森を歩まねばならないのだ。
ああ要たる主よ、どうか今日も人でいさせて下さいませ……。
◇
俺たちは見舞い品に妙な果物を携え、病室に向かう。グゥーは相変わらずベッドに横たわってはいるが……あまり苦しそうな雰囲気ではなく、何やら端末機を弄っている。ミィーの姿はない。
「さっきよりは顔色が良くなったな?」
グゥーは脇腹の機械をさすり、
「こいつの自動調整が済んだんだ。万全じゃあないが、かなり楽になったよ。というか、お前らこそ身なりが良くなったな?」
「ああ、お陰さんでな。スポンサーっていうのか? その関係で貰えたんだよ」
「はあ……? お前、それどこの筋だよ?」
「……どこだっけ?」
伍長は俺を見やり「モービランドです」
「おいばっか、ライバル会社じゃねーか……!」
「あれっ、そうなの?」
「くあー……やられたわ……!」
「どういうことだよ?」
「商売敵だよっ……!」
大声を出した弾みで傷が痛んだのか、グゥーはうめき声を上げた。
「おいおい、安静にしていろよ。変な果物を買ってきてやったぞ」
「やばい、パトロン怒るやつだこれ……」
「知らねーよっ、タダでくれるっていうんだし、断る理由もないだろうが」
「ああ、ああ、こっちのミスだよチクショウめ……!」
何だかよく分からんが、こいつにもしがらみがあるんだなぁ……。
「それより、また奴らだよ」
「奴ら?」
店であった事を話すと、グゥーは腕を組んで唸る。
「セラ・ルーは外界への侵攻と言っていた。それはあり得ることなのか?」
「いやあ、それは当然だろう。発展のため、より広大な土地を目指すことはあまりに必然じゃないか。ここだって安全で何でもあるが、やはり土地の狭さが切実な問題としてあるんだ。外は獣だらけだしな、街を広げるにしても警備をしながらじゃ、工事もろくに進まない。それに獣たちの生存圏を圧迫して生態系を破壊すると、巡り巡って強力な獣がここにやってくる可能性もある。この地じゃバランスが重要なんだよ」
「そう、なのか……」
「そんな状態だ、外界に出入り自由となれば、嬉々として外での開発を進め、そこで外界人と悶着でも起これば……すぐにでも戦争になるだろうさ」
ということは……シン・ガードはある意味において、外界を守っていることになる……?
「もちろん、外界人と上手くやって、共存発展する可能性もある。だがそれは楽観主義者の夢想に過ぎんだろうな。人類史はいつだって血塗れだ」
俺たちは唸る……。
「……ところで、遺物を外界へ持ち出すことが可能な場合もあると聞いた。この件については、お前こそよく知っているんじゃないのか……?」
グゥーは外界にも出かけているらしい。その際に、身一つで向かっているとは思い難い。何かあった時のために、武器などを所持していくはずだ。
「いいや、丸腰で出かけるのさ」
グゥーは肩を竦める。
「……そうか」
「……と、言うのが常だったんだがな、まあ特別に教えてやろう。実は極秘の方法があるんだよ。おおよそ一週間に一度、ボーダーラインを超えてもいい時間帯があるのさ」
「本当か!」
「しかし、決まった時間ではないんだ。どうにも奴らはアイテール伝播を応用した伝達手段で交信し合っているらしく、故意か偶然か、僅かな時間だけ奴らの伝播が停止するんだ」
「何だと? それをどうやって知ったんだ?」
「秘蔵の遺物より得たデータを解析したんだ。まあ、お前たちからすりゃ何だって遺物なんだろうが、これこそマジの遺物なんだぜ」
「……遺物にも段階があるって?」
「ああ、大別すると、ロード・シンが来る前までのもの、来た後でのものに分けられる。そして来た後から滅亡までの期間に開発されたものがスーパーレリックと呼ばれる超遺物だ」
「あの地下にあった遺物とかは……」
「あれは来る前の施設だな。そこにあるものもオールドレリックと呼ばれ強力だが、性能はスーパーレリックの方が遥かに上なんだ」
「魔導兵器……」
「そうだ。一応、分類上はお前に貸した光線銃もそうなんだぜ。アイテールに関した技術を前提に設計されているからな。しかし性能は……言わなくても分かるな」
「ああ……」
「オールドレリックは大方解析され、それが俺たちの社会の基盤技術となっているが……」
「しかしスーパーレリックは……」
「アイテールには謎が多い。当初はナノマシンだと思われていたが、一説によれば超低密構造体ってやつらしい」
「超……なんだって?」
「超、低密構造体だよ。お前から転生者の話を聞いた後な、知人の学者に聞いてみたんだよ。そうしたら、アイテールは反復構造を持つ……言わばでかい機械なんだと」
「機械……」
「ああ、そして俺たち……を含めたこの惑星までもだな、それに浸透しちまっているらしい。そしてその起点が……」
「ロード・シン……」
「そう。まあ、妙な話だが、俺たちは機械の隙間……というか、機械の部品に混ざって暮らしていると解釈できるんだってよ」
本当かよ……? しかし、この進んだ文明に生きる学者の一説だ、無下には出来まい……。
「その機械は……何の為に動いている?」
「わからん」
そういえば……ロード・シンは夢を見ているとか……。それに関係していたりは……しないか?
