神と魂の系譜
廃墟の内部はやや暗めだが、天井の穴から差し込む日光で視界はそう悪くもない。
それにしてもツタだらけ……どころか、床より樹木が飛び出し、天井を貫いてもいる。なっている実からして、これはりんごの樹だな。
「植物に侵食されているな。こんなところ、なにもないだろう」
アージェルは振り返り、
「滅びがあるよ」と明るく笑う……。
「滅び、ね……」
……ここはおそらくホールかなにかだったのだろう、中央に噴水のような円形の残骸がある。
「死の匂いしかしないぜ……」
「それがいいんじゃない」アージェルはくるくると回り「瀕死の世界は純粋できれい……。人は豊かになるほど濁って腐敗するんだ。そんな世界、大嫌い」
まあ、切羽詰まれば誰だって本性をむき出しにせざるを得ないだろうし、それを純粋と見なすこともできるのかもしれないが……。
そういえば、蒐集者の奴が言っていたな……。瀕死の人類はあらゆる垣根を乗り越えて互いに手を取り合ったとか……。
たしかに、そんな光景があったとするなら、その一瞬はとても美しいものなのかもしれないが……。
「ねえ、知ってた?」いつの間にかアージェルが側にいる「この世界は一度、滅びた後だってこと……」
「あ、ああ……。にわかには信じ難いが、そうらしいな……」
「どうして滅びたんだろうね?」
「大巨人、ロード・シンがやったんだろう?」
「どうして、その大巨人が生まれたんだろうね?」
「……知っているのか?」
「いいえ、アテマタはいろいろとほのめかしていたけど、本当のところは教えてくれなかった。でも、ここに重要なヒントがあるらしいよ」
「重要な……」
「探しに行こう!」
そう言って、アージェルは奥へ駆けていく。
「あっ、おい、なにかいるかもしれないだろう……!」
俺は彼女を追いかける。ホールらしき場所の先は広い廊下、やはりツタや草に侵食されている。左右に道がたくさん分かれており、そのひとつにアージェルの入っていく姿が見えた……。
……この辺りには妙な気配がたくさんあるな。でも、こちらに接近してくる様子はないようだ……。でかい気配が上方より近付いてくるが、これはカリステのものだろう。頭上を見やると彼女が天井の穴から俺を見下ろしている……って、かすかに別の気配もあるな、こいつは……。
「彼女はウウーリィの系統だね」
……この声、やはりデヌメクか。振り返ると、奴は手を後ろに組んで上を眺めている……。
「また、あんたか……。最近よく現れるな」
「もちろん。君もまた、候補者なのだから」
候補者……。
「……その候補者っていうのは、いったいなんの候補なんだ?」
「きたるときのための」
「きたるとき……。世界がまた崩壊すると……?」
「現にいま、その危機に瀕しているのではないかな?」
そうだ、フィンの戦士たちがシンの意思を集めている……。
「シンの意思を集めると、本当に世界が崩壊してしまうのか……?」
「かもしれないね」
「ロード・シンとはいったいなんなんだ……?」
その問いかけと同時に、アージェルが戻ってくる。そしてデヌメクを見やり、眉をひそめた。
「……何者だ?」
デヌメクはニッと笑み、
「ただの隣人だよ」
そして歩き出し、奥へ進んでいく……。
「ここが何をしていた場所なのか、知りたいのならついておいで」
俺とアージェルは顔を見合わせる。
「……なんなのいきなり? 隣人ってなに……?」
「謎の男でね、よくわからないんだ。だが、相当な物知りであることは間違いない。話を聞いて損はないと思うぜ……」
「ふーん……」
俺たちはデヌメクの後をついていく……。そして奴は廊下を進んでいき……ふと左折し、階段を何度か降りて……突き当たりにある部屋のなかに入っていった。俺たちも続いて入室する……。
内部は薄暗く、本棚だらけ……。しかもそこに収まっているのはかつて見たような石板ばかりだ……。そして奥にはそれを一枚を手にしているデヌメクがいる。
「ここは研究所だったんだ。不老不死の研究をするためのね」
「不老、不死だと……?」
「といっても、ここではあまり核心的な研究はしていなかったがね。長期保存化の役割が強かった」
ふと、デヌメクは俺を見やる……。
「君はクリスタルジオサイトにて、かつての記録を垣間見たはずだ。ならば、過去の世界がどのような経緯で滅びに至ったか、大方の想像はついているのではないかな?」
「さあ、どうかな……」
「なにも考えていないのなら、私が話すこともないかな」
なんだ、答え合わせでもしてやろうってのか……?