「だが、機械ってやつは構造が崩れたら機能しないものだろう? そんなスカスカで大丈夫なのか?」
「そうそう、そこが肝でな、そのために機械が上手く機能していないとか、自己修復機能が働いていて、アイテールを体内に含んでいる俺たちがその修復の影響を受けているとか、細かく説が分岐しているらしいぜ」
「よく分からんが、とにかく俺たちが機械の部品に引き摺られているって話なのか……?」
「そうそう。だからよ、その機械をデウス・エクス・マキナって読んでる奴もいるんだ」
「どこかで聞いたな……。確か、機械仕掛けの神……ってやつか」
「あるいは、それこそがハイ・ロードであるとも……」
要たる主、だと……? だがそれは人であり、中枢に遺骨があるって話なのでは……?
「そしてその影響はシンに近付くほどに大きくなるって話だ。となると、お前たちが歩むハイロードもクサくなってこないか? なぜそのルートなんだ?」
「そりゃあ……比較的にだが安全なんだろう? 道も通ってて歩きやすいし……」
「それを誰が担保できる? 現に中枢どころか、中央に行ける奴すら稀なんだぜ? それに宿はクロいんだろ」
た、確かに……。
「森の中を通った方が危険? 本当にそうか? 人がよく通る道は捕食する獣にとってこそ便利なものなんじゃないか?」
「そうだよねー」フェリクスだ「僕が特殊部隊のみんなとここに来た時、森の中をじっくりと進んでいったよー」
言われてみれば……放送局からここまで、獣に襲われなかったな……。そうだ、森の中で獣に襲われたケースは意外と少ない……ような気がしてきた……。
「……身に覚えがあるか?」
「……わからん。どうだい、ワルド?」
……ワルドは腕を組み、答えない。しかし、ワルドに肯定されると由々しき事態になるな……。
「……だが、ハイロードにどんな意味が?」
グゥーは肩を竦める……。
「ところでお前、そんなことを口に出していいのか……?」
「ああ、問題ない。撮影しているロボットには法律的に入り込めない場所があるんだ。病院などのプライベート空間は典型だな」
「へえ、そうなのか……」
「盗聴器の心配もない。ミィーに調査してもらったし」
「ほう……」
「とはいえ、吹聴はご法度だぜ。シン・ガードの件にしたって、バレていないのか、大目に見てもらっているのか分からないんだからな。アホどもがこぞって同じことをやりだしたら、今まで可能だったことも不可能になりかねない」
「そもそも、外界の人間である俺たちに話してよかったのか? 侵攻があり得るとなると穏やかではいられんのが人情だろう」
「ジレンマみたいなもんさ。俺たちの土地が広がることは素直に嬉しいが、かといって外界が俺たちの世界になってもつまらんからな。異文化の線引きこそが色彩豊かな世界を実現するんだ」
色彩豊かな世界、か……。
「さて、これからお前たちはどうするんだ?」
どうするかってなぁ……。俺はみんなを見やり、
「まあ、普通に進む、かな……?」
「どこへ向けてだ?」
そう……言われると困るな……。魔女やフィンを追うのが先決なのかもしれないが、事態は一刻を争っているのかいないのか……ちょっと判断が付かないしな。だとするなら、無闇に急いでも、危険を冒す愚になりかねない……。
「ダンピュール・ウィッカード様の元へゆきませんか?」
おっと、エリだ……。ダンピュール、賢者のことだな……。
「私たちはもっと強くならなくてはなりません。自身や仲間の身を守るためにも……」
「その提案に異を唱えたくはないが」ワルドだ「実際問題、どこにいらっしゃるのか、そもそもご存命かすらも分からないのだぞ?」
「いつだったか、会ったことがあったそうですね?」
エリは黒エリを見やる……。
「ああ、まあ、な……」
「どこでお会いになられたのですか?」
「谷だ……。我々は便宜上、死体棄ての谷と呼んでいた……」
死体棄ての……?