「……どうにも、異なる思想の集団が対立していたようだが……?」
「そう。人類が至るべき姿を巡り、彼らは二つに分かれ、対立したんだ」
「ああ、たしか……万能を称する者とか、輪廻とか……」
「人類は繁栄を極め、神への領域へと着手し始めた矢先のことだった。死を克服する方法について、思想の違いが浮き彫りになってしまったんだね」
「死の、克服……」
「それには二つの提案があった。万能者となるか、輪廻転生者となるか。前者は万能たる神に、後者は死をひとつの転機とし、輪廻を巡る存在になろうとする試みだった」
「そ、そんなことが……」
「できたのさ、少なくとも輪廻転生はね。それに君たちが求めているリザレクションは、輪廻における呼び戻しの技法なんだよ。もちろん、それを成すには相応の条件を整えなくてはならないがね」
「その条件とはっ……?」
「ひとつに骨が必要なことが挙げられる。転生者の骨には自然とコードが刻まれ、魂を呼び戻すにはそれが必要となるんだ」
「コードは魔術だけでなく……」
「ブラックコードはコードの一種に過ぎない。輪廻転生に必要なのはレッドコードだ。これは生きているだけで刻まれていく」
「レッド、コード……」
「そしてふたつ目の条件は人体を構成する成分だ。これは特に、リザレクションソイルと呼ばれる土のことを指す」
「それは……どこにあるんだ……?」
「中央部のさらに中心にある中枢だよ。もっとも、持ち出された形跡もあるので、他のどこかにはあるのだろう」
「他のどこか……バック、マン……」
「そう、彼らは手荒く呼び戻された不完全体と言えるだろう。ゆえに肉体と魂は早々に乖離し、後に残るのは正常には機能していない肉体だけとなる」
「じゃあ、条件を揃えれば、死者の復活は確約されるんだな……?」
「転生者の血が濃い者ほど可能性は高くなるだろう。しかし、万能者に傾いている場合にはその限りではないね」
「両者にどんな違いが……?」
「転生者とは魂を持つ者たちのことだ。死んだとしても転生するし、条件が揃えば復活もできるが、レッドコード以外のコード成長が非常に遅い。対し万能者はその逆で、転生も復活もできないが、その代わりレッドコード以外のコード成長が非常に早い」
「魔術の才能……!」
「その通り。しかし、どちらかに極端な傾きを見せるケースはいまや少なく、大抵が濃度や比率の問題となる。例えば万能率八割、転生率二割の場合、魂の安定性が低いからね、運よく転生できたとしても、他の魂と大なり小なり融合してしまう場合が多いんだ。しかも、正常に復活できる可能性はかなり低い」
魂が融合するだって……? それに復活の可能性も低い……。
「そ、それらはどうやって区別できる……?」
「骨を精査すれば確実だね。表層的には、複雑な魔術を扱える者ほど万能者の系譜に近いと見なせる」
デヌメクは石版を棚に戻す……。
「しかし、例外の存在もいる。双方の特性を強く受け継ぐ稀有なケースがね。黒い聖女がそれだ」
黒い聖女、ホーさんが……。
「彼女がいつまでも若いのは万能者の特性なんだ。老化に強く、再生能力も高い。それに魔術の才能も飛び抜けているね」
たしかに……彼女はとても若く見える……。
「加えて転生者の特性をも兼ね備えている。死しても転生し、完全なる復活も容易だろう。いいとこ取りなんだね」
「それは……すごい、な……」
「そう、それゆえに候補者にふさわしいんだよ」
デヌメクは別の石版を抜き出す……。
「皮肉にも、彼女自身が誰より残酷な存在なんだ。神に愛されし特別な存在。だからこそ、下界の俗衆で人形ごっこをして遊んだとて、いったいどこに非があるだろうか」
「……そうやって、少女だったホーさんを誑かしたんだな……!」
「繰り返すが、彼女が特別なのは事実だ。しかし殊勝なことに、彼女は自らその考えを捨て去るに至った……」
そのとき、デヌメクはいつもの妙な作り笑いではなく、自然な微笑みを浮かべた……。
「……あの子は本当に美しい。いや、これから後悔を昇華し、聖域に突入すれば、名実ともに真の聖女となれるだろう。そして、やがてきたる終末の時代に、人類を導く救世主のひとりとして立ち上がるに違いないんだ」
救世主、だって……?
「こ、候補者とは、救世主の候補者なのか……!」
「そうだよ」
「そして俺も……? しかし、俺はホーさんのような稀有な存在ではないぞ……?」
「アイテール伝播の感度からして、君は転生者にかなり偏っていると推測できる。ならば君もそこそこには珍しい存在だよ」
そこそこ、ね……。
「君のような存在の真価は死後に発揮される。もちろん、生前において充分な成長が必要だけどね」
「し、死んでからだって……?」
「そうだ。もしそのときがきたら、私が君を殺すことになるだろうね」
そう言って、デヌメクはニッ……と笑う……。
「あんた、あんたは……」
「私は隣人だよ、人類のね。隣人が困っていたら助けるのが道理だろう? とりわけ終末に咽び泣く人類には救済が必要だ。そして、彼らを救済するには、救世主と大いなる庇護の手、そして虚空への祈りという三つの聖を揃えなくてはならない」
救世主、大いなる庇護の手、虚空への祈り……。
「君の犠牲など、その使命に比べれば瑣末なことだよ。君には救世主の、彼女の手助けをしてほしいんだ」
こ、こいつ……!
こいつは……。
「……押し付けは、よくないんじゃなかったのか……?」
「彼女を非難した手前、ばつは悪いね。でも状況が状況だ、候補者も少ないし、終末が来てしまったときのために、準備を急がねばならない」
「急に接近してきたのはそのせいか……」
「前から目を付けてはいたんだよ。でも、決定的だったのはクリスタルジオサイトでの一件かな」
クリスタルジオサイト……ファンタズマクリスタルのあれでか……?
「なんの話かよくわからんが」アージェルが前に出る「レクを殺すとは聞き捨てならんな。貴様こそ、ここで死んでもらうぞ!」
光り輝く弓矢のような形状のものがアージェルの手元に……! そして間髪入れずに、弓の方が飛んだっ……?
閃光一閃! デヌメクがいた場所に大きな横一文字の亀裂が……! 棚も両断され、石板が辺りに散らばる……!
「いない、かわされたか」
「ま、待てアージェル! 石板は……! それにあの男とやりあうな……!」
「どこへ行った、逃げ隠れするな」
アージェルは残った矢というか剣を振り回し、周囲に巨大な亀裂をいくつもつくる……! 棚の多くが破壊され、周囲は石板だらけとなっていく……。
しかし、デヌメクはやはり無傷だ、背後に気配を感じる、振り返ると俺のすぐ側に……!
「力を手に入れたとて、万能者の多くはアテマタの聖戦士に敵わなかった。強大な力を持つ者ほど、敗れ去った姿は哀れなものだ」
「ふん、逃げ腰の臆病者がなにをほざく」
「勘だが、君もまた濃い転生者の系譜に思えるな。人工コードで力を手に入れたとて、それは徐々に劣化していくものだよ」
「なんだと……?」
「それを防ぐための方法としては兵装との融合があるんだ。コードが劣化し失われても、物理的に融合した後ならば、その戦力は保持される。そういえば、君の友人にもそういった者たちがいたね」
黒エリやシルヴェのことだな……。
「あれはもともと転生者の強化技術だったが、後に万能者がそれを真似するようになった。万能者とてしょせんは自称、その強さに限界を感じていたんだ」
限界……。たしかに、どれほど魔術の鍛錬をしようと、あのシン・ガードに勝てる気はしないしな……。
「やがて万能者の多くはアテマタに狩られ、防御に特化した者たちがわずかに生き残ることとなる」
「生き残った、まさか……?」
「私を殺そうとするのは時間と労力の無駄だね」
デヌメクはニッと笑む……。
ということは、この男は古い万能者で……遥か昔から生き残っているっていうのか……?
「じゃあ、あんたは……いったい何歳なんだ……?」
「その問いには意味がないかな。積んだ年数が深遠なる思慮と英知を約束するかといえば、期待するほどでもないものだからね。なので、余計な畏怖を抱く必要もない。それになにより、私は君の敵ではないんだ。ただの隣人なんだよ」
「むざむざ殺される気はないぜ……!」
「殺されるという考えは捨てて、自身の死に価値があるという点に着目してほしいね」
俺の、死に……。
「それに、私は理不尽極まる死を君に与えるつもりはないんだ。そのときが近付いたなら事前に伝えるよ。もちろん、不意打ちなどを案じる必要もない」
……この男の言い分が正しかろうとそうでなかろうと、いまのままではいられなくなるってことには違いないんだろう……? 俺はいまの俺に愛着があるし、そんな話、受け入れられるか……!