「なんだそりゃあ? 谷に死体が?」
「ああ、何百と棄てられていた……。そして動いている者も……。我々の兵隊もそこから調達したのだ」
あの、ボイジルとかいう奴が訓練していたバックマンたちか……。
「そういやお前たち、バックマンを集めていたな」
「集めていた訳ではない。兵隊になり得るという話だったので訓練させていただけだ。……まあ、結果はあのザマだが」
黒エリはため息を吐く。
「そこで賢者様と出会ったのですか?」
「ああ……。森の中に似つかわしくなく、正装のような格好をしていたよ」
「正装? タキシードみたいな?」
「ああ。そして四角い手提げ鞄を椅子にして、座っていた」
へええ……。賢者っていうんだから、なんとなくローブを着た隠遁者を想像していたが……。
「……それで、何をしていたんだ?」
「人を待っていると」
「人を……」
「そこで私たちは会話し、いくらか貴重な情報を得た」黒エリは肩を竦める「後は、それっきりだ」
「そう、か……」
しかし、正装のような格好でそんな場所に……? 鎮魂でもしていたのか……?
「その程度の手掛かりでは」ワルドだ「そこへ向かう動機にはなり得ぬな」
確かに、そうだなぁ……。
「死体棄ての谷か」グゥーだ「ちょっと面白いな。死体って具体的な人種は?」
「冒険者の死体が主だったな。そして、どれもが何かと融合していた」
うーん、不気味かつ、やや興味深い話ではあるかもしれないが……目先の目的とはいまいち合致しないな……。
「唐突ですが」伍長だ「我々はナン・シスターズと言います」
えっ、なにがシスター? いや、本当に唐突だなぁ!
「な、なんの話?」
「えっ!」グゥーは目を大きくする「あんた、そうなの?」
「はい」
いやおい、何の話なのよ? 伍長は俺を見やり、
「ホー様をご存知ですね? ナン・シスターズとは、彼女を中核とした信仰の集まりです」
「信仰の……? へえ……」
「我々は七人で構成されていました。しかし、黒い聖女の名を捨てたホー様に失望し、四人が離脱してしまいました。先ほどの刺客、セラ・ルーもその一人……」
ああ、知り合いくさい感じはあったものな……。
「そうだ、そのホーさんだが、コマンドメンツの襲撃から安否が分からない」
「はい、聞き及びました。私も懸念をしています。おそらく無事でしょうが……今度ばかりは相手が悪い。特に危険なのはお姉……いいえ、デュラ・ムゥー。元は黒い聖女の側近であり、極めて高い戦闘能力を有しています。そう、あなたのように」
伍長は黒エリを見やる……。
「なに? まさか……」
「四名中、二名がコマンドメンツに加わり、他の二名の消息は不明ですが、在籍がどうあれ彼女らの目的はホー様……。一体どんな計略を企てているか……」
なるほど、ホーさんとあの女も旧知の間柄っぽかったしな……。
「それで、君は軍部に?」
「ええ、能力を買われまして」
能力か……。確かに気配を消すに長ける様だし、それは軍属でこそ、何かと有用なのだろう……。
「それで、黒い聖女関係ってことは暗黒城で……」
「悪の研究ですね」
「あ、ああ……。いったい何をしていたんだ……?」
「社会構造の形成における人間性の回復、ひいては平和の創造を目的とした研究です」
「平和だって……? ではなぜホーさんはああも後悔しているんだ……?」
「悪を操ろうとしたことに愚昧さを覚え……それを恥じていらっしゃるのでしょう……」
「悪を、操る……? 排除するの間違いじゃないのかい?」
「それでは人間という概念が瓦解してしまいます」
「なんだって……?」
「人間性の根幹は悪という概念によって支えられているのです」
「なにぃ? そこはむしろ善意だろう……?」
「真善美は常々、自より他に置かれるものです。まるでこの都市のように」
伍長は壁に映る外の風景を眺めて言った……。
ちょっと思わぬ方向に話が飛んだが、何となく反論したくなってくるな……。
「……いや、でも、人は人の悪を断罪するものだ。悪が人間性の基軸だとするなら、それはまるで大いなる自傷じゃないか」
「いいえ、むしろ確認でしょう。人権を尊重する社会ほど、よく監獄を形成し、罪人を拘束したがるものなのですから」
「確認、拘束……? 流刑ではいけないと?」
「流刑は絶対的不定期刑です。つまり量刑を定める行為の放棄、これは同時に罪の重さをも不定とし、ひいては罪の有無に対する根拠にすら無頓着な態度と解釈され得る、それでは悪の所在に対し不徹底でしょう。ゆえに、ギマの司法においては、前提として内なる社会と外なる世界の区別を可能な限り明確にしようとする思想が重視されています」
「区別を……?」
「単純な例としては、この都市の外で起こったことは、内部での法律では罰せられない点が挙げられます。具体例としては、外で市民Aを市民Bが殺害したとしても市民Bは罰せられないのです」
「なんだって? そうなのか?」
「あなた方も、現状ではこの都市の市民として認識されていますが、それはそのバッジを所持しているという一点にのみ、証明が行われています。ゆえに、任意にせよ事故にせよ、手放した状態では不法侵入者として見なされる場合があり、その上に何らかの事件を起こした場合、市民としてはおろか、人間として処罰されない場合があります。具体例としては、裁判なしの極刑があり得ます」
な、なんと……!