「……そいつは優しいね。まあ、そのときがくるのか怪しいが、やるっていうなら相手になるさ……!」
「そうだ」アージェルは大きく頷く「逃げ腰の臆病者に勝機などない。手酷く打ち負かされて土を舐めるのだな!」
デヌメクは大きくニッ……と笑む!
「楽しみにしていよう。ではまた」
そして奴は去ろうとするが、まだ一応、聞いておかなければならないことがある。
「待て、クレイヴはどうなった?」
デヌメクは振り返り、
「死んではいない」
「そうか……」
「そこは安堵するところかな」
「……なに? どういう意味だ?」
「おかしいとは思わないのかい? 彼が単独にて下層に向かったことを」
「そりゃあ……クリスタルを手に入れるために単身急いだとか、そんなところだろう?」
「いいや、君たちが死ぬと思っていたからさ。ニーマナティアにやられてね」
「なに? ドラゴンの存在まで知っていたのか?」
「もちろん。出くわす予定はなかったろうが、その時には、囮を用意してその隙に奪い去る作戦だったのさ」
「そう、か……。それはつまり、聖騎士団とブラッドワーカーが結託していたということなのか……?」
「そうとも解釈できるかもしれないね」
ちっ、こういうときだけ曖昧に答えやがって……! アージェルはデヌメクを睨みつけ、
「そういえば貴様は……あのアテマタたちと繋がっているのだな?」
デヌメクはわずかに首を傾げ、
「いいや」
「嘘をつくな。タイミングがなにかと妙だ。なにを企んでいる?」
「私は彼らに狙われているんだ、共謀なんかできないさ」
タイミング、か……。たしかに奇妙な感じがあるな……。クリスタルジオサイトで俺への関心を高め、その翌日に俺へ説明をしにやってきた……。そしてその内容はといえば滅びにまつわる対立の話で、同行しているのが廃墟に関心のあるアージェル、そしてこの場所もまた、終末を呼び込んだ対立に関係する万能者の研究所……。
……なんだか、変な感じがする。このなんとも言えない奇妙な符合、偶然と見なすことも可能だが、どこか引っ掛かるな……。
蒐集者の恐るべき力を鑑みれば、この男にだって、あるいは……。
「もういいかな。では、また」
デヌメクはニッと笑い、今度こそ去っていく……。
「なんなんだ、あの男は……!」アージェルがうなる「それに! レクと一緒に秘密を暴こうと思ったのに、先に説明されちゃったよ!」
まあ、手間を省いてくれたとも言えるがな……。それにこんな廃墟だ、自力で調べたって大した情報は得られんさ。
「というかさ、アージェル……。俺は仲間の元に戻りたいんだけれど……」
「ええー? そんなに仲間が大切……なのか、レクだものね」
「それに、お前はこれからどうするんだ? 廃墟巡りを続けるのか……?」
「それもいいけど、ロード・シンの復活も興味あるなぁ」
ああくそ……廃墟に興味があるなら当然そっちにも惹かれるか……!
「し、しかし、俺たちはそれを阻止しようと動いているんだよ……!」
「阻止? なにか起こってるの?」
例の件はアテマタから聞いていないのか。俺はこれまでのいきさつを彼女に話す……。
「ふーん……」
アージェルは腰に手を当て、宙空を眺める……。
「レクはこの世界が好きなんだね」
「好きっていうか……滅ぼされるのを黙って見てはいられないだろう……?」
「それはそうと、黒い聖女って誰……? なんか、あなたと関係があるみたいな話だったけど……」
「まあ、なんというか、いいひとだよ」
「いいひと……?」
「敬意を抱けるひとさ……」
「敬意……ね」
アージェルはじっと俺を見つめてくる……。
「と、ともかく……元の場所に戻りたいんだよ」
「……まあ、廃墟はそこら中にあるしね、ちょっとその状況にも興味あるし……一緒に行こうかな?」
一緒に……? それって、あの機械人間とカリステも……だよなぁ……?
なんだか嫌な予感がするが……戻れるならばやむを得ないか……。ここがどこかもわからないんだ、一人で行動するのは危険だし……。
「じゃあ、そうしろよ。向こうはなかなか快適だぞ……」
「うん、そうする。カリステ、戻るよ!」
するとガフッ、ガフッと恐ろしい息遣いが……! そしてまた体を掴まれ、すごい速さで移動していくぅうう……!