「じゃあ、君たちは人間ではない俺たちを向かい入れたってことなのか?」
「そうです」
「しかし、そうなるとおかしくないか? 人間ではないものを人間にする過程には何がある? もともと人間と見なしていなければ不可能ではないのか?」
「それが悪の効能です。我々はあなた方に二つの可能性を見出しました。悪事を行う可能性と、その際に罰することの出来る可能性です。それゆえに、我々は現状において、かろうじて同胞なのです」
「可能性……」
「逆に言えば、悪事を行わない、また、罰せない対象は市民として認識されません。この概念はギマの社会において重要な意味を持っていますので、覚えておくとよいでしょう」
そ、そうなのか……。そしてこれこそが、暗黒城でやっていた悪の研究と関係があることなのか……?
「しかし、君たちは……とある書物によると、外界の紛争に関与していたそうだが……?」
「国家間紛争においては悪の所在が飛散し、人間性もまた喪失してしまいます。ゆえに悪を与えねばならなかった。その手法を模索することが我々の使命であったのです」
「悪を……与える?」
「そうです。それゆえに研究が必要だったのです……」
……どういうことだ? あの書物には黒い聖女が戦争を引き起こしたとかあったような気がしたが……。しかしいまの言い分からして、むしろ止めようとしていたようだが……?
まあ、あれに書かれていることがすべて正しいなんて保証はない訳だしな……。
「ところで、賢者様を探しに行くのでしたね」
「え? あ、ああ……」
「ひとつ、心当たりがあります」
「えっ……? 本当か!」
「シスターズの一人に、魔術の研究家がいまして、高名な魔術師との関わりも深いのです。そのお方に相談をすれば、あるいは賢者様の居場所も掴めるかもしれません」
「ほお……それは是非ともお話したいところ……だよな?」
振り返って尋ねるが、頷いたのはエリとワルドだけだ……。
「よ、よし……じゃあ、お願いしようかな……?」
「待て」黒エリだ「なぜ、そこまで我々に世話を焼く?」
伍長は黒エリを見やり、
「ホー様があなた方に協力しているからです。それに私もシスターズのことについて同胞と相談をせねばなりませんので、もののついでの提案でもあります」
なるほど、な……。
「彼女らは忘れられないのです、黒い聖女の時代を……。そしてホー様が悪の研究を止めたことに腹を立てている。今は何を計画しているのか分かりませんが、危険な企みであった場合は……」
「そう、か……。でも、軍の任務はいいのか?」
「これが任務です」
「これって……?」
「外来人の脅威判定ないしその関連調査です」
「ああ……そうなの」
「すでに命令は下っています。すぐにでも出発できますが……時間も半端ですね、今日のところは休まれてはいかがですか?」
「そう……だな、あまり急いてもよくないか……?」
みんなの合意を得て、俺たちはこの街で……というより、軍関連の施設、つまりは壁の中で一泊することになった。案内されたのは簡素な二段ベッドが並ぶ一室、ベッド以外には本当に何にもないな……。
「市内での宿泊ともなると、ややデリケートな問題が発生するかもしれませんので、今回はここでの宿泊となります。簡素ですが、宿泊費は頂きません」
「ああ、文句なんかないさ」
「食事は午後六時、消灯は九時です。別室にシャワールームもあり、使用は許可されています。では後にまた、お会いしましょう」
そう言い残して伍長は去ろうとしたが、エリが呼び止めた。そして出入り口付近でぼそぼそと話をし、二人で出て行ってしまう……。
「むっ、なんだ……?」黒エリが固まる「二人で、どこへ……?」
おそらく、人や悪についての議論とかするんじゃないかな……。しかし黒エリは気が気じゃないらしく、一人でそわそわしている……。
いや、伍長はそういうんじゃないと思うぞ……たぶん。それに俺もちょっと……伍長と話をしたいな。ギマにおける人間の概念には興味があるし……。
「俺も伍長と話をしてこようかな……」
そう呟くと、黒エリが急接近してくる……!
「そうか、私も行こう」
そして急かされるように俺は部屋を後にする……。